(16)純心散華
ウェルザーらと別れたソルドとノーマンは、その足でベルザス・ユニバーシティ駅へとやってきていた。
陽は暮れて闇の支配が訪れようとする中、それに逆らうように辺りには外灯の光が満ちている。
人の姿はあるが大半は仕事帰りと思われる大人たちで、学生の姿はほとんどない。
「こうして見ると、やはり規模は大きいな」
ステーションビルの屋上に立ちながら、ソルドはベルザスのある方向を見つめた。
屋上とは言っても一般人立入禁止の場所であるため、今ここにいるのは彼とノーマンの二人だけである。
「ひとつの山全体が敷地ですからな。主だった施設はさておきとしても、全容を把握している人間は少ないでしょう」
ノーマンは、前に説明したようにステッキの先端から床に画像を投影する。
そこに表示されたのは、ベルザス・ユニバーシティの全体地図だ。
ピンポイントに縮小拡大を繰り返しつつ、彼は淡々と説明を始める。
「特徴的なのは、研究棟を含む中枢施設が山の中央部に集中しているということです。つまり外縁部に存在する各部学棟を経由しないと、内部へ侵入できない」
「学棟は数多くの学生が出入りするため、自然と人目に付きやすくなる……言わば、潜入対策か」
「左様ですな。ただ、不特定多数の人間がいる関係上、不審者が紛れ込みやすいことも事実……ゆえに内部に設けられた中門でセキュリティを強化しているのでしょう」
先刻、追い返された中門での出来事を思い返しながら、ソルドは顔をしかめる。
あの警備員たちは名目だけでなく、侵入者を物理的に排除するだけの戦闘訓練を受けた者たちなのかもしれない。
そうであるなら、あの時見せた異常な殺気にも納得がいく。
「ある意味、城だな」
「元々がアマンド・バイオテックの施設です。企業側の都合の良い造りにしてあるということでしょうな」
息をついたノーマンの表情も、硬くなっていた。
裏社会にも通じた企業の施設としては納得の造りであるものの、運営権が政府に移行した今でもそういった体制が残されていることに、疑念は高まる。
「しかし、どうしたものか。空から侵入することもできなくはないが……」
「それは止めたほうが無難ですな。敷地各所には対空センサーが仕掛けられています。不審な飛来物があれば、すぐに気付かれるでしょう」
「掃討任務と違い、潜入任務となると話は別か」
「はい。ただ、潜入する手立てが皆無ではありません」
そう言うとノーマンは、画像をまったく別のものに切り替える。
映し出されたのはいわゆる地図ではなく、上空から撮った施設の写真だ。
「これは?」
「外部公開されている敷地図でなく、オリンポスを通じて入手した高解像の衛星画像です。ここをご覧下さい」
その画像を一部拡大すると、老紳士はステッキで指し示す。
なぞるように動くその軌跡を見つめていたソルドは、そこではたと気が付いた。
「これは……道か?」
生い茂る木々の隙間に見えたものは、乾いた地肌の露出した地面であった。
草などが生えていないのは、そこが人の足で踏み慣らされた場所であるからに他ならない。
「ところどころ木々に隠れていますが、恐らくはそうでしょう。敷地図に記されていない抜け道……ここを使えば、中枢の研究棟付近までノーマークで辿り着けます」
画像にステッキを往復させたノーマンは、結論付けるように言い放つ。
確かに彼の言う通り、大学中央部の施設から伸びたその道は、西部の湖付近にまで伸びているようだ。
ソルドはしばしそれを見つめたあと、小さく唸った。
「ふむ……しかし、ここにまったく対策がされていないとも思えないが……」
「私もそう思います。しかし現状、中枢への潜入に最も適しているのはここしかありません」
彼の懸念がもっともであることは、ノーマンも気付いている。
これだけの警戒体制を敷いていながら、こうも容易く見抜かれる侵入経路を残しているとも考え難いからだ。
ただ、他の施設を経由しての侵入よりは遥かに短時間で効率的なのも事実だろう。
「よし……決まりだな」
元より、容易く調査できるとも思っていない。リスクを避け過ぎても時間がかかるだけだし、それが許されるほど彼らを取り巻く状況も甘くない。
覚悟を決めた二人は頷き合うと、速やかに次の行動を開始した。
薄暗い部屋の中、荒ぶる獣のような声がする。
幾人かの人影により繰り返される凌辱劇――それはその場に響き渡った靴音と共に終わりを告げる。
緑の表層を持った異形の人間たちは立ち上がると、現れた男を澱んだ瞳で迎えた。
次いで彼らは道を開けるかのように整然と左右に分かれ、直立不動となる。
「研究室で抑圧されていた欲望が、一気に弾けた結果か……この娘には、刺激が強過ぎたかもしれんな」
道となった空間を進みながら、ダイゴ=オザキは目を細める。
男たちの集っていたところに横たわるのは、一人の少女だ。わずかな布地の残骸がまとわりついている以外は、ほぼ全裸である。
若々しく健康美に溢れていた身体にはいくつかの痣が浮かび、中には引っ掻き傷もある。
周囲には赤と白の混じり合った濁った体液が沼のように広がり、生臭い異臭が立ち込めていた。
天井を見上げる少女の瞳に光はなく、澱んだ魚の目と化している。口元から垂れた唾液らしきものが、頬に涙痕のような跡を残していた。
「だが……これで良い顔になったな。お嬢さん」
見下ろすダイゴの言葉は相手に投げかけるようでいながらも、実際はただの独り言であった。
その証拠に、無残な姿で横たわる少女――フューレ=オルフィーレの口から、返答は一切戻ってこない。
(これでテストには問題なかろう……と、思いたいが……)
自らの命令で作り出した凌辱の空間の中で、しかしダイゴは懸念をあらわにする。
手にした紫の種子が激しく震え、その存在を男に誇示していたからである。
(新種子の反応が、妙に気になる。この娘と会った時から、ずっとこの調子だが……)
【ハイペリオン】より託された種子は、気を抜くとフューレの元へ落ちてしまいそうなほど強く男の手を牽引していた。
ダイゴが瞳を輝かせ、力を込めることでその反応が再度弱まる。
(思えばこの娘はなぜあの場所に現れ、私を追ってきた? しかもたった一人で……)
種子との密かな戦いを制しながら、彼は今になってフューレが単独で現れた理由に疑問を抱いていた。
彼が尾行され始めたプリズム・レイク付近の林は今の時期、ほとんど人が来る場所でもない。
なんの予備知識もない娘が、一人でやってくるにはあまりに不自然過ぎた。
(ただの偶然でないとするなら、考えられる可能性は……)
考えを巡らせたダイゴは、そこで改めて種子を強く握り締める。
瞳を閉じて脈動するそれに意識を集中させると、わずかに思念波のようなものが放たれていることに気付いた。
(なるほどな……そういうことか)
内心でつぶやくと、彼はその思念波の根源を探るように精神を潜り込ませた。
どこまでも続く紫の闇の中、輝きを放つ一粒の光がある。
それはあまりにも弱いものであったが、消える前のロウソクのように自身の存在を主張し続けていた。
その光は少女の姿を形作っており、汚泥のようにまとわりつく闇を掻き分けながら、必死に腕を伸ばす。
『フューレちゃん……フューレちゃん!』
腕が示す先には、うすぼんやりとなんらかの光景が映っている。
それは虚ろな瞳で横たわる少女――白濁の沼に沈んでいるフューレ=オルフィーレの姿であった。
そんな彼女に呼び掛けながら、光は悲痛とも呼べる声を放ち続ける。
『取り込まれた娘の意識の残骸か……よくもまぁ、残っていたものだな』
その異質な空間に、別の声が響く。
光の少女が振り向くような動作をすると、そこに現れたのは赤黒いオーラを纏った男の姿であった。
少女と異なり、その姿は紫闇の中においても明確な存在感がある。
『あなたは……!』
光は、その男――ダイゴ=オザキを認めて驚愕の声を放つ。
しかしそれも束の間のこと、その声には徐々に怒りが滲み始めたようだった。
『あなたが、フューレちゃんをひどい目に……! お父さんまで利用して……!』
光の少女――リーン=アステリアは、まくし立てるようにダイゴを責める。
意識の残滓となった彼女であるが、外の世界で起こった出来事はすべて把握していたようだ。
そんなリーンを見つめるダイゴの瞳は、いつもと変わらぬ冷徹な輝きに満ちていた。
『フン……憤るな。あの娘がああなったのは、お前のせいでもあるのだぞ?』
さも自分は悪くないとばかりに、彼は言い放つ。
『お前が呼び掛けるような真似をしなければ、あの娘はやって来ることもなかった。お前の存在が、あの娘を苦しめたのだ』
『そ、そんなことっ……!』
動揺したような素振りを見せるリーンに、ダイゴは続ける。
フューレを呼び続けた結果、その思念は種子の力で歪み増幅され、強い思念波となった。
そしてなんらかの形でそれを受け取ったからこそ、フューレはベルザスにやってきてしまったのだと――。
『中途半端なお前の存在が、大切な友を傷つけた。素直に呑み込まれていれば、このような悲劇は起こらなかったものをな……』
『わ、わたしが……フューレちゃんを……』
『だが、案ずるな。お前とあの娘は、すぐにひとつとなる。我ら混沌の眷属としてな……』
詭弁を弄したダイゴはそこで歪んだ笑みを浮かべると、少女の頭を無造作に掴んだ。
同時に光が弱まり、リーンの姿が紫の闇に呑まれるように消えていく。
『ううっ……あああぁぁ……! フ、フューレちゃ……ん……』
光の少女は必死に手を伸ばそうとするが、その腕の先はすでに掻き消えている。
ただ、声だけが悲痛に響き渡るのみだ。
『溶けて消えるがいい。リーン=アステリア……大切な友人と共に、新たなる混沌の礎となれ』
ダイゴは、冷たい声と共に告げる。
すでに形を維持できなくなった少女が砂のような光に変わる中、どこか澱んだ声が最後に響き渡った。
『ヒトツニ……ヒトツニナル……ふゅーれチャン、ト……』




