薬草採集
イーナを隣国まで連れて行くにあたり、教会から渡されたのはたったの2000リュートだった。単純に言えばそれなりの大金である。しかし、宿代を一日150リュートと最低限のところにしたとしても、17日でショートする。目的地までは1ヶ月つまり35日は掛かるのだ。わずか半月分のお金でどうしろと言うのだろうと、キトリーは頭を抱えた。
イーナは神の教えを説くだけの一般の神官ではない。神の代行者として奇跡を扱うことができるのだ。貴重な人材だといっても間違いは無いだろう。彼女の護衛がキトリーにとっての贖罪として、報酬がないことはまだ納得ができる。だが、必要経費すら十分にもらえないのは理解ができない。だが、考えてもお金が沸いてくるはずもなく、必然的に、キトリーたちにはお金を稼ぐ必要があった。
「どれにしましょうか」
ルーがギルドの壁に貼られた依頼票を読み上げていく。もちろん、一番簡単な仕事として郵便はいつものように引き受けている。しかし、ソールズベリー領ではそれなりに数のあった手紙も、あの時は魔物が活発化しているせいで溜まっていただけで、通常はそれほど多くの手紙は無いらしい。アシュートからトートニーに運んできた手紙はたったの三通だった。稼ぎはつまり30リュート。それだけでは一食分にはなっても、一泊には遠すぎる。
「薬草採取の依頼も結構多いみたいですけど、それにしますか?」
トートニーまでは三つの宿場町を経由している。その間に、ルーの魔法も少しずつ上達しているけども、戦闘で使えるレベルには程遠い。冬の王都で受けたような雑用仕事もあるけども、得られる金額も違うし、外に出たほうが魔法の練習にもなるので都合がいい。
ルーの叔母から貰ったお金もあるので、今すぐにお金が必要と言うわけでもない。でも、簡単に達成できそうな依頼があるなら、手を出すのも良いと思う。
「ちなみに何があるの?」
「グリニス、イシバミ、ツツミ、ゲイラン、バイナンナ…一通り需要はあるみたいです」
「制限は?」
「いまのところなさそうです」
薬草採集は必要以上にとってきても無駄になるし、他の冒険者と競合することもある。そうなると、ただのピクニックになってしまうのだ。魔物の討伐依頼や、護衛任務のような特定のものであれば、一人あるいは一組の冒険者が受ければ、依頼票が取り下げられるので、競合することは無い。ただ、薬草採集のようなものは通年で依頼が掛かっているのだ。しかし、薬草を買い取る薬屋も必要な量は限られている。そのため、ある程度取ってきたら一時的にストップがかかるようになっている。とはいえ、冬の間に不足がちになるので、そうそう制限がかかることは無いだろう。
そんな理由からキトリーとルーは薬草採取をすることにした。もちろん、ククルも一緒であるが、イーナはトートニーの宿で待機である。キトリーたちが通常泊まるレベルの安宿の設備を初めて目にしたときは声も出さずに抗議してきたが、教会から預かってきた準備金の話をするとおとなしくなった。キトリーたちが日銭を稼ぐために、ギルドで依頼を受けることについても文句は出なかった。
-文句を言わせるつもりもないけど。
キトリーは思う。仕方がないとはいえ、イーナはお荷物でしかなかった。彼女には奇跡が使える。しかし、儀式を行うには準備が必要なため、魔法のようにどこでもと言うわけには行かない。当たり前だが、神官である彼女に戦闘能力は無いのだ。それでいて、いつも顔をしかめている。
アシュートの街を出てから数日経過しているけども、彼女の態度は一切変わらなかった。いつもムスッと不満げな顔をして、一応はキトリーたちの指示を聞くけども、会話は成立していない。そのため、一日中居心地の悪い空気が漂っている。
「あー、もう、あの女、何なの?」
不満があるのは彼女だけではないのだと、キトリーは吐き出した。ギルドで仕事を請けたのは、お金を稼ぐことだけが目的ではなく、イーナから距離を取りたかったのだ。
「せめて返事くらいしてほしいですよね」
「いや、そんなレベルじゃないって。私だって分かってるよ。彼女だって、理不尽な目に遭ってるのは!でも、だからってあの態度は無いでしょ」
「どうにかできると良いんですけど」
「私も別に仲直りがしたいわけじゃないよ。喧嘩してる訳じゃないし、私が悪いわけでもない。悪くないよね?」
「もちろんですよ。キトリーはあの子を救ったんですから」
「そうだよ。あの女が余計なこと言わなきゃよかったんだよ」
溜まりに溜まっていた鬱憤を撒き散らす。少年が死んだことは重くのしかかっていた。でも、数日も経てばそれなりに立ち直れる。いつまでも、グジグジしていられない。キトリーは忌々しげに近くにあった大木を槍で叩きつけると大きく息を吐いた。高ぶっている感情がいくらかマシになる。
「落ち着くにゃ。とりあえず薬草採取をしたらどうかにゃ?」
いつもは我関せずという位置でいることの多いククルが珍しく声をかけてくる。
「そうですよ。キトリー、深呼吸です。すー、はー、すー、はー」
ルーが大きく息を吸って吐いてを繰り返す。いつもなら感情を高ぶらせるのはルーで、落ち着かせるのがキトリーの役目だったが、ここ数日は完全に逆転していた。出発した頃はまだ落ち込んでいる傾向だったけども、徐々にイーナへの怒りの感情が勝ってきていた。
「分かってる。分かってるの。ごめんね」
「気にしないでください。ふふっ。こんな風にキトリーが取り乱しているのは新鮮で、ちょっとうれしかったりします」
キトリーはジト目でルーを見る。そして、大きくため息をついた。
「ククルの言うとおりだね。そろそろ薬草集めしますか。ルーは魔法の練習してて、ククルと一緒に森に入るから」
「了解です。何かあれば叫びます!」
もちろん、それほど遠くには行くつもりはない。キトリーたちがいるのは、トートニーから一時間ほど離れたところにあるルボーという低い山である。数百年前までは銅山として麓には町ががあり、多少の賑わいがあったのだが、取りつくされた結果、放置されている。麓にあった町は完全にゴーストタウンになっており、銅の取れる採掘場への道も草木が生え、辛うじてここが道だったのかと分かる程度である。
キトリーたちは、麓のゴーストタウンから半時間ほど山に入っていた。まだまだ葉っぱの植えや影に雪は残っているけども、緑も姿を見せ始めていた。開けた場所にルーを一人置いて、キトリーはククルと共に草木を分け入って入る。槍を使って進行を阻む草を切り落としながら。
ククルはキトリーの肩の上で周辺のにおいを確かめるように鼻をひく突かせた。ここに来る途中にもグリニスとツツミの葉は二束ほど手に入っていた。特に制限がかかっているわけではないけども、種類は多いほうがいい。闇雲に探すのは効率が悪いので、ククルにはゲイランのにおいを探してもらっている。ゲイランは腹下しの薬に使われる樹皮で、特徴的なにおいをしている。イシバミは赤い実をつけるので、キトリーでも探しやすい。そして、バイナンナは今の時期は手に入らない。
少し離れたところからルーの詠唱句と、「あああもううう」という悔しそうな叫びが聞こえている。少しずつ成長しているものの、実践レベルではない。練習で使う火球はこぶし大ほどの大きさだけど、10トールの距離で人型の対象にギリギリ当てれる程度。それも、もちろん動いていない相手である。
ルーが全力を出せば、暴動を抑えたときと同じように獣車を包み込めるだけの大きさまで出せるらしいが、それでは練習にならない。せめて20トール離れた的に当てれるようになってもらいたいと思っている。まあ、ルーに優れた戦闘能力は必要ないと思うけど、こうして街の外に出ること必要もあるわけで、最低限レベルの技術は身につけたほうが良いかもしれないと考えている。
「あったニャ」
ククルがキトリーの肩から下りて、走り出した。ゲイランのにおいを発見したのかもしれない。キトリーは草木に隠れてしまうククルの姿を見失わないように後を追いかける。トゲのある茎を払いのけ、横から突き出してくる枝を頭を屈めて潜り抜ける。
「ククル、待って」
障害物をスルスルとすり抜けていくククルを追いかけるのは骨が折れる。「こっちにゃ」というククルの声を頼りにしながら、しばらく進んだところでキトリーにもゲイランの香りが漂ってきた。ツンとする甘酸っぱい匂いが鼻を刺激する。キトリーの腕ほどの細い幹をした灰色に近いひょろひょろとした木がまばらに立っていた。「ありがとう」とククルに礼を言って、そのうちの一本に近づいた。
必要なのは樹皮だけど、適当に剥げばいいものでもない。キトリーはおもむろに靴を脱ぐと、ナイフを口にくわえて幹に手をかけ、足の指で掴むようにして木を上っていく。必要なのは天辺に近いところにある柔らかめの樹皮である。
指の腹に伝わってくる感触が変わったところで、キトリーはナイフを使ってキレイに樹皮を剥いだ。刺激の強い匂いが鼻孔を刺激する。よりすっぱさがきつくなる。
キトリーは身体を揺らしてゲイランの木を撓らせると、隣の木に手を伸ばして飛び移った。上り下りをするよりも遥かに効率がいい。そのようにして、周囲のゲイランから一通り樹皮を剥ぎ終わったところで、根元まで下りてきた。上々の成果に満足した。
「ククル。一旦戻るよ」
ゲイランの木を見つけると、どこかに行っていたククルが身体を駆け上ってキトリーの肩に落ち着いた。
「鼻が曲がるかと思ったにゃ」
「ごめん、ごめん」
人にも強いゲイランの香りは、鼻の利くククルには強烈過ぎるのだろう。ククルの頭を撫でると、キトリーはルーのいる場所に向かって歩き出す。直後、ルーの悲鳴が上がった。
「きゃああああ」
「ルー!!!」
キトリーが加速し、ククルは肩から下りて自走した。足場の悪さを考えると、ククルの方が早い。薬草を探しながら歩いていた道を逆走し広場に戻ったとき、ククルを一飲みにできそうな巨大な蛇が鎌首を擡げていた。
大きな悲鳴を上げていたルーだが、その手にはスリングを握りヒュンヒュンと軽快な音を奏でている。獣を前に怯みながらも、力強い目で睨みつけていた。ククルは自分の数倍もある蛇を前に恐れる様子もなく立ち向かっているらしい。大蛇の身体にはククルのツメで切り裂かれたと思わしき傷がついていた。
キトリーも槍を構えて大蛇に相対する。藍色に白い斑模様のガイララトウという10トールほどの蛇だ。冬眠から目覚めて餌を求めて山を彷徨っていたところだったのだろう。魔物ではなく、ただの動物であるが、この世界において魔物より獰猛な獣というのは数多いる。しかし、この辺で出るという話は聞いていいないのだが、とキトリーは歯噛みする。最低限自分達の向かう先の生態系については確認していた。
「怪我はない?」
「はい。大丈夫です」
驚いて悲鳴は上げたものの正面からしっかりと対応していたのだろう。直接的な戦闘に参加することはほとんど無いけども、旅の間に戦闘を間近で見つづけていた。ルーは少しずつではあるけども、確実に成長をしている。
「ククル、問題ないならそのまま牽制続けてくれる?」
「楽勝にゃ」
「ルー、スリングじゃなくて魔法使う余力はある?」
「はい!」
元気よく返事をすると、魔法を詠唱し始める。彼女の魔法をフォローするように、キトリーも前に出てガイララトウの牽制を行う。蛇は全身が筋肉で出来ている。首を撓らせて弾丸の勢いでキトリーに喰らい突こうとするのを槍の柄ではじく。質量のある突撃に腕がしびれ、身体が押し込まれるが辛うじて耐える。二撃目が入りそうになると、ククルがガイララトウの周囲を駆け回りながら切り裂いていく。
ハエを払うようにガイララトウが尻尾を回すがククルはヒラリをその身を翻す。一撃でも入れば、ククルの身体ではひとたまりも無いだろうが、恐れる様子はない。完全に翻弄している。周囲から多角的に仕掛けるククルに対して、キトリーはあくまでも正面から迎え撃った。
蛇の攻撃は、噛み付きと巻き付きである。噛み付いてから対象に身体に巻きついて圧殺する。獲物に襲い掛かる速度は恐ろしく早い。並みの人間では瞬きした瞬間に食いつかれるほどである。おちょくるように駆け回るククルがいなければ、キトリーでも捌ききれたか怪しいものである。
キトリーは集中力を高めて、ガイララトウの次の動きを予想する。四足獣と違って筋肉の動きが読みにくい。舌を出しながら威嚇するガイララトウが、大きく口を開けた。攻撃を警戒して、反射的に四肢に力を入れた瞬間、脳みそを揺さぶれる頭痛と耳鳴りが襲った。
ガイララトウが舌を震わせて行う超音波攻撃だ。キトリーは頭を抑えるように屈みこみ、ククルは全身を振るわせた。ルーは呪文の詠唱を中断させられ両手で頭を抱え込んでいる。動きを止めた三人に、ガイララトウが襲い掛かる。キトリーを避け、後ろにいるルーの頭を飲み込もうと大きな顎が伸びてきた。
魔法という一番の破壊力を秘めた攻撃元を真っ先に狙おうとしたのだろう。獣と呼ぶには知性が高い。ガイララトウが攻撃に転じた瞬間、超音波攻撃は止んでいる。ルーを守ろうと身体を反転させて伸ばした手が、辛うじてルーの身体を押し飛ばした。
「っ!」
声にならない悲鳴が上がる。左腕に深々とガイララトウの牙が突き刺さり、ゴキリと骨の砕ける音が鳴る。意識が飛びそうになる痛みに耐え、キトリーは腰のナイフをガイララトウの右目に突き立てた。痛みに緩んだ顎から腕を抜き取り、全力で回し蹴りを放った。
巨体が僅かに宙に浮き、キトリーは転がるようにガイララトウの攻撃範囲から脱出する。キトリーの動きに合わせるようにククルのツメが血を流させる。
「キトリー!」
「ルー、もう一度魔法を!」
心配そうに声を掛けるルーに力強く指示を出すと、キトリーは左腕をだらりと下げたまま右腕だけで槍を握る。剣と違い槍は片手で扱うには重過ぎる。槍を腕で巻きつけるような独特な持ち方に替えると、キトリーは攻撃を繰り出した。さっきまでの守り主体から積極的な責めに転じる。
十分な膂力の伝わらない状態では突きも斬撃も、有効なダメージは与えられない。しかし、牽制にはなりえる。ククルのツメと同じただの嫌がらせ。
ガイララトウについての知識はあったが、記憶の中にあるそれと、サイズと攻撃方法に違いがあった。超音波攻撃などという特殊な攻撃について知っていたら警戒していた。キトリーだけでなく、森に生きているククルもそれは同じなのだろう。キトリーはルーの呪文が完成するまでの時間を稼ぐことに注力する。
片腕の力でガイララトウの噛み付き攻撃を弾くのはしんどい。両手で弾くだけでも、手足がしびれていた。腕だけの力だけでなく全身を使う戦い方に自然と移行する。弾きながらも、斬撃を叩き込む。超音波攻撃をして来た時の、ガイララトウの動きはさきほど理解した。だから、攻撃の手は決して緩めない。
左腕から血がどくどくと流れ落ち続け、体力も限界に近づいて来た時、背後から膨れ上がる力の大きさに気がついた。ルーの詠唱がそろそろ終わる。
「ククル!離れて!」
キトリーの声を受け、ククルが最後の一撃とばかりにガイララトウの鱗を切り裂いて大きく飛びのいた。キトリーは身体を一回転させて、槍を上から叩きつける。頭部を狙った一撃はあっさりと避けられるが、巨体の一部を切り裂き鮮血が噴出す。身体をひねりながらその場を飛びのくと、ルーが発動句を唱えた。
「ブブ・エランガ」
練習用のこぶし大の炎ではない、ガイララトウを丸呑みするするほどの巨大な火球が襲い掛かり火達磨にした。圧倒的な熱量に、蛇がその場でのた打ち回る。キトリーはいつでも空牙槍を放てるように力を込める。
だが、それが必要になることは無かった。ルーが生み出した魔法の火はガイララトウの生命力を根こそぎ奪い去った。炎が小さくなるのと同調して、ガイララトウの動きも緩慢になりそのまま動かなくなった。
ルーがハアハアと肩で息を切らせている。練習でマナを消費している上に、比較にならないほどのマナを込めて魔法を放ったため、キトリーが連続してスキルを行使したときと同じような状態になったのだ。
「大丈夫?」
「は…はい。それ、より、キトリーの、ほうが…」
途切れ途切れの声だけど、無事が確認できたところでキトリーはほっとして息を吐いた。左腕からは激痛が走っている。キトリーは肩に近い部分を紐で縛り、簡単な止血をする。
「わるいけど、ルー手伝ってくれる。水がほしい」
「うん」
「ククルは周囲を警戒してくれる」
「分かったにゃ」
キトリーは痛みに耐えながら、袖を捲り上げて傷口をあらわにする。肘を中心に開いた四つの穴から血が流れ出ている。ルーから受け取った水を傷口にかけて洗い流す。幸いにも薬草採集をしていたところなので、手にした薬草を自分用に使うことにする。グリニスの葉を口に含み、何度も何度も噛み砕きどろどろにしたところで傷口に塗りこんでいく。あいにくと止血効果のあるバイナンナはないし、鎮痛効果のあるイシバミの実はなかったが、抗菌作用のあるグリニスがあったのは良かったかもしれない。ガイララトウに毒は無いけども、野生の獣に噛まれれば何らかの病原菌を貰う危険もある。
キトリーはキレイな布を包帯代わりに巻きつけて止血した後、適当な木の棒を添え木にして固定した。これはちょっと厄介かもしれない。噛み砕かれた骨がきれいにくっついてくれるか。下手をすれば満足に動かせなくなることさえ考えられる。
「イーナさんに頼んでみますか?」
という、ルーの提案にキトリーはすぐに応じることは出来なかった。
次回、神の奇跡




