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05

 ライラはアリシアに果物を渡した翌日の昼間、洗濯を干してすぐに裏の屋敷を訪れた。寝ているだろうとは思ったが、様子が知りたかった。


 正直なところ、舞い上がっていたのもある。

『精神を病んだ人への接し方』を幾度も読み込み、師匠からも指導を受けた上で内容を咀嚼し、寝つきが悪くなるほど考え込んだ。

 放っておくと悪化する一方なアリシアから、端的に好意を得るには、酒を手段にするしかなかった。薬師ではなくても、アルコール中毒者にアルコールを与えるなど本末転倒であることは明白だ。それでも、手遅れにならないように、早くアリシアとの関係を改善する必要があった。他に思いつく手段もなく、歯がゆい気持ちを抱きながら方針を決めた。


 そのほかに、神経が弱っている者には健常者のスピードでことを進めてはならないとライラは本で学んだ。状況を動かすためには、アリシアには強くライラの来訪を望んでもらいたい。しかし、酒を毒や薬として扱う知識はあるが、ライラ自身はその美味しさがわからない。大量に転がるワインの瓶を思い出し、ワインではない何かと考えた末、最初に用意するのは果実酒と薬草酒に決めた。それで反応が悪ければ、また違う酒を持参するつもりだった。


 毎日通いたい気持ちをおさえ、酒を差し入れた日から長い十日間を過ごした。毎夜、寝る前には指を折って日数を数えた。


 結果的には大成功。許しを得た翌日には、果物も好意的な表情で受け取って貰えた。病人には、薬はもちろん効果はあるが、一番大事なのは食生活だ。そもそも生き物のほとんどが、食物を適切に得ないと生きてはいけない。だからこそ、食事を受け取ってもらえたことが、ライラにとってなにより嬉しかった。アリシアに出来る手段が格段に増えたのだから。果物を少し食べたくらいで即効性はないといえども、今は少しの進捗でも嬉しい。


(どのくらいアリシアは果物を食べたかしら? 少量だったし、すべて食べてくれていたらいいのだけれど)


 ライラは高揚した気持ちで扉を開けると、目の前のアリシアをみて表情を失った。


「アリシア!!」


 ライラは咄嗟にアリシアに駆け寄った。床に転がり吐瀉物にまみれて失禁している姿は、予想していなかった。慌てて、吐瀉物で喉をつまらせていないか確認する。幸いなことにすべて吐き出したのか気道に問題はなく、変な呼吸音もしない。

 脈拍も安定しており最悪な状態ではないとわかると、ライラは安堵の息をついた。


(まずは身体を拭って、それから一階に洗ったシーツとワンピースの予備があるから……)


 そこまで考えて、ライラは思考を止めた。


 果たして、身を綺麗にすることが正解なのか。

 薬師としては間違いなくするべきだ。しかし、十日間の時間を置いて、やっと少し歩み寄れたばかり。


 悩むライラの頭に、本のある一節がよぎった。


『いくら記憶を忘れようと、羞恥心は消えない。裸を見るとき、排泄を見るときは十分な配慮が必要』


 その内容に従うならば、関係性が十分作られてない今はするべきではない――――そう思っても、痩せ細って今にも駄目になりそうなアリシアの姿を見れば、ライラはいてもたってもいられなくなり立ちあがった。


(気持ちのフォローを間違えなければ、きっと大丈夫)


 そう自分に言い聞かせると、一階へと降りた。まずは布巾と着替え、それからシーツを持ってきて、アリシアの身体を拭い着替えさせた。次にベッドのシーツを変えて、そこに寝かせる。その間、まったく起きる気配がないことが不安になり、合間に何度も呼吸と脈拍を確認した。そのあとは、床の汚れた部分だけを掃除する。


 ライラはすべてを終えると、アリシアが起きるまで様子を見るべきか悩んだ。しかし、きちんとフォローできるよう一度戻るべきだと考え、その日は屋敷をあとにした。






 翌日、ライラはまた昼にこっそり屋敷を訪れた。そのときはアリシアは寝ていて、昨日のような惨状でないことを確認し一度帰った。

 夜、消化に良いミルク煮を椀にいれて再度訪れる。ノックをすると、「入って」と小さな返事がはじめて聞こえた。


「こんばんは。今日はお酒じゃないんだけど、少し作りすぎちゃったから、お裾分けを持ってきたの」


「そう、あとでいただくわ。それより昨日のことなんだけど」


 気にしていないように話題をふってきたアリシアだが、その表情は固い。視線は揺れ、口は半開き、頭も少し小刻みに揺れているようだ。


(ここで間違えてはだめ)


 ライラは強い決意とともに、目を細めて笑顔を作った。


「昨日は飲みすぎたのね。でも、具合が悪いときは仕方がないことよ。私も吐いて寝込んだときは、師匠が着替えさせてくれたのよ」


 嘘ではないが、今より昔、子供の頃に熱をだしたときの話だ。


 アリシアは先ほどよりも安心している様子だったが、やはり羞恥が強いのか、本人もどうしていいのかわからないかのように、血が滲むほど爪で腕を掻きむしっていた。


 話題を変えるべく、ライラは手を一度軽く叩いた。


「ねぇ、私も最近お酒が好きなんだけれど、うるさくしないから、時々一緒に飲んでもいいかしら? 友達はいないし、ひとりだと寂しくて」


 アリシアは驚いて目を見開くと、もごもご口を動かしたあとに掠れた声で言った。


「……いつもは困るけど、時々なら」


「ありがとう」


 さっそくライラは、週に三回の曜日を決めた。アリシアに曜日感覚がなかったとしても、約束事を作って守るのは信用を得るために大事なことだ。それと、神経が弱った人は、定期的なものや安定感のあるものに安心する傾向がある。


 アリシアの了承を得て、とうとうライラは週に三回家に通うこととなった。






 ◆






 ライラがアリシアとお酒を飲むようになって一ヶ月が過ぎた。初日こそ、気を張ってるのか口数の少ないアリシアだったが、酒が進むと酔った勢いに任せて色々と話すようになった。


 笑顔で相槌をうつライラは、アリシアに初対面で見せた十七歳としての顔はもう見せない。薬師として常に発言には気をつけるとともに、アリシアの様子の記録もつけるようになった。文字に起こすと、改めて病気ともいえる症状がよりはっきりと見えてくる。


 まずは震えについて。指先は常に震え、酔いが浅いときには頭も小刻みに左右に揺れている。


 口もとも多くの症状がある。何も食べていないのに、ふとしたときに口をもごもごと動かしている。

 ライラの話を聞いているときは、ベロを下の前歯に当てて口を半開きにする仕草もよく見られた。ライラはこれと同じ仕草を、痴呆症の老婆で見たことがあった。


 つぎに会話の内容だが、アリシアは気分が良いときはあきらかな妄想を繰り返し語っている。内容に一貫性はなく、共感を求めてくることも多々ある。


『私のことを好きな男性が三人いて、王子と騎士と先生なの。毎日家におしかけてくるのは、いくらかっこよくても疲れちゃうわ』


 そんな風に言ったかと思えば、


『私は花から生まれた、妖精姫なの。百万人の国民の幸せを願わなきゃいけないって大変でしょう? なにが一番大変かわかる?』


 などと言ったりもする。


 妄想以外にも、突然泣いて自己を卑下しだすことも多い。また、頻度としては少ないが、獣のように低い声で唸ってる日や、何か喋っているつもりなのだろうが言語として一才成り立たない音の羅列を叫ぶ日もあった。






 症状の観察記録だけ増え、次の一手を迷っていたある日のことだった。


 部屋の扉を開けて、ライラは驚いた。その変化は一目瞭然だった。


「え?」


 床に物が落ちていない。正確には、壁際には乱雑に物が積まれていたり、クローゼットは物を詰めきったせいか隙間が空き、悪臭が漏れ出している。スペースの空いた床だって、物が落ちていないだけで埃や抜けた髪の毛が散乱している。


 それでも、いつも床に物が散乱した状態から比べれば、自主的に片付けをしたことは大きな変化だった。


「お部屋が綺麗ね! すごい、すごいわ!」


 彼女の成功体験にするために、ライラは出来るだけ感情をこめて褒めた。そういった()()を抜きにしても、はじめてアリシアが自発的に行動をしたことがライラの胸を打った。潤んだ瞳で喜ぶライラを見て、アリシアは気恥ずかしそうに、適当な相槌をうってごまかした。ガビガビの髪から覗く耳は赤く染まり、ライラの狙いとおりこれがアリシアの成功体験となった。


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