世界が二度止まった夜
観客は総立ち、歓声が嵐のように吹き荒れる。
赤と金の照明が交差し、スタジアムを揺らした。
ルナリアと光は笑顔で肩を並べ、
互いにマイクを掲げて観客に応えた。
「ありがとう、光。あなたの音、すっごく生きてたわ」
「こちらこそ! みんなも、ありがとね!」
光は花道を、手を振りながらゆっくり歩く。
スポットライトが光の背を追い、
観客が波のように手を振り返す。
——その背中がステージ袖に消えた瞬間。
照明が消え、闇が訪れ、音が止まった。
七万人の喧噪が一斉に凍りつく。
空気が真空になり、誰もが息を呑む。
世界がまるで、“何かを待っている”ような静止の時間。
⸻
闇の中、ひとつのピアノ音が響いた。
その一音は、まるでタクトの一振りのように宙を裂く。
わずかに光が戻る。
観客が息を呑む。
しかしステージ中央には、誰もいない。
ライトが探すように揺れ、
ルナリアの姿は消えていた。
——そのとき。
衣装の裾が風を切る音がする。
スタッフも照明も動かない。
ただ、世界が次の合図を待っていた。
⸻
ピアノのリズムが変わる。
闇を切り裂くように、一筋の光が走った。
その中心に、ルナリアが立っていた。
真紅のドレスは先ほどと同じ色調でありながら、
金糸のラインが追加され、光を受けて燃えるように輝く。
髪の先まで照明を反射し、
まるで“新しい太陽”が誕生したかのようだった。
青と赤のライトが交差し、
布が風と光を纏って流れる。
その姿は、歌姫であり、指揮者であり、支配者。
音と光の命令権を、完全に掌握していた。
⸻
ルナリアの手がゆっくりと上がる。
空気が張り詰め、七万人の鼓動がひとつの拍に重なる。
タクトのように腕が振り下ろされる。
音が立ち上がり、光が波のように走る。
その指先のわずかな動きで、
ステージ下に待機していたストリングス隊が鳴り、照明が呼吸し、
観客の鼓動すらもリズムに同調していく。
——すべてが、彼女の“わずか一拍”の指示で動く。
音も光も、人間すらも、完璧に同じテンポで呼吸していた。
⸻
マイクスタンドに手を添え、
ルナリアは唇へ寄せた。
「——じゃあ光、あなたはここまで。
ちょっと今の“差”を見せてあげるから、
早くここまで登ってきてね」
一拍の静寂。
その言葉が終わった瞬間、
スタジアムが爆発した。
「キャーーー!!」「ルナリアーーー!!!」
「光くん呼ばれた!!!」「ヤバい、バチバチじゃん!!!」
七万人が総立ちになり、悲鳴にも似た歓声が天井を突き抜ける。
誰もが叫び、泣き、笑い、スマホを掲げる。
歓声が地鳴りのように揺れ、
アリーナの床がわずかに震えるほどだった。
巨大スクリーンには、ルナリアの挑発的な笑みが映し出される。
その笑顔は、余裕と支配、そしてどこかに愛を含んでいた。
光の名を呼ぶ声と、ルナリアの名を叫ぶ声が交錯し、
七万人の熱がひとつの嵐になって吹き荒れる。
⸻
右手が軽く上がる。
弦の群れが息を吸い、オーケストラのような重厚なイントロが響く。
風が一斉に舞い、ステージの骨格が震えた。
彼女が腕を振れば照明が跳ね、
掌を返せば音が止まり、
指を弾けば花火が夜空を割く。
——すべてが、ひとつの拍で完璧に制御されていた。
観客の呼吸、風の流れ、光の軌跡さえも。
七万人が、彼女のテンポで呼吸していた。
「キャーーー!!」「ルナリアーー!!!」
悲鳴にも似た歓声が夜空を貫く。
世界が、完全に彼女の拍に合わせて動いていた。
⸻
ルナリアは微笑み、マイクを握り直す。
ほんの小さな呼吸。
その一息で、七万人の呼吸が止まる。
まるで刃を突きつけられたように、誰も動けなかった。
「さあ、始めましょうか。
ここからは——“いつもの私の、完璧なライブ”よ」
その言葉と同時に、腕を振り下ろす。
音と光が爆ぜ、ステージが宇宙の心臓のように脈動した。
ルナリアは目を細めて笑った。
その笑みは、歓声を浴びるためではなく、
自分の音が世界を支配していることを確信する笑みだった。
観客の歓声は、もはや熱狂ではない。
それは——崇拝だった。
その瞬間、誰もが思い出していた——
この夜の主役は、ルナリアただ一人だということを。
そして世界は、再び彼女の手の中に戻っていった。




