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-274点の理不尽な世界  作者: 朝倉神社
第二章 冒険者として
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ルーの決意

 脱獄を意識し始めてから二ヶ月近くが経っていた。新しい奴隷が入り、母親からボスの地位を受け継ぐ準備をしているキトリーはルーと共に仕事場を変更することになった。下水施設における唯一、汚物と直接的に関わらない仕事である厨房に配属されたのだ。


 明らかなボスの身内贔屓であったが、ボスに逆らえるものはおらず、ましてやキトリーに対しても恐れを抱いているものも少なからずいた。ちなみにであるが、ボスであるキトリーの母親は仕事をしていない。奴隷の管理が仕事だと本人は言っている通り、時々巡回して他人の仕事ぶりを見て棒で叩いたりするだけである。


 キトリーが厨房の仕事を手にしたのは、汚物を触るのが嫌だというマイナスの感情よりも外への出口に近い場所に身を置きたいという願望からである。母親にそれとなくお願いしたものの、すでに厨房で働いている奴隷もいるため移動できるまでに時間を要していた。


 食事は朝と夜の二回しかないため、それ以外の時間は食堂とシャワールームなどの掃除である。キトリーとルーは二人でシャワールームを担当していた。汚物に直接触れない仕事と入っても、シャワーで流された汚物もあるため、厳密には全く汚くないわけではない。

 それでも、鼻を刺激する悪臭のレベルは段違いに少ない。


「初めて母親が役に立った気がする」

「でも、誰かに私達の担当区域が押し付けられたんですよね」

「ルーはどうしてそんなにやさしいの?私は罪悪感とか全く感じてないのに」


 少し前のキトリーなら自己よりも他者を優先していたが、それが変化していることに気付いていなかった。呪いは心の片隅に澱のように残ってはいたけども、ルーを守るという強い思いが覆い隠していた。 


「そんなこと無いですよ。私も心の中ではホッとしていますから」


 苦笑いを浮かべならがルーがそんなことを口にする。


「こんな小さなことで幸せを感じるなんてどうかしてるよね」


 キトリーも曖昧に頷き返した。桶の水を柄杓でまいてデッキブラシのようなもので床をごしごしと擦り洗いする。体を洗うというよりも殺菌・消臭のために使っている灰が水分を吸って固まっていることが多いのだ。それをブラシで洗い流していく。


「皆が仕事しているこの時間帯なら、厨房の奴隷さえ無力化すれば実行は可能だよね」

「そうですね。それなら関係ない人を逃がしてしまう危険は少なくなると思います。でも、実行はまだ無理ですよね。いまは真冬ですし、私達のこの奴隷服だと目立ちますし、すぐに凍えてしまいますよ」


 キトリーたちの奴隷服はただのワンピースであり、とてもじゃないが雪の降っているいまの季節に外を歩くのは自殺行為である。それに、奴隷服は見た目の問題だけでなく染み付いた匂いもあり、周囲の人間の目を引いてしまうのは止めようが無かった。


「裏取引で手に入れたものを管理している倉庫があるんだけど、たぶんそこにあると思う。でも、鍵は常に母親が持ってるし、あの部屋に入るのは無理かもしれない」

「お母様が出所した後は?」

「そのときはたぶん鍵も受け継がせてくれると思う。でも、まだ先になるよ」


 キトリーの母親が出所するのは春先の予定だ。正確な日数は不明だけれども、二ヶ月までは無いはずだ。


「冬に逃げるよりはまだマシじゃないですか?」

「そうだね。焦ってたのかな?」

「こんなところに居たくないのは事実ですけど、失敗は許されませんから」


 強い意志のある目を見て、キトリーはおやっと思った。ルーと脱獄の相談はずっと続けていたけども、彼女から脱獄に応じるという答えはまだ耳にしていなかったのだ。


「ルー、決めたの?」

「はい」


 強張った顔で短く返事をすると、すぐに顔の筋肉を弛緩させた。


「キトリーは本当に良いんですか。だって、お尋ね者になるんですよ。捕まればよくて終身刑です。そのときは、もっと厳しいところに連れて行かれるかもしれません」

「こんな場所で20年も生活するなら、一縷の望みにかけてみるよ。私は元々山で暮らしていたし、町の外にさえ出れたら生きていける自信はあるんだ。でも、ルーは違うでしょ」


 犯罪者の身分のまま、人探しをするのは不可能だ。そもそも街に入ることすら出来ないのだ。そういう意味では、濡れ衣を晴らすために、叔母であるグリーンウッズ子爵夫人を訪ねることも、ソールズベリー公爵の元に向かうのも絶望的だといえた。


「分かってます。ここで20年生きたとしても、出所後に弟を見つけることはたぶん出来ません。脱獄したところで同じだと思います。だから、その、キトリーと一緒に森で暮らしたら駄目ですか?」

「弟さんを諦めるの?」

「いえ、諦めるわけじゃないんです。森で生活しながら、街道を歩く人と取引をすることは出来ると思うんです。キトリーはあの森で、たくさんの毛皮を手に入れていました。弱い魔物ですけど、倒していたのでしょう。私にも教えてくれませんか?森での生き方を」

「それは構わないけど、街道を通る商人から情報を得ると」

「そうですね。それだけじゃ足りないと思いますけど、大きな町でなく、宿場町のようなところであれば、身分証が無くても近づけますし、今はまだ思いつかないですけど、何か方法はあると思うんです。少なくともここにいるよりも可能性があると思いませんか?」


 キトリーは魂の震えを感じていた。農民の暴動を抑えたときの誓いは間違いではなかったと。こんな絶望的な状況に追い込まれていても、希望を失わないルーの強さを心から尊敬した。キトリーにとって脱獄は逃げの一手だった。でも、ルーは違う。

 キトリーは手にしていたブラシを落とし、ルーを抱きしめた。


「どうしたんですか」

「なんでもない。ただ、いま決めた。ルーだけは何があってもここから出すから」

「出るときは一緒ですよ」

「もちろん」


 困惑した顔のルーを力強く抱きしめながら、キトリーは考える。

 キトリーが脱獄を考えたのは、もちろんルーのためだったけども弟を探すことに関しては二の次だった。森に戻ってルーと二人過ごすのも悪くは無いかなと思っていた。そんな自分を恥ずかしく思う。キトリーが守りたいと考えたのは、いつか人の上に立つかもしれないルーであって、ただの女の子ではなかったはずだ。ルーの望みを叶えるために、彼女の槍となり盾となることを誓ったはずなのに、いつの間にか忘れていたことに気が付いた。


「とりあえず掃除をしながら考えようか」

「そうですね」


 ガシガシと石畳をブラシで擦り、柄杓の水で灰を流していく。排水溝に流れていく黒ずんだ灰を眺めながらキトリーは奴隷としての生活で初めて味わう希望に頬を緩ませていた。

 


次回、解放

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