魔王と勇者と魔王軍幹部共⑪
魔王とエリスが城の中に消えていくのを見届けると、アイリスは幹部達に声をかけた。
「さぁて、まずは誰が相手だ?氷魔か?火魔か?ま、あたしは別に全員でかかってきてもらっても一向に構わないけどな」
実際、アイリスは自分が幹部達に負けるとは微塵も思っていなかった。
魔法すら弾き返す剣技と、飛び抜けた身体能力、そして相手の心を読む力――王家に代々受け継がれてきた『勇者の血』が、負けることはあり得ないという確信をアイリスに与えていた。
しかし、そんなアイリスの言葉など聞いていないと言わんばかりに、幹部達は注意深く魔王が消えていった方角を見つめている。
「行ったな?」
「行ったわ」
「行きましたね」
「行ったよーん!」
「『行かない』」
口々に行った行ったと口にする幹部達にアイリスは怪訝な顔を浮かべる。
「何の話だ?」
そこでようやくアイリスの方を振り返って、氷魔は淡々と告げた。
「王女。潔く負けを認めるのなら、命だけは取らないであげてもいいわ」
「随分とでかい口を叩くじゃあないか。デモント平原で負けたことをもう忘れたのか?」
言いながら、アイリスは氷魔から――いや、魔王軍幹部達から感じる妙に落ち着き払った様子に、言い知れない気持ちの悪さを感じていた。
「忘れるわけないでしょう。魔王様の見ている前であんな無様を晒してしまったんだもの」
「なら、これ以上恥を晒す前におとなしく帰るといい。魔王に失望される前にな」
アイリスの見え透いた挑発。
だが、氷魔は怒るどころか、口角を上げてにやりと笑みを浮かべるだけだった。
「その必要はないわ。だって、今ここに魔王様はいない。私達がどんな姿を見せようと、何をしようと――嫌われてしまうことはないのだから」
「嫌われる……?」
そう呟いた途端、前振りなく氷魔が魔法を放とうとアイリスに両腕を差し向けた。
「馬鹿の一つ覚えだな!」
一瞬で間合いを詰め、雑な一閃を放つ。
氷魔は反応すら出来ず両腕を切り飛ばされ、さらに返す刃で両足を切り飛ばすと、支えを無くした体はあっけなく地面に転がった。
一秒もかからない攻防。
やはり口だけか――と、そう思った矢先。
『あなたも同じ』
『馬鹿の一つ覚えね』
『私達が何も』
『考えていないと思ったのかしら?』
「っ!?」
声が聞こえた途端、四方から氷魔の得意魔法『絶対零度の吐息』がアイリスに襲い掛かってきた。
反射的に後方に跳躍してやり過ごすものの、目の前に広がっていた光景にアイリスは目を丸くする。
『ちょっと!避けられちゃってるじゃない!』
『私が悪いっていうの!?』
『あなたが悪いってことは、わたしが悪いってことじゃない!』
『うるさい!同じ顔で喋らないでくれる!?気持ち悪いのよ!』
小さい氷魔が四人、ぎゃあぎゃあと言い争っていたからだ。
氷魔の身体が雪で出来ているというのは知っていた。
だから切られて無事なのも身体を切り離すことができるのもわからなくはない。
問題は、その分裂体が各々の意思を持ち、即死級の魔法を普通に使ってくるということだ。
範囲系即死魔法が四回、間髪入れずに飛んでくる。
その場面を想像してさすがのアイリスも肝が冷えた。
「隠してやがったのか……!」
すると、本体と思しき五体目の氷魔が出て来て笑い声をあげた。
「あーっはっはっはっはっ!いいわ!いいわよ王女!ずっとその顔が見たかっ――」
『あれ!?魔王様は!?私の愛しの魔王様はどこにいるの!?』
『何が愛しのよ!私の方が魔王様を何百倍も愛しているに決まっているでしょう!?』
『馬鹿言わないで!私なんて愛しいを通り越して卑しい気持ちでいっぱいなのよ!?』
『卑しいって何よ!?あんた魔王様をそんな目で見てたの!?私もだけど!』
「だ、黙りなさいあなた達!今大事な話をしているところでしょうが!あと魔王様を世界一愛しているのはこの私よ!?勘違いしないでくれる!?」
それから五人目の氷魔を巻き込んで、醜く、そして恥ずかしい言い争いが始まった。
その様子を見て、なるほど、なぜ氷魔がこれを魔王の前で使わなかったのか――使えなかったのかわかった気がした。
「休んでる暇はねぇぜぇ!?王女さんよぉ!?」
その言葉に振り返ってアイリスは再びぎょっとした。
見上げる程大きな、全身に炎を纏った牛の化け物が今まさに自分に拳を振り下ろそうとしているところだったからだ。
避ける、受ける、斬る――そんな選択肢が即座に浮かぶが、そのどれもが意味をなさないとすぐにわかってしまうくらい、火魔の拳は大きく、そして速かった。
ダメージ覚悟で受け流すしかない。
そう直感したアイリスは火魔の拳を光り輝く剣でなんとか切り払うが、拳が纏っていた炎に肌を焼かれるのだけは防げなかった。
しかし、一息ついたのも束の間――。
「休んでる暇はねぇって言ったよなぁ!?」
間髪入れず、もう片方の拳が飛んでくる。
受け流し、肌を焼かれ、また拳が飛んできて、受け流し――二十回を超える頃には、アイリスの身体はあちこち焼け焦げ、剣を持つ手もじんじんと痺れていた。
「へっ!さすがにやるじゃねぇか!」
「一応聞いとくが、どうして隠していた」
すると、何を馬鹿なことをとでも言いたげに火魔は言った。
「んなもん決まってんだろ!こんな醜い姿、魔王様に見せるわけにはいかねぇからだよ!」
「……ほんと、どんな教育してんだガロっちは」
乙女のような火魔の言い訳に唖然とするアイリス。
だが、言葉とは裏腹にその顔には笑みが浮かんでいた。
追い詰められている。
デモント平原で散々馬鹿にした火魔に、氷魔に。
自分よりずっと弱いと見下し、心を読むまでもないと侮っていた二人に。
そんな自分があまりに滑稽すぎて、笑わずにはいられなかった。
そして、最初に幹部達が言っていた『行った』という言葉の意味を、アイリスはようやく理解した。
同時に、魔王がいない今、タガの外れた幹部達を相手にしている自分がどれだけ危険な状況に置かれているのかも――。




