僕とボク、君とキミ
暗闇のずっと奥で、誰かの泣き声が聞こえる。
懐かしい声だ。きっと僕にとって大切な人。しきりに呼び掛けているようだが、うまく聞き取れない。
もう、何日も、何ヵ月も、何十年もずっと暗闇の中にいるようだ。泣き声は少しずつ年老いた声に変わっているというのに、僕はそれでも誰が泣いているか分からずにいた。
「まったく、君は」
今まで聞いたことのない、少女の声に僕は驚き、暗闇の中を見渡す。
ふと、眼前に小さな扉があるのを見つけた。今まで絶対になかったはずの扉だ。
僕が扉の前に行くと、勝手にそれは開き、僕の身体は吸い込まれるように中へと導かれ、閉まった。
中は見覚えのない部屋。アンティークな家具、机、ピンク色のカーテン、ベッドと大きな熊のぬいぐるみ。そして中央のソファーには高校生くらいの少女。
黒くて艶やかな髪、夏の制服から覗く白い肌、スタイルの良い身体。美少女。
「ボクから君を呼ぶことになるとは思わなかったよ。いつまで君はあの暗闇にいたことやら」
少女は長い髪を右手でかき揚げ、やれやれと言わんばかりに首を左右に振り、呆れたように僕を見る。
僕は状況をうまく飲み込めず、何か言おうとしたが、しゃべれなかった。頭に言語が浮かんでも、それは口からヒューヒューとかすれた音にしかならない。
「いいよ、君は何も言わなくていい。ただ、ボクの話を聞いてて。といってもあまり時間がないから手短に話すよ」
僕は彼女の言うとおりにし、彼女の話を聞くことにした。
「この世界はね、君とボクの共有する夢なんだ。君は今、夢を見ている。いい?」
うなずく。
「いい子だ。そして、君がこの長い夢を見る原因になったのは、君は現実世界で治療不可能なまでに陥るまでの事故に遭ったんだよ。頭と上半身以外はないんだ。だから、夢から覚めない」
酷く動揺した。僕は事故に遭っていた? 嘘だろ? それも治療不可能なまでの深刻なダメージで?
今度はうなずけず、茫然として彼女を見つめる。
「やっぱり動揺するよね。こうなった経緯を君は知らないんだから。いや、忘れてるだけか。でも安心して。君はもう間もなく目覚められる」
安心した。胸を撫で下ろし、静かにうなずく。
「ただ、君の元の身体はもうどこにもない。君はね、ボクの身体で新しい人生をやり直すんだ」
言っている意味が分からなかった。キミの身体? だってキミは女の子じゃないか。僕は正真正銘男だった(はずだ)ぞ。
人差し指をピンと君に向けて伸ばして口をパクパクさせる無様な僕に、キミは
「残念だけど君に拒否権はないよ。ボクの両親と君の両親の決定だからね。しかもこの処置は大変なリスクがかかる、世界でもまだ新しい治療だ」
と言う。
「簡単に言うと、臓器移植を身体ごとしたと思ってくれたらいい。君の健康な脳と、ボクの死んだ脳を交換する手術をしたんだ。それも30年かけてね。」
「驚くほど、君とボクの身体は遺伝子から細胞に至るまで似ていたんだって。もちろん、君とボクの両親はまったくの赤の他人だよ。君の両親は再び君が目覚めてくれるならそれでいいと、ボクの両親は例え人格が変わっもまたボクに会えるならと、それぞれの合意だよ」
ようやく僕は状況を飲み込めた。僕が夢の中で聞いていた誰かの泣き声とは、キミや僕の両親の声だったんだ。目覚めるのなら目覚めたい。もう一度父さんや母さんに会いたい。キミの両親にも。
でも、キミは…? 僕の身体がないなら、今いるキミはどうなるんだ? まさか…
「うん。死ぬよ。君はボクの分まで生きてほしい」
僕はダメだと叫んだ。声にはならなかったが、かすれたヒューヒューという音で。
「優しいんだね。でも、もう逝くよ。現実世界でボクの両親によろしくね。会ってすぐにお別れだけど、君と話せてよかった」
彼女はそう言うと、ソファーから立ち上がり、部屋を見回す。
「ここはね、生前使っていたボクの部屋なんだ。あの熊のぬいぐるみは母さんが買ってくれたものなんだよ」
僕は泣いていた。キミの犠牲によって僕が生きるなんて残酷すぎる。
「ほら、泣かないで。男の子でしょ? あ、もう女の子になるのか。ま、まあ慣れないと思うけど。それに、ボク結構スタイルいいでしょ? 良かったね、君は現実世界でアイドルだ」
泣きながら笑った。僕はキミを忘れない。絶対に。絶対絶対絶対に。死ぬまで忘れない。
「ありがとう。じゃあ、この身体はもう君のものだ。大切にしてね。またいつか会えるといいね」
キミは裸になり、僕を抱き締める。
「さよなら」
零れるようにキミは消えた。そしてこの部屋も、外の闇も、何もかもが零れ落ち、安らぎの白い空間が訪れた。
目覚めたら病院なんだろうな。ああ、父さん母さん早く会いたいよ。身体が焼けるように熱い。苦しい。ここは嫌だ。誰か、ボクを
助け