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02

 ライラの朝は早い。見習いのため調剤は勉強中の身だが、薬草の栽培については、ほとんど任されていた。日が出る前に土の乾燥具合をみて水を与える。そうすることで、一定の品質を保って栽培ができると師匠から学んだ。庭の薬草畑から順に、軒下にある日陰の鉢、室内に置いた窓際の鉢、同じく室内の日陰の鉢へと順に水を与える。

 それが終わると、次はかまどに火を焚く。朝にその日の分のスープを作り、焚べた火はそのまま薬草の調合に利用される。薬草の香りが染み込んだかまどは、一般人からすれば忌避するものだが、ライラにとってはその匂いすら生活の一部だ。

 日が昇り、切った野菜をいれて煮込むだけのスープができた頃、師匠が起きだしてくる。ともに朝食をとったあとは、洗濯にうつる。白衣など一部を煮沸し、灰や石鹸を使い洗浄をする。すすぎまで終わって干し終えると、庭の隅に座りこみ一息ついた。青空のした、風ではためく洗濯物を眺める時間が、ライラは好きだった。


 ライラの日中の仕事はここで終わりだ。埃をたてないために、店内の掃除は店を閉めてからであるし、調剤については師匠の手が空いている日にしかしてもらえない。見て学ぼうにも、手狭な調剤室では仕事の邪魔になる。

 ごくたまに店番を頼まれることもあるが、基本的には禁止されていた。薬師は信用商売だからこそ、客への説明が完璧になるまでは表に出さないと言うのが師匠の決めたルールだった。


 なので、ライラが仕事を終えたあとに出来ることといえば、師匠の蔵書で勉強をすることだった。

 このあとは、いつもなら自室で本を読むところだが、今日は別の予定がある。ライラは立ちあがり、壁に引っ掛けておいた外掃除用のエプロンを着用すると敷地の外へ踏み出した。






 ◆






「入るわよー!」


 扉を開けると、ライラは大きな声で家主へと声をかけた。声が届いているかは気にしていない。あのやる気のない家主・アリシアに説明を割くよりも、まずは掃除をやることが先決だと思った。先に掃除をしてしまえば、あとの説得もしやすい。目標は、アリシアを健全な状態に戻すこと。そうすれば、アリシアにとって良いことだし、ライラにとっても気分が良い。加えて言えば、師匠からライラへの評価が上がる打算もある。ライラは、頭の中で描いた完璧なストーリーに満足すると、目の前の現実へと意識を戻した。


「さて、なにからするべきかしらね」


 目の前には荒れ果てた状態の廊下。瓶やゴミ、ゴミか判断のつかないものが大量に散乱し、羽虫も飛んでいる。

 師匠が外注したおかげで、早速回収に来たようで内外の汚物は消えていた。それなのに、変わらずひどい臭いが充満している。

 ライラはエプロンのポケットから布を取り出し口元に巻くと、まずは一階の窓を開けてまわった。


 窓をあける終えると、まずは目につく酒瓶を集めた。


「はぁ、毎日どれほど飲んでいるのよ」


 ライラが呆れるほどに、いたるところに酒瓶が転がっていた。部屋に置き場を作っても仕方がないので、手で抱えながら庭の一角を決めて、そこへと運び出す。瓶も安くはない上に、中古商にまとめて売れば、多少の金にはなる。これだけの本数があれば、贅沢品である服だって買えるかもしれない。


「それを無頓着に放置するなんて、よほどの金持ちなのね」


 羨ましいと思う反面、金持ちでもこんな状態になるなんてという呆れの気持ちが湧いてくる。


「なんでこんなことになったのかしら?」


 手を動かしながらも、ライラは次々と疑問わいてくる疑問について考える。


(なぜ一人で住んでるの?)

(親はいないのかしら?)

(お金はどこからきてるの?)

(いつからこの状態なのかしら?)


 考えている間も手を動かし、一階の瓶を集めた頃には、庭に三百本をこえる瓶の山が出来上がった。


 おかげで一階は足の踏み場はあきらかに増えたし、心なしか羽虫の量も減った気がする。


「いやだわ、明日は筋肉痛になりそう」


 そう言いながらも、満足げにライラはひとり笑った。この調子ならば、あと三、四日あれば一階は片付きそうだ。


「よし、今日の分はおしまい」


 ライラは窓を閉めると、店へ戻ることにした。見習いといえど、薬師の女が身体から悪臭を漂わせて良いわけがない。水浴びをするにも、夜だと身体が冷えて体調を崩す。日の明るいうちにひと段落ついたことに満足しながらライラは屋敷をあとにした。


 そうして屋敷に通うこと六日目の日、ついに一階と庭が片付いた。中古商を呼んで、瓶の山は数枚の硬貨に変身した。布ものを洗い、生ごみは庭の隅を深く掘って埋めるなど、思いのほか重労働となって予定より日数も伸びたが、その分綺麗になった屋敷を見れば達成感もひとしおだ。


 磨きあげたキッチンをライラが満足げに眺めていると、玄関の開く音が聞こえた。


「こんちわー! 置いときまーす!」


 声がしたので移動するが、すでに玄関に人はおらず、かわりに木箱が三つ置いてあった。


「なにかしら?」


 蓋を開けて覗いてみると、木箱には酒の瓶が詰まっている。


「なんてこと!! せっかく掃除したばかりなのに!!」


 ライラが悲鳴のような声をあげると、階段の軋む音が聞こえた。


 掃除の最中は一度も姿を現さなかったアリシアが、手すりを握りながらゆっくりと降りてくる。シミだらけのワンピースの裾から覗く手足は棒のように細く、垢まみれでところどころ黒ずんでいる。

 ライラは不快に目を細めるが、アリシアはこちらに見向きもせずいっこうに目が合わない。しびれをきらしてライラは、出来るだけ優しく聞こえるように、ゆっくりとした口調で低音を意識して声をかけた。病人には甲高い音や早口が不快に感じるという、師匠の教えの実践である。


「どう? 綺麗になったでしょう?」


「……頼んだ覚えはないわ」


「そんなこと言わないで。私、あなたに元気になって欲しいの」


「そう。だったらお願いがあるの。その木箱を全て二階に運んで頂戴」


「だめよ! あなたは病気なの。お酒を飲んでいたら死んでしまうわ!」


 つい声を荒げたライラに、ようやく一階についたアリシアが歩み寄ると、手を振りかぶった。次の瞬間、その手がバチンと音を立ててライラの頬をうつ。


「え?」


 ライラは頬を手のひらでおさえながら、呆然とアリシアを見つめた。なぜ叩かれたのかわからない。わかるのは、頬がひりひりと痛むことだけ。


「ここは私の家、それは私のお金で買ったもの。あなた、人の家に勝手にあがりこんで、何様のつもり? 気持ち悪いから早く出て行って」


 そう言われて、ライラの頭に段々と怒りが込み上げて来た。


「私はあなたが可哀想だから、あなたのために言ってるのよ! 私はわざわざ汚いものを触って、片づけてあげたの!」


「だから、頼んでないっていってるでしょう」


 そう言ってアリシアは、ひとつの酒瓶を持ち上げた。


 ライラは、平手打ちどころか瓶で殴ろうとするアリシアに、怒りを通り越して悔しさを覚えた。話も通じないうえに、自分の頑張りさえもなくなってしまったかのようだ。瞳に涙を浮かべたライラは、いきおいよく屋敷を飛び出した。店の裏手につく頃には、ライラの顔は涙でぐしゃぐしゃに滲んでいた。






 その夜、ライラは自分の中に留めておけず、一部始終を師匠に話した。その間、師匠はライラの隣で手を握り、思い出した怒りや悔しさから嗚咽が混じっても、急かすことなく耳を傾けた。


 話し終えたライラの背をポンポンと叩きながら、「頑張ったね」と声をかけられ、ライラは耐えきれず大声をあげて幼い子どものように泣いた。


 しばらくして、ライラが落ち着いたころ、師匠はゆっくりと低く落ち着いた声音で話し始めた。


「お前が頑張ったことはわかった。けれどね、二つほど覚えていて欲しいことがあるんだ」


 ライラがこくりと頷く。


「お前と私は、別の人間だ。お前と裏の人もそうだ。生まれも違えば、生い立ちも違う。そうすれば考えだって変わってくる。自分の思う正しさが、他人にも正しいとは限らないんだよ。まずはそれを認めなければならない。わかるかい?」


 師匠の問いかけに、ライラの頭に先ほどのアリシアの言葉がよみがえる。


『ここは私の家、その酒は私のお金で買ったもの。あなた、人の家に勝手にあがりこんで、何様のつもり?』


(私が絶対に正しい。病人だから、可哀想だから、汗を流して頑張ったのに、認めない彼女のほうがおかしい)


 そう思う一方で、アリシアの立場に自分を置き換えて考えてみる。もし他人が勝手に自分の部屋に入って、自分のことを否定したら。考えずとも、嫌だということがわかった。


 相反する感情にまた涙が込み上げてくるが、ライラはそれを必死にこらえて「はい」と返事をした。感情的には納得が難しいが、師匠の言葉が正しいことは判断がついた。


「じゃあ、もう一つ。薬師というのはね、職業なんだ。(やまい)を治したい人から、お金をもらって、その分だけ薬を与える。それ以上でも、それ以下でもいけない。たくさん与えてたら生活ができないし、ケチったり腕が悪くても信用を失って商売が成り立たない。もちろん、病で苦しんでいた人が治ったら嬉しいよ。やり甲斐もある。けれど、例外をつくってはいけない。それをしていいのは、身内だけだ」


 叱ることなく、諭すように語る師匠の言葉に、ライラは余計に愚かな自分を責められているように感じた。惨めな思いを感じながらも、自分を叱咤し、掠れた声で「はい」と返事をする。


「よし、今日は疲れただろう。ゆっくりと寝なさい」


 話は終わりとばかりに、師匠は椅子から立ち上がった。






 その夜、ベッドに横になったライラの頭には、ぐるぐると負の感情が出ては消え、出ては消えを繰り返した。眠れる気はしなかったが、泣いて腫れた瞼は重く勝手に目が閉じていく。暗闇がおとずれると、早々に意識を手放した。






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