魔王と勇者と魔王軍幹部共②
人族が正式に休戦条約を破棄してから一か月後。
人族と魔族の領地境にあるデモント平原にて、わたしはガロンさんと正面から向かい合っていました。
ガロンさんの後ろには数十万もの魔族達が控えており、ルルヴィゴールさんをはじめとする幹部の方々の姿もあります。
対するわたしの後ろにも、ノースト王国が出せる戦力を総動員した魔族達とほとんど同じくらいの数の騎士達が集まっていました。
少し前にデモント平原で戦った時とほとんど同じ状況。
でも、そのときとは比べ物にならないほどに、わたしたちの間に流れる空気は張りつめていました。
でも、何より辛かったのは――。
「勇者エリス……!絶対に許さないわ……!」
怒りを露わにするルルヴィゴールさん。
「お前にやられたときのあの痛み、たっぷり返してやらねぇとなぁ!」
今にもとびかかってきそうなデルゼファーさん。
「あっは!あんまりやりすぎないでねぇデルちゃん!ロルちゃんもぉ、勇者ちゃんにお・か・え・し、たっくさん用意してるんだから!」
楽しそうに笑っているロルちゃんさん。
「あらあら。みなさん、元気一杯ですね。でも、無理は禁物ですよ。敵は、あの勇者エリスなのですから」
いつもどおり微笑みながら言うガルゼブブさん。
そして、魔王城で一緒に働いた方々もたくさん、わたしに敵意を向けていました。
記憶に残っているたくさんの笑顔が、憎らしいものを見る顔に変わっていってしまう。
それだけで、わたしは自分が取り返しのつかないことをした大罪人になってしまったように思えてなりませんでした。
わかっていたはずなのに。
わたしが勇者である限り、いつかはこういう日がくるということ。
でも、いざその状況になってみると、手が震えて、足もがくがくして、鼻の奥がツンとして、涙が湧いてきて――そこでようやく、わたしは何もわかっていなかったんだと気付かされます。
大好きな方々に本気で剣を向ける覚悟――そして、大好きな方々に本気で剣を向けられる覚悟を。
わたしはほんの少しだって、理解していなかったんだと。
「今一度問おう」
大きな声ではありませんでした。
ただ、魔王デスヘルガロンが声を出したと言うだけで、一瞬にして場が静まり返ります。
「勇者エリスよ。休戦条約を破棄するという意思は、揺るぎないものなのだな?」
強く鋭いガロンさんの眼光が、兜越しにわたしの目を射抜きます。
いけません。こんなところで迷っている場合ではないんです。
ガロンさんと立てた計画は前回と同じ。
わたしとガロンさんだけで戦っているところを互いの陣営に見せて、どちらにも手を出さないほうがいいということ理解してもらうというもの。
わたしの行動に、この場にいる全員の命がかかっているんです。
「……は、い。そう、です」
ようやく出した声は、自分でも呆れてしまうくらいに情けない、小さな声でした。
そんなわたしの声を聞いて、ガロンさんは――。
「そうか――実に、腹立たしいことだ」
「…………ぇ?」
掠れていたせいか、私の疑問の声は誰にも気づかれることはありませんでした。
でも、そんなことすらどうでもよくなるくらい、わたしの頭の中は真っ白に染まってしまっていました。
腹立たしいと言ったガロンさんの目に、声に、演技ではない、これまで一度も見たことのない、明確な怒りが――敵意が込められていたから。
わたしを射殺すほど強く睨みつけながら、ガロンさんは続けます。
「休戦条約を申し出てきたのはお前だったはずだ。そのお前が、こうもあっさりと約束を破ると言い切るとはな」
「そ……ぁ……」
何か言わなきゃいけないのに、声になって出ていきません。
動かなきゃいけないのに、身体が言う事を聞いてくれません。
わけがわからなくなって、心にぽっかりと穴が開いてしまったみたいに、何も出てきてくれません。
ガロンさんがこんなことを言うはずがない。
こんな敵を見るような目で見て来るはずがない。
きっと何か特別な理由があるはず――そう思っているのに、そう思いたいのに、失望したと言ったその声が、敵を睨みつけるようなその瞳が、それが淡い期待であると告げているように思えてなりませんでした。
何も言い返せないわたしに、ガロンさんは冷たい声で言い放ちます。
「もはや問答の必要もない。抜け、勇者エリス。貴様を血祭りにあげた後、ここにいる全員、皆殺しにしてくれる」
ガロンさんのその言葉に、魔族達も、騎士達も、一斉に大声を上げました。
魔族達から聞こえてくる怒号。
騎士達から投げかけられる歓声。
もはや、ガロンさんと本気で戦う以外にわたしに残された道はないように思えました。
剣の柄に手をのばします。
カタカタと震える手を、柄をぎゅっと握ることで何とか抑えました。
深呼吸をして、心を落ち着かせて、ガロンさんを真っ直ぐに見据えます。
――でも、それでもわたしは、剣を抜くことができませんでした。
そんなわたしを見て、ガロンさんはつまらなそうに言い放ちます。
「剣を抜くことすらできないとは、勇者の名が聞いて呆れるな。まぁいい。戦えぬと言うのなら邪魔なだけだ。我が前から消え失せるがいい」
そう言うなり、ガロンさんはわたしの足元に手の平を向けます。
すると、わたしの影がまるで自分の意思を持っているかのように広がり始め、泥沼にはまっていくようにずぶずぶと体が沈み込んでいきました。
「ま、待っ……!」
その時でした。
一人の騎士がどこからともなく現れ、躊躇なくガロンさんに襲い掛かったのです。
見えないほどに速い踏み込みで懐に潜り込み、腰に差した青白い光を放つ細剣を瞬きをする間に振り抜くと、一瞬遅れてガロンさんの胸元から血が吹き出します。
距離を取ろうとガロンさんは後ろに跳躍しますが、騎士はそれすらも読んでいたのか、間合いを離すことなく追従し、さっき斬った場所と同じ箇所を再び剣で切り上げると、さすがのガロンさんも苦悶の表情を浮かべます。
たった数秒。その短い時間の中で二度も魔王に傷を与えられる騎士なんて、わたしの知る限りでは一人もいません。
それに、騎士が持つ剣が放っているあの青白い光。
あれは紛れもなく勇者にしか使えない技のはずで――。
剣を振って血を払う騎士の姿を見ながら、ガロンさんは口角を上げて言いました。
「クク、なるほどな。囮を出して不意打ちとはやってくれるじゃないか、勇者エリスよ」
見間違うはずもありません。
わたしと同じ格好、わたしと同じ剣、そして、わたしと同じ力――。
紛れもない勇者エリスが、そこに立っていました。
「もう少しで首を取ることができたのですが――さすがは魔王、簡単には取らせてくれませんね」
「勇者エリス……!一度ならず二度までも、魔王様を謀って……!」
「よせ、ルルヴィゴール。お前の敵う相手ではない」
「ですがっ!」
「やめろと言っている。他の者達もだ。死にたくなければ手を出すな。絶対にな」
ガロンさんの言葉を聞いて、勇者エリスも騎士団に向かって言い放ちました。
「あなた方も、手は出さないでください」
「お前にだけ任せておけるか!我らも――」
「これはお願いではありません。命令です。私はアイリス様から直々にこの場の指揮決定権を委ねられています。ゆえに、私に逆らうことは、アイリス様に逆らうことでもあると心得てください。それでも構わないというのなら止めはしませんが……その場合、後ろから切られても文句は言わないでくださいね」
その威圧感のある言葉に、騎士達は黙り込んでしまいました。
平原の中央で対峙するガロンさんと勇者エリス。
偶然にも、わたしとガロンさんが計画していたとおりの形になっていて――。
いえ、そんなはずはありません。
自然なやり取りのように見えますが、偶然こんな形になるわけがないんです。
それこそ、裏にそういう計画でもない限りは――。
(まさか……!)
そう思ったのと同時に、わたしの身体は影の中に完全に沈み込んでしまいました。
真っ暗な中、水中に潜った時に指してくる光のように、地上の様子が上方に映り込んでいます。
そこを目掛けて浮き上がろうとしますが、後ろから何かに掴まれて身動きがとれなくなってしまいました。
振りほどこうともがくたび、見えない手のようなものが次々とわたしの身体を掴んできて放してくれません。
そうしている間にも、ガロンさんと勇者エリスの戦いは始まっていました。
強大な魔法と卓越した剣技の応酬を何度も何度も繰り返し、どちらも一歩も引くことなく、ただ確実に互いの傷を増やしながら、戦いは続いていきます。
二人の戦いが長引くにつれ、怒号を上げていた騎士達も、歓声を上げていた魔族達も、食い入るようにただ見ていることしかできなくなっていました。
間髪入れず、莫大な魔力で数千もの魔法を放ってくる魔王と戦うという事。
その全ての魔法を一切寄せ付けず、一息で急所を切りつけに来る勇者と戦うという事。
その相手を自分がしていると考えた時、それがいかに無謀なことであるのかを、目の前でまざまざと見せつけられたからかもしれません。
そして、それはわたしも同じでした。
今のガロンさんと戦ったら、わたしはその場に一秒も立っていられないでしょう。
これまで見てきたガロンさんの力は、本来の力のほんの一部でしかなかったんです。
そして、そんなガロンさんを相手に戦っているあの勇者エリスは――間違いなく、わたしなんかよりもずっとずっと強い力を持っているようでした。
――――――――――
長い戦いの末、最後に立っていたのは勇者エリスでした。
膝をついたガロンさんの首筋に細剣を当てながら、勇者エリスは静かに告げます。
「勝敗は決しました。そして、あなた以外にこの場でわたしの相手を出来る魔族は――」
その瞬間、勇者エリスの姿が消えます。
次に姿を現した時、勇者エリスはルルヴィゴールさんの真後ろに立って、剣を突きつけていました。
「動かないでください、氷魔ルルヴィゴール。確かにあなたの使う『絶対零度の吐息』は危険ですが、発動までに時間がかかる。使われる前に抑えてしまえば怖くはありません」
「くっ……!」
すると、勇者エリスの上を巨大な影が覆います。
「くらいやがれぇええええええええええええええええええええええええええええええッ!」
大きな叫び声をあげたデルゼファーさんは、両拳に炎を纏わせながら、そのまま勇者エリスめがけて振り下ろしました。
その威力は凄まじく、立っていられないほどの衝撃に、人族からも魔族からもざわめきが広がります。
でも――。
「火魔デルゼファー。あなたの緩慢な動きではわたしは捕らえられません」
声はデルゼファーさんの真下から。
喉元に剣を突き立てた状態で勇者エリスは平然と立っていました。
それを見て、デルゼファーさんがにやりと笑います。
「へッ!動けば突き刺しますってかぁ!?それじゃあ脅しになってねぇなぁッ!」
躊躇うことなく細剣を自ら喉に刺し込み、大きな体を生かして勇者エリスを抑え込もうとします。
しかし、勇者エリスはするりとそれを躱すと、デルゼファーさんの頭を足で蹴り上げました。
「ごはっ……!?」
倒れたデルゼファーさんの喉元から剣を引き抜くと、今度はロルちゃんさんを見ます。
「闇魔ロルデウス――は、構う必要もありませんね」
地面にへたり込み、ガロンさんを見ながらぶつぶつとうわ言を呟き続けるロルちゃんさんを鼻で笑ったあと、勇者エリスは最後にガルゼブブさんを見ます。
「あなたはどうしますか?光魔ガルゼブブ」
そう問われてガロンさんに視線を移したたガルゼブブさんは、ゆっくりと頷いた後、祈りを捧げるように両手を組んで首を振りました。
「わたくしは、魔王様のご意思に、従うまでです」
「そうですか」
端的にそう告げると、勇者エリスは周囲の魔物達に向かって言いました。
「他に、わたしと戦いたいという魔族はいますか?納得いくまでお相手しましょう」
その問いかけに魔族の方々が一斉に飛び掛かりますが、勇者エリスに傷を与えることは誰一人として出来ませんでした。
誰も向かってこなくなったことを確認した後、つかつかと歩いてガロンさんの元へ向かい、静かに口を開きます。
「魔王デスヘルガロン。敗北したあなたをここで処刑することは容易い。ですが、そんなことをすればあなたの配下達が黙っていないでしょう。わたしとしても、魔族との全面戦争は望みません。できることなら、穏便に済ませたいと思っています」
「……何が言いたい」
「条約を結びましょう。以前のような一時的な休戦ではない、人族も魔族も誰も傷つかずに済む、未来永劫に続く『平和条約』を」
「お前はまた――!」
「やめろ」
ルルヴィゴールさんを止めたのは、他ならぬガロンさんでした。
勇者エリスは続けます。
「この条約を結んでくれるのなら、わたし達人族は今後一切、誰一人として、魔族に手を出さないと約束しましょう。従わない者がいれば、名実を明らかにしたのち、ノースト国王の名の元に必ず処分します」
「温い条件だな。そんなもの、口先だけでどうとでもなる。どこぞの国がしたように、いつだって反故にできるものだ」
「言い訳はしません。ですが、それはあなた――魔王デスヘルガロンという強大な力があったからです。あなたさえいなくなってしまえば、わたし達は安心して暮らすことができる。でも、あなたを殺してしまえば魔族との全面戦争は避けられない。だから――」
一拍置いてから、勇者エリスははっきりとその言葉を口にしました。
「あなたを封印させてもらいます。生かさず、殺さず、永遠に」




