地下を支配するもの
キトリーに対するお咎めは無かった。4人の兵士達を叩きのめしたものの、一つも外傷を残さなかったのがよかった。元々、兵士達による女奴隷に対する行為は許されないものであり、彼らも被害を報告することは出来ない。いきなり暴力を受けたといったところで、外傷は無く四人がかりで一人の女にやられたというのは口が裂けてもいえなかったのだろう。
もっとも、キトリーの母親との裏取引自体は継続されるようで、一週間後の巡回の時には同じ部屋の別の奴隷が呼ばれていたのが分かった。醜態をさらした後も、キトリーの母親は施設内でボスの座に居座り続けていたが、キトリーやルーに対して何か直接的に接触してくることは無くなった。
事件の翌日にはルーも日常生活を送れるようにはなっていたものの、夜寝るときは時々悲鳴を上げて目を覚ますことが度々あった。仕事中も時々ぼーとすることがあり、不必要にキトリーとペアを組んで仕事をしているが、それに大しても母親は目をつぶってくれていた。
一週間後の巡回の時には、なるべく彼らと接触しないようにしていたけども、彼らの声が聞こえるとビクっと身を縮ませていた。元医者とはいえ戦前の知識が主であり、トラウマの治療のような精神医学に関してはほとんど知識の無いキトリーに出来るのは側にいることだけだった。
二週間ほどが経過した頃、夕食の後に母親に呼び出されたキトリーは、ルーを一人には出来ないため不本意ながらも彼女を同伴して母親のところに顔を出した。
「何のよう?」
「そんなに警戒するなよ。まあ、座りな」
事件直後のような怯えた様子は無くなったものの、以前のような張りの無さにキトリーはやれやれと肩をすくめて勧められる椅子に腰掛けた。
「キトリー、刑期は何年だい?」
いまさら過ぎる質問にキトリーは拍子抜けする。普通の母親なら真っ先に聞きそうなものであるが、一度としてその手の質問は無かった。それどころか、いままでどんな生活を送っていたのかすら聞かれていなかった。
「20年」
「!?何を盗んだんだい?」
「何も」
「何もって事はないだろ」
「濡れ衣なんだ。貴族の持ち物を盗んだことになっているけど、私はあんたとは違う」
「そうかい」
まるで信じている様子のない母親にキトリーは何も感じなかった。もう、何も期待していないのだ。
「よっぽどすごいお宝だったんだろうね。普通盗みで捕まっても10年が良いとこさ。私もそうだし、他の連中も大体同じだろう」
「それで?」
「いま言ったとおり、私の刑期も10年で終わる。つまり春になれば釈放されるってわけさ」
「な!」
目が点になった。
事実、キトリーが母親を密告したのは8歳のときで、来年18歳になることを思えば不思議でもなんでもない。でも、何の罪も犯していない自分があと20年も奴隷生活を強いられるというのに、人間のくずのような母親が天下の往来を堂々と歩けるようになるということを思うと、久しぶりに神にたいして悪態を付きたくなった。
「それでだ、この汚水処理施設の仕事もそうだけど、裏の仕事を含めてあんたに継いで貰おうと思ってね。この間の件で、あんたがそこいらの兵士よりよっぽど腕が立つことは周知の事実だ。だから、ここを取り仕切るっていっても誰も文句は言わないよ。それに、その子も守りたいんだろ。どういう関係かは知らないが、ボスになればかなりの融通も利く。別に甘いお菓子だけじゃないんだ。他にも色々と手に入るものもある。いまから20年もここでやっていくなら、そのほうが何かと都合が良いだろう」
開いた口が塞がらなかった。ふざけるなと怒鳴りつけることも出来ず、呆れるよりほかなかった。
「母親としてあんたにしてやれるのはこんなことくらいさ」
「馬鹿なの?」
思わず付いて出た言葉に、自分でも驚いた。まさか、こんな地下世界を掌握する権利を母親からプレゼントされるとは思わなかったし、それがまるで母親の愛情の証であるかのように言われるというのは出来の悪い三文小説のようだった。暴言に怪訝な顔をする母親に、キトリーは冷たい視線を返した。
「そんなものには興味もないし、大体私がそんなことを望むと本気で考えているの?新しく入ってきた奴隷が若くてきれいだったら、兵士のおもちゃにして自分は甘い汁を吸う。そんな性根の腐った真似できるわけないでしょ」
「はっ!キレイごと言ってんじゃないよ!あんただってここにいる時点で同じ穴の狢でしょうが!自分だけは高尚なつもりかい!」
右頬に向かって振り下ろされる平手を受け止めると、キトリーは立ち上がった。
「話はそれだけ?」
上から軽蔑する視線を投げると返事も聞かずにルーの手を引いて母親の元から去っていく。胸糞が悪かった。ただ、母親の話で一つだけいい点があったとすれば、この地獄のような環境からすぐに母親が去っていくことだろう。この場所に来た当初は、母親に対する恐怖が強かったけれども、それを乗り越えた後は矮小な存在である母を目にすることが惨めな気持ちにさせられていた。
くずのような母親が外に出ることは恨めしくもあるけども、ストレスの原因がいなくなることは悪いこととは思えなかった。
「キトリー、いいの?」
母親の姿が見えなくなったところで、ルーが小さな声で聞いてきた。
「ん?問題ないよ。まさか、私にあいつみたいな真似してほしいの?」
「違う。でも、お母様とそんな風でいいの。だって、あと数ヶ月もしたらいなくなるんだよね」
「ルー」
「キトリーのお母様が、ちょっと、なんていうか、あまり褒められた人でないことはわかるけど…」
「ルーは本当にいい子だね。あんなことされたのに、許そうとしてるんだね。でもね、ルーの気持ちは分かるけど、私とあの人の関係はこれで良いんだよ。良くなることなんて絶対にない。ルーとルーのお母さんとの関係みたいには成れないから」
母親を亡くしたルーには、母親がいるというだけでもうらやましいのだろう。生きているなら関係は改善されるかもしれない。そんな希望を抱いているのだろう。前向きな思考が出来るようになってきたことをうれしく思う。思うけれども、それは絶対に起こりえないことなのだ。キトリーは幼少の頃のことだけでも許すことは出来ないし、ルーへの仕打ちを許すつもりは無い。たとえルーが許したとしても。
キトリーはいつものようにポンポンとルーの頭を撫でるとそれで話を打ち切った。
次回、脱獄計画




