ククルの冒険
自分の背よりも高い草の間をククルは縫うように走り抜けていた。太陽光が絹糸のような柔らかな細い彼女の体毛をキラキラと輝かせる。白というよりもほんの僅かに桃色にも見えるキレイな毛並みが風を受けて後ろに流れていた。顔は小さく金色の瞳を輝かせて、緑の絨毯を駆け抜ける。
一滴の粒が彼女の通った後を流れていった。空は晴れている。しずくは空からではなく、彼女の瞳からこぼれていた。草むらを抜け、岩場を走り、森の木々の間を通り、川を飛び越えた。悲しさよりと悔しさを貼り付けたまま、速度を緩めることなく只ひたすらに走り続けた。
『女王様の瞳』を取り戻したククルは一族の元へと戻った。1年ほど前に『女王様の瞳』の情報を得た彼女は、部族の長の命を受けて、とある場所より部族の宝を取り戻した。彼女が選ばれたのは、部族の中でも有数の戦士であり、人化の術を筆頭とした様々な術の扱いにも長けていたからだ。
部族の宝を取り戻すという任を受けることは誉れであり、大義を全うするためにククルは全力を尽くした。しかし、戻ってきたククルに対して長は追放を命令した。
部族の宝を落とすという決して許されないミスをしたことに対する罰だった。最終的に取り戻せたから良いということではなかった。『女王様の瞳』を筆頭とした部族の宝は、秘匿されるものであり決してイム人の目に触れて良いものではないのだ。彼らに本来の意味も、価値も分からないとしても。
ククルは一族の元に生まれ、一族と共に歩んできた。
彼女の家族はこれからも、ここで生活を続けるし、何があっても故郷が変わることはない。だが、追放されたククルには戻ることは許されなかった。
追放以外の処分ならどんなものであっても受ける覚悟はあった。ククルとて自分のしでかしたことの罪深さは理解していたのだ。魚禁止の罰でも、一族の蚤取りをしてもいい、必要ならツメを折る覚悟もしていた。でも、まさか、これほどの罰が与えら得るとは思わなかった。
言い訳も、家族の弁護も長は聞き流した。
小さな石に躓き、砂利の上を体が滑った。ごろごろと二回、三回と回転したところでククルの体は止まった。擦り切れた前足やわき腹からじわりと血が流れていたけども、ククルは動かなかった。息を切らせて、前足で顔を撫でると頬が濡れていた。
涙が止まらなかった。
空が遠く、風が強く吹いていた。
冬に入り虫の声は余り聞こえない。鳥達の歌声も静かだ。
近くに滝があるのだろうか、ドドドという水の落ちる音が聞こえていた。
むくりと体を起こすと、滝に向かって歩き出した。怪我は大したことはない。ただのかすり傷だ。岩場を飛び越えて、大きな石の上に立つと、滝のしぶきが全身を濡らした。
一族の戦士として、狩人としての使命を与えられたときからククルは強くなることにした。ククルたちの一族は長命で、シュロよりも遥かに知能が高い分、感情も豊かだった。
-泣いても良いだろうか。
誰にも聞かれることのない独白の後、ククルは大声で泣いた。滝の音に消されて誰にも聞かれることのないククルの心の叫びは森が受け止めてくれる。失ったものはとてつもなく大きい、胸の中に空いた穴を埋めるには、時間が必要だった。
喉がかれるまで叫び続けたククルは、しぶきを浴びないところまで移動して汚したところを舐めた。
血の味がした。
生きていると思った。
それを理解したとき、空腹であることにも気が付いた。
ククルは木の上にいた小鳥を捕まえて食した。帰るところは無くなった。でも、自分には返さなければならない恩がある。キトリーとルーのお陰で『女王様の瞳』は取り戻すことができたのだ。その結果がどうであれ、受けた恩を返すことは、ククルたち一族の誇りでもあった。
一族を追い出されたククルであるが、彼女にとっても『女王様の瞳』はとても価値のあるものだった。一族の宝と言うだけでなく、ある種の神と同列のような存在である。宝が奪われたのはククルの生まれる遥か遥か昔、取り戻すことが一族の悲願であり、子供の頃より女王のもたらした奇跡について聞かされて育っていた。
心のよりどころであるし、ククルたちの存在そのものであると言えた、もう二度と見ることが叶わなかったとしても、取り戻すことの出来た栄誉は彼女の中には確かなものだった。故に手を貸してくれた二人に恩を返すのは当たり前のことと言えた。
一晩、滝の近くで身を休めたククルは王都へと戻ることにした。こういう気持ちの切り替えの早さはシュロの性質なのかもしれない。シュロとは別種の存在でありながら、根本部分では似通った性格をしている。マイペースで独立心が強く、大抵のことはそよ風のように受け流す。
滂沱のごとく流した涙で、ククルは気持ちを切り替えた。一族のために生きた人生から、二人のための人生へと。
ククルはのんびりと歩いて王都を目指した。二人への恩返しは絶対だけれども、急ぐ旅でもなかったから。元々、森で暮らすククルは街道沿いの道よりも、走りやすい森の中を進んだ。そのほうが、食事にも困らないし、空気も美味しかった。
森の中にはククルよりも大きな獣や、魔物も跋扈しているがシュロはもとより気配を感じる能力に長けている。その上、足音を立てず気配を消す技術は他の獣と比較しても優れている。よほどのことがない限り、狩る側から狩られる側に回る心配は無かった。特に戦士であり、狩人であるククルにとって森の中を進むことは人々が街道を歩くのと同じくらい平穏なものだった。
ククルの歩行速度は人のそれと余り変わらない。途中の宿場町を経由したりする必要がない分、単純な移動速度で言えば早いくらいである。キトリーとルーがマライシンの森から王都まで一月弱掛かっていたところを、往復で1月と少しというくらいで戻ってきた。
街に入ったククルは最後に分かれた宿屋を目指した。しかし、二人の影も形も無かった。他所の町に行くときにはシュロに伝言をすると話をしていたので、近くにいるシュロに話を聞いてみたけれども、要領を得なかった。何匹ものシュロに話を聞いてわかったのは、どこかに連れて行かれたと言うことだけだった。
シュロたちの情報に限界を覚えたククルは古着屋で服を盗むと人の姿を取った。
「おじさん、キトリーとルーがどこに行ったか知らないか?」
最初に訪ねたのは、二人が泊まっていた宿屋の主人だ。ククルとも一緒に食事をしていたので記憶にあったのだろう、桃色がかった白髪の美少女然としたシュロイム人に見えるククルは人々の印象に残りやすい。
「ああ、何でも貴族様のお宝を盗んだとか理由で保安局に連れて行かれたよ。全く迷惑な話だ。保安局の連中に彼女達の部屋をひっちゃかめっちゃかに…」
最後まで話を聞かずに宿屋を飛び出すと、記憶を頼りにアヴァディーン伯爵の家を目指した。ククルは人とは違い姿かたちではなく、匂いで記憶している。伯爵の家の匂いをしっかりと記憶していたククルはすぐに家を発見した。門番に面会を申し出たけれども、あっさりと断られた。ルーのような丁寧な話し方ができなければ、貴族としての面会方法などわからない。加えてそのときのククルは怒りをにじませた表情をしていた。
正面からの入場を諦めたククルは引き返し、シュロの姿に戻ると屋敷に侵入した。街中の至るところを我が物顔で闊歩するシュロが貴族の屋敷にお邪魔することは、それほど珍しいことではないため、姿を見られたところで特に問題は無かった。
毛を撒き散らすために、毛嫌いする貴族も多くいるが、アヴァディーン伯爵家の家人は自由気ままなシュロを眼中に留めていなかった。出窓の取っ掛かりなどを利用してバルコニーから室内に入ったククルは、匂いを元にアヴァディーン伯爵夫人をすぐに見つけた。だが、大勢の人に囲まれていたため、ククルは少し離れたところから彼女の動きを見張ることにした。
その夜、寝室で一人になったところでククルは音も無く彼女の前に降り立った。
「…」
声を上げようとした伯爵夫人の口を塞ぐククルは人の姿を取っている。服を外においてきたククルは女性として成長する途上の肢体を惜しみなく見せている。窓から差し込む月明かりが、柔らかそうな絹肌に注がれている。もとより獣であるククルに裸を見られて恥ずかしいという概念はないけども、姿を見た伯爵夫人のほうが顔を赤らめている。
「キトリーとルーに何をした。声を上げれば首を切り裂く」
黄金の瞳に見つめられ、伯爵夫人はかくかくと首を立てに振った。その気になれば鉄すらも切り裂く鋭いツメを首筋に付きたて、口元を覆う手を取り払う。
「宝は取引の結果として手にしたはずなのだ。なぜ、盗んだことになっている」
ククルの声は幼い子供のそれらしくソプラノだったが、怒気をはらんだ声には有無を言わさぬだけの凄みがあった。貴族として悠々と生きてきた女と、死を身近に感じる獣の世界を生き抜いてきた彼女では、どちらが捕食者足りえるのか一瞬で答えが出ていた。
「わ、私もそんなつもりはなかったの。ただ…」
「ただ?」
「しゅ、主人が私があの宝石をつけていないことを不審に思ったみたいで聞いてきたの。だから、私は正直に答えたわ。新しいマニキュアの技術と交換したことを」
「なら、なぜ?」
「主人には理解ができなかったの。宝石は男達にも理解のできるものだけど、マニキュアのことは理解してくれなかったの。どれだけすばらしいものだって説明したけども、あの宝石に見合う価値があると認めてくれなかった。それに、あの宝石は主人が買ってくれたものだったから」
「だから、盗まれたことにしたと」
「わ、私は違うっていったのよ。でも、主人が…いたっ」
思わず力が入り伯爵夫人の首筋に、ククルのツメが突き刺さった。赤い血が一滴流れ落ちる。
「あの二人はどこに連れて行かれた」
「わからないわ。でも、犯罪奴隷としてどこかで働いているはず」
自分のしでかしたことに対して、どこか人事のような伯爵夫人にククルは表しようのない怒りを覚えた。自分のミスは自分で責任を取るのがククル達一族の常識だ。ククルが宝石を無くしたことに対して、責任を取ったように。例えそれが過剰な罰だと思っていても、受けて入れていた。しかし、目の前の人間は、全く意に介していなかった。それが理解できなかった。自分のしたことで、赤の他人、それも自分の利益になる技術を提供してくれた恩人のような人が困難な目にあっていると言うのに、微塵も心を砕いていなかった。
ルーから貴族とはどういうものかと説明を聞いたときもいまひとつ理解できなかったけども、ククルはそれ以上に混乱していた。ただ、人の世界には人の世界のルールがあり、それに大してククルが介在できないと言うことは分かっていた。二人を自由にするには、人の世界のルールに従う必要がある。
「どうすれば、二人を取り戻せる」
「…無理よ」
「考えろ!」
「ひぃ…ほ、宝石がなければどうしようもないわ」
搾り出すような伯爵夫人の答えにククルは鼻を鳴らした。それは不可能だった。物理的にも気持ちの上でも。一族の宝を奪うのは、ククルの心も破壊しかねない行為だ。それに、あれを人の手に戻すことは決して許されない。只の宝石ではないのだ。
どうしたら良いのだろうかと、外に目をやったククルは窓ガラスに映る自身を捕らえた。そこには、『女王様の瞳』と見た目だけなら同じものが二つ炯々と輝いていた。
次回、冒険者の雑用仕事




