キールバーン
自分の見ている光景をを目の当たりにしたとき、キトリーの脳裏に浮かんだ言葉は
-ありえない
という一言に尽きた。
魔法というものを目の当たりにして、自身の砕かれた右腕も神の奇跡とやらで完治したという事実を踏まえていても、空中を人が駆け抜けるというのはにわかには信じられなかった。対峙している化け物-キールバーンの姿にも驚きは隠せなかったが、それと真っ向から剣一本で戦いを繰り広げる人間というのは、化け物以上に化け物としか思えなかった。
「わたしたち、出番なさそうだね」
念のために槍を構えたまま、キトリーが呟くと近くで呪文の詠唱を終えたルーがカクカクと頷いた。カバナ山脈を越えるために一時的にオルトヴィーナと手を組んだキトリーたちは、一日で準備を終えるとキールバーン討伐のため、山に入った。
いくら馬鹿でかい魔物とはいえ、山脈のどこにいるとも知れないキールバーンを見つけるのは困難を極めるはずだった。が、キトリーたちにはククルがいた。
ククルはにおいを察知する能力に長けているだけではない。シュロの性質として、生き物の気配を察知する力が高い。それも、自分には対応できないほど強い魔物となると、彼女はかなりの距離があっても敏感に感じ取ることが出来る。
彼女の近づきたくない方向にむかって逆に進むという行為を続けることで、キールバーンをあっさりと捕捉した。開けた岩場で羽を休めているところだった。キトリーが以前に遭遇した青色のキールバーンとは二回り以上大きな巨体に、薄い緑色の鱗。凶悪な目つきから発する禍々しい気配に、キトリーたちが息を呑むのと同時に、オルトヴィーナは大剣を抜き、踊りかかった。
そして、今に至る。
彼女は言った。
空飛ぶ魔物と戦う手段はあると。
だが、まさか、彼女自身が空を駆けるとは夢にも思わなかった。そう考えてみると、エルデンシャイフでグランガシートと戦いの後、身の丈の数倍はある外壁を飛び越えてきたのだと。ただ、そのときは身体強化というスキルを見せられた後だったので、ジャンプ力が強化された結果なのだと深く考えなかった。
もちろん、人の身で自由に空を飛べるわけではないらしい。彼女はずっと空にいるわけではなく、階段を駆け上がるように足場のない空中を踏み込み、更なる上空へと飛び上がる。そして、キールバーンに攻撃を加えて地面に着地する。
空気を踏める回数に限界はあるらしいが、見ている限り縦横無尽に空を駆けているようにしか見えなかった。
空を自分の領域として君臨するキールバーンにとって、自分の世界に土足で踏み込んでくるオルトヴィーナの存在は許しがたいのだろう。爬虫類のような顔のキールバーンの表情は読みにくいが、怒りに彩られているのは明らかだった。
オルトヴィーナの届かない領域まで、一旦待避すると大きな翼を羽ばたき様子をうかがうように地上に視線を落とした。だが、オルトヴィーナの攻撃が届かない場所というのは、キールバーンにとっても間合いの外ということらしい。鋼鉄を切り裂くツメも、岩盤を砕く牙も届かない。
もちろん、キールバーンは火炎を吐くことができる。だが、距離があればオルトヴィーナほどの身体能力があれば、回避は可能である。魔物の本能ゆえか、知恵が回るのかキールバーンの視線がキトリーたちに定まった。
「来るよ」
上空からの只の滑空である。
キトリーの体にはスキル発動に至る赤いオーラが覆っている。いつでも発動できる。ただ、最大限の結果を生むためにギリギリまで引きつけてから放つ。
オルトヴィーナがキトリーたちを守るために、彼我の間に飛び込み大剣を叩きつける。グランガシートを叩き斬った全力の一撃ですら、僅かに鱗を切り裂きかすり傷をつけるに留まった。滑空の勢いはほんの僅かばかり緩んだに過ぎない。そこに、キトリーの空牙槍が喰らいつく。
「っのヤロウ!!」
キトリーの空牙槍は鱗を貫いた。だが、キールバーンの滑空の勢いがあっても、槍の刃が刺さったに過ぎない。人の身なら致命傷だろうが、キールバーンの巨体ではダメージは少ない。そこに、空中で体勢を立て直したオルトヴィーナの追撃がキールバーンの頭上に入る。
巨体が地面に叩きつけられる。
地面が揺れ、土ぼこりが舞う。
「ルー!!」
キトリーが叫び、呪文が発動される。彼女の限界までマナを込めた最下級の魔法「炎の矢」は一瞬にしてキールバーンを火炎の渦に飲み込んだ。キトリーは二発目の槍を手に取り、空牙槍の発動に備える。
キールバーンは火炎を操る魔物だ。
だからといって、炎にたいして耐性があるわけではない。
「くくっ、聞いてた以上じゃねえか!」
口角を上げ、凄惨な笑みを浮かべたオルトヴィーナが紅蓮のオーラを体中に漲らせていた。さっきまでよりも濃く、炎のように揺らめきを纏わりついている。何かする気なのは一目瞭然だった。
キールバーンが咆哮とともに、翼を大きく羽ばたくと炎は消し飛んだ。
直後、キトリーは空牙槍を放つ。
大きく開けられた口腔に向けて突き進むそれを、キールバーンはガキンと音が聞こえるほどのスピードで顎を閉じると槍は突き刺さることなく砕かれた。
-嘘でしょ
愕然とその光景に絶望しそうになるキトリーと、キールバーンの視線が合わさった瞬間、横合いから延びてきた斬撃が巨体を吹き飛ばした。紫色の血を大量にぶちまけながら。
「キトリー、油断は禁物だよ」
化け物を弾き飛ばした張本人を包むオーラの量は減っているものの、彼女の持つ気配は相変わらず濃厚だった。血飛沫を上げるキールバーンを、笑いながら切り刻む姿は、化け物よりよっぽど化け物じみている。彼女は戦いに誘うときに宣言したとおり、キールバーンをキトリーたちに一度たりとも寄せ付けなかった。
この場における弱者であるキトリーたちが狙われることも想定の範囲内だったのだろう。ある種のおとり。ただの弱者を守りながら、格上の相手と戦闘するのは、いかに優れた戦士でも厳しい。だが、キトリーたちが多少の反撃が出来るなら話は変わってくる。キトリーは再び空牙槍をいつでも放てるように力を込める。一度目のダメージは微々足るもの、二度目は砕かれた。だが、キトリーは諦めない。
ダメージを与えることだけが攻撃ではない。キトリーの空牙槍も、ルーの魔法も直接的には何も効果はなかった。だが、そこから生み出される隙をオルトヴィーナなら突くことができる。共に戦った経験は、キールバーンと遭遇するまでの道中とかなり短い。しかし、それでもお互いを信じることは出来た。
使えるのは後一回。これを外せば、キトリーはこの戦場においてはほぼ役に立たなくなる。それを理解してか、力がいつも以上に込められる。体を纏うオーラが濃くなっていく。
オルトヴィーナの攻撃はキールバーンを確かに削っていた。だが、先ほど巨体を弾き飛ばしたときほどの力は連続では使えないのだろう。隙を作る必要がある。戦いの行方を見ていたキトリーはそれが分かった。そして、もう一つ気付いたことがあった。
オルトヴィーナはヤバイときほど嗤うのだと。
「いいね、いいね、いいねぇ」
口の端を歪に上げつつ、彼女は重量級の大剣を振りまわし巨体を切り刻む。わき腹を大きく切り裂かれたキールバーンは、動きが鈍りオルトヴィーナの残撃を掻い潜って空に逃げることすら難しそうだった。それでも、翼を打ち鳴らし、鋭いツメを振り下ろし、長い尻尾を振り回した。
「ヴィーナ!!」
キトリーは叫び、空牙槍を放った。
これ以上は無理というレベルまで力を込めた一撃、深紅のオーラを纏ったキトリーの空牙槍は空間を震わせ、音を置き去りにして、キールバーンの鱗を貫いた。左肩から侵入した槍は背筋を突き破った。
「ぐるるううあああ」
巨大なアギトから迸る咆哮は鼓膜だけでなく全身を振るわせる。
が、次の瞬間、咆哮が突如として止んだ。
ドンと激しい音を立てて、大地に落下したのは巨大な頭。
首を失った巨体から紫の体液が零れ落ちる。キトリーの創り上げた隙にオルトヴィーナはキールバーンの首を一刀両断した。
「ふっくっくっく、はっはっはっはーーー!」
先ほどまでとは違うオルトヴィーナの笑い声が岩石地帯に響き渡る。
「本当に倒してしまうとは…」
「そうなのだ。ボクは逃げるつもりだったのだ」
岩場の後ろに隠れていたイーナとククルが顔を出す。このまま山脈越えをするつもりはなかったが、大怪我をしたときのために、イーナの奇跡に頼る必要もあるのだろうと連れてきていた。もっとも、ククルと同様戦力外だったため、安全な場所に隠れてもらっていた。
「無理矢理連れてきてもらったのに、私の魔法、全然駄目でしたね」
はあ、と肩を落としてルーがキールバーンの死骸に目を向ける。全身を炎で包み込んだとはいえ、キールバーンの鱗には焦げ跡一つ付いていなかった。
「そんなことないよ。少なくとも動きは止めれたからね。あれがなかったら、ヴィーナの最初の一撃もたぶん入らなかったと思うから」
「くくっ、そういうこった。やっぱり、私達はいいチームになれると思うんだけどね」
「だから、その気はないっての。そんなことより、契約は契約だからね」
「ああ、分かってる。まずは素材回収してからだな」
キールバーンの死骸は色々な分野で活躍する。鋼よりも固いツメや牙は武器として、剣を弾く鱗は盾や鎧の素材として。これだけの巨体から採れる素材の売却益だけでも、首に掛かった報奨金を遥かに上回る。それら全てをキトリーたちは、山脈越えの報酬としてオルトヴィーナに譲るつもりだ。
「ありゃりゃ、さき越されたみたいだね」
キトリーたちが、素材回収をしていると間の抜けた声が聞こえてきた。キールバーン狩りにきた他の冒険者なのだろう。
「ちっ、滅多にない大物だったのにな」
「それにしても、女ばっかりの冒険者でキールバーン狩りとはやるねぇ」
キールバーンの鱗をはずしていた手を止めて、背後を振り返る。いずれもオルトヴィーナと比較しても負けず劣らず、陽気な雰囲気をにじませつつ戦いに身を置く者特有の気配があった。年齢層にばらつきのある4人組だった。一人は中年に差し掛かってそうな中肉中背の剣士、二人は20代後半くらいの双子のらしい。巨大な斧と、槌をそれぞれ手にしている。そして、突出して若いのがもう一人いた。たぶん、剣士だろう。細身の剣を腰に下げたひょろりとした金髪の少年。まだ、成人して間もないという感じだった。
「うそ!」
ルーの声にキトリーが振り返ると、愕然と目を瞬かせ口元に手を当て、幽霊でも見たような顔をしていた。
「ね…え…ちゃん?」
少年がルーと全く同じ顔をして呆然と立っていた。
次回、宴




