出発の朝
朝、目を覚ますと冬の冷気が頬を撫でた。耳を触ると氷のように冷たくなっている。吐く息も白い。布団の中、キトリーの腕の中でルーがすぅすぅと小さな寝息を立てている。足元に目をやると、布団の上でククルが丸くなっていた。窓は曇っていて外は見えないけれども、今日も雪が降っているらしかった。
森で生活していたときの感覚だろうか、雪の日はとても静かになる。宿は一階の食堂にある薪ストーブの煙突が各部屋に繋がっており、その煙の熱で部屋を暖めている。しかし、ストーブにくべられる薪は食堂を締める時間を最後に夜中に継ぎ足されることはない。
燃焼時間の長くなる極太の広葉樹を薪として使用することで、朝方まで火種は残っている。しかし、次から次に薪を投入するのとは火力も違うし、日中と比較すれば夜の冷え込みは激しい。結果、朝方は息が白くなる程度には冷えてしまうのだ。目を覚ました宿の主人が、火種が消える前には薪を投入するのでもう少しすれば部屋は暖まるだろう。
下水処理施設を出てから二週間ほどが経過していた。冒険者証を取り戻した二人は、毎日コツコツと雑用をこなすことで日銭を稼いでいた。二人合わせれば一日の稼ぎは150リュートから多いときで300リュートは稼ぐことができた。それに、ククルの薬草採取のお陰で結構な金額を手にすることができたのだ。ククルはいろんな薬草の場所を匂いで探せるらしく、薬草類の枯渇する冬の時期は高値で売れた。
宿代が無償になる期間が過ぎた後も、給仕の手伝いなど続けたお陰で、食事代はただになり日々の生活費を極限まで節約することができた。お陰で二週間で必要なお金を稼ぎきったのだ。部屋の壁に立てかけられた槍と新しいコートに目を向ける。
今日はこの宿を後にして、ルーの叔母の住まうゴアの町に向けて出発する予定だった。ルーの弟は見つかるだろうかとキトリーは心の中で自問した。
生きにくい世の中だ。キトリーが街を出たのは13歳のとき、ルーの弟は14歳だ。彼女の言葉を信じれば賢いのだろうが、賢さよりも必要なのはお金だ。貴族学院を追い出されたとき、手元にいくらの貯えがあったかによる。卑人が仕事を見つけるのは容易ではないけれども、キトリーの生まれたグリューフェンに比べれば王都は広い。雇い先が見つかる可能性もあると思う。
しかし、当座をしのぐだけのお金がなければ結局行き詰ってしまうのだ。街道沿いは比較的安全とはいえ、普通の人たちが何の準備も無く外に飛び出すのは容易ではないが、父親から手ほどきを受けているという話なので、仕事を見つけることよりも街を出て叔母の下に向かった可能性は高いかもしれない。賢いなら尚更だと思う。
「おはようございます」
キトリーが物思いにふけっているとルーが目を覚ましたようだ。
「おはよう」
「今日も冷えますね」
「たぶん雪も降ってる」
「うぅ。ほんとですか。最近良く降りますね」
冬の終わりも近いはずなのに、今年は春の芽吹きは遠そうである。そういえば、ルーと初めて出会ったのも雪解けの季節だったと思い出す。ずいぶん長いこといるように思うけども、まだ一年も経っていなかったのかと思う。
「おはようにゃ」
二人の会話に気付いたようで、ククルも布団の上で伸びをしている。煙突から仄かな暖気も感じられた。宿の主人も起きたようだ。キトリーとルーが挨拶を返す。
「おはよう」
「さて、起きようか」
「うひゃぁ」
キトリーが布団をめるくと、ルーが小さな悲鳴を上げてキトリーにしがみ付いた。暖炉に薪をくべたからとそんなにすぐに部屋が温まるはずも無い。寝巻きなどというものは持っていないので、基本的に寝るときは下着姿だ。暖を取るようにキトリーの体温を貪ろうとするのを、無理矢理に引っぺがす。
「朝食の手伝いまではするんじゃなかった」
「うぅ。分かってますよぉ。でも、もうちょっとだけ」
泣き言を言うルーを無視してキトリーは畳んでいる服にさっさと袖を通す。裸に近い格好ではさすがに寒すぎる。ルーは布団を被ってくるっと丸まった。
「こーら!」
キトリーが布団を引き剥がしたところで、しぶしぶと服に着替え始める。ククルはそんな二人を見ながら器用に体をくねらせて日課の毛繕いにいそしんでいる。時折、ククルの柔らかな毛が部屋に舞い上がっているから、出る前にはしっかり掃除をしなきゃいけないなと思った。窓から出入りするのでククルの存在はもちろん秘密だ。野良シュロに肝要な町の人だから、それほど目くじらを立てられることは無いけども、ここは客商売のお店だからいい顔はしないだろう。
-コロコロがあればな
そんなことを考えながら、キトリーはルーの髪の毛に櫛を通す。街の雑用仕事をしていたときに、お婆さんから貰ったカシバルという木を削った櫛で、全体的に油がしみこませてあるため髪の毛を梳くだけで艶が出る。美玖の頃にも椿オイルを染み込ませて使うつげ櫛を持っていたので、同じようなものだろう。
腰の曲がった老夫婦の家の掃除と言う簡単なお仕事だったのだけども、ぼさぼさになった二人の髪の毛を見て「私はもう必要ないから」と油の入った小さな小瓶と共にプレゼントしてくれたのだ。それから毎日このようにお互いの髪を梳くのが日課となっていた。
元々キレイなブロンドのルーは瞬く間に生まれ変わった。さすがは元貴族という感じがしなくもない。一方キトリーの赤毛にも艶が出てきて、指通りも滑らかになったことがとてもうれしかった。時には勇猛に槍を振り回していても基本は女子である
「キトリー交替しますね」
そういって、今度はキトリーがルーの方に背中を向ける。この習慣が出てきてから食堂のお客からも時々お褒めの言葉を頂いた。下町の職人らしいお客が多く、言葉遣いは荒いけども紳士的なお客も多く卑猥な言葉を掛けてくるような人が全くいなかった。宿の主人の睨みも利いていたのだと思うけど。
髪の毛が艶を取り戻したところで、軽くまとめて階下に下りていく。ククルは窓から外に出て行った。一瞬、冷たい空気が入ってくるけども、新鮮な空気を取り込むのは例え寒くても気持ちの良いものだ。彼女は町のシュロたちにルーの弟の情報を集めるように依頼をしているのだ。独立独歩のシュロだけども、街の中には幾つかのグループがあるらしいので、グループごとに情報を流すのだと言っていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
階下に下りると、宿の主人はキリキリと働き始めていた。厨房の奥では奥さんも、仕事を始めていた。キトリーは井戸から水を汲んでくると、フロアの床をモップでごしごしと擦り始める。ルーは奥さんと一緒に野菜の皮むきだ。毎日のことなので、二人とも仕事の流れが身についていた。
二人の旅の途中、朝食や夕食は街中で食べていたけども昼食は外でキトリーが大体準備をしていた。とても簡単なものばかりだったけども、料理ができるキトリーをうらやましく思っていたルーは、これをいい機会とばかりに少しずつ手伝いの範囲を広げていた。
ルーは貴族の娘でありなが土弄りが好きだったり、好奇心が旺盛で労働者向きの性格をしていたのかも知れない。キトリーも働くことは好きなので、黙々と仕事に取り組んでいる。料理も好きなので、厨房の仕事でもいいけども役割分担した結果、力仕事よりで活躍していた。
「朝飯食べたら出発するのかい?」
「そのつもりです。本当にお世話になりました」
「なんだか、寂しくなるねぇ。春が来るまで待てないのかい?今日も雪が降ってるし、雪解けまでそんなに掛からないと思うんだけど」
数日前に出発することを話したときから、こんな会話を続けていた。夫婦の子供は宿に出入りする冒険者の話に憧れて街を飛び出していったそうだ。性別は違うけども、出て行った子供の代わりのように段々と思えてきたらしい。奴隷になる前後を含めれば一ヶ月以上はこの宿を利用していることになる。いまは仕事を手伝っているので、話をすることも多かった。
「ごめんなさい。でも、予定より遅れていますから…」
申し訳なさそうにルーが頭を下げると、「そうだね」と女将さんも答える。ルーの弟を探す旅の途中であることも、いろんな事件が重なって、予定より3ヶ月以上も遅れていることも伝えてあるのだ。それでも、街の外が危険なところであるというのが平民一般の認識なので、若い女の子二人で旅に出ると言うのは心配になるのだ。
大きなナベがくつくつと音を立て始め、女将さんは剥き終わった野菜を次々に投入していく。ガボンの実にロットという赤い根菜、それに酸味のあるグンという黄色い大きな実を入れて、最後にバウルの身を一口大に切った物を入れた。食堂の定番スープで、このお店では何を注文してもパンと一緒についてくるキトリーもお気に入りの一品だ。肉と野菜の旨みが染み込んでいて、シンプルな塩の味付けだけで十分に美味しい。
キトリーは昨日のうちに捏ねていたパン生地を適当な大きさに丸めていく。食堂の一角に外気に近い場所があり、そこで低温でじっくりと発酵させたものだ。食べやすい大きさに丸めたところで、掃除を終えたテーブルの上に並べていく。このまま倍の大きさになるまで二次発酵を進めればオーブンに入れてこんがりと焼くのだ。
ベーカリーでパンを購入する食堂も多い中、キトリーたちの泊まっている宿屋は自分たちで焼くことにこだわっていた。そのため宿の料金や食堂の値段を抑えることにも成功しているのだ。もちろん、手間が増える分大変ではあるけども、安価で質の良いものを提供することに努力を惜しまないことに好感が持てた。
キトリーとルーは最後のご奉公という意味もこめて懸命に仕事に励んだ。スープがいい香りを食堂に充満させて、パンがこんがりと焼きあがると、外のお客を招き入れる前に宿のご夫婦とキトリーたち四人で先に朝食を済ませる。パンにスープと、腸詰をボイルしたものに、この日は卵を焼いたものが付いていた。
いつもよりおかずが多いのは、二人の出発への餞だろう。
「長旅になるんだ。しっかり栄養とっていきなさい」
女将さんの温かな心遣いにルーは涙ぐんでいる。キトリーと一緒に旅を始めた頃から、ルーは人の優しさに飢えていた。いろんなことがあったから。いいことも悪いことも。冒険者として街の雑用仕事をしたのはいい経験になった。いままでほとんど縁の無かった街の人たちとのつながり、食堂で仕事をしたことで人々と触れ合えたことが彼女に普通という魅力ある世界のドアを開けてくれた。
「あびばどうどばいばす(ありがとうございます)」
鼻声になって何ていっているのか分からないルーの言葉に夫婦が笑みをこぼす。
「本当にお世話になりました」
キトリーも一緒になって頭を下げた。理不尽な世界だと称したこの世界も、全てが悪いわけではない。そんな当たり前のことに気付けたことがうれしかった。朝食を終えて、出発の準備を整えた二人に宿の主人は道中食べるようにとお弁当を持たせてくれた。
宿場町へ向かう途中で食べたサンドイッチは、やさしさが包まれてとても美味しかった。袋の中にはアルバイト代のつもりなのか数枚の銀貨も忍ばせてあり、二人を思いやる夫婦のやさしさにキトリーたちは涙した。
次回、叔母の家




