第172話 “やりたいことが出てこない” - 光の異変
会議室のテーブルいっぱいに、資料が広げられていた。
スタジアムライブ。
十万人規模。
グッズ案、ステージ演出、照明プラン。
セットリストの叩き。
導線図と、タイムテーブル。
どれも、規模に見合ったものだった。
むしろ、慎重すぎるくらいに。
マリ姐が、ペン先で資料を軽く叩く。
「じゃあ、まず全体の演出ね。
オープニングは――」
詩音が、すぐに言葉を重ねる。
「世界同時配信を意識するなら、
最初は分かりやすく象徴的な曲がいいと思います」
真白も頷く。
「グッズは、
スタジアム限定を強めた方がいいですね。
今の熱量なら、確実に回ります」
自然な流れだった。
チーム光として、正しい進行。
だが。
光は、何も言わなかった。
テーブルの上の資料を、
ただ、眺めている。
指先が、ページの端をなぞる。
何か言おうと迷っているようだったが、
結局口は開かない。
いつもなら。
ここで突然、
『え、そこもっと遊ぼうよ』
と、話をひっくり返す。
前回のツアーでは、
『最初、照明全部落としてさ』
と笑いながら言い出して、
全員を青ざめさせた。
あるいは、
『なんかつまんない!グッズもっと面白いのにしようよ!』
と、流れを丸ごと変えたこともあった。
そうやって、
予定を壊し、
現場を困らせ、
それでも最後にはそれを熱狂に繋げる。
その役を担ってきた人間が、
今日は、いない。
詩音が、少し間を置いてから声をかける。
「……光さん?
どう思います?」
光は、顔を上げる。
一瞬、何か言葉を探すように視線が揺れて、
それから、小さく頷いた。
「うーーん……うん」
それだけだった。
否定もしない。
賛成もしない。
広げもしない。
真白が、別の案を出す。
「じゃあ、
中盤に“音の解放”を象徴するブロックを作って――」
光は、少しだけ口を開きかけて、
結局、閉じる。
「……そうかも」
また、それだけ。
場の温度が、
少しずつ下がっていく。
雪は、黙ったまま、
光の横顔を見ていた。
どこか、
遠くを見ているような目。
声をかければ、
きっと光は無理して笑うだろう。
『大丈夫だよ』
そう言って、いつもの調子に戻るかもしれない。
でも――
それでは、足りない気がした。
会議は続く。
だが、噛み合わない。
提案は積み上がるのに、
中心が、動かない。
マリ姐は、
その違和感を、
はっきりとは言葉にしなかった。
代わりに、
一度、手を叩く。
「……はい」
全員の視線が集まる。
「いったん、ここまで」
少し、柔らかく。
「今日は解散しましょう。
私の方でも考えておくけど、
みんな、アイデア出しは続けて」
反論はなかった。
光も、
「わかった」と言って、
静かに立ち上がった。
⸻
会議室を出ていく背中を、
雪は、しばらく見送っていた。
最後に残ったのは、
マリ姐と雪だけ。
マリ姐は、
資料を片付けながら、
ぽつりと言う。
「……ねえ、雪」
「はい」
「私、今さら気づいたんだけど」
手を止める。
「チーム光って、
基本、光の
“やりたいこと”を叶えることで
前に進んできたチームなのよ」
雪は、何も言わない。
マリ姐は続ける。
「無茶振りされて、
困って、
文句言って、
でも結局、チームで必死に形にしてきた」
少し、苦く笑う。
「……光に、
“やりたいこと”がないと
止まるのね、このチーム」
しばらく沈黙。
マリ姐は、
意を決したように言った。
「雪」
「はい」
「悪いんだけど」
少しだけ、声を落とす。
「光を、なんとか元気づけてあげて」
お願い、ではなく。
依頼だった。
雪は、静かに頷いた。
「……分かりました」
その背中を見送りながら、
マリ姐は思う。
――象徴にされる前の光を、
知っている人間は、
もう、そんなに多くない。
そして、
光を一番近くで見てきたのは――雪だった。




