07
ライラは緊張していた。
アリシアのアルコール中毒を治すと決めてから、もう三ヶ月が過ぎた。ここでまた拒否されれば、やり直しの機会はもうそう多くない。
ゆっくりと息を吸い、時間をかけて吐き出す。ライラは覚悟を決め、口を開いた。
「最初に言っておくわ。アリシア、あなたを否定するつもりはないの」
突然、笑みを消して真面目な表情で言ったライラに、アリシアは戸惑った。
「え?どうしたの?」
真面目なライラとは対照的に、アリシアはへらへらとした笑いを浮かべていた。一般的には理解されないだろうが、ライラは知っている。無意識に、心理的ストレスからそういった態度をとってしまうことを。しかしここで同じように笑みを浮かべては、ライラの本気度も気持ちも伝わらない。だからこそ、ライラはアリシアの目をじっと見つめた。
「今すぐにじゃないけれど、お酒をやめて欲しいの。お酒があなたの身体を蝕んでいるのよ。私、あなたのことが心配なの」
ライラが告げたのは、以前拒否されたときとほとんど同じ言葉だった。
しかし、今は三ヶ月前と違い関係を築けている。嘘偽りない気持ちのまま伝えなければアリシアには届かないと思いその言葉を選んだ。
ライラの切実な思いを受け、アリシアは視線を小刻みに動かして黙った。身体も不安定に揺れ、心のうちをあらわしている。ライラは、必死に願いながらアリシアの言葉を待った。
「……わかったわ」
しばらくして、掠れた声でアリシアは言った。
(本当に?)
ライラは、とっさに出そうになったその言葉を飲み込む。ここで否定したり、追いつめるような言葉をかけてはいけない。
言葉に詰まったライラをみて、アリシアはへたくそに笑った。
「ライラがそう言うなら、そうなのよね。一人じゃ難しいけれど、あなたがいれば出来そうな気がするわ」
「……ありがとう! アリシア!」
三ヶ月目にして、ライラはとうとうアリシアから治療への同意を得た。
◆
同意を得たからと言って、アルコール中毒者がすぐに酒断ちをするのは難しい。それにアリシアひとりで出来るものでもない。ライラは徹底的にフォローするため、部屋の余っているアリシアの屋敷に自分の荷物をうつし居候することにした。
ライラの環境が整うと、まずアリシアの酒をコントロールすることに決めた。現段階でアリシアが一日に飲む量は、果実酒なら二、三本。ワインだとそれ以上に消費することもある。逆に二日酔いや体調の悪い日は、ほとんど寝ていて少ない日もあった。
最初から量で調整するのは難しいとふんだライラは、最初に酒を飲む時間を夕方から夜間のみと定めた。それと同時に、アリシアが酒を飲むときはライラと一緒にいるときのみと約束を取り付けた。
初めての、しかも手探りのなか始めた治療だが、意外にもアリシアは反発することなく飲酒時間を受け入れた。明け方から夕方までは基本的に寝ているから、それが受け入れやすい要因だったと言える。途中で覚醒しても、飲めないことを思い出すと、アリシアはまたベッドの中で微睡むことを繰り返した。
しかし、そのままではアリシアの健康にはつながらない。
次の段階として、ライラはアリシアに日中太陽を浴びることと二食の食事を摂らせるようにした。ライラは起床後に今までどおり薬局で朝方の洗濯まで終えてから、朝食の残りを持って屋敷に戻る。アリシアを起こして、朝食を摂らせてから庭を散歩した。
最初は普段と違った生活を楽しそうに受け入れたアリシアだったが、すぐに問題が起きた。太陽を浴びて覚醒することで、アルコールの離脱症状が日中現れるようになった。
「ねぇ、お願い。私だめなの、お願いだから、一口でいいからお酒を頂戴」
嗚咽を漏らしながら懇願するアリシアの姿に、ライラはひどく悩んだ。しかし、ここで酒を与えてはせっかく始めた治療も意味はない。戸棚に酒を隠し鍵をつけて管理をしながら、ライラはアリシアの懇願を断り続けた。すると次にアリシアに現れたのは、暴力的な行為だった。身近にあるものを投げ、物を壊しては悲鳴をあげる。ライラが近くにいれば掴みかかって、力加減なく髪をひっぱり身を引っ掻いた。目を離せばその行為は自身へと向き、アリシアの自傷行為も加速していった。
どうにかアリシアの気をアルコールからそらせようと、ライラは思いつく限りの行動をした。
市場で買った古本を読み聞かせ、酒のかわりにハーブティーを用意し庭でお茶を淹れる。身体を動すことを目的として、お遊びのダンスなども取り入れた。あまりに離脱症状がひどい時は睡眠薬を飲ませて無理やり落ち着かせることもあった。
最初は嫌々な状態だったアリシアも、一週間経つ頃には目に見えて笑顔が増えるようになった。一月過ぎる頃には、異常行動も大分落ち着くようになっていた。
(ついにここまできた)
たびたび問題と向き合いながらも、ライラは手ごたえを感じていた。
(もう少しできっと、アリシアはお酒をやめられる)
そんな希望に満ちた、ある日のことだった。
配達の酒を受け取ったライラは戸棚にそれをしまっていると、ふと違和感を感じた。
(なにかしら…………あっ)
奥のほうにしまっている酒の瓶の向きが一本だけ違う。ライラは几帳面な性格から、普段ラベルがすべて表に向くように並べている。
ライラが不安に思いながらその瓶を手に取ると、戸棚の奥にこじ開けた穴があいていることに気づいた。
(まさか……)
急いで手に持った瓶の栓をこじ開けて口をつけると、瓶の中身は水だった。
アリシアが、いつのまにか戸棚を破り隠れて酒を飲んでいたのだ。異常行動が減ったのは減酒のおかげじゃなかった。その上、ライラに知られぬように、空き瓶に水を入れて減ったことがわからぬように細工をしていた。
ライラはそれに気づくと、アリシアの寝ている寝室に入りクローゼットを開けた。そこから、シーツで隠された酒の瓶が三本見つかった。
「…………ライラ?」
物音で目覚めたアリシアが、ライラの背に声をかけた。しかし、ライラが振り向く様子はない。不思議に思ったアリシアだったが、すぐにクローゼットに隠した酒が見つかったことに気づいた。
「違うの、いつもじゃないの! 普段はきちんと守っているの!」
背後から聞こえるのは悲鳴のような言い訳。
ライラはアリシアに裏切られたと感じた。
悔しかった。切なかった。腹ただしかった。ここまでの頑張りを無碍にする行為に、ライラは血が沸騰するような錯覚さえ覚えた。
(違う、そうじゃない)
ライラは感情に蓋をするように、とっさに目を瞑った。順調に良い方向に進んでいるのが嬉しくて、無意識に気づかないふりをしていたのは自分のほうではないかとライラは疑う。アリシアから香るアルコール臭も、変わらない肌の黄色みも、本来は気づくべきことだった。
(私は、また間違えたのね)
悔しい気持ちに無理やり蓋をし、ライラは冷静に自身落ち着かせると、笑顔を浮かべて振り返った。
「大丈夫よ。また頑張りましょう」
責められると思っていたアリシアは、普段と変わらない態度のライラに戸惑った。それからしばらくは申し訳なさそうに謝っていたが、本当に気にしてないような態度をとるライラを見て、ようやく安堵の表情を浮かべた。
普段通りにお茶をして、夕飯を食べ、酒に付き合いながら、ライラは当初の目標を思い出していた。
(このままじゃだめ)
ライラは自身の考えが足りなかったのだと反省するとともに、新たな覚悟を胸に抱いた。
◆
「アリシア、起きて」
優しく聞こえた声に、アリシアはぼんやりと意識を覚醒させた。鼻をくすぐる匂いで、今日の朝食はミルクを使ったスープだと気づく。重い瞼を持ち上げながら、どんよりと痛む頭に顔をしかめた。相変わらずアリシアの朝は憂鬱から始まる。しかし、ライラのおかげで以前と比べれば身体も動くし、明るい気分も増えてきた。最初は胸やけで食べれなかった朝食も、今では毎日完食できるほどになった。
「おはよう、ライラ」
アリシアはゆっくりと上体を起こしたとき、異変に気づいた。
「…………なによ、これ」
その両手には枷が嵌められている。枷にはロープが繋がれ、ベッドの脚にきつく縛りつけられていた。
状況がわからず怯えた表情を浮かべるアリシアと対照的に、ライラはいつも通りの笑顔を浮かべている。
「言ったでしょう? あなたはお酒に身体を蝕まれているの。私はあなたを治したいけれど、今までと同じではだめなことに気づいたの。だからね、あなたを拘束することにしたの」
「いやよ……外して……」
「大丈夫、木桶は届くところにあるし、私がご飯を用意するから今までとそんなに変わらないわ。ひとつ違うのは、もうお酒は飲めないことだけ」
なんでもないことのように言うライラに、アリシアは狂気を感じた。なにか言い返したいのに、身体が震えて言葉がでない。やっとのことで喉から出たのは、声にならない悲鳴だった。
こうしてアリシアの軟禁生活は始まった。それは、ライラとアリシアが出会ってから半年経った日のことだった。