叔母様
ゴアの街は王都よりも標高の高いところにあるので、雪の深いところだった。道路脇に寄せられている雪の壁を見れば降雪量の多さが窺い知れた。春も近づき日々の雪の量は減っているものの日中の気温もあまりあがらないため全てが解けるにはもうしばらく時間がかかりそうである。ここ数日続く雪のせいもあるのだろう。
近くの山では冬物のセーターなどに使われる毛が取れるマヤリという家畜を飼っている農家が多く、ゴアの町にはマヤリ毛で作られた糸や生地を扱うお店でにぎわっている。温かいだけでなく染色もしやすいのが特徴で多種多様な色に染められた色鮮やかな織物なども店先に展示されいる。
王都へ卸している衣類がほとんどであるけれども、貴族から直接依頼のかかる工房も多いと言う。キトリーとルーは昨日の夕方に街に入ったため、宿で体を休めた後、日を改めて叔母のいるスウォンジー子爵邸を目指した。本来、貴族の家を訪問するには、事前に手紙で来訪を知らせるのが礼儀であるが、親族であるし一日も早い面会を望んだため直接出向くことにしたのだ。追い帰されたら改めて手紙を書けばいいという打算もある。
「ちょっと緊張しますね」
ここが空振りになると、かなり絶望的な部分がある。そのため、祈るような思いでいるのだろう。いままで一度も立ち寄らなかったクルシュナ教の教会で祈りを捧げてから足を運んでいた。
「叔母さんと会うのはどのくらい振りなの?」
「母が亡くなるまでは、毎年会っていたんですけど、それ以降は途端に回数が減りました。手紙でのやり取りは続いていましたが、アーブの貴族学院に入学したときに王都であったのが最後ですね」
「じゃあ、二年くらい会ってないのか」
「そうなります」
なだらかな斜面を下っていくと、一際大きな屋敷が見えてきた。ゴア市の市長は別にいるけども、マヤリ毛の取引に関して力を持っているスウォンジー子爵は市長と同格くらいの規模の屋敷に住んでいた。相手は伯爵家なので、逆なでしない程度に抑えてはいるが、街の住人からの信を得ているのは子爵のほうだったりする。
大きな青い屋根が特徴の二階建ての建物。煙突からはもくもくと煙が上がっている。屋敷までの大きな庭を挟んで鉄の門扉の横にはスウォンジー家の紋章の入った軍服にサーベルを腰に下げた門番が直立不動で立っていた。
「面会の予約は無いのですが、お取次ぎをお願い致します。姪のルーラルが来たと奥様にお伝え願います」
一瞬、強張った表情を見せた門番だったが、面会相手が子爵でなく夫人であると分かると確認をするために一人だけが伝令に屋敷へ向かって駆け出していった。ほとんど待たされること無く門番が、一人の女性を連れて戻ってくる。ルーの叔母というには少々若い。それに貴族の夫人であれば一人で来るはずもない。
「ルーラル様?」
「エーシンさんでしたか?」
記憶を辿るようにして、ルーがその名を呼ぶとにっこりと微笑みを返された。
「ええ、そうです。ご無沙汰しております。大変申し訳ありませんが、奥様に直接足を運ばせるわけにも参らず、面識のある私がこうして確認に来たのです」
「わざわざありがとうございます。それでは…」
「本人であればお連れするように伺っております。ところで、そちらの方は?」
「私の友人です。同席させてほしいのですが、構いませんか?」
「そうですね…一応奥様に確認しますが、ひとまずお屋敷のほうまで来ていただきましょうか。それでよろしいですか」
「ありがとうございます」
門が開けれると、エーシンの後を付いて屋敷に向かって歩いていく。キトリーは少し距離をとり、傍には門番が付いていたけども仕方がないかと諦めた。ルーが貴族の身分を剥奪されていることは周知の事実であるし、親戚であるルーを利用して子爵に近づくものがいないとも限らないからだ。
雪の積もった長い道を歩いていくと、屋敷の前で一人の女性が立っていた。
「叔母様!」
姿をその目に捉えるとルーは走り出して、子供のように叔母の胸に飛び込んだ。再会を待ち望んでいたのは向こうも同じだろう。寒い中こうして外まで出てきていたのだから。初めは不安そうな表情でいた女性も、ルーの顔を見るうちに相好を崩した。
ルーに似ているけども、可愛いというよりもキレイという表現のほうが合う美しい女性だった。40近いと聞いていたけども、30代前半でも通用しそうなほど若々しく、腰まで届きそうな長いブロンドが風に靡く様子が神話に登場する女神のようでもあった。
「ああ、無事だったのね、本当に良かったわ。お義兄様の話を聞いたあと、貴女から一通の手紙が届いたけれども、それから全く連絡がなかったからとても心配していたのよ」
「ごめんなさい。もっと早く来るつもりだったんです。でも…」
「ふふ、まあ無事だったんだからいいわ。それより中に入りましょう。ここでは冷えてしまうわ」
「叔母様、それでこちらの…」
ルーから紹介を受けたキトリーは、ひとまず一緒に中へ入ることを許された。子爵の家は大きさもさることながら、内装もすばらしかった。調度品の豪華さで言えばソールズベリー公爵に引けを取らないようなレベルのものがあちらこちらに飾られている。
もちろん、この街の主産業であるマヤリ毛で作られた絨毯や、刺繍の細かいタペストリーなどが多く目を引くが、壷や絵画などの芸術品にも造詣が深いように思えた。二人が通された客間も繊細な彫刻の施されたテーブルや長いすなど一つ一つが平民が一生かかっても稼げないような金額の代物だと素人目にも分かった。
更に言えば、ここに住む子爵の性格を窺い知ることもできた。成金主義の見栄の塊のような人だとキトリーは推察する。ルーから事前に聞いていた話通りだとキトリーは思った。何しろ、ルーの叔母が男爵家の令嬢でありながら子爵家に嫁ぐことができたのは容姿が美しかったからである。
温かい室内に通されると、しばらくしてお茶とお菓子が運ばれてきた。叔母とルーが差し向かいに座り、キトリーは同じ部屋の中にいるものの別の場所で、この家の使用人であるエーシンと共に腰掛けていた。お側付きといえ、常に立っているわけではないらしい。アヴァディーン伯爵夫人の家では立ったまま控えていたのを覚えている。
「本当に良かったわ。ルーが手紙をくれたのは、お義兄様が捕まってすぐだったでしょう。もう何ヶ月前のことかしら。あれからどうしていたの?」
「手紙を出した後すぐにテリオン市を出て王都に向かったんです」
ルーは王都までの道のりについて話をする。キトリーのお陰で無事にここまでたどり着けたことを。犯罪者になりかけてソールズベリー公爵家に世話になったことや、そこで平民の地位をもらえたこと。ルーの冒険譚は叔母を不安にさせないように色々とごまかしは入っていたけども、おおむね事実に近いものだった。
話をしながらルーは期待していたに違いない。そのうちドアを開けて弟が顔を出すことを。でも、いつまで経っても彼女の弟は現れず、ドアが開閉するのは冷たくなった紅茶のお代わりが持ってこられるときだけだった。薄々気がついていたのだろう。ルーの声が段々を大きくなり、身振り手振りもどんどん派手になっていった。
ルーの叔母が入れる合いの手でリズムを取りながら、ひたすらに話し続けた。もしも、会話が途切れて、叔母のほうから弟の話題が出るのを恐れているように。
「あらあら、そんなことがあったの。本当に大変だったのねぇ」
どこか抜けたルーの叔母の相槌にキトリーは小さく微笑んだ。脚色を含んだルーの話を聞いていれば、確かにそんなに大変な旅でもなかったのかもしれないとキトリーさえも思った。ルーと叔母の二人の笑い声が響くなか、突然ドアが激しく開けられた。
カイゼル髭を蓄えた神経質そうな顔つきの男が肩を切らせて入ってくる。
「トリーナ!何をしている?」
「何って、ほら、あなた、ルーラルですよ。ずいぶんきれいになったから分からないですか。私達の姪じゃないですか?」
「これが誰かは知っている。お前は何をしているんだと、そう聞いているんだ?」
「どういう意味ですか」
「ふん!分からんのか。こんな卑人なんぞを我が屋敷に入れおって!世間にどう思われるのか考えないのか?」
「何て事を言うんですか。私達の姪ですよ。それに、この子は卑人ではありません」
「それがどうした。いや、卑人ではないだと!まあいい。卑人だろうが平民だろうが、父親が犯罪者であることに変わりあるまい。それから、我々の姪などと二度と口にするな。汚らわしい!」
怒気をあらわにした掃き捨てるような言葉にルーが体を竦ませる。旅を始めた頃の卑人への差別が思い出されたのだ。ルーの叔母も言い返そうと口を開きかけたところを鋭い視線で黙殺されていた。どういう夫婦関係なのかすぐに分かる。奥さんを飾りか何かだと思っているような子爵の言葉に反吐が出そうになる。
「さっさと追い出せ。そして、二度と近寄らせるな」
何も言えないでいる叔母に変わりルーは子爵に向かって頭を下げた。
「大変ご迷惑をお掛けしました。子爵様の名誉を傷つける意図は無かったとはいえ配慮が足りなかったこと心よりお詫び申し上げます。私も元は貴族の末席に名を連ねる家に生まれておきながら、思慮が足りませんでした」
「ふん。最低限の礼儀はあるか。分かっているならさっさと出て行くがいい」
「ルー?」
「叔母様。お話ができて本当にうれしかったです。この様子ですと、アーブはこちらには来ていないのですね」
「ええ、あの子からは手紙も来ていないわ」
「もしも、来るようなことがあれば伝言をお願いできますか?私は王都で冒険者ギルドに出入りしていると」
「分かった。それから、ちょっと待ってて」
叔母は一度退席すると子袋を持って戻ってきた。
「少ないけど、使って頂戴」
「待て。何のつもりだ」
「何のって…これくらいのことしても良いじゃありませんか」
「そのお金を稼いでいるのが誰だと思っている。トリーナが稼いだのか?」
「それは…」
「叔母様、大丈夫ですよ。お金なら何とかなりますから」
何をどうしたところで、子爵を動かすのは無理なのだろう。ルーは困ったような顔をしながらも答えた。姪といっても、叔母のつながりなので、子爵とは血のつながりは全く無いのだ。逆であれば違うかもしれないが、それは誰にも分からない。
「なら、この子の母親が亡くなったときに形見分けで貰ったピアス。それなら問題ないでしょ。元々あの子の母親のものなんです」
再び彼女が席をはずすと、ルーとキトリーは戻ってくるまでの間に客間を出されて屋敷の入り口まで連れて行かれた。何かを盗むと思われているのか、子爵は監視するようにずっと付いている。そこにパタパタとルーの叔母が駆けて戻ってきた。
花を模した繊細な透明なクリスタル細工に緑色の宝石があしらわれた美しいピアスだった。母親がつけていたことを思い出したのだろうルーの顔が懐かしそうにほころんだ。
「姉さんが好きだったメイセンの花のピアス。覚えてる?」
「ええ。夏になると咲くメイセンのお花を、お母様は毎年楽しみにしてました。最後の夏も何とかは花が咲くまではって…」
「大切にね」
ルーの手を取ると、掌に乗る綿の詰まった小さな木箱を載せてその上にピアスをやさしく置いた。ルーが少し不思議そうな目で叔母を見ると、彼女は蓋を閉じてルーを抱き寄せ、「ごめんね」と小さく呟いた。
「もういいだろ。さっさと出て行け」
抱き合う二人をみて、何も思わないのか冷たい眼で子爵はルーとキトリーを追い立てるように屋敷から追い出された。
次回、ピアス




