「ゆっくりと、甘く。」~カフェ仲間から恋人になるまでの物語~
それから、なんの縁か、ひまりとカフェで共にする時間が増えていった玲。
そんな日常が、玲の中で気持ちの変化共に変わり始めていた。
「変わらない距離感のはずだった」
玲にとって、カフェはただの「落ち着ける場所」だった。うるさい日常を忘れられるくつろぎの場所。
仕事帰りに立ち寄り、ブラックコーヒーを飲みながら静かに過ごす。
それだけのはずだった。
だけど気がつけば、いつの間にかそこにはひまりがいて、当たり前のように隣の席に座るようになった。
「玲ちゃん、今日もお仕事お疲れ様!」
「……ああ」
「カフェラテ、飲む?」
「ブラック」
「むぅ……」
こんなやりとりが、もう日常になっていた。
ひまりはよく笑い、よくしゃべる。
玲は相変わらず無口で、気の利いた返事もできない。
でも、なぜかそれが心地よかった。
――…悪くない、この関係がずっと続けばいい。
玲は、そう思っていた。
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「心のノイズ」
だがある日、いつもの仕事帰りの喫茶店。
「玲ちゃんって、彼氏とかいないんですか?」
何気なく、ひまりがそんなことを聞いてきた。片手には相変わらず甘そうなカフェオレを持っていた。
「いない」
当たり前のように答える。
考えたこともないし、必要とすら感じたことのない。ただ退屈に、だけど仕事に追われる自分の人生にそんな余裕はなかった。
玲はいつものブラックコーヒーを口に運ぶ。
「ふ~ん……じゃあ、好きな人は?」
「……別に」
玲は、そこで一瞬言葉に詰まった。
気づいたらコーヒーを飲む手を止めていた。
「別に」なんて、適当な返しをしたけれど――
(……好きな人?)
そんなこと、当然彼氏なんて作る気がないのだから、考えるまでもなかった。
自分にすら興味を抱けずに曖昧に毎日を過ごしているんだ、誰かに特別な感情を抱くなんて有り得なかった。
でも、ひまりの言葉が頭の中に残ったまま、離れなかった。
コーヒーも何故か喉を通らなくなったので、この日は残して、家に帰った。
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「小さな違和感」
それから、玲はひまりのことを妙に意識するようになった。それにあの日の一言が忘れられない。
いつものようにカフェに行き、ひまりが隣に座る。
それだけなのに、以前と同じように過ごせない。
いつも感じない外の騒がしさが、今日はやけに耳に届く。うるさい、邪魔するな。
隣のひまりを見てもそれは拭えなかった
――ひまりの笑顔が、やけに眩しく見える。
――ひまりが別の誰かと楽しそうに話していると、なんだか落ち着かない。
(……何なんだ、これは)
いつも通りのはずなのに、どこか違う。
ここのカフェは豆を変えないはずなのにいつも飲んでるコーヒーの味がしない。
胸の奥が、妙にざわつく。
そして、その違和感の正体に気づいたのは、ある日のことだった。
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「ひまりがいないカフェ」
その日は仕事が長引き、やっとの事でオフィスを出ると、冬が近づいているせいか、辺りは一段と暗くなり、寒さは増していた。
そしてカフェに寄る頃にはいつも行く時間よりもすっかり遅くなっていた。
カフェに着いた。開けるとカランカランと扉に着いていた鈴の音とマスターの低くて静かな、いらっしゃいませの声が響く。その日はいつも聞いていた騒がしい、出迎える声はなかった。なぜなら、
ひまりはいなかった。
「……」
普段なら気にならないはずなのに、今日は違った。
とりあえずいつもの席に座った。だが、隣の席が妙に広く感じる。
カフェは変わらず静かで落ち着く、今までの自分が求めていた場所なのに、ここ最近の中で一番落ち着かず、安心できない場所だった。
(……なんでだ?)
玲は、頼んでおいたブラックコーヒーを飲みながら考えた。
そして――ようやく、気づいた。そうか、
――ひまりがいないと、寂しい。
この感情が何なのか、玲はもう理解していた。
これが「好き」…か。
でも、すぐには受け入れられなかった。
(私は、ただカフェで一緒に過ごしていただけだろ……?)
(いつの間に、こんな感情を……)
玲は自分の気持ちに戸惑いながらも、もう元には戻れないことを悟った。
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「確かめたい気持ち」
それから数日、玲はひまりを避けた。
カフェには行かず、仕事に没頭する。
缶コーヒーの味にも慣れた。
だけど、どんなに仕事をしても、缶コーヒーの味に慣れても、気が紛れることはなかった。いつも耳に入ってきた都会の騒音はいつも以上に玲をイラつかせた。
結局、玲はひまりがいないことに耐えられなかった。
そして数日ぶりにカフェへ行くと――
「玲ちゃん!」
ひまりが駆け寄ってきた。誰の目から見てもわかる心配している表情を浮かべて。
「最近来なかったから、心配してたんですよ…!…でも、やっと来てくれたので、なんだか落ち着きました!」
その笑顔を見た瞬間、胸が強く締めつけられる。
(……ダメだ。やっぱり、好きだ)
玲は、もう認めるしかなかった。
その日、玲は自分からカフェラテを頼んだ。
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「大事な人だから」
それから、玲は少しずつ自分の気持ちを受け入れるようになった。それを受け入れることで玲のいつのも日常が戻ってきた。カフェはやっぱりいいな。
ひまりの隣に座ると、なんとなく落ち着く。
ひまりが笑うと、それだけで嬉しい。
ひまりが寂しそうな顔をすると、胸が苦しくなる。
――ひまりは、もう玲にとって大切な存在になっていた。
だが、それをどう伝えればいいのか分からない。
(私は恋愛なんてしたことがない。こういう時、どうすればいいんだ……?)
玲は、悩んだ。
でも、答えは意外な形でやってきた。
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「ひまりの涙」
その日は、雨だった。
ひまりは傘を忘れて、またびしょ濡れになっていた。
「……バカか」
玲は、自分の傘を差し出した。
「玲ちゃん……?」
その時、ひまりが少しだけ寂しそうに笑った。
「玲ちゃんって、優しいけど……」
「?」
「私のこと、どう思ってるんですか?」
玲は、言葉を失った。
どうって…この気持ちは…。
でも、玲を見つめるひまりの瞳は、どこか不安そうだった。
(……もしかして、ひまりも)
玲の胸が高鳴る。
不安な気持ちももちろんあった。これを伝えたらどう思うのだろうか…?本当にひまりは自分と同じ気持ちなのだろうか?だけど、このまま何も言わなければ、きっとこの関係は壊れてしまう。
それにあんな日常に戻るのはごめんだな…
だから――
玲は、雨の中で小さく息を吐き、静かに言葉を紡いだ。
「お前がいないと……寂しい」
「え?」
「お前が笑うと、嬉しいし……悲しい顔をしてると、辛い」
ひまりの瞳が揺れる。
「だから……多分、私は……お前のことが、好きなんだと思う」
それを聞いたひまりは、ぱっと花が咲いたように笑った。それは玲が1番好きな表情だった。
「……ふふっ、玲ちゃんって、ほんと不器用ですね」
そう言いながら、ひまりはそっと玲の手を握った。
「でも……私も、玲ちゃんのことが好きです」
玲の心の中で、何かがほどける音がした。
(ああ、私は……こいつが好きなんだ)
こうして、ゆっくりと、確かに。
二人は「カフェ仲間」から「恋人」になったのだった。
その時から日常の騒音は気にしなくなった。
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「甘い時間」
「玲ちゃん、ブラックやめて、今日から毎日カフェラテ飲みましょう!」
「……それはない」
「もう、ケチ~!」
玲は、そんなひまりの笑顔を見ながら、ふっと微笑んだ。
――これからは、もっと甘い時間が続いていくのだろう。
そう思いながら、玲はカフェラテを一口飲んだのだった。もう、カフェラテは苦手じゃなくなった。