音での言い合い
今度はルナリアも歌だけではなくピアノを弾く様子だった。
スタジオに少しだけあったざわめきも、ルナリアがピアノに腰を下ろした瞬間すっと引いていった。
空気の密度が一段階変わる。
指先が鍵盤を叩くたび、空気が研ぎ澄まされていく。
音はまっすぐで、完璧で、すこしも迷いがない。
まるで陽の当たらない高層ビルのガラス面みたいに冷たく、美しい。
隣で光は指を軽くほぐしながら、口元に笑みを浮かべた。
「……ちょっと硬いね」
ルナリアが眉を上げる。
「完璧って言ってほしいわ」
光は笑って、勝手に隣の鍵盤に手を置いた。
ひとつ音を弾く。
その瞬間、ルナリアの世界に風穴が空く。
音が柔らかくねじれ、ルナリアの旋律を揺らす。
「なに、それ。壊しにきたの?」
「いや、混ぜたかっただけ」
軽く返す光の笑いには、隠しきれない真剣さがあった。
⸻
ルナリアがすぐに音で応えた。
正確で、鋭くて、挑発的な音。
光はそれを真っ向から受け止め、今度は拍をずらす。
空間が揺れ、二人のリズムが噛み合ったり外れたりを繰り返す。
ルナリアが呟く。「なるほど、自由でいたいタイプね」
光が即座に返す。「完璧でいたいタイプでしょ?」
ルナリアの唇がかすかに笑った。
「どっちが上か、決めましょうか」
「うん、音でね」
次の瞬間、ピアノが歌いはじめた。
二人の旋律が絡み、ぶつかり、ほどけて、また交わる。
押し合いなのか、支え合いなのか、自分たちでもわからない。
けれど、音だけは笑っていた。
⸻
いつの間にかテンポが同じになっていた。
光が次の音を弾く前に、ルナリアがその“先”を置く。
まるで呼吸の順番を分け合うみたいに。
低音が二人の呼吸を繋ぎ、空気が震える。
重なった瞬間――スタジオ全体が静まった。
最後に残った一音。
光が息を吐きながら鍵盤から指を離す。
ルナリアが、そっとそこに和音を重ねて閉じた。
静寂。
誰も息をしていない。
⸻
しばらくして、ルナリアが笑う。
「……あなた、楽譜書けないでしょ」
光も笑って、肩をすくめた。
「書かなくても、心が覚えてる」
ルナリアが小さく息を漏らす。
「……ずるい人」
「音楽って、そういうもんでしょ?」
ルナリアが吹き出した。
その笑い声が、さっきまでの衝突の余韻をやわらかく包み込む。
同じ音を見て、同じ空気を吸って、同じ世界に立つ。
完璧を求める音と、自由を求める音が混ざり合った瞬間――
新しい音楽が、生まれていた。
⸻
静寂が落ちたスタジオ。
二人はまだピアノの上に手を置いたまま、同時に笑った。
音が止まっても、空気だけはまだ震えているようだった。
一瞬の沈黙。
そして光が首を傾げた。
「……あれ? ていうか俺たち、オープニングアクトって何やるんだっけ?」
ルナリアもぽかんとした顔で固まる。
「……たしかに。打ち合わせ、してない」
二人で顔を見合わせ、同時に叫ぶ。
「マリ姐ー!!!」
「アンーーー!!!」
外のガラス越しで、頭を抱える二人のマネージャーの姿。
スタジオの中は、もう笑いでいっぱいだった。




