新しい魔法と日常
疲れた顔のルーがベッドに勢いよく飛び込んだ。
「ああ、もう、頭の中がぐるぐるです」
二人はキンバリーからすぐに王都に戻ってきていた。ルーの叔母が持たせてくれた金貨が5枚もあったので、懐事情は良くなったものの移動の際に冒険者ギルドで手紙を預かるのは忘れない。こうした積み重ねが大事なのだ。
一方、お金に余裕が出てきたことも事実なので、ルーが兼ねてから望んでいた新しい魔法の入手に乗り出したのだ。アーブの捜索に関しては、これ以上探せるところに心当たりも無かったため、ククルを通してシュロ達からの情報を待っているところだ。
何よりシュロ達の情報は、二人のこれまでの捜索より遥かに有益だった。二人がどれだけ歩き回ってえられなかった。貴族学院を出た後の足取りが分かったのだ。卑人の身分になったアーブは大商人の家の住み込みとして短い期間ではあるけども働いていることが分かった。
雇い主を訪ねて、アーブがいたことは間違いがないと確認されたのだ。その事実はルーを心から安堵させた。仕事はクビになったわけではなく本人の意思で辞めたようだったけども、そこから先は分からなかった。少なくとも仕事を見つけるという正しい方向に進んでいたことがわかっただけでも収穫である。
仕事をやめたと聞いても、他に割りのいい仕事を見つけたのかもしれないと、そんな風に思えた。それ以降の足取りは不明だったけれども、シュロの情報網が当てになることがわかったので、気分転換もかねてルーは魔法を習得することにしたのだ。
すでに貴族学院を出てから半年近くの時間が経過しており、一日でも早くという段階はすでに過ぎていた。郵便業務に続いて、王都でせっせと雑用をこなしていた事で、最低限の信用を得られたため、冒険者ギルドに紹介状を書いてもらって魔法屋の門を叩いたのだ。
魔法屋とお店の体裁をとってはいるけども、実体のあるものではない。魔法は安易に広げてよいものではないため、基本的に魔法を知っている人間から口伝で行われる。恐ろしく長い詠唱句の上、通常使う言語とは発音の仕方もイントネーションも違うため、覚えるのは生半可なものではない。その上、魔道書のような書物も無く、メモ一つ取ることは許されない。
先達の魔法使いの唱える詠唱句を、復唱しながらただただ暗記する。ルーは一応は炎を生み出す魔法を一つ覚えているため、冒頭の句は知っているし、初めての人が引っかかる発音に関してもクリアしている。それでも、意味の分からない謎の言葉の羅列を覚えるのは難しい。教わっているものも初級の『魔法の矢』であるため、詠唱句も短いほうなのだ。
「どのくらいまで覚えたの?」
魔法屋に通い始めて三日目である。
「うぅ。ようやく半分くらいです。でも、前半は似通っている部分が多いんで、ここからが本番みたいなものですよ。うぅ。『カヱシロ』と『カェシロ』の違いなんてわかんないですって」
こんな風に泣き言を口にするのは初めてではない。それでも、ルーの望みなので愚痴は言っても諦める気はさらさら無いらしい。そもそも、1000リュートという大金を投じているので、簡単に諦めるといわれても困るのだが。
「最初に覚えたときはどうしたの?」
「ほえ?あれは、あの時は無我夢中だったんです」
「なんかあったの?」
ベッドでジタバタさせていた足を止め、スタッと姿勢正しくベッドの上に座る。
「母が亡くなった後だったんです。病気だったんで、日に日に弱っていく母を見てましたから、ある程度覚悟はしていたつもりだったんですけどね。やっぱりちょっと、きついものがあって…」
「ごめん」
「いいんです。それにほら」
と、耳につけた母親の形見のピアスに手を触れる。叔母の屋敷を出た後から、キトリーの左耳にも同じピアスが輝いていた。そのときのことを思い出すように、ルーが遠くを見つめる。
「私は現実逃避するように好きな花がたくさん咲いている花壇で土いじりをしていたんですけど、周りが声をかけても一向に返事をしなかったみたいです。それで、私に花のことを色々教えてくれていた庭師のタクルさんが、私の眼前に突然炎を出して見せたんです。さすがに驚きました」
「庭師が魔法を使えたんだ」
「といっても、私に教えてくれたあの魔法だけです。タクルさんは私みたいに魔力が高かったわけではないので、本当に小さな火を熾すことしかできなかったみたいですけどね」
「そういうのって、普通のことなの?」
「そんなことないですよ。魔法を広めることはあまり良いこととはされてませんので、彼も親からこっそり教わったといってました。ビックリした私に、彼はもう一度炎を見せてくれたんです。でも、炎そのものよりも、私は彼が口にする詠唱句に惹かれるものがあったんです」
「どういうこと?」
「エルク・ルシ・クルカ。母が私を安心させるために唱えてくれた呪文。それに通じるものを感じたんです。言葉の意味は分からなかったけども、音の響きがとても似ていて、もしかしたら母の呪文にも続きがあるのかなと思ったんです。亡くなった母とのつながりが持てるそんな気がしたんだと思います。それで…」
「必死に覚えた」
「そういうことです。もちろん、炎の魔法に、母のおまじないに共通する言葉は出てこなかったんですけどね」
照れくさそうにルーが笑う。彼女から母親のおまじないについて聞いたとき、精霊魔法に似ていると思ったので、元を辿ればそこに行き着くのかもしれない。
「呪文覚えた後も、他の魔法におまじないの言葉が出てくるかもしれないと思って、父に魔法の勉強をしたいとお願いしたんですけど断られました。それなりに魔法の素養があることも分かったんですけど、貴族の娘が覚える必要はないと言われまして。まあ、その通りだったので、何も言えなかったんですけど」
「ちなみに、いま覚えようとしている魔法はどうなの?」
ルーが首を横に振る。そう簡単にはいかないだろう。そもそも、気持ちを落ち着かせるために使ったおまじないの言葉が攻撃用の魔法の詠唱句に出てくるとは思えない。
「ルーのお母さんは魔法とか詳しかったの?」
「聞いたことは無いです。少なくとも魔法は使えなかったと思いますし、母の両親も普通の男爵家でしたから」
多少疑問は残るものの、庭師が魔法を使えていたくらいなので、遠い祖先に魔法が扱えるものがいたということなのかもしれない。少なくとも全く意味の無い言葉を選んだとは思えない。
「とりあえず、ご飯食べに行こうか?」
「そうですね。頭使いすぎてお腹ペコペコです。ククルさんも行きましょう」
出窓でスヤスヤと寝息を立てていたククルに声をかける。まぶたをうっすらと開けると、「ナー」と同意の意味を込めて鳴いた。意識しなければ、ククルは普通のシュロと同じように言葉を発することは無い。同意したのが分かると、二人は彼女を待たずに部屋を出る。泊り客でないククルと一緒に宿屋エリアから食堂に行くわけにはいかないので、彼女は窓から外に出て、服を着てから戻ってくる。
階下に下りると、香ばしい匂いが漂ってきた。王都に戻ってきた後も、泊まっている宿は前と同じ場所である。お金にゆとりはあるので、何も隙間風の入る宿に泊まる必要は無いのだけれども、宿の夫婦との間に出来た絆はお金では買えないものだ。
「こんばんわ」
夕方の挨拶をして、いつものようにストーブ近くのテーブル席に着く。彼女達以外のお客は1組だけ、まだまだ日が沈むのは早いため、外はうす闇が支配しているけども食堂が込み始めるのはあと一時間くらい後だ。
「こんばんわ、今日はどうする?」
お客に対するよりも若干フランクに宿の主人は注文を聞きに来る。その手には、果実酒が二つ。二人がエールよりも果実酒を好むのが分かっているので、当たり前のように出してくる。キトリーたちが早めに食事をするのは、込み始めると以前のように手伝いをするというのもあった。あくまでも只のボランティアだ。宿屋の女将さんの別のところの仕事がたまに長引くこともあり、小さい食堂といっても一人で回すには厳しい部分もある。それに、ちょっとした手伝いをすることも、ルーにとってはいい気分転換になっていた。
「そうですね。今日は何がおすすめです?」
「今日は絞めたばかりのエイプルが入ってる。まあ、においで気付いていると思うが…」
苦笑しながら主人が答える。食堂の一番大きな竈でエイプルの固まり肉が油を滴らせながら炙られていたのはもちろん気づいていた。森にいる頃からよく食べている肉で、キトリーの好物の一つといってもいい。
「ルー、それでいい?」
「うーん…私はもっとあっさりしたのが良いです」
「それなら、脂身を切り落としたのを野菜と一緒に炒めるか?それとも肉なしのほうがいいか?」
「そんなこと無いですけど、コレイナスって作れます?」
「蒸し料理か。出来なくはないが、少し時間貰うぞ?」
「お願いします。あ、でも、エイプルもください。キトリーは食べますよね」
「うん。私は食べたい。たぶん、ククルも食べると思うし、一人前もらえます」
「あいよ。ちょっと待ってな」
ご主人が厨房の奥に消えていくのと入れ替わりにククルが入ってくる。相変わらず寒そうな格好に見えるけども、本人はいたって平気そうである。キトリーたちのテーブルに付くと、少し高い椅子に足をぷらぷらとさせる。ルーの注文したコレイナスの仕込を終えたご主人が、パンとスープを手に戻ってくる。
「嬢ちゃんもまた来たのかい?」
ククルの姿を捉えて、追加の皿と飲み物を用意する。ククルは厳密にはシュロとは違うので、人と同じものを食べられるが、基本は肉食である。ただ、調理された肉料理からは必要な栄養を取りきれないため、野菜や穀物も少しずつ食べる。もっとも、元来の大きさがシュロサイズのはずなのに、彼女の食べる量は見た目どおりの量を食する。人型を維持しようとするために、多めに食べる必要があるというが実際に人間の食事も好きなんだろう。
ルーの注文したコレイナスは、肉や野菜をセイロで蒸した料理で、酸味のあるタレをつけて食べる。蒸すことで余計な脂身が落ちるのと、酸味のあるタレのお陰であっさりと食べることができる。使う食材は、そのときの旬のものを使うので、料理名のコレイナスはタレに使うコレイナという柑橘系の果物の名前に由来する。
「具合悪いの?」
「そんなこと無いです。ただ、あんまり脂っこいのはちょっと…」
「そう、ならいいけど」
コレイナスが仕上がる前に、キトリーは目の前に置かれたエイプルの肉に手を伸ばす。家畜として育てられたエイプルは、野生のものと比較して臭みが全然無い。冬に入る前が脂が一番乗っていて、美味しいとされるエイプルだけども、キトリーとしては春前のエイプルも捨てがたいと思っている。脂を蓄えている時期は、ルーが言うようにかなり脂っこくなるのだ。甘みのある脂身で美味しくはあるけども、たくさん食べると胃もたれしてしまう。冬が終わるにつれ、蓄えられた脂肪が徐々に減り、キトリーとしてはちょうどいい脂の量になる。
「おいしい」
ご主人特製のタレが、エイプルの旨みを引き立たせて芳醇な味わいが口内に広がる。同じように肉を頬張るククルからも満面の笑みがこぼれている。パンを千切って口に入れる。濃い目の味付けなので、パンを食べることで口の中がリセットされる。そこから、スープに手を伸ばす。
「そんなにおいしそうな顔されると、私も食べたくなりますね」
ルーは小さめの肉に手を伸ばす。
「おいしぃ」
「はは、結局食べるんだ」
「だって、目の前にあったらやっぱり…」
へへへ、とはにかむ様な笑顔を見せる。ここの食堂の味付けは間違いがない。王都にある食堂件宿屋のなかでは小さめでリーズナブルだけど、常連客が多く人気があるのも頷ける。旅の間に利用した宿や食堂は数知れないが、ここの宿は頭一つ飛びぬけていた。二人の人柄に絆された部分がないとはいえないけども。
エイプルの炭焼きに舌鼓を打っていると、コレイナスが運ばれてきた。セイロの蓋を開けると一気に湯気が立ち上り、その先に色鮮やかになった食材が顔を出す。キールという葉物野菜の緑はより明るくなり、ロットの赤みはより鮮やかに、ホクホク食感のガボンからはおいしそうな湯気が出ている。蒸された薄切りのエイプルは肉の旨みをぎゅっと閉じ込めて、炭焼きとはまた別の美味しさを秘めているはずだ。
知らず知らずのうちに口内によだれが湧き出るのを感じながら、キトリーはキールという野菜に手を伸ばす。コレイナスの特徴的なタレにつけて一口。野菜の甘みが極限まで引き出されて、口いっぱいに幸せが広がる。
「はうぅ。さっぱりしてておいしいです」
満面の笑みを浮かべてルーがロットを頬張っている。キールもロットも冬の野菜ではないけども、雪の下で保存されたことで、甘みが増しているのだ。そのため、新鮮な野菜で作るコレイナスも良いけども、この時期にはこの時期ならではの別種の味わいがある。
ククルは野菜には手をつけず、蒸されたエイプルにトライしていた。料理という概念のほとんど無いシュロエでも、食べ物に火を通すことはある。しかし、<蒸し>という料理法はないため、新鮮な味わいのようだ。酸味のあるタレも含めて一瞬怪訝そうな顔になるけども、すぐに満足したような笑顔を見せる。
-こんな日が続けばいいなぁ
キトリーは美味しい料理を食べながら、二人の顔をみて微笑んだ。
次回、クルシュナ教




