「夜が来るまで」
恋人になったことで距離が縮まった2人。
だが、この日、2人の距離はもっと縮まる。
そんな2人の特別な日が。
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「いつもと違う時間、いつもと違う空気」
夕方のカフェ。明るさが暗さに変わる時間。
いつもと同じはずなのに、今日は少しだけ違う。
いつもより気合いの入れた流行りのワンピースにゆったりとしたロングのスカート。今日はネイルにまで気をつけた。
理由はちゃんとわかってる…。
(……今日は、玲ちゃんの家に泊まる)
それを意識した瞬間、心臓が跳ねる。必然と身体が熱くなる。別に…変なことを想像してるわけじゃないけど…。
カフェラテを口に運ぶ手が、少しだけ震えた。
向かいに座る玲ちゃんも、どこか落ち着かない様子だった。
普段なら無表情を崩さない玲ちゃんが、今日はほんの少しだけ視線を泳がせている。
いつもよりコーヒーを飲むペースが早い気がする。
(玲ちゃんも、緊張してるのかな……)
そう思ったら、なんだか可愛くて、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「……ひまり」
玲ちゃんが私の名前を呼ぶ。
「……うん?」
「あまり、緊張するな」
そう言う玲ちゃん自身が、緊張を隠しきれていない。
「玲ちゃんこそ、緊張してる?」
そう尋ねると、玲ちゃんは少しだけ口を引き結び、コーヒーカップの縁に指を滑らせた。
「……少しだけ」
その正直な言葉に、私の胸がじんわりと温かくなる。
玲ちゃんも、同じ気持ちなんだ。
しかも私が思ってること…お見通しなんだね…。
「大丈夫だよ。玲ちゃんと一緒なら、きっと平気」
そう言うと、玲ちゃんは小さく目を細めて、
「……そうか」
と、かすかに微笑んだ。
その表情にまた安心してしまう、自分がいた。
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「沈黙が、特別に思える帰り道」
カフェを出て、並んで歩く。
いつもの賑やかな街も今日は自分の心臓の音で聞こえない。全く…やばいな、私。
玲ちゃんの家までは、そう遠くない。
いつもならちょっと会話したらお別れしなきゃ行けない距離。
そんな普段なら気にしない距離なのに、今日はやけに長く感じた。
(……玲ちゃんの家に、泊まる)
それを思うだけで、なんだか体が熱くなる。
沈黙が続く。
普段なら、玲ちゃんとの静かな時間は心地いいはずなのに、今は少しだけ落ち着かない。
(……何か、話した方がいいかな)
そう思って口を開きかけた時――
「……手」
玲ちゃんが、ぽつりと呟いた。
「え?」
「手、つなぐか?」
少しぎこちない言葉。視線は逸らして手だけ私に差し出す。
玲ちゃんの耳が紅くなってる気がする。
普段なら自然に繋いでくれるのに、今日はわざわざ確認してくる。それが余計に恥ずかしくなる。
でもそれだけ、玲ちゃんも緊張してるんだと思うと、胸がぎゅっとなる。
「……うん」
そう答えると、玲ちゃんはそっと私の手を取った。
普段よりも、指先が冷たい。
(玲ちゃんも、緊張してるんだ)
そう思うと、少しだけ愛おしくなって、私は玲ちゃんの手をぎゅっと握り返した。
玲ちゃんは驚いたように私を見て――
「……バカ」
と、小さく呟いた。
(その声が、すごく優しかった)
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「扉の前、心臓の音が聞こえる」
玲ちゃんの家の前に立つ 。
今まで何度か来たことのある場所。
緊張なんてするはずないのにな…。
いつもなら、何の気なしに入る玄関。
でも、今日は足が止まった。
(ここから先は、玲ちゃんとふたりきりの時間)
それを思うと、心臓がうるさいくらいに鳴った。
玲ちゃんも、しばらく黙ったまま鍵を握りしめている。
(……玲ちゃんも、緊張してるんだ)
私はそっと玲ちゃんの袖を引いた。
「……玲ちゃん」
玲ちゃんが、ゆっくりと私を見る。
「……なに?」
「大丈夫だよ。……一緒にいるだけで、嬉しいから」
そう伝えると、玲ちゃんはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「……お前、そういうこと言うの、ずるい」
そう呟きながら、玲ちゃんは小さく息を吐き、鍵を回す。
扉が開いた。
ふわりと、玲ちゃんの部屋の匂いがする。いつも近くで嗅いでいた匂いだ。
(ここで、一緒に過ごすんだ)
私は小さく息を吸い込んで、玲ちゃんの手を握ったまま、一歩踏み出した。
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「「好き」が止まらない」
部屋の中に入ると、空気が少しだけ静かに感じた。
いつもと変わらないはずなのに、ふたりとも、なぜか動けなくなる。
玲ちゃんは、普段通りのように見えて、どこかぎこちない。
(でも、それが嬉しい)
私はそっと、玲ちゃんの袖を引いた。
「……玲ちゃん」
「……なんだ」
「こっち、向いて」
玲ちゃんは少しだけ戸惑ったように、私を見る。
その目が、少しだけ揺れていた。
私は、小さく笑った。
「好きだよ」
「……」
玲ちゃんの喉が、かすかに動く。
そして、そっと私の頬に触れた。
指先が、少しだけ震えている。
「……好き、だ」
玲ちゃんの低くて優しい声が、静かな部屋に落ちた。
その瞬間、胸がいっぱいになって、涙が出そうになった。
「……うん」
私は、玲ちゃんの手のひらに、自分の頬を預ける。
玲ちゃんは、少しだけ困ったように眉を寄せた。
「……今夜は、無理するな」
その言葉が、たまらなく優しくて、私はぎゅっと玲ちゃんに抱きついた。
「うん……」
玲ちゃんの心臓の音が、そっと耳に響いた。
温かい。
それだけで、十分だった。
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「夜がくるまで」
それは、ふたりが初めて迎える、特別な時間。
まだ少しぎこちなくて、まだ少しだけ緊張している。
でも、「好き」だけは止まらない。
そっと寄り添いながら、静かに夜が訪れるのを待つ。
それが、今はちょうどいい気がした。