ルナリアからの正式オファー
都内の貸し会議室。
白い蛍光灯の下、机の上にはノートPCと朱肉、判子、書類の山。
その中心で、マリ姐と詩音が並んで座っていた。
「……ようやく登記の準備が整ったわね」
マリ姐が椅子の背にもたれ、深く息を吐く。
「これらを提出すれば正式に、“株式会社チーム光”の誕生ですね」
詩音は穏やかに笑った。
「活動が落ち着いた今だからこそ、ようやく腰を据えられると思っていたんですが――」
「ほんとよ。次こそ静かな日々が――」
その時、ノートPCの通知音が鳴った。
件名:「LUNARIA WORLD TOUR 日本公演 オープニングアクトのご提案」
「……うわ、ほんとに来たわよ……」
「……そうですね」
二人はほぼ同時に顔を見合わせた。
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♦︎メール本文
件名:LUNARIA WORLD TOUR 日本公演 オープニングアクトのご提案
宛先:株式会社チーム光 御中
こんにちは。ルナリアのマネージメントチームです。
ルナリア本人が光さんのツアーファイナル配信を視聴しました。
彼女は「pure light(純粋な光)」だと言っていました。
彼女の希望で、ワールドツアー日本公演のオープニングアクトを
光さんにお願いしたいと考えています。
契約・所属レーベル間の交渉は不要です。
必要な調整はこちらで可能な限り行います。
(マネージャーより補足)
ルナリアは勢いで物事を決める傾向がありますが、今回は本気です。
彼女は「彼の音楽には壁がない」と言っていました。
また、光さんにレーベル等の契約がないと伺いました。
その場合でも問題ありません。
「友人がたまたま遊びに来た」形で出演していただければ、
お互いに契約は不要かと思います。
最後に、ルナリア本人からのメッセージを添えます。
光さん、あなたのステージを見ました。
どこにも所属していないのに、あんなに人の心を繋げてた。
あなたと一緒に歌えたら、世界がもっと優しくなりそうです。
どうか前座なんて思わないで。
“世界への最初の一歩を一緒に踏み出す仲間”として来てほしい。
――ルナリアより
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メールを読み終えたマリ姐は、深く息を吐いた。
「“no label negotiation”…..レーベル交渉は不要ってこと!? 普通は数ヶ月かかる交渉を飛ばす気!? なにこのノリ!」
詩音は思わず口元を押さえて笑う。
「ですが、“調整はこちらで行う”とあります。とても誠実な内容です。……おそらくマネージャーの方が」
「ええ。メールの文面、完全に“苦労人”のそれね。光タイプの天才を抱えてる顔が目に浮かぶわ」
詩音も吹き出しそうになりながら頷く。
「なんだか、もう他人事とは思えませんね」
マリ姐は苦笑しながら、手元の判子を見つめた。
「……登記書類より、先に世界が動くってどういうことなのよ……」
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♦︎同じ頃 ― 光の家
夜。
電子ピアノの前で、光がスウェット姿のままゆるく配信をしていた。
画面の隅では湯呑みを持った雪が、穏やかにその様子を見ている。
「昨日ね、なんかすごいメールきててさ。正式にルナリアさんのマネージャーから」
『例の?』『まさかルナリア!?』
「そう、それ。日本公演のオープニングアクト、正式にメール来たみたいだしもう決まりかなー。」
『軽いw』『マリ姐倒れるぞ』『他人事かw w w』
雪が小さくため息をつく。
「……ほんと自由だなぁ」
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♦︎翌日 ― 「ルナリア初聴き配信」
画面にはいつもの明るいタイトルが表示されていた。
『【初聴き】ルナリアさんの音楽を初めて聴いてみる配信!』
「今日は“ルナリアさんの音楽を初めて聴いてみる配信”やります! みんなも一緒に!」
『初めて聴くの光くんだけw』『世界中の人はもう聴いてるよ!』『この人ほんとマイペース』
軽快な前奏。
ピアノと歌声が響いた瞬間、光の指が止まった。
普段はどんな曲も楽しそうに聴くのに、その顔が一瞬で真剣になる。
眉がわずかに動き、瞳の奥に集中の光が宿った。
雪は横でその横顔を見つめ、小さく笑った。
(……あんな顔、久しぶりに見た)
曲が終わる。
光が息を吐くように呟く。
「え、これめっちゃいい。……ちょっと再現してみていい?」
『出た!耳コピ職人』『一回でやるの天才』『絶対やると思ったw』
ピアノの音が響く。
数秒でコードを掴み、サビが再構成される。
即興の歌詞が、口から自然にこぼれた。
「♪風をつかまえて 羽みたいに 自由になれたら〜♪」
コメント欄が爆発する。
『再現度高すぎ』『本人見てそう』『#光初聴き がトレンド入りする予感』
弾き終わった光が、少し悔しそうに微笑んだ。
「これ、ほんとにいい曲。……ちょっと悔しいな」
雪が柔らかく笑う。
「今の、ルナリアさん本人が見てたらきっと嬉しいんじゃないかな」
「そうかな。じゃあ次、ライブ映像も一緒に見ようか」
ゆるく始まった初視聴の配信は、少しの真剣さを伴って深夜まで続くのだった。
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♦︎オフィス ― 詩音とマリ姐
夜。
登記書類の束の横で、ノートPCの画面に配信の映像が流れていた。
光が笑い、ピアノを弾き、雪が隣で微笑んでいる。
その映像を見ながら、二人は肩を落とした。
詩音が苦笑する。
「……活動が落ち着いたから登記を始めたのに、またすぐ嵐が来ちゃいましたね」
マリ姐が額を押さえる。
「ほんとよ。書類より先に、うちの社員のほうが世界で動いてるわ……」
二人で苦笑しながら、机の上の「登記申請中」の書類を見下ろす。
その紙の上に、ノートPCの光がぼんやりと反射していた。
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♦︎ナレーション
「こうして“チーム光”は、
登記より先に、世界へと踏み出した。
まだ法人印も乾ききっていない。
けれど――音楽はもう、国境を越えて流れ始めていた。」




