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一、気のせい

 部屋の時計は9時を過ぎている。


 航星は今年5歳になる妹のベッドのすぐ横に座っていた。 


「それじゃ、もう寝よう」


 読み終えた絵本を閉じる。

 歳の離れた妹、琴音は首を横に振った。


(またか)


 航星はため息をついた。

 母親の帰りが遅いから仕方ないとはいえ、小さな女の子の寝かしつけをするなんて、中2男子の航星には未だに荷が重かった。

 

 夕飯と風呂までは祖母がいてくれるけれど、祖父の夕飯作りのために帰宅してしまうため、夜9時からの寝るところは航星の仕事だ。


 でも、今までは何の問題なかったはずだ。


 琴音はいい子だ。

 トイレも自分で行くし、絵本を1冊読んでやれば自分で電気を消して寝た。

 だからこそ、母も祖母も航星に任せたわけなのだ。


 それなのに、最近は変わってしまった。

 夜寝る前になると変なことを言い出すようになってしまったのだ。


「もっと絵本読んで」


 今夜もお決まりのワガママが始まる。


「一冊の約束を守らないと。俺までお母さんに怒られる。ほら、電気消すよ」


「けさないで」


「じゃあ、眠くなるまでここにいるから」


 航星が椅子に座ってスマホを見ようとすると、


「スマホ見ないで」


と言って起き上がり、腕を引っ張る。


 そして、昨日もその前も、必ず言う言葉があった。


「カーテンの隙間に誰かがいて眠れない」 


(またか)


 航星はわざとらしくため息をつく。


「気のせいだよ」


「だっているもん。怖いよ」


 琴音が指をさす。


「だから、誰もいないって。目を閉じていればそのうち眠って忘れるよ」


 もう面倒くさくて電気を消した兄に、


「いるの!」


 琴音は叫んだ。悲痛な声にうんざりする。


「もういい加減にしろよ」


 ついキツく言葉を吐き出すと、琴音の口がへの字になる。本当にへの字になる。

 今にも泣き出しそうな妹の顔にすっかりお手上げだった。


「今確かめるから」


 琴音は黙ってうなずいた。


(仕方ないなぁ)


 航星は立ち上がった。

 ピンクの水玉模様のカーテンにズカズカと近づき、開けようとしたときだった。


 生温い予感が首筋をなでた。何かがそこにいる気配がしていた。

 それは、ほんのわずかな温度と湿度で絡みつく。


(そんなわけはない)


 ここは2階だ。人がいるわけない。そう言い聞かせても、足が痺れて動けない。


「お兄ちゃん?」


 琴音の声を背に受けたときだった。

 窓を開けていないのに、カーテンがふわりと開く。

 そこにいたのは、自分だった。


「俺?」


 いや。閉めた雨戸のデコボコしか見えないガラス窓に自分の顔が映っていた。


(なんだ)


 思い過ごしとわかると気が抜けて、航星は思わず笑ってしまった。


(ビビってたのかな)


 カーテンをつかんで勢いよくよく開けてみせた。


「ほら」


 雨戸で視界を遮られた窓ガラスが琴音の部屋を映すばかりで、誰もいない。


「誰もいないから、もう寝よう」


「うん……」


 琴音はまだ納得いかないご様子だ。


「お兄ちゃんはここにいるし、電気も消さないし、スマホも見ないから」


 そういうと琴音は黙ったままうなずいた。

 それから、ようやく布団に潜り込む。


(今日も美羽に連絡できないのか)


 今日こそ夜9時から10時の間に連絡するから、絶対に返事してね。


 そう言っていた美羽の、珍しく必死な顔が思い浮かんでいた。

 トイレに行くふりをしてコソコソとスマホを開くと、美羽からのメッセージがいくつか来ている。


ーーまだ?


 最後の一言には怒りを感じた。

 

ーーごめん。今日も琴音が寝ない。


 返信して急いで琴音のもとに戻る。

 泣かれたら更に厄介なことになる。



 22時が近づいた頃、母親が玄関の鍵を開ける音がした。

 それを合図に、琴音はウトウトし始める。


「ただいま、疲れた」


 と言いながら、帰宅をした母親が寝室に現れる。

 恨めしくその疲れた顔を睨んでも、にっこりと笑うだけだ。こちらの憤りなど全く伝わらない。


「すぐ代わるね。お風呂入ってくるから待っててね」


 という決り文句を聞いて、琴音は母親の戻る前に眠りにつく。

 そりゃ、母親の長風呂なんか待っていられない。


 これが最近のパターンだ。



 美羽とメッセージのやりとりをする時間を削られ、航星は最近はイライラしていた。


(いつになったら自由になるんだろう)


 そうボヤきたい気持ちを腹の底に押し込める。

 航星が逃げ出したら、琴音は一人きりになってしまう。


(自分が高校生になってもまだ琴音は小学生だ)


 うんざりとした気持ちを引きずりつつ電気を消し、部屋が暗がりへと変わったとき、航星は慌ててドアを閉めた。


(まさか)


 カーテンの裏側に、丸くて赤い光が2つ、残されていたような気がしたからだった。


(いや、気のせいだよ)


 言い聞かせて、もう一度部屋の扉を開ける。


(ほら、気のせいだ)


 そこには静かに眠る琴音を守るような柔らかな暗闇があるばかりだった。

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