無理を知りながら
リハーサルを終えた夜。
控室の隅で、雪は意を決して声を落とした。
「……マリ姐。光、明日は本当に出られるんですか?」
タブレットを操作していたマリ姐は手を止めず、短く返す。
「出るわよ」
「でも、顔色も声も……。これ以上無理をさせたら――」
雪は言葉を詰まらせた。
光はきっと「大丈夫」としか言わない。だからこそ、自分が言わなきゃいけない。
「本当に、休ませた方がいいんじゃ……」
◇
マリ姐は深く息を吐き、画面から目を離した。
雪を見つめる瞳には、迷いと、それでも動かせない覚悟がにじんでいる。
「止めたい気持ちはあるわよ。……でもね、雪」
声を落とし、まるで自分に言い聞かせるように続けた。
「明日を楽しみに、遠くから何時間もかけて来てるファンがいる。彼女たちにとっては“一度きりの夜”なの。
もし光が出てこなかったら……その人たちの人生に、二度と埋められない穴になる」
雪は息を呑んだ。
「それに、一本飛ばしたらツアー全体が揺らぐ。会場の契約も、スタッフのスケジュールも、ぜんぶ繋がってる。たった一日欠けるだけで、全部が崩れかねないのよ」
マリ姐は唇を噛み、さらに低く言う。
「……そして何より、光自身。あの子は“楽しみにしてくれてる人がいる”と分かってたら、絶対にやめない。止めたところで納得なんてしないわ」
◇
タブレットを閉じ、マリ姐は雪をまっすぐ見つめた。
「これは“男性初の全国ツアー”。ここで穴を開けたら、光だけじゃない。“男がツアーをやること自体”に“やっぱり無理だった”って烙印が押される。
だから――止められないのよ」
静かな声が、ずしりと胸に落ちる。
雪は俯き、拳を握った。事情も理屈も理解できる。けれど――。
(……それでも、私は光に無理してほしくない)
小さく頷いたその時。
◇
「おーい、何してるの?」
扉が開いて、光がタイミング悪くひょいと顔を出した。
「俺、全然やれるよー! ちょっと疲れてるだけだから。大丈夫、大丈夫!」
にかっと笑うその顔に、マリ姐も雪も言葉を失った。
(……そうやって笑うから、誰も強く止められないんだよ)
雪は胸の奥で呟いた。
――そして翌朝。
光の発熱は、隠しようもなく現実となって姿を現す。




