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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

理想と現実、そして未来

作者:

 それは、女々しい、という言葉を、初めて目の当たりにした瞬間でした。


「うう、どうしよう⋯⋯魔物を一体、逃がしちゃったよ⋯⋯」

「大丈夫ですよ。あんなに沢山いた内の一体ですし、そんなに問題にはならないと思いますよ」

「そうかなあ⋯⋯でも⋯⋯どうしよう⋯⋯」


 さっきからこの繰り返しです。

 私達の目の前には、魔物の残骸が散らばっています。数にして五十くらいでしょうか。その魔物をほんの数秒で屠った人物とは思えないほどの狼狽えように、もう何度目かになる溜息を零しました。


「うう⋯⋯エルシー、僕のこと、情けないって思ったでしょう? 魔物を逃がしちゃうなんて⋯⋯」

「いえいえ、とんでもありません。アレフ先輩はとても凄い方だと思っていますよ!」

「え? ⋯⋯どのへんが?」

「魔物をあっと言う間に倒しちゃうし、他にも、色々と ⋯⋯ 」

「⋯⋯色々と?」

「ええ、色々と!」


 少々面倒になって来ましたので強気に言って、無理やり腕を引き、蹲っていた先輩を立たせます。

ここまで来るのに使用した馬車へと引きずるように連れて行き、中で座らせてから、持ってきていた水筒を差し出します。項垂れながらも水筒を手にしたアレフ先輩に、ホッと息を吐きました。


「どうしましょうか? このまま調査をするにしても、村の方たちは避難してしまったらしく、一人もいらっしゃらいないようです」


 返事はありません。未だいじけている先輩をよそに、私はこの後のことを考えます。


 今私たちは、とある村へと来ていました。

 それは私たちに課せられた『仕事』のためなのですが、今回はその仕事を果たせそうにありません。

 私たちの仕事は、所謂『文官』というもので、色々な地域から寄せられた陳情を元に調査をし、上に報告をするというものです。

 今回この村において、天候不順により、作物の育ちが悪いため収穫量が減る旨の報告が上がって来ていました。それにより、減税するのか、支援に回るのか他の対策を行うのかの検討をすべく、現地調査を行うことになったのです。が、まさか、着いて早々に魔物の群れに襲われるとは思ってもみませんでした。

 魔物はアレフ先輩が退治したものの、村の方は全員避難したのか一人も姿を見かけず、調査どころではありません。それに大量の魔物の死骸も処理しなくてはいけないので、ここは一度支部に戻って対処を決めた方が良いのだろうと思います。


「一旦、戻りましょう、アレフ先輩。あら? まだ立ち直られていませんか?」


 がっくりと肩を落とし、項垂れている先輩を見て、愛おしさが溢れてきました。そう、私はアレフ先輩に恋をしています。魔物を一瞬で倒すことの出来るほど強くて凄い方なのに、こんな風に小さなことでいじけてしまう先輩に、いつしか恋心を抱いていました。

 いつまでもいじけているアレフ先輩に仕方がないと思いながら、私は御者台に向かい、手綱を握り支部へと向かいました。



 支部へと着き、何とかアレフ先輩を馬車から降ろすと、支部長の許へと急ぎます。

 アルフ先輩の足取りは酷いものでしたが、無理やり腕を引いて何とか支部長室へ辿り着きました。


「支部長、申し訳ありません。少々、困ったことになりました」


 ノックもそこそこに部屋へと入ると、支部長は「またか」と言葉を零します。


「今回は何があった?」

「はい、村に着きましたら、突然魔物に襲われました。村の方たちは全員避難されたらしく、一人もいませんでした」


 今回は、と聞かれる度に、何とも言えない気持ちになります。確かに毎回何かしらの問題が勃発し、報告する回数も他の文官の方たちよりも多いというのは事実ですが。


「おいおい、避難した場所まで行かなかったのか?」

「そんな、魔物が現れたのですよ? とてもではありませんが、村の避難所まで行くなど、危険なことは出来ませんでした」

「魔物は退治しなかったのか?」

「アレフ先輩が殆ど倒してくださいましたが⋯⋯」

「殆ど?」

「⋯⋯一体、逃がしてしまったそうです」


 ちらりとアレフ先輩を見やれば、びくりと大きく肩を揺らしました。そしてまた、しょんぼりと肩を落とします。


「はあああ~。そうか。とりあえず、軍に連絡して魔物の死骸の処理を頼んでおけ。調査はそれからでいい。それと、魔物一体を逃したこともちゃんと伝えておけよ」

「はい」


 これですよ。私としては、毎回このようなやりとりに怒りを通り越し、呆れてしまっていました。

 私たちは『文官』なのです。何故魔物を退治せねばならないのでしょう。そして、魔物を一体逃したからといって、非難めいた言葉を浴びせられなければならないのでしょう。軍属ならまだしも、何故このようなことがまかり通っているのか、甚だ疑問であり、納得いかないのです。

そのせいでしょうか、私はずいぶんと自信を無くしていたのです。




◇ ◇ ◇




 文官という仕事に憧れて、勉学に励み、両親の反対を押し切ってまで就職したのは今から一年ほど前のことです。私の父は小さな領の領主で、一応、子爵の爵位を賜っています。小さな領では、ほんのちょっとのことでも大惨事につながったり、死活問題にもなったりします。そんな大したことのない要望でも、文官である方々は気にかけてくださり、相談に乗ってくださりました。そんな文官に憧れて、試験に通り、無事その職に就けた私は、希望に満ち溢れた未来を描いていました。

 入った当初はそれはそれは理想通りの毎日でした。研修である三ヵ月間は日々送られてくる陳情に目を通し、まとめる作業ばかりでしたが、とても充実していて、誰かの役に立っているのだと思うと、それだけで満たされた気分になりました。

 研修期間が終わり、初めて視察、調査へ行く際には、とても緊張したのを覚えています。

 現地への調査には、本来単独で行うそうですが、半人前の私には、教育係としてアレフ先輩が就くことになったのです。

 アレフ先輩の第一印象は『大きい』でした。およそ文官には似つかわしくない、大きな体格。ですが、その顔は垂れ目で、とても優しそうな印象を私に与えていました。そしてその印象の通り、とても温和で優しい先輩でした。


 初めての調査の日、緊張とワクワクで、身体はカチコチに固まっていました。


「ここが、橋が決壊した場所です。今日も恐らく、午後には雨が降り出すでしょう。そしてその雨が何日も続いたら、堰き止められた大量の水が瓦礫を押し流し、一気に村へと濁流が流れ込みます。どうか、早めに、明日にでも撤去作業をお願いいしたいのです」


 悲痛な叫びのように懇願する村長さんは、祈るように私たちへと目を向けます。私は目の前にある昨日までは間違いなく橋であっただろう瓦礫の山に言葉を失いました。瓦礫だけではなく、大木も多く流れ着き、そこに溜まった泥水は川を大きく氾濫させたのか、辺り一面が土砂で埋め尽くされていました。今は緩やかに流れている濁流も、雨が降れば途端に激流となってしまうのでしょう。

 その光景を想像し、血の気が引くのが、自分でも分かりました。


「事情は分かりました。では、まずは橋部分の瓦礫と大木の撤去と、洪水により押し流された家屋の瓦礫の撤去、その後、土砂の撤去に、復興。こんな流れでしょうかね」


 淡々と話を進めるアレフ先輩はとても落ち着いていて、頼れる先輩という感じでした。


「はい。どうか、一日でも早く、橋の瓦礫の撤去をお願い致したく」

「そうですね、じゃあ、今やっちゃいましょう」

「は?」

「え?」


 私と村長さんは、アレフ先輩の軽い一言に耳を疑いました。先輩は、「今やる」と言ったのです。


「あ、あのアレフ先輩、それはどういう⋯⋯」

「よっこいしょー」


 私の疑問の言葉は全く届かず、アレフ先輩は徐に大木に手をかけ、あろうことか、軽い掛け声と共にそれを持ち上げて力ずくで撤去しました。


 ずううんっと大きな音と共に、脇へと退けられた大木に、私と村長さんは茫然自失です。

そんな私たちを他所に、アレフ先輩は堰き止められている部分の瓦礫に手をかけ、次々と力ずくで撤去していきます。

 最後の橋の残骸はとても大きく、それを今までのように無造作に撤去してしまえば、濁流が村へと一気に押し流されてしまう危険がありました。それにいち早く気がついた村長さんは、慌ててアレフ先輩へと声をかけます。


「待ってください! それはゆっくりと、少しずつ持ち上げて撤去してください!」

「え? ゆっくりですか?」

「そうです、ゆっくりです。そーっと、そーっと」


 既に瓦礫に手をかけていたアレフ先輩は、村長さんの掛け声に合わせて、ゆっくりゆっくりと瓦礫を持ち上げていきます。そして少しずつ泥水が流れていき、最悪の事態は免れました。私は村長さんと共に、ホッと息を吐き、アレフ先輩へと目を向けます。満面の笑みでやり切った感のアレフ先輩は私にはとても眩しく見えました。


「本当にありがとうございました。これで一番の懸念事項が解決しました」

「いえいえ、お役に立てて良かったです。では、なるべく早く、他の場所の瓦礫の撤去と、土砂の撤去の手配を行いますので」

「はい、よろしくお願いします」


 そんな穏やかな挨拶を交わし、私たちは支部へと戻りました。

 そうして、新人の陳情をまとめる書類整理と現地調査という実務へと移った私だったのですが、充実していた研修期間とは違い、日に日に自分の無能さが身に沁みてきてしまいます。


「エルシー、今日は国境近くの村に行くよ。何でも国境まで続く道で盗賊が出たらしくてね。その調査になる」

「はい」


 二回目の現地調査は、盗賊に関する聞き取り調査でした。村の方たちのお話を伺い、盗賊の規模や出没する場所、潜伏場所まで把握できれば御の字だと私は思っていたのです。ですが、実際には、この調査は危険が伴うものでした。


「盗賊たちがいるのは、あの辺りです」


 私たちが村へと着いてすぐ、一人の若い村民の男性が、案内をしてくださいました。私はてっきり村長さんの許へと案内されていたと思っていたのですが、村の外れに来た辺りで嫌な予感が頭をよぎりました。

 そして案の定、盗賊のアジトまで案内されていたのです。


「そこそこ大きな建物ですね」

「はい、元々はこの行路の管理をするための建物だったのですが、余り使っていなかったというのもありますが、気がついたときにはもう、盗賊たちに占拠されていまして」

「数はどれくらいでしょうか?」

「ざっとですが、三十人くらいかと」

「そうですか」


 何の感慨もなく、アレフ先輩はそんな質問をします。まるで最初から、こうなることが分かっていたように。もしかして、これが普通なのかと、自分の常識を疑ってしまいましたが、いくらなんでも、盗賊のアジトまで行って、その様子を観察することが現地調査なはずはないと、思い直しました。ですが、その私の認識は甘かったのです。


「じゃあ、ちょっと行って来ますね」

「は?」

「え?」


 案内をしてくれた村の男性と私は、アレフ先輩のその軽い一言に言葉を失いました。

 私たちを他所に、軽い足取りで少し離れた場所にある盗賊たちのアジトへと向かい、徐に片膝をついたかと思うと、拳を地面に叩きつけました。それと同時に激しい衝撃波がアジトを襲います。一瞬で粉々に砕け散ったアジトである建物からは、沢山の小さなうめき声が聞こえてきます。一瞬の出来事に私と村の男性は、茫然自失です。

 そんな中、アレフ先輩は建物の残骸に埋まる盗賊たちをどんどんと引きずり出します。そして、持っていた鞄から紐を取り出し、拘束していきました。


「とりあえず、ここに転がしておきましょう。支部に帰ったらすぐ、憲兵を寄越しますので、それまでは村の方で見張りをお願いできますか?」

「は、はい。わかりました。あ、あの、ありがとうございます」

「いえいえ、仕事ですから」


 動揺が隠せない村の男性は、しどろもどろではありますが、しっかりとアルフ先輩にお礼を言い、私たちを村の入り口までお見送りしてくださいました。ただ私も、この時は少しばかり混乱していました。ですが、支部に戻って、今回の報告のため支部長室へと行ったとき、更なる混乱が待ち受けていました。


「てめえは、何でそんなことも出来ねえんだよ! 何年この仕事やってやがる! たかが魔物の十や二十、おめえなら村人守りながら倒せんだろが! 怪我人を二人も出しやがって、どうしてくれんだ!」


 支部長の怒鳴り声が聞こえてきました。今まで、私の前ではこんな風に怒鳴ったりしていなかったので、とても驚いたのと、やはり組織の上に立つ方は厳しい方が多いのだろうと認識した瞬間でした。

 ただ気になるのはその内容です。魔物を倒すことは当たり前で、尚且つ村人も守り切れと仰っています。私の中の『文官』という心象が崩れていくようでした。


「⋯⋯うう、入りたくないなあ⋯⋯」


 アレフ先輩の声に、私も頷きました。ただ、前に立っていたアレフ先輩の様子が随分とおかしいことに気付き、戸惑いました。どこか具合が悪いのかと思うほど、身体が震え、頭を抱えています。


「アレフ先輩、どうかしましたか? その、大丈夫ですか?」

「うえっ! う、うん⋯⋯大丈夫⋯⋯多分⋯⋯きっと⋯⋯でも、やっぱり駄目かも⋯⋯」


 明らかに尋常ではない狼狽えぶりに、私はとても心配になりました。ですが、そうこうしている内に、支部長室から怒鳴られていた方が出てきました。そしてその方の顔を見て、ぎょっとしました。泣いていたのです。大の大人が、上司に怒鳴られて泣いているという、見てはいけないものを見てしまったようで、私は直ぐに視線を逸らしました。


「アレフ、さっさと入れ!」

「は、はい!」


 機嫌の悪そうな声で呼ばれ、アルフ先輩が竦み上がります。今までにも、あのように怒鳴られた経験があるのだろうと察し、私も今後怒鳴られないように頑張らなければと気を引き締めます。


「盗賊はどうなった」

「全て捕縛しました」

「よし、村の方に被害は出てないだろうな」

「はい、それはもう、絶対、大丈夫です!」

「そうか、ならいい。下がれ」

「失礼します」


 支部長室を出て、安心したのか、アレフ先輩はその場で蹲りました。余程怖かったのだろうと思い、遠慮がちに声を掛けます。


「大丈夫ですか?」

「う、うん。大丈夫⋯⋯ごめんね⋯⋯なんか⋯⋯はあ、情けないよね、僕」

「いえ、そんなことはないです」

「本当に? ⋯⋯エルシーは僕みたいな情けない男⋯⋯嫌いじゃない?」

「そんな、アレフ先輩は情けなくなんてないですよ」


 私が笑みを浮かべば、アレフ先輩もふにゃりと笑ってくださいました。

 このころから、私は納得のいかない日々を送り始めることになります。




「今回の陳情は、領主が横領しているかもしれないって、村民からの訴えがあったんだけど⋯⋯僕、こういうの苦手なんだよね」

「そのなのですか?」

「こういう悪知恵が働く奴ってさ、口も上手いし頭の回転も速いから、厄介なんだよ」

「確かにそうですね。そうなると、今回の調査はかなり厳しいものになりそうですね」

「うん。とりあえず、頑張ってみよう!」

「はい!」


 私たちはまた新たな陳情を受け、現地調査へとやって来ました。馬車の中で今回の調査の打ち合わせを行い、領主の館の門の前まで来たときに、異変を感じました。


「あれ? あそこに人が倒れてる⋯⋯」

「え?」


 馬車が門を潜り、そのまま屋敷の玄関口まで進もうとした途中に、人らしきものが倒れているのを、アレフ先輩が見つけました。私がそちらに目を向けようとしたところで、アレフ先輩が馬車の扉を開け飛び降りました。それに気づいた御者さんが、馬車を停めてくださいます。アレフ先輩はそのまま倒れている人の所へと駆け寄ります。


「大丈夫ですか?」


 アレフ先輩がその倒れた人を抱き起したときでした。屋敷の方から、大きな狼のような魔物が襲い掛かってきたのは。


「先輩!」

 

 何もできないと分かっていても、私は思わず馬車を飛び降り、アレフ先輩へと手を差し出し、駆け寄ってしまっていました。そんな私の行動は何の意味も持たず、牙を剝く魔物は、アルフ先輩の軽く放たれた拳を受け、宙を舞いました。ほんの一瞬の出来事でした。

 何が起こったのか分からなかった私ですが、なんとなしにアレフ先輩が抱きかかえている人らしきものに、目を向けました。

 その人らしきものは、真っ赤な瞳をしていました。そして、私と目が合った瞬間、飛び掛かってきたのです。咄嗟のことに、私は動けませんでした。先輩が狼に襲われたときは動けたのにと、動かない身体を恨めしく思いながらも、頭ではそんなことを考えていました。

 ほんの数秒のことなのに、その人らしきものがゾンビなのだと気づいたのは、走馬灯が頭の中を駆け巡ったからだと思います。そのゾンビの行動に驚いたアレフ先輩は、私を庇うように背に右腕を回し、抱き込みます。そして左手でゾンビの頭を掴み、ぐしゃりと握り潰しました。

 この時の私は、酷く錯乱していました。目の前でこのような凄惨な場面を見せられたのです。気絶しなかったのが不思議なくらいでした。そして、あろうことか、ゾンビの頭を潰せるくらいの怪力なのに、私を包み込むアレフ先輩の腕は、とても優しく温かいな、などと全く場にそぐわないことを思っていたのです。

 大きい先輩の腕はそれなりに長く、私にその残骸が届くことはありませんでしたが、先輩の左腕の袖口は酷く汚れてしまっていました。


「エルシー、大丈夫?」

「は⋯⋯はい⋯⋯」


 はい、などと返事はしたものの、全く身体に力が入りません。先輩が支えてくださっているので、何とか立っている感じになっていますが、とてもではありませんが、歩くなど出来そうもありませんでした。

 それを察してくださったのか、アレフ先輩は私を馬車へと連れて行って下さいました。子ども抱きで。確かに、左腕の袖が汚れてしまっているので片腕で抱っこになってしまうのでしょうが、流石にこれは大人の女の立場からすると、少々納得のいかない事柄かと思います。いえ、腰を抜かした私が悪いのですが。


「とりあえず、ちょっと整理するためにも、一旦ここで休もうか」

「はい。申し訳ありません」

「いやいや、あんなもん見せられて冷静でいられたら、それこそ凄い新人ってことになるしね」


 満面の笑顔でそう言うアレフ先輩は、本当に凄い方なのだろうと、純粋に私はそう思いました。ゾンビとはいえ人型の魔物を躊躇なく素手で退治してしまうなんて。ただ、その退治の仕方に、精神が少し擦り切れているのかもしれないとも思わずにはいられませんでした。

 そして今になって、私は恐怖に絡めとられます。ガタガタと震え出した身体は、奥歯が噛み合わず、気が付けば生理的な涙まで流していました。


「わわ、だ、大丈夫? 怖くないよ、もう、大丈夫だから!」


 慌てふためくアレフ先輩は、先程簡単に魔物を二体も屠った人とは思えないほどで、その人柄に安堵しながらも、身体の震えは止まりそうもありませんでした。


「うう、困ったなあ⋯⋯大丈夫だからね、もう大丈夫だから」


 何とか泣き止んだ私に、アレフ先輩はホッと息を吐き出します。それに申し訳なさを感じつつも、これ以上は仕事にならないと自分自身の不甲斐なさに、打ちのめされていました。


「エルシー、ここで待っててよ。僕一人で、領主のところに行ってくるから」


 その言葉を聞いた瞬間、言い知れぬ恐怖が再び襲ってきました。ここで一人で残ってまた魔物に襲われたら、そう思うと、身体の震えは益々酷くなりました。

 身体は酷く震えているのに、恐怖からなのか、動かなかった私の左手が、アレフ先輩の右腕を掴みます。

 声を出したくても出せず、代わりに一生懸命に首を振り、行かないでくれと訴えます。また涙が溢れてきてしまい、アレフ先輩が狼狽えます。


「ごめん、行かないよ、エルシー。ここにいるから。大丈夫。大丈夫だから」


 そっと左腕だけで優しく抱き込まれ、私はその先輩の温もりに安堵します。

 とても強くて頼りになるアレフ先輩は、こんな小娘の涙に驚くほどに狼狽えてしまう。そんなアルフ先輩に抱きしめられながら、私の恐怖はゆっくりと溶けていくようでした。それでも目の当たりにした光景は、私の心に深い傷を与えたようで、アレフ先輩の温かな腕の中で意識がだんだん遠くなっていくのを感じていました。




 目が覚めたのは、支部所内の救護室でした。

 真っ白な壁に真っ白な掛け布、一瞬どこにいるのか分からなかった私でしたが、少しずつ頭が回り始めました。

 救護室には誰もおらず、私はそっと身体を起こします。寝台から降り、廊下に出ると、大きな怒鳴り声が聞こえてきました。


「ばかやろう! 領主の話が聞けなかっただと! どういうことだ! こんな簡単な仕事もできねえのかよ!」


 それは支部長の怒鳴り声でした。私のせいでアレフ先輩が怒られてしまったのだと思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 そして、私は思ったのです。この仕事は、私には無理なのではないかと。

 実際、支部内での書類整理などは全く問題なくできているのです。それどころか、書類整理の方は色々な方に褒めて頂けるくらいには処理能力があるようなのです。ですが、現地調査においては、とてもではありませんが務まりそうもありません。私が一人立ちしたとき、魔物を倒せないばかりか、盗賊だって倒せません。というか、文官の仕事とは、こんなに過酷なもののはずはないのです。私は専門の学部で学んできましたが、こんな危険極まりない現地調査など、行うはずがないのです。

 では、どうしてこれがここの『普通』になっているのか。それはひとえに支部長の考え方なのだと、結論付けました。学校でも支部長の考え方でその支部の個性が決まると言われていました。私が配属された支部は、個性が強すぎて、私には全く合わなかったようです。




 それからというもの、私はずいぶんと落ち込み、仕事にも余り身が入らなくなってしまいました。

 もうすぐ一年、そうしたら退職をして、父の願いでもあった結婚をし、家庭を築こうと思い始めていました。両親は私が文官になることをとても反対していました。今思えば、こうなることが分かっていたのかもしれません。そんな両親の想いを踏みにじってまで文官になったというのに、私はなんと愚かな人間なのかと、後悔ばかりの毎日でした。



 そうして、私が退職を決めた辺りから、アルフ先輩の印象が大きく変わり始めました。研修期間が終わり、初めてアレフ先輩と組み始めた頃は、本当に頼れる強い先輩という印象だったのが、今ではすっかり小心者という印象に変わってしまっていました。

 確かに強いし、優しいのですが、仕事の度に「今回は失敗しなかったよね?」とか「これってちゃんと出来たってことでいいんだよね?」と何度も聞いて来るようになりました。そして支部長室の前でガタガタ震えるもの毎回のことになりました。

 そんな先輩を見ていると、本当にこの仕事は大変で、私のような者には務まらないのだと改めて思います。

 それでも、とても強い先輩が、こんなにも苦労している姿に、私の中でいろいろな感情が呼び起こされました。先輩はとても頑張っています。それをみんなに認めて欲しいという感情。そして、アルフ先輩への尊敬。それと同時に沸き上がった、アレフ先輩への恋心。あれだけ毎回、強くて優しい姿を見せられては、惹かれないのもおかしな話です。




◇ ◇ ◇




 そうして一年が経ち、私は今回の、たった一体の魔物を逃がしただけの先輩を怒鳴り散らす支部長を見て、決心しました。


「辞表⋯⋯って、おい、どういうつもりだ!」


 元々声が大きい支部長の怒声が部屋に響きます。それでも少しばかり慣れて来た私は、怯まず、静かに言いました。


「私には、この仕事は向いていないと判断しました」

「は? 向いてない? 書類の処理能力は支部一だと聞いてるぞ? それのどこが向いてないんだ」


 確かに、書類仕事は頑張りました。それしか役に立たないのですから、お給金をもらっている以上、自分にできることはしっかりと頑張ったつもりです。ですが、それだけがここの仕事ではないのです。


「書類仕事が出来ても、他の仕事が出来なければ意味はありません」

「他の仕事? ああ、現地調査を言っているのか?」

「はい。私には、魔物は倒せませんし、盗賊だって無理です。他にも色々と。とてもではありませんが、私には出来そうもありません」


 事実を口にすれば、何とも情けない気持ちでいっぱいになりました。自分で役立たずだと言うのは、少々心が擦り減ります。


「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」


 何とも長い、いやいやを頂きましたが、私の心は変わりません。


「魔物退治なんざ、おめえさんにやらせる訳がねえだろう。盗賊だってそうだ。ありゃあ、本来なら軍の仕事だからな」

「え?」


 私は思わずといった感じで言葉を零しました。確かに軍の仕事なはずです。私の文官への認識が間違っていなかったことを確認出来て、少しばかり安心しました。ですが、だとしたら、この支部のあり様は一体どういうことなでしょうか。


「あー、研修の時に説明がなかったか?」

「どのような説明でしょうか?」

「ここにいる男どもは、元々軍人だったって話は聞いてねえか?」

「初耳です」

「なんてこった⋯⋯研修を担当したのは誰だ?」

「本部の女性の方です」

「ああ、そうか、本部から応援を頼んだって言ってたな⋯⋯じゃあ仕方ねえか」


 脱力する支部長に、私は困惑しました。ここにいる男性陣が元軍人という言葉には、物凄く納得はしました。そして文官でありながら、あのような調査を行うことにも納得しました。ですが何故、ここでやる必要があるのでしょう。皆さんが元軍人だからといって、このようなことをやらせるのは、やはりどうかと思います。それこそ軍にお願して、対処してもらえばいいことだと思うのですが。


「あいつらは元軍人なんだが、ちょいと問題があってな。それでこっちで面倒を見ることになったんだが⋯⋯」

「問題⋯⋯ですか?」

「ああ、アレフはあの性格だからな、軍部じゃあ、虐めの対象になる。他の奴らも少々性格に難ありでな。色々と揉め事が多くて大変だった」


 確かに、アレフ先輩は小心者で女々しい性格をしています。軍のような気の強い人たちが集まる組織の中でやっていくのは苦労するのかもしれないですね。ですが、それよりも、支部長の言い方がとても気になりました。まるでその光景を見てきたかの言いように、少しばかり首を傾げてしまいます。


「あいつらは、強すぎるんだよ。そのせいで妬まれたり恨まれたりしてよ、折角の人材が他の人間のせいで駄目になるのはもったいねえだろ? だからこっちで引き受けたんだ。まあ、俺も元々あいつらの上官だったしな。放っておけなかったってのが本音なんだが」

「上官⋯⋯」

「ああ、俺ぁ、魔物の討伐の時に腕をやっちまってな、退役したんだ。そんで、本部のお偉方にここの支部長をやってくれって言われてよ。まあ、元々人の上に立つ立場だったから大した苦労もしなかったが、村や町からの陳情は、そりゃあいろんなのがあってよ。その中で一番多いのが魔物の被害だったんだが、普通の文官じゃあ、調査っていっても何も出来ねえ。なら、あいつらこっちに呼んで、退治させちまおう、って思ったんだが。小心者、臆病者、自虐的な者、怠け者、こんなんが揃っても、なかなか上手くいかなくてな。それでもまあ、たった一人で軍人百人くらいの力があるから、それなりに解決はしてる」


 まるで我が子のことのように嬉しそうに語る支部長は、最後に照れ臭そうに笑いました。


「だからよ、おめえさんに魔物退治なんざあ、やらせる気は毛頭ねえんだ。辞めるなんざ、言わねえでくれよ」

「ですが、私は、ここでは役立たずです」

「そんなこたあ、ねえだろ。書類仕事に関しちゃあ、右に出る者はいねえんだからよ」

「では、異動願いを出させてください」


 思っていた以上に支部長に褒められて、失っていた自信が少しだけ戻ってきました。ならば、このような特殊な支部ではなく、他の支部ならば、ちゃんとやっていけるのではないかと思い、辞めるのではなく、異動を願い出ることにしました。


「あー、それも困る。できればここで、このまま続けてくれねえか?」

「ですが⋯⋯」


 私はここでは役立たずだと、もう一度言おうとしたその時、支部長室の扉がバンっという音と共に、勢い良く開かれました。


「エルシー、辞めるなんて言わないで!」


 転がるように入室してきたのは、アルフ先輩でした。その表情は真っ青で、今にも倒れそうでした。


「お願いだよ、エルシー! 悪いところがあれば、僕、頑張って直すから!」


 縋るように私の足元へと跪く先輩に、私は驚いてしまいます。


「おやめくださいアレフ先輩。そのようなことを軽々しくしては⋯⋯」

「エルシー、お願いだ。僕を捨てないで」


 私の声を遮り、とうとう泣き出してしまったアレフ先輩に、私はもうどうしていいのか分かりませんでした。ですが、次のアルフ先輩の言葉に、私は益々訳が分からなくなってしまいました。


「エルシー、愛してます、結婚してください!」


 泣きながら土下座をして懇願するアレフ先輩に、私の頭は真っ白になりました。


「おいおい、今ここでそれを言うのかよ。もっとこう、あるだろう。場所とか、雰囲気とかよー」


 呆れた様子の支部長は、それでもどこか楽しそうでした。ですが、私としては今のこの状況を説明して欲しくて、つい支部長に助けを求めてしまいます。


「あの、支部長⋯⋯どうなっているのでしょうか?」

「ああ、アレフはおめえさんに一目ぼれしたらしんだわ。そんで、自分と組ませろって言ってきてな。まあ、アレフのやる気が出るんならこっちもありがてえからよ、おめえさんと組ませたんだが。なかなか告白まで行けねえみてえでよ、色々相談に乗ってはいたが、おめえさんが辞めるって聞いて、居てもたってもいられねえって、この部屋に飛び込んじまったんだろうな」


 支部長の声は元々大きいので、私が辞表を出したことは筒抜けになっていたようです。

ですが、それよりも、アレフ先輩が私のことをそういう対象で見ていたことに驚きました。

 いつも助けて頂いてばかりだったので、きっと足手まといでお荷物だと思われていたのだと思っていたからです。

 助けて頂いた時には必ずお礼を言っていましたが、その度に落ち込まれてしまい、私はずっと嫌われいるのではないかと思っていたくらいです。


「返事は落ち着いてからでいいから、してやってくれねえか?」

「え?」

「まあ、告白をすっとばして結婚の申し込みをしちまう、ってのもアレフらしいとも思わんでもないが。こいつは真剣におめえさんに結婚の申し込みをしたんだ。断るにしても、ちゃんとそれに答えてやって欲しい」


 何故か断る前提の話しになっていることに、ほんの少しだけ驚いてしまいました。

 私からすれば、アレフ先輩はとても凄い方なので、結婚の申し込みなど恐れ多いと思ってしまっているのですが。


「おめえさんは爵位持ちだろ? アレフはただの平民だ。とてもじゃないが、結婚は無理だ。一応それはアルフには言って聞かせてあるが、気持ちの方が先走ったみてえだな」


 蹲るアルフ先輩は、カタカタと身体を震わせていました。何故そんなにも震えているのだろうと、私は首を傾げます。


「確かに私の父は子爵ですが、田舎も田舎、本当に何もない領地を治める田舎の領主です。私の父の領では、魔物の被害も多くあります。アルフ先輩のような腕の立つ方ならば大歓迎です。子爵といっても貧乏子爵ですし、平民の方と殆ど変わらない生活を送っています。私は家事全般はそれなりに得意ですよ。それに私は三女で末っ子です。上には兄が二人いますし、私の結婚など、もらってくれる方がいるなら、どうぞどうぞと差し出すような両親ですから」


 笑みを浮かべ、自嘲気味に言った言葉は、アレフ先輩を安心させるものだったようです。

 ばっと顔を上げたアレフ先輩は、私に縋るような眼を向けながらも、どこか期待している表情をしていましたから。


「私も、アレフ先輩のことはお慕いしています。いつも足手まといの私を、何も言わずに助け、気遣ってくださるその優しさに、いつしかとても惹かれていました。私などでよろしければ、もらってくださいませ」


 真っ赤になりながらも、アレフ先輩の誠意に応えようと、私は頑張って想いを伝えました。

 ぱああっと花が咲くように笑顔になったアレフ先輩に、私もつられて笑顔を零します。直ぐに両手を掴まれて、また泣き出したアレフ先輩に、私もどうしようもなく泣きたくなってしまいました。


「おいおい、ここで返事をするのかよ。もっとこう、あるだろう。場所とか、雰囲気とかよー」


 呆れた様子で先程と同じ言葉を零す支部長は「まあ、お似合いだな」などと言って、がははと笑い飛ばします。


「だが、残念だな。書類整理が出来るやつがいなくなるのは」

「でしたら、次の新人の方が育つまではここにいさせて頂きます」

「お、なんでえ、自分は役立たずだなんだって、嘆いていた奴が、急に元気になりやがってよう」


 支部長の言葉に、思わず苦笑いを浮かべてしまいました。それでも、嬉しそうな支部長の表情に、私は「頑張ります」とやる気を見せました。


「おう、期待しるぜ、エルシー!」


 初めて支部長が私の名前を呼んでくれました。それは私を一人前だと認めて頂けたのだということでしょう。それがとても嬉しくて、私は満面の笑みを浮かべます。


「エルシー、いつ頃ご両親に挨拶に行ったらいいかな」

「そういうのは、ここを出て行ってからにしろ!」


 そう言って、支部長が私たちを追い出そうとします。退出の挨拶をしようとした私に向かって、支部長が声をかけました。


「エルシー!」


 支部長が徐に、私の辞表を破きます。


「もう、必要ねえだろ」

「はい!」


 そう言ってほほ笑む私を、アルフ先輩が抱きしめます。


「僕のお嫁さんは、本当に可愛いなあ」


 そんなことを言われて、思わず顔から火が出そうになりました。


「さっさと出ていけ!」


 いちゃつく私たちを手で追い払う支部長に、今度こそ退出の挨拶をします。







 そうして私たちの恋は実り、結婚もして、幸せに暮らしています。


「ねえ、お母さん。お父さんって文官なんだよね?」

「ええ、そうですよ」

「なのにどうしてあんなに強いの?」

「それはね、お父さんの勤める、あの支部が特別だからですよ」

「そうなんだ。じゃあ、僕も将来、お父さんみたいな強い文官になるよ!」


 そう言って笑顔を見せる我が子に、私もまた満面の笑みを返します。

 

 そして、我が子が入りたいと思ったこの特殊な支部は、たくさんの人たちに感謝されながら、文官たちの間で憧れの支部へと成長していくのでした。




おしまい


読んでくださって、ありがとうございます。

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