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-274点の理不尽な世界  作者: 朝倉神社
第二章 冒険者として
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教会の答え

 目を覚ますと柔らかな感触が自分を覆っていることに気が付いた。覚醒する頭が、布団の中にいることを教えてくれる。意識を落とす前のことを思い出し、どうなったのだろうと考える。

 体に掛けられている布団は決して安物ではなく、牢屋に放り込まれたわけではない事がわかった。体をゆっくりと起こすと、右の手首に鉄の枷が付いている。鎖を辿っていくと、ベッドを超えて壁に直接縫い付けられていた。軽く見積もっただけで、5トールくらいは鎖が伸びているのである程度の自由は許されているらしい。


 キトリーはベッドから体を下ろして、自分の状態を確認する。腕、足、腰、肩、首を動かして一つずつ確かめていくけども、ダメージを負っている様子は無い。着ている服は昨日川に飛び込んだときのものだけど、しっかり乾いている。川に飛び込むときに脱いだコートはどこにも見当たらなかった。


 鍵の掛かった窓の外を見てみると、アシュートの街が一望できた。


-教会の中?


 その答えが頭に浮かぶ。眼下に広がる光景は、昨日の奇跡を待ち望む国民の列である。これほど高い建物は教会のピラミッド以外に考えられなかった。人を魔物に換えた魔族としてあの場で処分されていてもしょうがなかったと思う。助かった命よりも、なぜ殺されなかったのかという疑問の方が頭を占めていた。


 神の家で暮らしていたキトリーも話では魔族というものの事は教えられていた。


 魔族と呼ばれるものには幾つかある。クルシュナ教の中で語られる魔族は、人を魔道に誘う悪鬼羅刹の類であり、戒めのための教訓話に出てくるようなものであり、実体はない。キトリーも神の家にいる頃に、伝説や御伽噺の一種として聞いたことはあった。


 その中で、人を魔に落とすという一文が出てくる。魔族は生物ではないため繁殖すること無い。その代わり死体に己の魂の一部を分け与え、手先としてこの世に呼び戻すと。キトリーの行動はそれに酷似していた。野次馬から魔族という言葉が出てきたのはそんな背景があった。


 魔族の存在は実在の存在として語られることは無いものだった。


 少なくとも、魔族がクルシュナ教の中で悪しき者である以上、キトリーを殺さずに身柄を拘束するというのは予想外のことだった。


 キトリーが思考にふけっていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。ノックも為しに、扉は開けられ法衣を着た50代くらいの男性が入ってきた。左耳に付けられたピアスから、彼の階位がわかる。街にある教会にいるのは精々が司祭である。その上に、司教がいるが、目の前の男はその更に上に位置している。


「目覚めたようだね。体はどうもないか?」

「…ええ。これさえなければ」

 

 ジャラリと音を立てながら、キトリーは右手を持ち上げた。


「不自由を与えてすまないが、もうしばらく我慢してほしい」


 男の声は少し低めで柔らかい。日ごろから説法などしているのだろう心地のいい響きを持っている。状況がもっと違えば、一言交わしただけで、信頼関係を築けそうなほどに。


「失礼を承知で身分証を確認させてもらった」


 キトリーは首から提げている身分証に手をやった。服の中に入っているそれを、指先で確かめる。女性の胸元に手を伸ばしたのかと抗議をあらわにしてしてもしょうがないだろう。怪しい人間の来歴を確認するのは普通のことだとキトリーも思う。


「それで?」

「教会の人間に、もちろん女性の司祭にだが、君の体も一通り調べさせてもらったが、普通の人間だと答えが出ている」

「あの子は?」

「あの子も人間だと確認された」

「そう…」


 少なくとも魔物化してなかったというキトリーの声は届いたらしいと気持ちが軽くなる。人の死体だとわかれば、きちんと手厚く葬られることだろう。それだけでも救いになる。


「でしたら、なぜ私は拘束されているんですか」

 

 魔物化させたことが原因でなければ、拘束される理由も無いはずだと抗議する。


「魔物化した人を見たことはあるかね?」

「ええ、一度」


 ソールズベリー領へ向かう際に見たジェスタの群れを思い出す。筋肉質に巨大化し、頭からは角が生えていた。


「街中で暮らす一般の人々の多くは、魔物を目にすることなく一生を終えるものも少なくない。魔物化した人-ジェスタを見たことのあるものは兵士を除けば、本の一握りだろう。あの少年が魔物でないことは知っていれば一目瞭然だが、知識の無い人には魔物に見えたのだろう」


 魔物化すれば、見た目も異形へと変化するし、赤い鮮血が飛び散ることはありえない。そして、死体を検分すれば、心臓があるのか、魔核が備わっているのかすぐに分かることなのだ。故に少年は魔物ではないと判断されたのだ。


「あの少年は確かに一度死んでいた」

「神官の勘違いということは?」

「ありえない。心臓の停止を確認していることもあるが、神官は一度祈りを唱えている」


 キトリーが川から上がるまでの僅かの間に、どれほどのことが出来たのかわからない。しかし、キトリーは神官の行う奇跡についてはまるで知識は無かった。


「なぜ、一度止まった心臓は動き出したのだ?」


 さっきまでのやさしげな声が一変した。法衣の男のブラウンの瞳は心の奥まで見通すかのように、キトリーを真正面から捕らえた。奇跡の代行者たるクルシュナ教の神官において、最高位の法王を持ってしても不可能とされる蘇生の奇跡を一介の冒険者に出来ると言うのは笑えない冗談だ。キトリーは顔が引きつるのを感じた。嘘やごまかしが通用する相手とは思えないし、そもそもそんな腹芸ができるような技術は持ち合わせていなかった。


「少年は生きていました」

「それは無い」

「ええ、心臓が止まっていたことは否定しません。ただ、心臓が止まっても魂はまだ残っています。魂が全て抜け出た状態を死と呼ぶのではないでしょうか?」


 人であれ獣であれ、死した身体から心臓を取り出し破壊していては、それが何であるか確認したことは無いのだろう。心臓が筋肉であるとか、そんなことを口にしたところで説得は出来ない。この世界の常識に合わせて、理論を構築する必要があった。


 キトリーは神の家で毎日のように読んでいた聖典を必死になって思い出す。

 クルシュナ教では、死者の魂は心臓からこぼれると考えられている。水と同じように高いところから低いところへ。魂の流れが川を作り、星の中心へと向かって進んでいく。魂の重さは罪の重さ、重い魂はより深いところへ、逆に罪の無い軽い魂は浮かび上がり天上へと上っていく。


 魂の抜けた器である心臓にドルマが溜まり魔物と化すと考えられている。この世界の人々にとって心臓は器であって、筋肉の塊などではないのだ。


「魂が抜けてなければ再び動かすことは可能だと?」

「魂が抜けるのはすぐです。なので、本当にとても短い時間であれば」


 正確には脳が死ぬまでの短い時間だけれども、そこまで説明することは困難だ。


「君には魂が見えるのか?」

「まさか!?私は特別な人間ではありません」


 大仰に驚いてみせる。しゃべりながら随分と神経が図太くなったなとキトリーは思う。ただ、キトリーの背中はじっとりと濡れていた。少しでも間違えたら、この先どんな扱いを受けるか分からない。


「では、どうやって判断する?」

「詳しくは何とも言えません。5分程度の短い時間。私に教えてくれた方はそういっていました」

「君に教えてくれた人がいるのか?」

「ええ、先ほども言ったとおり、私は特別な人間ではありませんので」


 男の目は鋭く懐疑的で、キトリーの言葉を吟味するように一度口が閉じられた。掛けていた椅子の背もたれに身をゆだね、両手の指を合わせる。クルシュナ教の祈りの際に用いられる手の組み方。

 沈黙は金なり。

 下手に言葉を重ねるより、黙っているほうが良いだろうとキトリーも同じように口を閉じた。

 時間の流れが間延びする。床のきしみ、外の風の音、遠くの人の声すら微かに耳に届く。

 ともすれば自分の心臓の音も聞こえてきた。

 法衣の男の表情は変わらない。

 審判のときを待つように、彼の口が開くのを待った。

 一時間にも、一日にも感じられる感覚の中で、汗が一滴首筋を伝った。


「君はうちの信徒かね?」


 最初に部屋に入ってきたときと同じくらいやわらかい声音だった。


「あまり敬虔なとはいえませんが、神の家で育ちました」

「孤児か…」

「それが何か?」

「君の言葉は嘘と真実が半々と言うところだろう」

 

 いきなり確信めいたことを言いながら、そこにキトリーを責めるような響きは無かった。


「死者の蘇生、神の代行者たる我々の極致であると同時に、決して到達してはならない領域だと考えられている。生と死を操ることは神だけに許された領分であり、代行者に過ぎない我々が、神の領域へ踏み込むことは、神への冒涜に他ならない。それは理解できるかね」

「…ええ」

「君は死者を蘇生していない」


 ハッキリと言い切られた。教会として認めることができない。そういうことなのだろう。


「では、あの時起きた現象が何であるか。それを説明する必要があるだろう。目撃者が余りにも多すぎる」


 キトリーは固唾を呑んで、言葉の続きを待った。


「神官の勘違いとする以外に無いだろう。死体を一瞬で魔物化するような魔族がいたとすれば、人々はパニックに陥るだろう。聖典に記述があるとはいえ、ありもしない魔族を公に存在を認めることはできない。ダダン王国への報告も必要になるし、その場合、君は確実に処刑されるだろう」


 首の皮が繋がった。キトリーは安堵のため息をついた。だが、男の言葉は続く。


「だが、問題がないわけではない。神官が死亡していたと口にしたことにより、少年は魔物としてあの場で殺されてしまったのだ。間違いでしたでは済まない事くらい理解できるだろう」


 神官は責められるだろう。顔も見られているし、人々からの信頼は失墜し、将来は失われる。本山を離れて、遠い街に司祭と派遣されても人の口に戸は立てられない。人の移動が少ないとはいえ、絶対に無いとは言い切れないのだ。


 キトリーがあの場で何もしなければ、少年は二度死ぬことは無かったし、神官が将来を失うことも無かった。少年の最後の言葉が耳にこびりついていた。何も分からないうちに、母親に拒絶され二度目の死を迎えた。

 誰が悪いわけでもない。

 だが、キトリーが人助けをした結果が周囲を不幸に陥れた。その事実が重くのしかかる。


「罪悪感を感じるかね?」


 それ以上だと、キトリーは心の中で答えた。


「君の身分証を見たときに、冒険者証も確認させてもらった。まだ、星一つの駆け出しではあるが、一つ隣の国まで行ってみる気は無いか?」

「どういう意味ですか?」

「事件に巻き込まれた神官を憂う気持ちがあるのなら、隣の国までの護衛を頼みたい。この国での将来は無くとも、隣国であれば司祭として生きていくことは可能だろう。国を跨いで活動を行う我々であれば、国境を抜けるための査証の申請も可能である」


 キトリーは想定外の申し出に答えを窮した。ルーの護衛こそが彼女の本分であると考えるキトリーにとって、これは簡単に首肯できるものではなかった。それに、一つの懸念もある。


「星一つの私でいいのですか?通常、商隊の護衛を受けられるのは規模にも寄りますが、星二つからだと聞いています。神官はとても貴重な存在なのではないでしょうか」

「確かに。駆け出しの君には荷が重いかもしれない。だが、君の感じている罪悪感を少しでも注げる機会を与えてもいいと考えている。経典を読んだことのある君ならわかるのではないか?己の中の罪を意識せよ-」

「-罪を覚えるものに、雪ぐ機会を与えん」


 彼の言葉を引きついて、キトリーは続きを口にした。敬虔な信徒でなくとも、幼い頃に幾度と無く聞かされた説法はキトリーの中に残っていた。満足そうに男が頷く。罪悪感を注ぐ機会という言葉には惹かれるものがあった。何をしたところで少年が母親の元に帰ることは出来ないし、神官もまた故郷を失うことになるのは紛れも無い事実だった。自己満足でしかないのかもしれないが、それらの事実はキトリーに暗い影を落としていた。


「返事を待ってもらえますか、それから相談したい人がいるんですが…」

「ああ、君のことを心配していた少女がいたね。すぐに手配しよう」


 ダダン王国のクルシュナ教としては一人の神官を失うことになる。神官一人の問題で片付けようとしているが、一人の少年が死んでいる以上、教会全体をも巻き込んだ問題だった。神の領域へ踏み込んだことを認めるよりも、魔族の存在を認めるよりも、まだ聞こえのいい結論なのかどうかキトリーには分からなかった。

次回、隣国へ向けて

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