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詩音と詩音ママの場合 - ツアー完走の夜

 全国ツアー全日程が終わった夜。チーム光の打ち上げも終わり、既にとっくに深夜を回っている時間。

 興奮と称賛が渦を巻く中、東雲邸はいつもより静かだった。


 屋敷の灯りはすでに落ちていたが、玄関だけがぼんやりと明るい。


 当主である母――東雲詩音の母は、深夜になっても眠らず、ひとりその明かりの下で娘の帰りを待っていた。

 湯気の消えた紅茶が、玄関脇のテーブルで静かに冷えている。


 やがて、外の静寂を破るように、ゆっくりとドアが開いた。

 冷たい夜気と一緒に、詩音が立っていた。

 舞台の熱をそのまま抱えたような息遣い。

 いまだ、気持ちがあのステージから戻り切っていないことが、外から見ていてもわかる。そんな様子だった。


「……お帰りなさい」

 母の声は穏やかだった。

 そこに立っていた母に驚いたように目を上げた詩音が、小さく頷く。


「お母さま、結果が、出ました」


 俯き、両手は握りしめられ、その声は震えていた。

 努力も責任も、すべてを終えた者だけが持つ、安堵と余韻の震え。


 母はゆっくりと立ち上がり、娘に歩み寄った。

 そして、何も言わずにその肩を抱き寄せる。


 詩音の体から、緊張がほどけていくのが伝わった。

 次の瞬間、彼女は子どもの頃のように、堰を切ったように泣き出した。


 成功の涙でも、疲労の涙でもない。

 “世界がほんとうに動いた”という実感の涙だった。


 母はその背中を優しく撫でながら、静かに言った。


「――ええ、ちゃんと見ていましたよ。

 あなたの信じたものが、確かに世界を動かしましたね。」


 詩音は何も言えず、ただその腕の中で小さく頷いた。

 長い旅路の終わりを告げる夜風が、そっと玄関の花を揺らした。


 その瞬間、母は思った。

 自分の娘が、世界を動かすようになったのだと。

 そして、母として、心の底から誇らしかった。


♦︎翌朝 ― 応接間にて


 翌朝。

 カーテンの隙間から柔らかな光が差し込む応接間。

 昨夜の嵐のような感情の跡を感じさせないほど、空気は穏やかだった。


 母は紅茶を淹れ、静かに言った。


「……よくやりましたね、詩音」


 詩音は姿勢を正し、深く頭を下げた。

 その仕草には、夜の涙とは違う静かな自信が宿っている。


「あなたの投資は見事に実を結びました。

 誰も成功するとは思わなかった男性アーティストの全国ツアーを、

 あなたは信じ、支え、実現させた。

 その結果、光さんは日本中を――そして世界までを震わせた。」


 詩音の胸に熱が広がる。

 母の言葉で、ようやく自分の努力が現実に変わったのだと実感できた。


「それに……」

 母は少しだけ柔らかく微笑む。

「ただ利益を得ただけではなく、“あなたのやりたいように世界を変えた”。

 東雲家の人間として、それ以上の価値はありません。」


 詩音は再び深く頭を下げた。

 紅茶の湯気の向こうで、母の表情がゆるやかに緩む。



♦︎母の忠告


「――成功は、次の投資を呼びます。

 周囲はあなたを“次も当てる存在”として見るでしょう。

 だからこそ、これからが本当の勝負です。

 ドーム公演にせよ、海外展開にせよ、数字の先にいる“人”を忘れないことです。

 あなたが初めて光さんを信じた、その目を。」


 詩音は拳を握りしめ、力強く頷いた。


「はい。……次も、必ず成功させます。」


 母は静かに頷き、微笑んだ。


「ええ。あなたなら、もう私の想像を超えていけるわ。」


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