魔王と勇者と魔王軍幹部共①
「来ましたか、勇者エリス」
部屋の扉を開けるなり、アイリス様はいつもと変わらない笑顔でわたしを出迎えてくれます。
でも、名前の先にあえて『勇者』とつけられたことで、単なる世間話をするために呼び出されたのではないことはすぐにわかりました。
気を引き締めると、アイリス様の前に跪いて答えます。
「はい。ここに」
それを見て満足そうに頷いたアイリス様は、一呼吸おいてはっきりと言いました。
「魔族と戦争をすることになりました」
アイリス様のその言葉に酷く動揺しましたが、いつか来るかもしれないと覚悟していたからか、声を荒げてしまうようなことはありませんでした。
「驚かないのね」
「休戦条約を結んでいるとはいえ、人族と魔族は互いに敵同士。いつ戦いが再開してもおかしくはありませんでしたから」
「そう」
「ですが、どうして今なのでしょうか。休戦条約が結ばれてから魔族に目立った動きはなかったはずです」
それから、アイリス様はどこかうんざりしたように声を小さくして言いました。
「あなたには話しておくけれど、戦争継続派を抑えておくのが難しくなっているの。魔族が動いていない今が好機だって言ってね」
「それはっ!」
「ええ、わかっているわ。休戦条約のおかげだということはね。でも、ここで私が抑えたところで、きっと戦争継続派は動くでしょう。むしろ、国は弱腰だと勢いづかせてしまうかもしれない。そうなってしまったら、敵を身内にまで抱え込むことになる。それで内乱が起これば、国民に被害が及んでしまうかもしれない。国王代理として、それだけは何としても避けなければならないの」
魔族と戦うか、人族と戦いながら魔族とも戦うか。
天秤に乗せた場合、どちらに傾くかは考えるまでもありませんでした。
「ごめんなさいね、エリス。あなたが命懸けで作ってくれた休戦条約を、破ることになってしまって」
「いえ、アイリス様が謝るようなことでは――」
「本当に、ごめんなさいね」
どうしてか、突然背中を凍った手に撫でられたような感覚に襲われました。
冷たいと言うより、もはや痛いくらいの感覚が、ぴりぴりした痛みを伴って全身を這いまわり、心臓の鼓動を早くします。
そのせいでしょうか。
アイリス様の目が、本当に一瞬だけ、笑っているように見えてしまったのは――。
居住まいを正した後、アイリス様はよく通る声ではっきりと言いました。
「勇者エリス。ノースト国王、ミハイル・フゥラ・ノーストの名代として命じます。王国騎士団と共に、全ての元凶たる魔王デスヘルガロンを討伐し、人族の未来に希望と安寧を取り戻しなさい」
――――――――――
その日のうちに、わたしはガロンさんの元へと向かいました。
夜通し走ったのですが、さすがにすぐに辿り着ける距離ではなく、魔王城へ着いたのは空が白んできた頃でした。
「すみません!エリィです!誰かいませんか!お願いします!誰かいませんか!」
まだ誰も起きていないような時間帯でしたが、気にしている余裕はありませんでした。
そうして大声をあげながら門扉を叩いていると、しばらくしてゆっくりと扉が開きます。
立っていたのはルルヴィゴールさんでした。
寝ていたのか、不機嫌そうな顔を隠そうともせずに、わたしを睨みつけます。
「エリィ、あなた今何時だと思って――」
「ルルヴィゴールさん!魔王様に会わせてください!どうしても伝えなきゃいけないことがあるんです!お願いします!」
そう必死に頼み込むと、ルルヴィゴールさんは二度三度と瞬きをした後、微笑みながら言いました。
「わかったわ。玉座の間で待っていなさい。すぐに呼んできてあげるから」
わたしがお礼を言うよりも早く、ルルヴィゴールさんは城の中へと入って行きました。
そんなルルヴィゴールさんの気遣いがとても嬉しくて、少しだけ泣いてしまいました。
その後、わたしの顔を見たガロンさんはすぐに状況を察してくれたらしく、魔王の間へと連れていってくれました。
アイリス様から聞いたことを話し終えると、ガロンさんは落ち着き払ったまま、大きく息を吐いて言いました。
「そうか。まさか、こんなに早いとはな」
「すみません。わたしが止めなければいけなかったのに……」
「何言ってるんだ。エリスが悪い事なんてひとつもない」
そう言って、ガロンさんは微笑んでくれます。
それからわたしの目の前まで歩いて来ると、その大きな手をわたしの肩に優しく置いてゆっくりと頷きました。
「大丈夫だ。だから、そんな不安そうな顔をするな」
「え……?」
そう言われて顔をぺたぺたと触ってみると、自分でも驚くくらい固くなっていました。
見ただけでわかってしまうのだから、きっと酷い顔をしていたのでしょう。
それを、あろうことかガロンさんに見られてしまったのだと思うと、物凄く恥ずかしくなって、思わず俯いてしまいます。
「任せておけ、エリス。戦争だけは起こさせやしない。絶対にな」
そのガロンさんの力強い声を、優しい言葉を聞いて、わたしは胸の奥からせりあがって来る感情を抑えることができませんでした。
子供のように泣き始めたわたしを見て、ガロンさんはとても焦っていました。
立ち上がったり座ったり、身振り手振りで何かを伝えようとしたり、口を開いては閉じてしまったり。
でも、最後は恐る恐ると言った具合にわたしの頭に手を乗せて、優しく左右に撫でてくれました。
たったそれだけのことなのに、胸のあたりがじんわりとあたたかくなって、ずっと感じていた追い詰められるような気持ちが消えてなくなっていくのがわかります。
本当は、少しだけ不安でした。
自分達の身勝手で戦争を再開させようとしているわたし達を、ガロンさんに見限られてしまうんじゃないかって。
――いえ、違います。それは本当の理由じゃありません。
わたしは、ガロンさんに『わたし自身』を見限られてしまうのが怖かったんです。
人族がそういう選択をするのなら、お前と話すことなどもう何もないと、そう言われてしまうのが怖かったんです。
でも、そうじゃありませんでした。
ガロンさんは、いつもどおりのガロンさんのままで。
いつものように優しい言葉をかけてくれて、励ましてくれて、安心させてくれて。
それが嬉しくて……本当に、泣いてしまうくらいに嬉しくて。
だから、わたしは――。
「少し休むといい。夜通し走って来るなんて、さすがに頑張りすぎだ」
その言葉を聞くなり、酷く安心してしまったせいか全身の力が急にふっと抜けて、わたしはそのまま気を失ってしまったのでした。




