魔王と勇者と魔王軍幹部共⑤
デモント平原での戦いから二日が経過していました。
戦いが終わった後、ガロンさんは魔族の方々にただ一つ『何もするな』という命令だけを残して去っていったそうです。
魔王城の中を歩いていると、沈んだ顔をした魔族の方々とすれ違います。
声をかけようと思って口を開きますが、言葉になって出ていきません。
そんな顔をさせてしまっているそもそもの原因が、わたしにあるということがわかっていたからです。
わたしがガロンさんに休戦条約の話をもちかけてしまったから。
わたしが魔族の方々を好きになってしまったから。
そして、わたしが争いを止めたいと願ってしまったから――。
そんなことが頭に浮かぶ度、暗く沈んだ気持ちが胸の中を満たしていって、罪悪感に押しつぶされそうになります。
こうして魔王城の中を歩いていることさえ悪いことのように思えて――それでも、ここにいたいという気持ちが捨てられなくて。
自分はいつからこんなに我儘になってしまったんだろうと考えて、また泣きそうになってしまいます。
そうしてふらふらと魔王城の中を歩いていると、突然大きな声が聞こえてきました。
「やっぱり我慢ならねぇ!オレは魔王様を助けに行く!誰がなんと言おうとなぁ!」
いつの間にか玉座の間の前まで来ていたようで、声は中から聞こえていました。
扉を少しだけ開いて中を覗き込んでみると、部屋の中心でルルヴィゴールさんとデルゼファーさんが向かい合っていました。
その様子をロルちゃんさんとニアさんが遠くから恐る恐るといった風に眺めています。
「駄目よデルゼファー。魔王様に言われたでしょう。何もするなって」
「おいルルヴィゴール。てめぇ、いつからそんなに聞き分けが良くなったんだ?」
「聞き分けが良い悪いの話じゃない。何もするなと言われたんだからしない。それだけよ」
「はっ!どの口が言ってんだ!散々魔王様の命令無視して無茶苦茶やってきたくせに、今更いい子ぶってんじゃ――」
「私が――」
「あぁ?」
「私がっ!こんな命令を守りたいだなんて、本気で思ってるわけないでしょうっ!?」
城中に響くような大きな声でした。
「私だって助けに行きたいわよっ!今こうしている間にも、魔王様に何かあったらって考えるだけで何もかも凍らせてやりたくなる!でも、できないでしょう!?魔王様は私達のために――魔族のために、お一人で捕まったんだからっ!それを私の我儘で聞かないなんて……魔王様の想いを踏みにじるなんて……そんな……そんなこと、できるわけないじゃないっ!」
もはや叫びに近いその声に、デルゼファーさんは何も言い返しませんでした。
「ルルっち、あの――」
「なによっ!?」
「っ!」
怯えてニアさんに抱き着くロルちゃんさんを見て、ルルヴィゴールさんはばつが悪そうな顔を浮かべると、目を伏せて言いました。
「……ごめんなさい、ロルデウス。あなたに怒ったわけじゃないのよ。ただ……」
「……んーん、わかってるよ。ロルちゃんだって、何もできなかったから。まおーさま、助けなきゃいけなかったのに。見てることしか、できなくて。ほんと、ぜんぜん、なんにも、できなくって……」
そう言って肩を震わせるロルちゃんさんをニアさんが胸に抱き入れると、声を押し殺すようなくぐもった嗚咽が聞こえてきました。
「クソッ!全部あいつのせいだッ!あいつさえ……!『勇者』さえいなければッ……!」
デルゼファーさんのその言葉に、心臓がどくんと跳ねました。
気分が悪くなって、目の前がちかちかして、一歩、二歩と後ずさりしてしまいます。
そうだ。わたしのせいなんだ。全部、わたしの……。
ここにいるべきじゃない、いちゃいけない――そう思って踵を返そうとした時。
「エリィ様。ここにいらしたのですね」
振り返った先、ガルゼブブさんがすぐ近くに立っていました。
ここにいたのか、ということは、わたしを探していたのでしょう。それに気付いた途端、急に怖くなって、ガルゼブブさんの顔が見られなくなってしまいます。
ルルヴィゴールさんとデルゼファーさんのやり取りを――ロルちゃんさんの嗚咽を聞いてしまった後だからか、『お前のせいでこうなった』と、そう言われてしまうんじゃないかと思えて仕方ありませんでした。
そんなわたしに、ガルゼブブさんは優しい声で語り掛けます。
「少しだけ、お話をしませんか?」
その言葉に、わたしは頷くことしかできませんでした。
――――――――――
玉座の間を離れてガルゼブブさんに連れられて来たのは、魔王城の中でも特に見慣れた部屋――魔王の間でした。
部屋に入るなり、ガルゼブブさんは言いました。
「申し訳ありません、エリィ様。急に連れ出してしまって。ただ、エリィ様が、何か思い悩んでいるように見えたものですから。わたくしには、お話を聞くことくらいしかできませんが、それでエリィ様の心が、少しでも軽くなるのならと、そう思いまして」
ガルゼブブさんの言葉に、全部話してしまいたいという気持ちが膨らんでいきます。
でも、本当のことを言ったら――ガロンさんが封印される原因がわたしにあることがわかってしまったら、きっと失望されてしまう。
ガルゼブブさんだけじゃなく、他の幹部の方々にも、魔族の皆さんにも、もう笑顔を向けてもらえなくなる。
いや、笑顔どころか、デモント平原で見たような、憎々しいものを――『敵』を見るような目に変わってしまう。
そう考えるだけで、胸が締め付けられて、息が苦しくなって、涙が出てきて――凄く、怖くなって。
わたしの身体を、心を、すくみあがらせます。
でも、いつまでも逃げてはいられないということもわかっていました。
本当のことを伝えなきゃいけない。
わたしのせいなんだって謝らなきゃいけない。
それが、ずっと嘘をつき続けてきたことへの贖罪で――こんなわたしに優しくしてくれた魔族の方々に対する、最後のけじめなんだから。
「ガルゼブブさん、わたし――」
「あんなに楽しそうに毎日を過ごされている魔王様を、わたくしは久しく見ておりませんでした」
「……え?」
ガルゼブブさんを見ると、昔を懐かしむように目を閉じていました。
「長い、長い、人族との争いの日々。多くの魔族が傷つき、倒れ……その報を聞く度、魔王様は心を痛めておられました。何度退けても、何度倒しても、向かってくる人族に対して、魔王様はいつしか、心を閉ざしてしまわれた。争いを止めるという期待を、されなくなってしまったのです。笑顔を、失ってしまったのです」
「笑顔、を……?」
「魔王様を笑わせるために、多くの魔族が、様々な手を尽くしましたが――それでも御心を変えることは出来ず。魔王様のために何かして差し上げたい。でも、何もすることができない。それが、不甲斐なく、惨めで……とても、辛かった」
それから一息ついて、ガルゼブブさんはわたしを見ながら言いました。
「わたくし達には、もうどうすることもできないのだと――そう、諦めかけていた時でした。とある勇者が、休戦をもちかけてきたのは」
その言葉に心臓が跳ねました。
「その勇者が来るようになってからと言うもの、魔王様は、よくお話をするようになりました。勇者が魔王城へ来る度に、今日はどうしてやったとか、今度来たらこうしてやろうとか、敵であるはずなのに、まるで親しい友人の話をしているかのようで。皆、困惑していたことを覚えています。でも、それ以上に、魔王様が、楽しそうにお話をされているそのお姿を見れたことが、わたくし達には、たまらなく嬉しかった。それから魔族の間にも活気が戻り、会話も増え、笑顔も多くなっていって。その勇者は、人族でありながら、魔王様だけでなく、わたくし達までをも、救ってくれたのです。そう、だからこそ――」
そう言って、ガルゼブブさんは両手でわたしの手を取りました。
そして、ゆっくりと、噛みしめる様に、その言葉を口にしたのです。
「休戦条約を作ってくれて。わたくし達と仲良くなってくれて。わたくし達を好きになってくれて。ありがとうございます、と。ずっと、そう伝えたかったのです」
はじめ、何を言われたのかわかりませんでした。
ガルゼブブさんは、わたしではない『勇者』に対して言っているはずなのに、明らかに『わたし』に向かってその言葉を口にしていたからです。
でも、わたしを見つめるガルゼブブさんの優しい微笑みを見ているうちに、理解せざるを得ませんでした。
ガルゼブブさんは、わたしが勇者エリスであることに、気付いているんだと――。




