第二章 拉麺編 ②
「勿論、そのつもりだ」
振り向きもせず答えた父親の横顔に、沢本は複雑な眼差しを注いだ。沢本は、担当する擬似人格電脳の契約終了に、これまで二回臨んだが、人の死に遭うのは、分かっていても苦しいものだ。それが肉親ともなれば、言わずもがなである。しかし、担当を代わろうとも思わない。それもまた、肉親ゆえだ。
更にもう一つ、沢本が直接父親に契約の確認をしに来た訳がある。父親の沢本一樹に貸与される擬似人格電脳〇三六号搭載人造人間は、沢本がずっと担当してきたものだが、半年前まで藤村香苗という契約者に育成されていた。藤村の葬儀まで取り仕切り、ニュースにもなっていたので、父親も知っているかもしれない。擬似人格電脳育成社の人造人間は、どれも外見が同じなので区別は付かないはずだが、〇三六号には、藤村との契約期間中に、抹消したはずの最初の契約者の記録を再生して動作不良を起こしたという瑕疵がある。以前の契約者達の個人情報には触れられないが、注意喚起しておく必要はある。慎重に言葉を選んでいると、父親が鼻を鳴らした。
「何だ、自分の仕事に自信がねえのか」
「違う」
沢本は言下に否定した。擬似人格電脳育成社の仕事には誇りを持っている。高齢者達の余生に豊かさを提供し、同時に擬似人格電脳に人間の温もりを学習させる。互いにとってメリットのある魅力的な事業だと心底思っている。
「ただ、親父が本当にあいつを育てることができるのか、心配なだけだ」
沢本が遠回しに懸念を告げると、父親は挑発と受け取ったらしく、初めてこちらを振り向いた。
「少なくとも、おまえよりは上手く育ててやるよ」
「分かった。言ったからには責任持てよ」
売り言葉に買い言葉だと自覚しつつ沢本は言い捨て、足音荒く店を出た。
◯
黒い背広の後ろ姿と入れ違いに吹き込んできた寒風が、後ろ手に閉められた格子戸でぴしゃりと遮断される。一樹は深い溜め息をついた。今の言い方はまずかった。だが、息子を追いかけて詫びる気にはなれない。
(そもそも、おまえが悪い)
久し振りに、一龍拉麺を旨そうに啜る息子を見た。あれだけ好きな癖に、店を継ぐことは拒否し続けている。何が問題なのだろう。店は努力の甲斐あって繁盛している。個人経営なので、公務員や会社員のような厳しい定年退職制度も適用されない。
(人工知能を貸し出して老人に育てさせるなんて事業の、一体どこにやり甲斐がある? 丹精込めて拉麺を作って客を満足させる、これ以上のやり甲斐があるってのか?)
以前、「人工知能」と蔑んだ自分に、息子は「擬似人格電脳」だと怒ってきたが、どう違うというのだろう。分からない。だからこそ、一樹は息子に黙って擬似人格電脳育成社に応募してみたのだ。無論、妻の代わりに誰かを雇うなどしたくなかったという理由もあるが。
(しかし、まさか選ばれるとはな)
かなり厳しい審査だと聞いていたので、あまり期待はしていなかったのだ。
ーー「言ったからには責任持てよ」
息子の言葉が心に谺する。
「面白い」
久し振りに気分が高揚してきた。一樹は、にやりと笑って布巾を置き、モップ掃除機を持って仕上げの床掃除を始めた。
人造人間は、自分で一樹の自宅まで来るらしい。定休日に来るよう指定した一樹は、落ち着かない思いで居間と玄関を行ったり来たりしていた。自宅療養している妻の幸恵も、そわそわしている。
一樹の自宅は店舗の裏手にあり、小さな庭が間にある。小ぢんまりとした家は、隅々まで幸恵に手入れされていて、どこにいても安らぐ空間だ。そこへ人造人間を受け入れるというのは、自ら招いたこととはいえ、一樹にとっては少々煩わしいことだった。だが幸恵は、純粋に楽しみにしている様子だ。
「すごく可愛らしい外見でしょう? 秀樹のお下がりを一応用意したけれど、新しく買ってあげたほうがいいかしらねえ?」
浮き浮きした声で着せる服に悩んでいる。店に出られなくなってから、ずっと沈んでいた幸恵に笑顔が戻ったことは、純粋に嬉しい。
「だったら、おまえのお下がりを着せてろ」
ぶっきらぼうに返しながら、一樹はそっぽを向いて微笑んだ。
「そんな、こんなお婆さんの服だなんて」
呆れたように言う幸恵は九十六歳。老防サプリのお陰で「お婆さん」などと言うにはまだ若い、張りのある肌をして整った顔立ちをした、柔らかな印象の美人だ。九十八歳の一樹とは結婚五十三年目の仲である。一人息子の秀樹は五十二歳。人生百二十年時代では、漸く中堅といったところだ。
(店を継ぐのに遅いってことはねえ)
一樹が眉間に皺を刻んだ直後、呼び鈴が鳴った。
「あ、来たわよ、あなた」
幸恵が歩行椅子に座ったまま見上げてくる。六足歩行の電動椅子はどこにでも行ける便利な介助機だが、速度は遅い。早く玄関に出迎えに行けという眼差しだ。
「分かった、分かった」
応じて、一樹は玄関へ出た。
「開け」
特に警戒することなく玄関扉に命じてしまったのは、契約した人造人間に違いないと思い込んでいたからだ。しかし、開いた扉の向こうに立っていたのは、紺色の背広を着た若く見える男だった。
「こんにちは。わたくし、無料で住宅の点検を行なっております森宮工務店の大川と申します」
にこやかな笑顔と滑らかな口調で自己紹介しつつ、男は玄関に足を踏み入れ、名刺を手渡してくる。最近また増えた高齢者の家を狙った営業だ。ロボットではないので無碍にできず、また、定年退職後に寂しく暮らしている高齢者にとっては嬉しい話し相手という心理を利用する、サービスの押し売りである。だが、一樹は人間相手に慣れており、定年退職もしていない。
「そんなものはいらん。うちは何の問題もない」
名刺も受け取らず、素っ気なく断ったが、男は引き下がらなかった。
「よく手入れなさっておられますよね。一目見て分かりました。壁も窓も石畳も実に綺麗で、雨樋も掃除が行き届いている。庭のお花も盆栽も素晴らしい。しかし」
男はしゃがんで床に手を触れる。
「建物の基礎が傷んでいます。このままでは、この家は徐々に傾いていきます。家の傾きが、住んでいる方々の健康被害に繋がることは、多くの研究で明らかにされていることです。今なら、うちの工務店の割引価格で補強工事をすることが可能です。如何でしょう?」
「いや……」
断りかけて一樹は逡巡する。幸恵のためには、この機会に工事を頼んだほうがいいだろうかーー。
「こんにちは!」
唐突に、男の背後から明るい声が響いた。中性的で張りのある声だ。次いで、紺色の背広の向こうに、風に靡く青い髪が見えた。