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04

 夜が更けた頃、アリシアは酒を飲みながら、開けた窓から良い気分で星空を見ていた。夕方に目覚めたが、今日は寝起きの気持ち悪さが少なく、なにより良い夢を見た。内容はすでに朧げだが、小さい頃に読んだ絵本に出て来た王子のような人とデートをする夢だった。現実ではとうていあり得ないことだとは考えない。苦しく汚い現実から目を逸らして、存分に夢の残り香とともに、妄想の世界を楽しんだ。


 そうしていると、ギシギシと階段の軋む音がアリシアの耳に届いた。音が段々と近づいて来て、一気に気分が悪くなっていく。アリシアは、自分は安全であるはずだと確信があるが、それでも深夜に勝手に家に人が侵入すれば動揺もする。足音が部屋の前で音は止まり、アリシアが身を縮こめて様子を伺っていると、控えめなノックがなった。返事をせずに様子を伺う。しばらくすると、ゆっくりとドアが開いた。


 扉の前に立っていたのは、いつか見た赤髪の少女だった。勝手に何度も家に上がり込み、そのうえ怒鳴ってきた他人。顔も見たくないほど嫌いな人物の来訪に、アリシアは警戒をした。


「突然夜遅くにごめんなさい。私はライラ。前にあなたに悪いことをしたから謝りに来たの。自分勝手で本当にごめんなさい。お詫びにお酒も持って来たわ。ベリーの果実酒と、薬草酒。本当に自分勝手なのだけれど、いつか許して貰えると嬉しいわ」


 申し訳なさそうに、ライラは瓶を差し出すが、アリシアにとってはその全てが不快だった。酒は自分の金で買えるし、謝られたところで許したくもない。本当に申し訳ないと思うならば関わらないで欲しいが、口を開くのすら嫌だった。


 しばらくライラは返事を待ったが、返事がないのを確認すると短く挨拶をして去っていった。階段を降りる音が遠ざかっていくのを耳をすませて確認してから、アリシアはようやく安堵した。せっかく良い気分だったのが台無しになった。胸がムカムカし、それを流し込むように瓶の酒を一気にあおると、アリシアはえずいてその場で吐いた。


「最悪……」


 口もとを乱暴に拭いながら、着ていたワンピースを床に脱ぎ捨てる。ベッドに放置していたシミだらけのワンピースに袖を通すと、アリシアは膝を抱えて涙をこぼした。楽しい気分に切り替えることも出来なければ、慰めてくれる人もいない。アリシアに出来ることといえば、酒で現実を不明瞭にするだけだった。

 すえた匂いが広がる部屋で、アリシアはまたちびちびと酒を煽った。






 ライラが来た日から、アリシアは夜が恐ろしくなった。鍵をかけることも考えたが、悩んでいるだけで施錠しないまま日は過ぎた。アリシアは酒と食料の配達がいつくるのか把握ができていない。鍵を開け忘れて持ち帰られるのも嫌だし、最近だと勝手にし尿を回収しに汲み取り業者がくる。自分で頼むのは面倒くさいが、持っていってくれるならそれにこしたことはなかった。


 夜に怯えて過ごしたものの、三日経ってもライラは来ない。嫌いなことには変わりはないので、もう来ないと思えば幾分か気持ちが楽になるのをアリシアは感じた。


 そうして過ごしたある日、アリシアは中身を入った瓶を探していて、丸い形の瓶を見つけた。普段飲んでいる縦長のものとは違う。不思議に思ってラベルを見ると、木苺の絵柄が描いてある。ライラのことを思い出し気分が悪くなるが、他に身近に中身の入っている瓶はない。アリシアは悩んだ末、果実酒の栓を開けた。

 その瞬間、甘い香りが仄かにたちのぼる。普段飲んでいるワインとは違う香りに興味がそそられた。

 一口含むと、強い甘さが舌を刺激する。酒精もなかなかに強い。喉をすぎると、甘酸っぱい香りが鼻を過ぎていく。アリシアはその果実酒の美味しさに驚いた。もう一度瓶を見てみると、木苺のラベルも、丸い形の瓶も可愛いと思えてくる。ライラは嫌いだが、この酒は悪くないと思った。






 果実酒を飲んでから三日後の夕方、アリシアは悩んでいた。同じものを頼みたいが、日中は寝ていて酒の配達がくる時間に起きていられない。玄関に書き置きすればいいと思ったが、アリシアは母国語しか文字が書けない。この国の文字で書けるのは自分の名前くらいだ。そうなると、アリシアがこの酒を手に入れるために出来るのは、いつくるかわからない配達を朝起きて待つか、外に買いに行くことだ。そのどちらかを選択肢にいれることもせず、アリシアは減っていく酒をただただ惜しんで舐めるように飲んだ。

 その夜だった。一度吐いて、頭痛が落ち着いてから、また酒をちびちびと煽るアリシアの耳に、階段の軋む音が届いた。音が段々と近づいてくると、アリシアの心には、不快な気持ちとともに少しの期待が湧きあがる。足音がとまり、ノックを聞いた時には、期待によって心臓が早鐘のように打った。


「夜分遅くにごめんなさい。ライラです」


 扉を開いたライラが持つカゴには、前回と同じく瓶が二本覗いていた。


「何度も来て申し訳ないんだけど、私やっぱりあなたに謝りたくて」


 ライラがそう言いながら床に置いた瓶には、しっかりと木苺のラベルが貼られていた。期待が叶った嬉しさからアリシアの心に喜びが湧いた。

 相変わらずライラは嫌いだが、これだけ申し訳なさそうにしているなら、少しは許してやってもいいかとアリシアは思う。


「ねぇ、薬草酒はいらないの。果実酒を注文したいんだけど、酒屋に伝える手紙を書いてくれない? そうしたら許してあげてもいいわ」


「もちろんよ! 許してくれてありがとう!」


 ライラは嬉しそうに微笑むと、手紙を書いたらもう一本果実酒を持って明日またくると言って去っていった。


 ここ最近悩みの種だった果実酒の注文問題が解決して、アリシアの心は晴れた。良い気分で残り少ない果実酒を煽り、久しぶりに良い気分で眠りについた。






 翌日、約束通りライラはアリシアのもとを訪ねた。書き上げた手紙を見せ、瓶と共に玄関に置いておくとライラは言った。アリシアには読めないので信用するしかないのだが、すっかりその言葉に疑いを持たなかった。


 その日のアリシアは、約束の果実酒の他に木苺とカットした柑橘を置いていった。いつも食べているのは、配達でくるパンと干し肉とチーズだけだ。腹が減るから食べるだけで、美味いとも不味いとも感じない。しかし、久しぶりに食べた果物は、甘酸っぱくとても美味しかった。合間に果実酒を飲むと、果実酒はとたんに酸っぱく感じたが、それがむしろアリシアにとって舌を刺激する楽しさとして感じられた。最後の一粒を食べ終えたとき、母と弟妹との懐かしい日々を思い出して、アリシアは静かに泣いた。先ほどまでの楽しさが反転して胸を締め付ける。ぐるぐると何度も繰り返す気持ち悪さと苦しさから逃れるために、髪の毛をひっぱり皮膚を掻きむしり、痛みで誤魔化すことを眠りにつくまで続けた。






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