(11)美神の意地
サーナが激闘を繰り広げていた頃、ソルドはノーザンライトの北西に位置するベルザス・ユニバーシティに来ていた。
ベルザスはかつてのノーザンライト・ハイスクールと同じように私立校であったが、政府の学園都市計画に合わせるように運営権が移譲され、公営化していた。
現在のノーザンライト・アカデミアにおいては最上位といかぬまでも、名の知れた大学として通っている。
特に生化学分野においては、優れた人材の集まることで有名であった。
「不在だと?」
そのベルザスの研究棟に向かうための中門で、ソルドは足止めされることになった。
大学に入るための校門は偽の捜査官IDで容易く抜けることができたが、教授連や施設関係者の集う研究棟は極めて厳重な警戒がされており、人間の警備員に加え警備ロボットなども配備されていた。
事情を説明し、リーンの父親に面会したい旨を伝えた彼だが、その際警備員から返ってきた答えが今、彼の口にした内容だったのだ。
「はい。アステリア教授は二日ほど前から体調不良ということでして……出校はされておりませんな」
「そんなはずはない。先刻、教授の自宅を訪れた際には不在だったぞ」
「と言われましても……こちらも教授ご自身から、数日ほど欠勤すると話を聞いておりまして……」
ソルドの反論にも、警備員はぶすっとした表情で答えるだけだ。
青年の頭に、疑念が渦巻く。
(どういうことだ? 仕事先は欠勤扱いで、家にも戻っていないというのは……リーンの父親は、いったいどこに行ったのだ?)
どこか別の場所に寄っている可能性がないわけではない。
しかし、ロックダウン状況下でまったく帰宅もせず、転々とうろつくというのは考えにくい話だ。
「ご納得いただけましたか? であれば、速やかにお帰り願いたいのですが……」
「わかった。邪魔をした……」
訝しげな表情でたたずむソルドに、警備員は低い声で告げる。
仕方なく彼は踵を返すが、同時に周囲にいる者たちの視線が妙に刺々しいことに気付いた。
(なんだ、この違和感は……? まるで彼らは私を追い返したがっているようにも見えるが……)
心に湧き上がった新たな疑念を抑えつつ、ソルドは元来た道を戻っていく。
それを見送った警備員は携帯端末を取り出し、いずこかへと繋いだ。
「ご命令通り、追い返しましたが……」
彼の言葉を受け、端末の向こうから返事が返ってくる。
それは落ち着いた様子の、若い女の声だった。
『ご苦労だったわね。けど、ここで下手に勘繰られるわけにはいかないわ。あの男が完全に立ち去るまで、注意は怠らないことね』
「かしこまりました……」
見えぬ相手に頭を下げるような仕草をしながら、警備員は通話終了のキーを押した。
恐怖にも似た感情から力を出し切れなかったソルドに対し、今のサーナは確実に本来の実力を発揮できる状態にあった。
それは彼女の持つ怒りが、【統括者】の放つ威圧的なオーラを凌駕したからに他ならない。
実際に【テイアー】はその事実を認めていたし、当のサーナも対峙した当初にあった震えは完全に消えていることを実感していた。
しかし、特務執行官と【統括者】の間にある力の差は、それだけで覆るほど簡単なものでもない。
もう何度目かになる拳撃が空を切る。
目に見える相手の姿は、確実に捉えているはずだった。
しかし、影のようなおぼろな敵に、手応えといったものはまったくない。
幻影に攻撃しているという表現がしっくりくるものの、問題はその幻影がなぜか物理的な力をもって反撃してくるという点だった。
(くっ……こいつには実体がないの? こっちの攻撃は外れて向こうの攻撃は当たるなんて、どんだけチートなのよ!)
やはり何度目かになる衝撃波に跳ね飛ばされ、サーナは血の混じった唾を吐き出す。
ナノマシンヒーリングと細胞活性によってダメージの回復はできるものの、このままでは堂々巡りである。
それに特務執行官といえど、精神的に疲労はする。
ましてやカオスレイダーを従える【統括者】相手に、余裕の戦いなどできるわけもなかった。
「もうあきらめたらどうかしら? いくらやっても、あなたは私に触れられない……所詮、それが特務執行官の限界よ」
そんな内心の動揺を読み取ったように、【テイアー】は冷めた声で言う。
怒りの視線はそのままに、やや荒く息をつきながらサーナは答えた。
「黙りなさいよ……」
その声に、まだ絶望したような響きはない。
突き付けられた現実がなんであろうと、簡単にあきらめることはできない。
それはサーナという人間がこの世界に足を踏み入れる前から、ずっと心に抱き続けてきた思いだ。
「あんたがなんだろうと、どう思おうと知ったこっちゃない……あたしがぶっ飛ばすと決めたからには、必ずぶっ飛ばす! それだけよ!!」
それは強い自我と言い換えても良かったろう。
見た目と普段の人柄からは想像できないほど、彼女は不屈の心の持ち主であったのだ。
闘志もあらわに、サーナは強く床を蹴る。
「いい加減お遊びも飽きたわ……これで終わりにしてあげる」
もう何度目かになる特攻を見ながら、【テイアー】はその手にエネルギーをみなぎらせる。
振り抜かれた拳が目元の辺りをすり抜けていったところで、彼女はサーナの胸板に衝撃波を叩き込む。
それは今までの倍近い威力をもって、特務執行官の身体を中空へ吹き飛ばした。
「かはっ……!」
血反吐を吐きながら、天に舞うサーナ。
無防備な体勢のままにある彼女に向けて、【テイアー】はすかさず収束した闇のレーザーを放った。
(マズい……終わった?)
緩やかになる時の感覚の中で、サーナは思う。
迫りくる闇のレーザーを回避する術はなく、このままだとアーシェリー同様に胸を射抜かれてしまうだろう。
しかしその瞬間、光が閃くように彼女の頭の中に聞こえてくる声があった。
『いや、まだ終わりじゃない……終わりではない』
そこでサーナは自身の中から湧き上がってくる温かなエネルギーを感じ取った。
同時に身を捻るように動かし、半ば強引に体勢を変える。
闇のレーザーが彼女の豊満な胸と肩とを抉って、鮮血を撒き散らした。
「かわした?」
さしもの【テイアー】も、驚きを隠せなかった。
傷こそ深いとはいえ致命傷を免れたサーナは、地に降り立つと同時に【統括者】の元へと突っ込む。
「はああああぁぁああぁぁぁぁぁあぁっ!!」
その拳に、金の光輪を交えた薄桃色の光が宿る。
眩い輝きに包まれたそれは【テイアー】の顔面に向けて突き進み、目元の下――頬に当たる部分を殴り飛ばした。
「ぐっ!?」
強烈な閃光と爆音と共に、【テイアー】の身体が後方へと吹き飛ぶ。
その顔面から、霧のように闇が散った。
「どうよ!? この姑息チート女!! ちったぁ思い知ったか!!」
サーナは、してやったりとばかりに吼えた。
明確な手応えがあったわけでないが、殴り飛ばしたという感覚は確かにあった。
ふらつきながら体勢を立て直した【テイアー】は、銀の瞳に今までにない感情を湛える。
(バカな……【秩序の光】のエネルギーレベルが跳ね上がった? これはかつての戦士と同じ……!)
それは物理的に殴り飛ばしたわけでなく、【テイアー】を構成する混沌のエネルギー体がコスモスティアの放つエネルギーと対消滅した結果、生まれた衝撃であった。
しかし、そのような芸当は今の特務執行官にはできないはずである。
放つエネルギーが同等にならない限り、対消滅は起こらないからだ。
「く……特務執行官【アフロディーテ】と言ったわね。覚えておくわ……!」
どこか怒りを感じさせる低い声で、【テイアー】はサーナに告げる。
それは銀眼の【統括者】が、遥か長き時を経て蘇らせた憎悪という感情の表れだった。
蒼空に飛び上がった彼女は、その姿を散らすように消えていく。
「逃げるか! この卑怯者!!」
「今はその時ではないわ……いずれ必ず決着をつける。それまで首を洗って待ってなさい」
あとを追おうとしたサーナだったが、胸元の傷が鋭い痛みを発し、思わず膝をつく。
すぐに敵のほうを見やったものの、すでに漆黒の影は跡形もなく消え去っていた。
「くっ……逃がした!!」
悔しげに拳を床に叩き付け、サーナは叫ぶ。
ほぼ同時にその身体が前のめりに、屋上の床に倒れ込んだ。
(ごめん。アーちゃん、ノーマン……一発食らわすだけで精一杯だった……)
冷たいコンクリートの温度を全身で感じながら、彼女は内心でつぶやく。
傷付いた仲間たちに代わり、一矢報いることはできたものの、満足いく結果とはとても言えない。
同時にこのままではダメだという思いが、サーナの心に去来していた。
(あれが【統括者】か……悔しいけど、今の力じゃ勝てないわね。でも、あの声は……いった、い……)
わずかに聞き取った謎の声のことを思いながら、彼女は激しく襲ってきた精神的疲労に、その意識を手放したのだった――。




