脱獄計画
奴隷としての生活も一月が過ぎた。外ではそろそろ雪が降り始める季節のはずだが、地下は気温の変化が少ないようで、年中ぼろ雑巾のようなワンピースで過ごしている。一人に配られる作業着は二着のみで、毎日来た服を洗濯しては生乾きの別の一着に袖を通す。
さすがに過酷な環境で使用されるため、作業着は1年に1度支給されることにはなっている。しかし、支給されるのは古着屋で売れ残ったボロボロの服というよりも布切れで、破れている場所を当て布して裁縫しないと使えるような代物ではない。
キトリーの母親は、裏取引でまともな服を手に入れていたり石鹸も入手しているようで彼女とその取り巻きだけはそれなりに身奇麗にしている。あくまでも奴隷基準であるが。そんな彼女をうらやましく思う気持が芽生えていることにキトリーは反吐が出た。
13歳から一人きりの山暮らしを選んで、精神的に人よりも強いという自負はあったけれども奴隷としての生活は生易しいものではなかった。毎日代わり映えのしない粗末な食事に、起床から就寝まで決まったサイクルの繰り返しで日々の生活に潤いと呼べるものは無かった。
山の生活は不便ではあるが自由だった。好きな時間に起床し、好きな時間に食事をした。その日の気分次第で獲物を狩ったり、採集をしたり、蔓を編んでかごを作ったり、森の声を聞いて風を感じているだけで心は洗われた。
外界との接触が全く無い中では、食事の時間の会話も同じ話ばかりが繰り返されていた。そもそも、キトリーとルーは濡れ衣であり、他の犯罪者とは一線を画していた。過去の自分の手柄を自慢して話されてもいささかも楽しめなかった。
キトリーとルーの間にある共通の話題は、ルーの弟のことであるけどもそれは意図的にどちらも口にすることは無かった。二人で旅した思い出を語ることも、弟を彷彿とさせるため避けられていた。かといってルーの昔の生活を話すことは、彼女が元貴族だと周囲にばれてしまうため、もっぱら二人の旅の話や、キトリーの山での生活の話をすることが多かった。
それでも、一月も経てば段々と会話が続かなくなってきたが、それは会話のネタが尽きたことだけが原因とはいえなかった。奴隷になってしばらくは現実を受け入れてきれてなかったのだろう。この生活が20年も続くということがどこか夢物語のようで現実感が無かった。だが、一月も経てば、じわじわと現実が重力を帯びて二人を押しつぶそうとしていた。
脱獄。
その二文字が脳裏を過ぎったのは無理からぬことだった。キトリーの戦闘力を持ってすれば、巡回の兵士を無力化することは造作も無いことは分かっていた。ただ、入り口の扉の開閉に関しては、兵士が鍵を持っているわけではない。彼らから無理矢理奪うことは出来ないし、人質に取ったところでおそらく意味を成さないだろう。
監視カメラがあるわけでもないし、看守が常時見回りをしているわけではないけども施設の抜け出すのは簡単ではなかった。下水の大本は川の水を引き入れているのだが、当然のことながら入り口には何重にも鉄格子があり、終点の処理施設の先から逃げることもおおよそ不可能だった。
見張りがいない代わりに、奴隷の生活環境を劣悪な状態に置くことで脱走できる隙間を完全に封じ込めていた。下水の中の空調を整えたりするようなところであれば、まだ抜け道もあったのかもしれない。
唯一、奴隷が入り口に近づけるとしたら巡回兵が戻るときだけである。施設入り口にある伝声管を通して、兵士が開錠を求めることで遠隔で扉は開閉される仕組みになっている。ただ、扉は長い廊下の先にあり、奴隷が姿を現している状態で、鍵が開けられることはない。開錠から閉錠までの間に扉に近づくのは不可能であり、この方法も取れなかった。
可能性があるとすれば、下水の入り口および出口の鉄格子の破壊もしくは、兵士達の出入り口の破壊である。もちろん、それを可能にするような道具が彼らに与えられているはずも無いが、キトリーが一つだけ可能性を見出しているのは、自身のよりどころでもある空牙槍である。
掻き出し棒の柄はかなり長く、先端部分をはずしてただの鉄の棒にしてしまえば空牙槍を発動することは出来るのではないかと思っている。鉄製の剣や弓の攻撃を弾いたキールバーン亜種のうろこや、グランガシートの外殻をも貫ける彼女の全力の攻撃であれば、鉄の扉を破壊するのも不可能ではないと見ている。
「と、思うんだけど、ルーはどう思う」
いつもの仕事の作業をしながら、キトリーは自分の考えを話していた。普通なら一人ずつばらばらの仕事になるけども、例の件以降二人が行動を共にしていることをいまだに問題視されていなかったためこうして二人での内緒話も可能だった。本来なら食堂など周囲の目が気になり、脱獄の相談などできるはずも無いので、これは幸運だろうとキトリーは考えた。
「キトリーの空牙槍なら出来ると思いますけど、そんなことしたら賞金首ですよ」
「分かってるよ。でも、ルーも分かってるでしょ」
「…アーブのことですよね」
ここに来てから彼女が弟の名前を口にするのは初めてのことだった。もちろん、キトリーも避けていたのはあるけども、ルーが落ち着きを取り戻してきたのが分かっていた。それと同時に、別の意味で精神が追い詰められつつあるのも感じている。
「うん。出ないことには探すのは無理だよ。それに、ルーも分かってるでしょ。ここで20年も暮らすなんて無理だよ。私達が何か罪を犯したって言うなら仕方ないけど、何もしてないんだよ」
「でも、どうするんです。賞金首って事は死刑宣告と同じなんです」
「ルーの叔母さんは頼りになると思う」
「叔母様は信用できます。でも、グリーンウッズ子爵様は正直わかりません。卑人のときであれば大丈夫だったと思いますけど、姪といっても賞金首になった私を匿ってもらえるかどうかは難しいかもしれません」
「後はソールズベリー公爵はどうかな。無実であることを訴えれば何とかならないかな。公爵様ならアヴァディーン伯爵夫人よりも地位は上になるから、ちゃんと取調べするように言明することもできるんじゃない」
「どうでしょう。あの方は合理的な方ですから、ソールズベリー領にとって利があると思えば動いてくれると思います。でも、私達を平民に上げてくれた時点で、農民の暴動の一件は帳消しになったと思います。それ以外に私達が何か提供できるものを持っていなければ、話を聞いてもらえるかどうかも分かりません。でも、そうですね。グリーンウッズ子爵様よりは可能性はあるかもしれません」
話をしながら通路を歩き、汚水管を見つけたら掃除をする。二人で行動をしているので、交互に作業をしていた。こんな作業であっても段々と慣れてくると、意外にも汚れを最小限にすることができるのだ。万が一の街でのトイレの使用に対しても、手に伝わってくる僅かな振動や、かすかな音、水の流れの違いで事前に察知できるようになった。
「まあ、すぐに答えださなくても良いから、少し考えててくれるかな。私はここから出る方法を探ってみるよ」
「無理しないでくださいね。こんな事言いたくないですけど、キトリーのお母様なら脱獄の情報を兵士に売りかねませんから」
「分かってるよ」
キトリーは小さく笑みを浮かべた。一度はキトリーの母親ということで、自分への仕打ちを許そうとさえしたルーだったが、彼女の中でもキトリーの母親の評価は地の底まで落ちていた。キトリーやルーに対して何かをすることは無かったけれども、周囲の人への態度や兵士への媚び方、キトリーたちの後に入ってきた囚人への仕打ちを見ているうちに悟ったのだ。
この場所が社会の底辺であることを理解し、その上で底辺の中でも優劣はあるのだと。キトリーの母親が優れているという意味ではない。下劣な人間の中ではボスという地位についていることは尊敬されることなのかもしれないが、外から見ていれば、より最低な人間だという評価になるのだ。
真正直に口にすることは無かったけども、キトリーと母親の関係修復を諦めたことでルーがそういう風に感じていることをキトリーは分かっていた。
それから数日、キトリーは積極的に他の奴隷とコミュニケーションを取るようになった。面白くも無い会話に耳を傾け、怪しまれない程度にこの施設の情報を集めるようにした。キトリーとルーの仕事の現場が配管掃除のため、下水の上流や下流の情報は無いに等しかった。
仕事の内容を聞く振りをしながら、地下施設の構造を少しずつ把握していく。彼女の行動の変化を怪しむ者もいたけれども、結局のところ一ヶ月という時間を経てようやく馴染もうとしているのだと受け入れられていた。キトリーの母親からは、地下世界の掌握について二度目の打診を受け、不本意ながらも詳しく話を聞いたりした。
「キレイごとをいくら並べても結局、あんたには私の血が流れているのさ」
虫酸が走る思いであったが、彼女以上に下水処理施設の全貌に詳しい人間はいないのだ。普通の奴隷は自由に行動できるわけではないので、動ける範囲が限られている。キトリーたちも配管掃除のルートを毎日巡回するだけである。日ごとにルートは変わるけれども、行動範囲が広がることは無い。別の人間の仕事場である上流や下流を見たことは無いし、普段使用する食堂と寝室、シャワールーム以外の場所についてはほとんど何も知らなかった。
母親の後を継ぐという建前で、彼女について下水施設の全貌を見ることができた。王都は小高い丘にできているけれども、どうやら王都の中心である王城の辺りには地下水が自噴しているらしい。生活用水としてくみ上げられているほかは、汚物を流す下水として利用されているとの事だった。ただし、それだけは王都全体の汚物を押し流すには足りないため、近くの川に水車が設けられ、揚水して運ばれた水も利用されている。
つまり下水施設の上流は王都の中心部に続いているということだった。王城の地下にも下水が流れている以上、配管のつまりを取ったりする仕事はあるものの、それを行うのは一握りの奴隷に限られている。反逆の意思がないことは当然のことながら、物理的に反逆できないような処置が施されている。
そして、上流へ続く道は当然のことながら厳しい警備体制が敷設されているため脱獄の経路とするのはリスクが高すぎるということが分かった。逆に下流に関しては、水路が町の外まで続いていることもあり、街の中を逃げ回るよりもすぐに森の中に逃げ込めるようになっていた。
もちろん、逃げ出したいと考える奴隷がいることは先刻承知なので、それに対する対策も万全である。水路の先には常時数名の兵士が交代で見張りに付き、昼夜を問わず逃げることは出来ない。ただし、逆に考えてみると、キトリーにとっては一般の兵士など物の数にもならないのだ。
元軍人や冒険者が犯罪を犯した場合は、彼らの持っている戦闘技術を封じる措置を取ることになっている。しかし、キトリーに関しては公式には軍部に属したことも無く、冒険者としても見習いから駆け出しになったばかりで警戒の対象とは見られていなかった。
下流では幾重にも重なった網で汚物を選別し、ただのゴミと糞尿とが分別される。更に幾つかのろ過装置を経てある程度きれいになった水が川へと戻される。石鹸の類も元を辿れば自然のものであるので、川へ流したところで問題にはならないのだ。
下流側の仕事は網に引っかかったゴミの除去と、網の取替え、洗浄である。糞尿をかき混ぜたりたりして堆肥になると乾燥させて、運び出せる状態にする。そこでも外界と接触する機会はあるけれども、そういうときの警備体制は完全に整っている。
不明な点も多いものの、やはり一番は兵士が巡回のときに使用する入り口が一番警備体制は乏しいというものだった。この施設に入ったときのことを思い出せば、そのルート上にある扉は全部で三つ。一つは大本の入り口であり、外と直結している。二つ目が伝声管のある扉で、遠隔で開け閉めが行われるものである。そして、三つ目が巡回兵が鍵を有するキトリーたちの施設への扉であり、食堂のすぐ近くにある。
グランガシートとの戦闘で、キトリーが使える空牙槍の限界は三回なので、各扉を一度ずつ破壊できればギリギリ達成できるともいえるし、逆に言えば一度のミスも許されないということになる。空牙槍は破壊力を一箇所に集中したものであり、錠前部分のみを適切に破壊できれば扉の開錠は可能だと思われる。ただ、ロックが扉全体に及んでいる場合には手も足も出ないことになる。
「それに、外に出てからも問題ですよね」
ルーが冷静に問題点を口にする。この日も、二人の作業はいつも通りに行われていた。ルーは脱獄に対して反対も賛成も答えは出していなかった。それでも、キトリーの調査した内容を聞きながら、脱獄する場合について時折話を続けていた。
「ここに連れて行かれたときの記憶によると、街の外壁に近いところに入り口はあったと思う。壁の向こうに外があるって言っても、壁は高いから東西南北のどこかの門を抜けるしかないか」
「追ってもすぐに付きますよ」
「警鐘が鳴らされて、すぐに外門を閉じられることもあるんだよね」
「実際に見たことは無いですけど、可能だと思います」
「だとしたらやっぱり下流から抜けるしかないのかな…」
母親と一緒に見て回ったときのことを思い出すけども、抜ける方法が何一つ思い浮かばなかった。キトリーたち奴隷が洗浄を行う網の先にも鉄格子が幾重にも重なっており、ほとんど真水に近くなっているエリアであるため、匂いも無く平民の手による掃除区画となっているのだ。何度考えても通り抜けるのは不可能としか思えなかった。
「それに、実行するとき他の奴隷はどうするんですか?入り口は食堂の先ですから、他の人たちにも確実に気付かれます」
「それも問題だよね」
ここにいる60人ほどの囚人を全て引き連れての脱獄というのは考えていない。自分達が逃げるために反社会的な人間を野に放つのはいくらなんでも許されることではないだろう。キトリーは大きくため息をついた。ルーに脱獄の話をしてからすでに一ヶ月以上たっているけども、結局のところ有効な方法は何一つ浮かんでいなかった。計画を立てることで、どうにか精神を保っているけれども、いつ均衡が崩れるか分からない。
悪臭に慣れてきたように、この環境に慣れてしまうのかと考えるとキトリーは背筋が凍るような思いがした。
次回、ルーの決断




