母親の企み
覚悟は決めた。
頭からすぅーと熱いものが下がっていき、思考がクリアになるのを感じた。何も男と寝るのが初めてというわけではない。キトリーとしては初めてであっても、美玖のころには婚約までいった相手もいたのだ。好きでもない男との経験はないけども、心を殺してしまえばいい。
「キトリー大丈夫?」
母親との話を終えて寝室に入ると、ルーが心配そうな顔をして待っていた。
「うん。大したことじゃないから」
「でも、すごく怖い顔してます」
ルーがキトリーの顔に触れると、緊張していたのだろう強張っていた筋肉がほぐれていくのが分かった。あんな話を聞かされて穏やかな顔でいられるはずも無い。
「大丈夫だよ」
安心させるように出来る限りやさしい顔を見せるけども、ルーが納得する様子は無かった。
「お母様から何か言われたんですか?」
「なんでもないよ。ルーは何も気にしなくて良いから」
「でも…」
不安そうに眉根を寄せる彼女をキトリーにはどうすることも出来なかった。大丈夫という以外に方法が無く、本当のことを言えるはずも無かった。
「くくっ、母親に売られたのか」
くぐもった声が耳に付いた。雑魚寝をしている10人のうちの一人が、薄ら笑いを浮かべながらキトリーを嘲笑していた。
「どういう意味ですか?」
言葉の意味を理解していないルーが、声を発した誰かに向かって質問を投げかける。答えを聞かせるわけにはいかず、キトリーは鋭い視線を投げる。だが、布団をかぶっている奴隷達を睨んだところで意味はなかった。
「明日は兵士の巡回日ってことさ」
キトリーは実力行使で黙らせようと、声を発している布団を思い切り蹴り飛ばした。ぐぇっとうめき声を上げて奴隷は口をつぐむが、続きを別の誰かが口にする。
「兵士は奴隷と楽しむために来ているんだよ」
ここに配属される奴隷の洗礼は、汚物を浴びることだけではないのだ。兵士に春を売り、対価として奴隷生活の慰めになるものを得る。おそらく彼女も経験者なのだろう。キトリーたちの部屋のものは比較的若い奴隷が多い。まだ、理解していないルーが不思議そうな顔をしている。キトリーが続きを口にした奴隷を、力づくで黙らせても他の奴隷が後を継ぐ。
「とんだ生娘がいたもんだね。全く分かってないのかい。つまり、こいつの母親は娘を兵士に…」
「男と女がすることくらい理解できるだろ」
しゃべっている奴隷を止めても無駄だった。違う人間が後を引き、ようやく理解したルーは顔を真っ赤にする。
「かはっ、冷たい女だと思っていたが、まさか実の娘をねぇ」
「確かに、てっきり、そっちの生娘が先だと思っていたよ」
「ふふ、すぐに慣れるわ。黒髪の兵士はなかなかハンサムだし、悪くは無かったわよ」
「なんだよ。リーネはあれがタイプなのか。私の一押しは長髪の兵士だね」
口々に囃し立てる奴隷達を見ていると、心の底から虫酸が走った。罪を犯す人間が禄でもない連中だというのは分かっている。だが、こんなところで高々甘いお菓子のために、貞操を簡単に売り渡すというのが理解ができない。話し声は明るく、ボスに逆らえず仕方なくというようには見えなかった。
「文句言ってきます!」
ルーが立ち上がり、扉に手を掛けたところでキトリーはその手を掴んだ。
「無理。そんなことしたら、ルーが代わりにさせられる」
「でも、母親なんですよ。母親だったら娘を守るもんじゃないですか!」
「あいつは違う。あいつは人を利用することしか考えないそんな人間だよ」
「そんな…」
キトリーは言葉を失うルーの頭をぽんぽんと叩いた。
「代わりに怒ってくれてありがとう」
キトリーも納得しているわけではないし、心の中は沸騰しているのだ。だが、親に対する抗いがたい何かが植え付けられていた。それがトゲとなってキトリーの中に引っかかり、抵抗する力を奪っていた。トラウマと呼ばれるものだということは頭では理解しているのだが、母親を前にするとどうしても冷静さを失い力を無くしてしまうのだ。
翌日、キトリーは普通に仕事を始めた。
昼ごろに四人の兵士達がやってきて各所の進捗具合を確認していった。兵士達の卑猥な視線が投げかけられ、今日彼らの相手をするのがキトリーだと予め伝えられているのだろうと分かった。いつもなら仕事の終了の鐘が聞こえてくるのを今か今かと待っているのに、この日は鐘がならないことをひたすらに祈った。
一時間後とに鐘は鳴り、あっという間に仕事の終わりを告げる鐘の音が聞こえてきた。
仕事が終わるとシャワーの時間となるのだが、この日は言われていたように灰だけでなく石鹸が手渡された。灰を使って体中を洗った後に、石鹸を使用して丁寧に隅々まで洗う。
一体何のために体をキレイにしているのかと思うと涙が出てきた。
シャワーを終えたキトリーにはいつもの作業着とは違うワンピースが手渡された。上等なものではないけども、薄汚れた奴隷の作業着とは違いにおいもないし、鮮やかな黄色をしていた。袖を通しながらいよいよなのかと思うと、今度は恐怖が襲ってきた。
覚悟は決めたはずだった。
たとえ前世を含めて70年以上の生きた記憶があっても、キトリーは17歳の女の子なのだ。逃げ出せるところなんてどこにも無い。この地下道に出口はないのだ。兵士達がやってくる鍵の付いたドアしか出入り口は無い。大体逃げ出してどうするというのだろうか。
逃亡した犯罪者が生死問わずの賞金首になるのは奴隷落ちのときに聞かされていた。ルーを連れて逃げることなど出来ない。
心を殺してしまおう。
キトリーの顔から表情が完全に抜け落ちた。獣を狩るときに森と一体となるときと似ているけども、明らかに違うことがあった。目から生気が抜けていた。
「うん、うん。キレイなもんだな。私の若い頃にそっくりだよ」
これから自分の娘が慰み者になるというのに、うれしそうな笑みを浮かべて母親が肩を抱いた。
「ついてきな」
そういって、母親に先導されるまま、いままで立ち入ったことの無いエリアに連れて行かれた。いつも食事をしている場所の厨房側の裏にある扉を開けて進み、短い廊下を歩くと行き止まりに扉があった。兵士達は中で待っているのだろうが、何の物音も聞こえてこなかった。
「入りな。後は分かってるだろ。あいつ等を満足させてやるんだ」
母親が扉を開きキトリーの背中を押した。思わずつんのめって前に倒れこんだキトリーの背後で扉が閉まる音が聞こえる。薄暗い室内に目を戻すと昼間に見た兵士が二人、上半身裸で立っていた。
-二人?
「あと二人はどこに行った?」
「ん?なんだよ。俺達じゃ不満か?まあ良いじゃないか今日は俺達と楽しもうぜ」
にやにやとした笑みを浮かべながら、キトリーに向かってにじり寄ってくる。一度は殺したはずの心が警鐘を鳴らした。
「先に帰ったってわけじゃないよね」
「くくっ、当たり前だろ。週に一度のお楽しみなんだ。お喋りはこのくらいにして、ほら脱げよ」
キトリーの中で何かがはじけた。母親の性格を見誤っていた。キトリーが犠牲になればそれで満足するような人ではない。提案を受け入れたフリをしつつ、結局のところ初めからルーを堕とすつもりだったのだ。守ったつもりの相手が守れていなかったときの絶望を味あわせたいというどす黒い復讐心。
奴隷達のボスとして君臨していても、辛酸を舐めされられたことを微塵も許していないのだ。どうすればキトリーに自分の味わった最悪と同じものをどうすれば与えられるのかを考えたのだ。
「どうせなら四対二で楽しみたいんだけど?」
「くく、それもいいな。どうせなら俺もあっちのブロンドが抱きたかったんだ。気の強そうな女は好みじゃないんでね」
「じゃあ、移動するか?」
「そうしよう」
半裸のまま扉をノックすると、怪訝な顔をした母親が顔を出した。
「ずいぶん早くないか」
「予定変更だ。向こうと合流するぜ」
「だんな。それはちょっと困りますよ」
「ああ?なんか問題でもあるのか?」
「い、いや、そういうわけでもないんですけどね」
母親の顔色が悪い。キトリーとルーが顔を合わせるのはまだ早いと思っているのだろう。彼女の計画としてはぼろ雑巾のようになったルーをキトリーの前に出してあざ笑いたいのだろう。しばらく躊躇するような仕草を見せたあと、母親はため息を付くと、兵士に従った。
奴隷達に対して大きな顔をしていても兵士に逆らうことは出来ないのだろう。強いものに媚び諂い、弱いものを虐げる。母親の器の小ささを目の当たりにした瞬間、キトリーの中で何かがはじけた。いままで、倒すことのできない大きな巨人のように見えていた母親の背中が酷く小さなものに見えた。
キトリーたちは案内されるまま別の部屋へとやってきた。部屋の前には見張り役の女が一人立っていた。母親の取り巻きのうちの一人だろう。キトリーたちが現れたことに驚いていたようだけども、母親が指示を出すとすぐに扉を開けた。ドアが開いた瞬間、ルーの悲鳴が響き渡った。キトリーはその場にいる全員を弾き飛ばすように中に飛び込むと、ルーの上に馬乗りになっている兵士を押しのけてルーを抱き寄せた。小刻みに震えるルーを力強く抱きしめて、怯えさせた長髪の兵士を睨みつける。
「貴様!」
キトリーに押されたときに顔をぶつけたのか、唇の端から血が流れていた。手の甲で拭いながら怒気をあらわにしてキトリーに詰め寄ろうとする。キトリーはルーを背後に隠しながら、長髪の兵士の動きをかわし部屋の入り口へと移動する。
「悪いけど気が変わった」
「あんた、自分が何をしてるのか分かってるのかい?」
「知らないね」
キトリーは母親の手首を掴み取ると、ひねり上げて室内へと投げ飛ばした。
「今日の相手はこの女で我慢して」
「な!キトリー、あんた」
憤激した母親が立ち上がって抗議しようとするのを払いのけ地面に転がす。
「悪いけど私もこの子も相手はしてやれない。文句があるならこの女にいいな」
「ふざけるな。今日はお前等を抱けるっていうんで楽しみにしてたんだ」
「私達は高いよ」
「舐めるなよ。奴隷風情が!」
キトリーはルーを下がらせると兵士達に向き直った。ここで暴れることが得策とは思えない。でも、もう躊躇している場合ではない。小刻みに震えるルーを見て、吹っ切れた。掴みかかってくる兵士の腕を取り、背負い投げの要領で別の兵士を巻き込んで投げ飛ばす。彼女がただの奴隷と違うと警戒して距離を取った兵士に一瞬で詰め寄ると足払いを掛けて倒れこんだところにみぞおちに掌底を叩き込む。騎士達を相手に大立ち回りを演じられるキトリーが、最下層の兵士程度に遅れを取るはずも無く、最後の一人もあっさりと地面に倒れこんだ。
キトリーは母親の元に近寄ると胸倉を掴みあげた。
「どうにかしろ」
恫喝された彼女は小さく悲鳴を上げて、怯えたような目でキトリーを見上げた。娘がこんなことができるというのは全くの予想外だったのだろう。幼い頃に盗みの手ほどきやナイフの使い方を教えていたけども、直接的な戦闘技術というわけではない。キトリーの母のように元盗賊という連中は多いけども、ほとんど不意打ち専門であり、数でもって相手を制する方法を取るため、兵士と一対一で戦える技術を持つものは少ないのだ。
「どうしたらいい?」
「自分で考えろ。あんたの所為で、刑期が延びるのだけは真っ平だ」
威張り散らしていた母親の情けない姿にキトリーは惨めな思いに駆られた。腹立たしさよりもこんな女の所為でというやるせなさに、力が抜けていくのを感じた。キトリーは母親の側を離れると、廊下で震えているルーの元に駆け寄った。
「ごめんね」
声をかけると、ルーはしがみ付いてきた。震える体をそっと抱き起こして、寝床の方に向かって歩き出す。ギリギリのところで間に合ったけれども、ルーに植えつけられた恐怖は簡単には取り除けない。もっと早く母親をどうにかしていればという悔恨の念に襲われ、唇を血が出るほどに噛みしめた。
次回、地下のボス




