表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

やや文芸寄りの作品集

『枯れ専じゃない』ことを証明するため、女子高生は『先祖の記憶、遺伝する説』を推す。

作者: 咲来青

 この春、高校生になったばかりの安彦梨々(あびこりり)は、教室の窓枠に両手をつき、物憂げな表情で青い空を見上げていた。


「やっぱり、先祖の記憶って遺伝するのかな?」


 ポツリと、独り言のようにつぶやく。

 窓際の席で、いつものように文庫本を開いているのは、梨々の親友、浅長玲香(あさながれいか)だ。


「はあ?」


 彼女はパタリと文庫本を閉じ、視線を梨々に向ける。彼女の眉間には、深いシワが刻まれていた。


「朝っぱらから、なに寝言みたいなこと言ってんのよ? 登校中に、頭でも打った?」


「え?……あ、ゴメン! べつに、難しい話をしようとしてるワケじゃなくて」


 親友の顔が不機嫌そうにゆがんでいることに気付き、梨々は焦って首を振る。


 玲香は勉強があまり得意ではない。

 そのことを日頃から気にしていているせいか、手には常に文庫本。

 裸眼で充分生活していけるほど視力は良いクセに、度の入っていないメガネを掛けている。賢く見られたいからだそうだ。


 外見も賢そうに見えず、内面も賢くないという場合より。

 賢そうに見えるのに、実は賢くない――という方が、バレた時のダメージは大きいと思うのだが。


 とにかく玲香は、賢く見られたい系女子なのだ。 


 梨々も成績が良い方ではない。特に理数系は苦手だ。

 なのに何故、学校に着いて早々、遺伝などという小難しい話をし始めたのかと言うと――。



「昨日も公園に行ったんだけど」


「ああ、そう。懲りずにまた、ストーカーしてたんだ?」


「ちょ――っ、やめてよ! ストーカーじゃないってば。見てていいかどうか、ちゃんと本人に訊いて、了解ももらってるんだから」


 梨々は両手を前に出し、真っ赤になって否定する。

 玲香は呆れた顔つきで頬杖をつき、


「あーそう。……けど、アンタもよく飽きないわね。絵ー描いてるとこなんか見てて楽しい? アタシにはさっぱり理解できないわ」


 再び眉間にシワを寄せ、軽く首を振った。

 梨々はぷうっと頬を膨らませると、『いーでしょ、べつに』とそっぽを向く。



 ストーカーとは、穏やかではないが。


 彼女が想いを寄せている幼馴染の同級生、小川真人(おがわまさと)が、美術部の課題だか何だかで、このところ毎日、学校近くの公園で絵を描いているのだ。

 幼い頃から彼に想いを寄せる梨々は、少し離れたところからその様子を見守っている、というわけだった。



「もうすぐ夏休みっていう、この浮かれた季節に。しかも、最高気温が毎日のように更新されてく、殺人級に暑い中。野外で暗くなるまでひたすら絵を描いてる男を、ただボーッと眺めてるだけなんでしょ? ご苦労なことね」


 からかい口調でニヤついてみせた後、玲香はひょいっと肩をすくめる。

 梨々は微かに頬を染め、うらめしげに玲香をにらみつけた。


「うるさいなぁ。恋したことない玲ちゃんには、わからないのよ」


 言い返しながら、窓辺から自分の席(ちなみに玲香の後ろだ)に移動し、乱暴に椅子を引いて腰を下ろす。

 玲香は首だけ後方に向け、


「あら。したことあるわよ? 二次元限定なら、数え切れないくらい」


 さしてダメージを受けていないようで、ケロリとした顔で言い返す。


「二次元じゃなくて、現実の話!」


「現実だって二次元だって、恋は恋でしょ?」


「ちっがーう! 二次元の人に恋したって、ムナシイだけじゃない。想像の中でしか会えないし、さわれないし」


「へーえ。梨々はさわれなきゃ好きになれないの? ってことは、小川くんにはいつもさわりまくってるんだ?」


「なっ、何よそれ!? さわってるワケないでしょ!」


 瞬時に赤面し、梨々はキョロキョロと辺りを見回す。

 誰かに聞かれたら――特に、片恋相手の小川真人に聞かれたらどうしてくれる、といった感じだ。


 玲香はククッと笑い声を漏らし、


「そーよねぇ? いつも見てるだけだもんねぇ? 相手は幼馴染なのに、ボディタッチすらできないなんて。さわろうと思えばいつでもさわれる、現実世界なのにねー? そっちの方が、よっぽどムナシイんじゃない?」


 意地の悪い視線を梨々へと送り、念押しするかのように、もう一度ククッと笑った。


「うるさいなぁもうっ! 玲ちゃんのバカッ!!」


 教室中に梨々の声が響き渡った瞬間。

 ガラリと戸が開き、担任の教師が入ってきた。





 昼休み。

 梨々と玲香は、いつものように机をくっつけ、お弁当を食べながら談笑していた。


 話題は今朝の続きだ。

 いや。続きと言うより、今朝梨々が話そうとして話せなかったことについて、と言った方が正確か。


 玲香は卵焼きを口元へ運ぶ手を途中で止め、 眉間にシワを寄せて首をかしげた。


「はあ~? 昨日、公園でチラッと見掛けたじーさんに()()()()()()()()ぁ?……アンタ、いつから枯れ専になったの? 愛しの幼馴染はどーすんのよ、捨てるの?」


「捨てないよ!!――ってか、捨てるって何よ捨てるって? 拾ったことなんてないし、拾われたことすらないんだから、その言い方はおかしいでしょ!」


 梨々は箸を握り締めながら抗議し、玲香は『やれやれ』といった風に肩をすくめる。


「だって、『昨日ね? 公園のベンチに座ってるおじいさんがいたんだけど、その人を見たとたん、ビビビッって、体に電流走るみたいな感覚がしたの』なーんて言い出すからさ。『小川くんからじーさんに乗り換え? 梨々、枯れ専だったのかー』って、思っちゃったワケよ」


「乗り換えないよ! カレセンでもな――っ、……んん? 〝カレセン〟ってナニ? 割れ煎なら知ってるけど」


 卵焼きを咀嚼(そしゃく)して飲み下すと、玲香はフッと口元をほころばせた。

 まるで、『なんだ、そんなことも知らないのか』とでも言いたげだ。

 梨々は内心ムッとしたが、こんなところで口論になっては、朝の二の舞いだ。グッと堪えた。


 玲香は次のおかずへと箸を伸ばし、口元に笑みを浮かべる。


「枯れ専ってのは、『枯れた男性専門』の略。要するに、枯れてる男の人……確か、四十代から五十代以降の年上男性のことだったと思うけど。そういう、経験豊富で落ち着いてる年代の男性が好きって人のことを、枯れ専って言うの。割れせんべいとは全くの別物よ」


「へー。かなり年上の男性を好きになっちゃう人のこと、枯れ専って言うんだ? 初めて知ったー」


 梨々が感嘆の声を漏らすと、玲香は満足げにうなずいた。すごく得意そうだ。

 勉強では梨々に敵わない(と言っても、微々たる差なのだが)ので、教えられることがあったのが、単純に嬉しいのだろう。


「あっ。でも、違うんだってば! 私は枯れ専とかじゃなくて!」


 梨々は慌てて否定し、箸を握ったままの拳を机に叩きつけた。

 玲香はモグモグと口を動かし、マグボトルに入ったお茶で、残りのおかずを一気に流し込む。

 すっかり空になった弁当箱に蓋をし、両手を合わせて『ごちそうさまでした』とつぶやくと、梨々に向き直った。


「枯れ専じゃないなら、どーしてときめいたのよ? タイプだったからじゃないの?」


「私のタイプど真ん中は真人くん! 幼稚園時代から一ミリとも変わってない!」


 握り締めた箸をブンブン振り回し、梨々は真顔で力説する。

 玲香はマグボトルのお茶を一口飲み、 呆れたようにため息をついた。


「それは知ってるって。嫌ってほど聞かされてるし。……で? タイプじゃないなら、どーしてときめいたの?」


「だから! それがあれよ、あれ。遺伝ってヤツよ」


「は? 遺伝~?」


「うん。あ、えっと。遺伝って言うか……」


 梨々は言いよどみながら、チラリと玲香の様子を窺う。

 玲香の顔には、『難しい話なら聞かないわよ?』と書いてあった。


「えーっと、だからね? 私はこう考えたの。そのおじいさんを見たのは、昨日が初めてだったし、顔が好みだったワケでもない。なのにときめいた。ものすごーく。ビビビビッって電流走っちゃうくらい。これっておかしいよね?」


「うん、まあ。おかしいっちゃ、おかしいかな?」


「おかしいわよ。好みでもないのにときめくなんて。私が、すぐ誰かを好きになっちゃう恋愛体質だって言うなら別だけど。昔から真人くん一筋だし。彼以外、好きになったことないし!」


 ここが大事だと言わんばかりに、梨々は机をバンバン叩いて主張する。

 玲香は『ハイハイ』とうなずき、親友の話を黙って聞いていた。


 興奮冷めやらぬ様子で、 頬を紅潮させた梨々が、次いで放った言葉は。


「だからこれ、私の気持ちじゃなく、過去の人――先祖の記憶が、関係してるんじゃないかと思うの!」


 両手で机を叩いて締めくくると、梨々は得意げに胸を張る。


 玲香はじいっと梨々の顔を見つめていたが、やがて、マグボトルをおもむろにつかんだ。グイッとお茶を飲み干し、ふうっと息を吐く。

 再び梨々に視線を戻し、ジト目で一言。


「何それ?」


「えーっ? だから、先祖の記憶よ! わっかんないかなー?」


 親友の素っ気ない反応に、梨々は不満そうに唇をとがらせる。

 玲香はマグボトルをバッグにしまい、机横のフックに掛けると、さらに冷めた目を梨々に向けた。


「先祖の記憶って何? ワケわかんない」


「私だってわかんないけど! でも、そうとしか思えないんだもん。タイプでもない人見てときめく理由が。遺伝とか、先祖の記憶が絡んでるとしか、思えないんだもん!」


「いきなり遺伝とか先祖の記憶とかって考えるアンタが、一番ワケわかんないって。普通は、『ああ。アタシ、こーゆー趣味もあったんだな』ってなるでしょ? そっちの方が、遺伝だの何だの意味不明なこと言い出すより、よほど自然よ」


「だって! 真人くん一筋のこの私が、他の人にときめくなんてあり得ない! 太陽が西から上るのと同じくらい、あり得ないんだってば!」


「自分が心変わりしたと考えるより、先祖の記憶がどーのって考える方が、まだ現実味があるってこと?」


「そう! そのとーりっ!」


 梨々は胸の前で両手を握り締めながら、何度もうなずく。

 玲香は深々とため息をつき、椅子の背もたれに寄り掛かると、足を組んで、再び梨々をジト目で見据えた。


「じゃあ、先祖の記憶が遺伝子情報だかに組み込まれてるとして、よ? そのじーさん、もしくは、じーさんのソックリさんだかにときめいた先祖ってのは、誰なのよ? 見当ついてんの? じーさんにときめいたってんだから……もしかして、アンタんちのばーさん?」


「そんなの、わかるワケないでしょ。仮にそうだとしても、正解かどうかなんて確かめようがないし。ばあば、三年前に亡くなってるし」


「あ~、そっか。そーだったっけ」


 思い出したように、玲香は両手を打ち合わせた。


「――とすると、『先祖の記憶は遺伝するか?』、証明できる可能性はなくなったわね。詰みよ、詰み。この話はこれでおしまい」


 玲香は椅子の背もたれに寄り掛かり、両手を頭の後ろに回す。


「そんなことないわよ。ばあばが無理なら、直接本人に訊ねればいいんだから」


 梨々は不敵に笑って腕を組むと、玲香と同様、背もたれに寄り掛かった。


「え? 本人って……じーさんに?」


「当たり前でしょ。他に誰がいるの?」


 梨々の答えが予想外だったのか、玲香は目を丸くしている。


 長い間、片恋相手に対し、何のアクションも起こせなかったことからもわかるように。梨々は積極的な性格ではない。

 その梨々が、『直接本人に訊ねる』などと言い出すとは……。


「善は急げって言うし! 今日公園に行って、おじいさんがいたら話し掛けてみる。明日、結果を報告するね? 楽しみにしてて!」


 ひたすら意外そうに、ポカンと口を開けたままの玲香を前に。

 梨々は両手を握り締め、意気揚々と宣言した。





 翌朝。

 梨々の顔を見るなり、『で? じーさんと話したの?』と訊ねる玲香に、梨々は満足げにうなずいた。


「詳しい話は、昼休みにね!」


 もったいぶって返事すると、ニマニマと笑いながら頬杖をつく。

 すぐに結果を知りたかったが、玲香はグッと堪え、大人しく昼休みまで待つことにした。




「で? 結局どーなったのよ?」


 いつものように机をくっつけ、弁当を食べている最中、玲香がしびれを切らしたように訊ねた。

 梨々は意味ありげに笑い、大きくうなずく。


「もちろん、話し掛けたわ。あのおじいさん、鍛冶屋敷一(かじやしきはじめ)って名前なんだって。珍しいよね」


「は? かじ……なんですって?」


「鍛冶屋敷。か、じ、や、し、き、は、じ、め。――ね? 珍しいでしょう? おじいさん、私がノートとシャーペン渡したら、こういう字ですって、漢字教えてくれたの」


 梨々は机からノートを取り出し、開いて玲香の前に置く。

 そこには、美しく整った字で『鍛冶屋敷一』と書かれていた。


「へえー。確かに、こんな苗字の人初めて。しかも、すっごくキレイな字」


 玲香は感嘆の声を上げながら、梨々のノートを覗き込む。

 梨々は得意げに胸を張り、


「でしょでしょ? おじいさん、めっちゃ達筆なんだよね」


 ニコニコと嬉しそうで、まるで自分が褒められたかのようだ。

 玲香は呆れ、『なんでアンタが得意そうにしてんのよ?』とツッコむが、照れ臭そうにペロリと舌を出すのみ。


(この反応……。もしかして、ホントにじーさんを好きになっちゃったって言うんじゃないでしょーね?)


 訝しむ玲香だったが、梨々はただニコニコと笑っている。

 おまけに、今日も会う約束をしているという。

 心配になった玲香は、『アタシも行ってもいい?』と訊ねた。




 放課後。

 梨々は『ちょっとトイレ』と玲香に告げ、教室から出て行った。

 玲香は『今だ!』とばかりに、梨々の想い人である真人に近付いた。


「ねーねー、小川くん。今日も公園行って、絵を描くの?」


 ニマニマ笑いで、帰り支度をしている真人に声を掛ける。

 彼は横目で玲香を見、『描くけど。それが?』と素っ気ない。

 梨々のことで、普段からさんざんからかわれているので、彼女に苦手意識を持っているのだ。


「昨日も梨々、公園にいたよね? その時、何か見なかった?」


「何かって?」


「だからー。梨々、じーさ――、おじーさんと、楽しそうに話してなかった?」


「……話してたけど。それがナニ?」


 真人の返答に、玲香は『ほほう?』と、内心で感嘆の声を上げた。


(絵を描いてる間でも、一応、梨々の様子がわかる程度には、気にしてるんだ?)


 予想以上に脈アリな気配を感じ取り、玲香は俄然、からかう気満々になった。


「フッフッフ。二人の仲良さげな雰囲気、どー思う? 何か感じなかった?」


「何かって?」


「何かは何かよ。『妙に親しそうだな』とか、『何話してるんだろう?』とかって、気にならなかった?」


「べつに。知り合いなのかな、くらいしか思わなかったけど」


「へーえ。そっかー。そーなんだー?」


 終始、ニマニマ笑いを浮かべつつ、意味深な反応を示す玲香に、いい加減ウンザリしたのだろう。真人は玲香を軽くにらんだ。


「何なんだよ、さっきから? 何が言いたいんだ?」


 イラ立ちを隠そうともしない、不機嫌そうな声だ。

 玲香はケロリとした顔で、『フッフーン。どーしよっかなー? 教えてあげよっかなー?』などと、もったいぶった態度を貫いている。


「答える気がないなら、もういいよ。俺、行くから」


 とうとう我慢の限界に達したらしい。真人はカバンを引っつかみ、風呂敷で包んだ四角くて平べったい物体(絵を描くパネルらしい)を小脇に抱え、玲香の前を通り過ぎた。

 玲香はフッと笑った後、去って行く背中に向かい、


「梨々ねー? あのおじーさんに会った瞬間、メチャクチャときめいちゃったんだってー!」


 そう声を掛けたのだが。

 真人はその場で立ち止まり、『えッ!?』と甲高い声を上げて振り返った。






 翌日の昼休み。

 弁当のおかずをつまみながら、梨々はニコニコ顔で玲香に訊ねた。


「ねえ。昨日、おじいさんに会ってみてどー思った? すごく感じの良いおじいさんだったでしょ?」


「うーん、そーねー。確かに、すごく雰囲気の良い人だったね! あーゆー人を、『老紳士』って言うのかもねー」


 わざと大きな声で返事すると、玲香は廊下側の後ろから二番目の席を、チラリと窺う。

 そこは真人の席だった。彼は一切こちらを見てはいなかったが、購買で買ってきたらしいパンを片手に持ったまま、微動だにしない。

 全神経を耳へと集中させ、こちらの会話を聞き取ろうとしているのだろう。


「フフッ。気にしてる気にしてる。昨日の()()が効いてるわね」


 玲香が満足げにつぶやくと、梨々はキョトンとして小首をかしげる。


「玲ちゃん? 何が効いてるの? 『昨日のあれ』って?」


「キッシッシ。いーのよ、気にしなくて。こっちの話だから」


 口元に片手を当て、含み笑いをしてみせる玲香に、梨々はたちまち顔をしかめ、『ヤダなぁ。気味悪い笑い方ー』と不満を漏らした。

 玲香はコホンと咳払いし、


「まーまー。アタシのことなんかより、老紳士の話をしましょーよ」


 満面の笑みを浮かべ、昨日の話の再開を促した。






 更に、次の日の昼休み。

 昨日と打って変わり、神妙な面持ちで弁当を食べている梨々を不審に思い、玲香は恐る恐る声を掛けた。

 すると、梨々はおもむろに顔を上げ、暗い声で、


「実は……。昨日も、おじいさんと公園で話してから、家に帰ったんだけどね? 帰ったら、ちょうどお母さんが、ばあばの古いアルバムを整理してるところで――」


「ばあば? 三年前亡くなった、アンタのおばあさんのこと?」


「そう、ばあば。亡くなってすぐとか、数ヶ月してからならわかるけど、亡くなってから三年も経ってるのに、いきなりばあばのアルバムを――なんて、変な感じだなぁって思ったんだけど……」


 心なしか、梨々の顔色が悪い。

 玲香はまさかと思いつつ、話の先を促した。


「お母さん、私を手招きして、『見て見て! おばあちゃんの若い頃の写真』って。なんだか妙な感じがして、怖かったんだけど、お母さんに変に思われるのイヤだったから、居間のソファに座って、写真を見てたの。そしたら――」


「そしたら?」


 梨々はゴクリとつばを飲み込み、すっかり青い顔になってつぶやいた。


「あのおじいさん……鍛冶屋敷のおじいさんに、すっごく似てる人が写ってる、セピア色した写真があったの。私、ビックリしちゃって……。その人指差して、お母さんに訊いたの。『この人誰?』って」


 梨々の目に、うっすらと涙がにじんでいる。

 玲香は背筋にヒヤリとしたものを感じながらも、誰だったのか訊ねた。


「お母さんも、詳しくは知らないって。でも、ばあばにその写真見せられて、『この人、お母さんの初恋の人だったらしいわよ』って、コッソリ教えてもらったんだって」


「え!? おばーさんのじゃなくて? おばーさんのおかーさん!?」


「うん。それでね? 『名前知ってる?』って訊いたら、『確か、カジ……ナントカさんって、変わった名字だった気がする』って……」


「カジナントカ!?……って、それもう間違いないじゃん! おばーさんのおかーさんの初恋の人ってことなら、鍛冶屋敷さんのおじさんとか……とにかく、血が繋がってる人なんじゃないの!?」


「……やっぱり、そうとしか思えないよね?」


 梨々の両目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。


「ちょ――っ! 何で泣くワケ!? アンタが言ってたんでしょーが、先祖の記憶がどーのって! その説が証明されたかもしれないのに、どーして泣かなきゃいけないのよ? 当たって喜ぶとこじゃないの?」


 急に泣き出した梨々を前に、玲香は焦り、キョロキョロと辺りを見回す。

 案の定、教室中の生徒の注目は、梨々一人に集まっていた。


「だって。だって、ばあばのお母さんが……ひいばあばの初恋がっ」


 絞り出すようにそれだけ言うと、とうとう梨々は両手で顔を覆い、声を上げて泣き出した。





 その日の放課後。

 落ち着きを取り戻した梨々から、玲香は話の続きを聞いた。


 セピア色の写真に写っていたのは、梨々の曽祖母の初恋の人で、戦争に赴き、若くして亡くなってしまったのだそうだ。

 曽祖母は嘆き悲しみ、適齢期だったにもかかわらず、十年ほどは結婚する気になれなかったらしい。


 だが、十数年後。

 穏やかで誠実な梨々の曽祖父と出会い、結婚。二児を授かる。


 祖母から聞いたことによると、曽祖母は曽祖父に悪いと思ったのか、戦争で散った初恋の人の話は、彼の前ですることはなかった。


 ただ、曽祖父のいないところでは、晩年、ポツリポツリと、語ってくれることがあったのだそうだ。


 初恋の彼は、親同士が決めた許嫁で、幼い頃から良く知っていたため、互いに惹かれ合っていたのだという。

 だが、戦争が始まり、『せめて結婚だけでも』と急かす周囲に、初恋の人は、頑として首を縦に振らなかった。


 曽祖母のことが嫌いだったから、ではない。

 彼女を未亡人にしてしまうかもしれないと思うと、どうしても決心がつかなかったかららしい。


 曽祖母は『それでもいい』と、彼に泣いてすがったそうなのだが。

 彼の決意は固く、曽祖母は承知するしかなかったのだそうだ。



「それでね。初恋の人は、戦争に行くっていう前日に、ひいばあばに会いにきてね? 手紙と、あの写真だけを渡して、去って行ったんだって。その時の写真が、あのセピア色の写真。手紙もね、ちゃんと大切に取ってあって――」


「え? じゃあ、梨々も読んだの?」


「うん。ひいばあばに宛てた手紙なのに、申し訳ないなとは思ったんだけど……。ばあばも、お母さんも読んじゃったそうだから、私だけ遠慮するのも、気にし過ぎかなと思って」


「そっか。……で、どんな内容だったの?」


「うん……。ひいばあばを、すっごく大事に想ってたんだなぁってことが、伝わってくるような内容だった」


「……そ、か……。なんだか、切ないね」


「うん」


 しばらくの間、二人は教室に残り、複雑な想いを噛み締めていた。



 戦争がなかったら、結ばれていたかもしれない二人。

 しかし、二人が結ばれていたならば、梨々は生まれてきていなかったのだ。



「悲恋は切なくて、辛いことだけど……」


「諦めずに生きてれば、その先に……明るい未来が待ってるかもしれないんだね」


 しみじみした後、二人は顔を見合わせ、フフッと笑い合った。

 梨々は椅子から立ち上がり、


「そろそろ行かなきゃ! 私、今日も鍛冶屋敷さんと約束してるの。それでね、あの写真と手紙も持ってきたんだ。写真の人は、ホントに鍛冶屋敷さんと繋がりのある人なのかどうか、確かめてもらおうと思って」


「あっ。じゃあ、アタシも行っていい?」


「もちろん。一緒に確かめよう?」


 二人はカバンを片手に持ち、もう片方の手を繋ぎ合うと、勢いよく教室から飛び出した。




 その後、判明したことによると。


 セピア色の写真の主は、やはり、鍛冶屋敷一の親類だった。

 彼が生まれた頃、すでに他界していたため、会ったことはないそうだが。


 写真の彼は、伯父に当たる人だったらしい。

 手紙と写真を渡し、事の経緯を伝えると。

 彼は不思議そうな顔で『とても偶然とは思えない。きっと、神様のお導きだろう』と、やわらかく微笑んだ。



 その後も、女子高生二人と一人の老紳士の交流は続いたが。

 一ヶ月もしないうちに、梨々と老紳士とは、少しだけ疎遠になった。


 理由は、梨々に恋人ができたからだ。

 相手はもちろん、梨々の初恋の君である小川真人。


 どうやら、玲香のあの一言、


「梨々ねー? あのおじーさんに会った瞬間、メチャクチャときめいちゃったんだってー!」


 が、効果テキメンだったらしい。


(俺のことが好きなんじゃなかったのか!? あんな、幾つ離れてるかもわからんじーさんに、メチャクチャときめいたってどーゆーことだ!?)


 真人はひどく動揺し、自分でも意外に思うほど、嫉妬にさいなまれたという。


 数日後、悩みに悩んだ彼は。

 公園から家に向かう帰り道で、梨々に告白。

 めでたく、カップル誕生と相成った。


 梨々が老紳士と疎遠になったのは、


「だってー。おじいさんと話してると、真人くん、機嫌悪くなっちゃうんだもーん」


 という、事情があるから。


 玲香はニヤニヤ笑いながら、


「うっわー。束縛激しそー。ダイジョーブ? アンタの彼氏、そのうち暴力振るったりしちゃうんじゃないのー? うわー、こっわーい。気を付けなさいよー?」


 と茶々を入れ、梨々は余裕顔で、


「嫉妬したって、真人くんは暴力なんか振るわないし、ヒドいこと言ったりしないもん。ちょこっとすねちゃうだけだもーん。……クフフッ。かっわいーんだから」


 とやり返す。


 親友二人が共にいる時間は、前より減りはしたが。

 相変わらず仲は良く、うまく行っているようだ。



 暇な時間を持て余しているように見える、玲香はと言うと。

 老紳士と毎日のように公園で会い、薄暗くなるまで、ベンチで語り合っている。


 枯れ専の傾向は、梨々ではなく、玲香の方にこそあったのか?


 否。

 恋愛というよりも、年の離れた友情が生まれつつあるといったところだろう。……とりあえず、今のところは。


 この先、絶対に恋愛関係には発展しない、と断言できるわけではないが。

 可能性としては、ゼロではないという程度ではあるまいか。



 どちらにせよ、まだ若い彼女達には、無限の可能性が広がっている。

 今はただ、幸多かれと願うばかりだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ヒロインのその論が、微妙に成立している部分と、そうでない部分があるところ。 [気になる点] ヒロインの親友についても、ヒロインと同じ類の検証と掘り下げがされるところを見たかったです。結果が…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ