(12)秘めし闇
「特務執行官【アポロン】が現れただと?」
ベルザス・ユニバーシティ近郊にある林の中で、ダイゴ=オザキは言った。
彼の手には携帯端末が握られており、そこから若い女の声が聞こえてくる。その声の主は、アレクシア=ステイシスだ。
『ええ。どうやらアステリア教授に会いに来たようよ。教授の娘が寄生者だったのは、ちょっとした誤算だったわね。今回はごまかしたけど、またやってくる可能性は高いんじゃないかしら?』
「うむ……もしベルザスのことを探られたら、更なる疑いを持たれるかもしれんな……」
わずかに考えるような仕草をしながら、ダイゴは頷く。
その目元には、憎悪を思わせるような輝きがあった。
「厄介なものだな。ソルド=レイフォースめ……了解した。なにかあったら、また連絡を頼む」
『わかったわ』
通話を終えて端末を切ると、彼は歩き出す。
木々の間から差し込む光がその顔に影を添え、葉を踏みしめる乾いた音だけが響く。
(まぁいい……あそこも仮の宿だ。計画も大詰めとなった今、奴らに気付かれても支障はない)
心中でつぶやきながら、ダイゴは目的の場所に辿り着く。
林の中に開けた場所があり、ややすり鉢状に地面が傾斜している。
そのすり鉢の中央には、黒っぽい色をした大岩が鎮座していた。
どうやら元からそこにあったというよりは、空から落ちてきたもののように思える。
ダイゴがそれに手を触れると、すり抜けるようにして彼の身体が溶け込んでいく。
やがて水の中にでも潜るように、ダイゴの姿は完全に大岩の中へと消え去った。
「遅かったね。ダイゴ……なにをしていたんだい?」
次の瞬間、ダイゴの姿は洞窟のような空間の中にあった。
目の前に赤い光を受けてたたずむ黒い影の姿があり、輝く金の瞳が彼を見据える。
「申し訳ありません。少々、想定外のことが起きまして……」
【統括者】にして主である【ハイペリオン】に、彼は深々と頭を下げる。
その言葉を聞いた黒い影は、わずかに首を傾げるような動作をした。
「想定外?」
「はっ。特務執行官【アポロン】がベルザスに現れたと……今のところ偶然ではありますが……」
ダイゴの言葉に【ハイペリオン】は、得心したようだった。
彼は赤い光のほうに向き直ると、背中越しに問い掛ける。
「そうか……でも、SPSの増殖培養は終わっているんだろう?」
「はい。滞りなく……ゆえに施設を放棄しても、特に問題はないのですが……」
そこまで聞くと、【ハイペリオン】は赤い光に手をかざした。
光がわずかに揺れると同時に、その向こうから紫色の種子が姿を現し、影の手に収まる。
「なるほどね。でも、ちょうど良いかもしれない。ダイゴ、君に頼みがある」
「はっ、なんなりと」
ダイゴが返事を返すとほぼ同時に、影の手から種子が投げられた。
それは放物線を描いたあと、ゆっくりとダイゴの手元に舞い降りる。
「それのテストを頼みたいんだ」
「は……? しかし新種子のテストは、【テイアー】様が行っていたはずでは……?」
種子を手にした彼は、わずかに意外そうな顔をして主に目を向ける。
数時間ほど前に同じものを、【テイアー】が持っていったはずである。
【ハイペリオン】はそこで、わずかに嘆息するような仕草を見せた。
「それがちょっとイマイチな結果でね。ついでに【テイアー】も手傷を負ったよ」
「【テイアー】様が手傷を!?」
さしものダイゴも、その言葉には驚いたらしい。
【統括者】たる【テイアー】が手傷を負う――それは彼にとっても信じられない出来事だった。
ただ、それに対して【ハイペリオン】は、油断した結果だよとバッサリ斬り捨てる。
「ま、そういうわけで君に頼みたいのは、テストの続きだ。新種子とSPSとの親和性を確かめたい」
「SPSとの……親和性?」
「そう……覚醒者の力を高めるSPSなら、新種子の力不足を補えるかもしれないからね」
【テイアー】からテストの結果を聞いた【ハイペリオン】は、新種の能力を補う手段を考えていた。
すぐに思いついたのは、カオスレイダーの能力を飛躍させるSPSを使えば、同じように新種の力を高められるのではということだ。
これまでに消費したSPSの増殖培養も終わった今ならば、タイミングとしては申し分ない。
更に彼は、黄金の瞳を鋭く煌めかせて続けた。
「多分【アポロン】は、もう一度ベルザスに来るだろう。その時、標的にしてみると良い。それに君としても、奴の存在は目障りだろう……?」
ダイゴは頭を下げつつも、その言葉に拳を握り締める。
主の指摘通り、彼の心中にはソルドに対するどす黒い感情が渦を巻いていた。
それは憎悪に近いものだ。アマンド・バイオテック時代から間接的に自分の邪魔をし、目障りな動きをしてきた相手――。
人の頃からあったしこりは、今や時を経て彼の精神すら蝕む魔物へと成長していた。
「ただ、油断は禁物だ。特務執行官も侮れない力を持ってきている。【テイアー】と同じ轍は踏まないようにね……」
「はっ……かしこまりました」
確かにこれはチャンスだ。
あの男に、これまでの意趣返しをしてやろう。
新たな種子を握り締めたダイゴの口元には、どこか歪な笑みが浮かび上がっていた――。
陽も傾き始めたその日の午後――自宅を出たフューレの姿は、超電導ライナーのベルザス・ユニバーシティ駅にあった。
カフェやショップの並ぶ構内を抜けて外へ出ると、清涼な風が頬を撫でる。
様々なオブジェの立ち並ぶ駅前広場を進むと道路に突き当り、そこを横断した正面にはベルザス・ユニバーシティへと続く街路が、わずかな傾斜をもって伸びていた。
ベルザスは小高い山全体に施設が配置されており、総面積も大きい。自然も多く、リラクゼーションスポットとしても人気の高い場所だった。
ただ、現在の状況下では観光客もおらず、学生たちの数もまばらに見える。
フューレは記憶を辿りながら、その街路を進んでいった。
(う~んと……確かそこの分かれ道を左だったかな。あ、そうそう……案内もある)
実際に彼女がここにやってきたのは、もう数年前の話になる。
景観などは変わっていたが、道筋は以前のままだ。
(確かあの時は、三人でこの道を歩いていったんだよね……)
ふと、フューレは当時のことを思う。
リーンの父が近くに良い景色の場所があるから、ピクニックでもしようかと言い出したのが事の始まりだった。
母親を早くに亡くしたリーンは、フューレ同様に自宅で一人残されることが多かった。
寂しい思いをしている娘の気を少しでも晴らしてあげたいと、彼はピクニックを計画したのだ。
それでも二人では物寂しい上、同じ思いをしている友達がいるということで、リーンがフューレを誘ったのである。
(ウチの冷血たちにも、そのくらいの気遣いがあればね……)
内心で、彼女は毒づく。
思えば家族での思い出らしきものも、フューレは持っていなかった。
(ま、仕方ないか。所詮アイツらは仕事を言い訳にして逃げているだけ……家族の団らんなんて考えたこともないだろうし)
彼女の中には、親に対する感謝や愛情といったものは、ほぼ存在しない。
親も定期的に連絡はしてくるものの、これといって心のある言葉をかけてきたことはなかった。
あくまで事務的に話をするだけで、傍から聞いたら親子の会話ですらないと人は思うに違いない。
(お互いどこでなにをしようが、知ったことじゃない。遺伝子上で繋がりがあるだけの、赤の他人よね……)
凍てついたようなその言葉は、少女の抱える闇そのものだった。
本当に一人きりであったなら、彼女もまた親同様の冷血なマシーンになったかもしれない。
しかし幸いにも、フューレにはリーンがいた。
人の心を教えてくれた大切な親友――リーン=アステリアという人間は、闇に沈んだフューレの心を照らす太陽であったのだ。
(リーン……あたしはなにがあっても、リーンを助けてみせる。それがあたしなりの恩返し……待ってて。きっと……!)
改めてリーンへの強い思いを心に刻みながら、フューレは思い出の道を進んでいった。




