(10)対峙
戦いの様子を見下ろしていた【テイアー】は、その終結と共に息をつくような仕草をした。
「戦闘能力的には、多少優れているという程度か……特務執行官相手には微差に過ぎないわね」
誰に言うともなく、彼女はつぶやく。
【ハイペリオン】より預かった新しい種子は、寄生者に極めて早い覚醒をもたらすものであることは実証された。
ただ、覚醒後の個体がパワーアップしているかという点は、また別問題であったらしい。
「もっとも、蓄えたエネルギーを精神支配力の強化及び覚醒までの時間短縮に割いている以上、無理もない話か。多くを望んでも仕方ないけど、うまくいかないものね……」
従来の種子に覚醒後もしくは覚醒間近の個体のエネルギーを注ぎ込むことで、新種子は完成している。
それは通常のカオスレイダーを生み出すよりも遥かに手間のかかっているものだ。
手間の分だけリターンを期待したくなる心情は、どうやら人間も【統括者】も同じであるらしい。
「【ハイペリオン】も想定の八割と言っていた。であるなら、まだ改良の余地は残されているけど……」
そこで【テイアー】は、わずかに瞳を鋭くする。
眼下から吹き上がってきた風と共に、その場に淡い桃色の輝きが現れたからだ。
「……覗き見されてるの、気が付いてないと思った?」
声と共に屋上に降り立った光は、今しがた下で戦いを繰り広げていたサーナ=アーデントフォースであった。
【テイアー】はやや意外そうな口調で、相手に向き直る。
「私の存在に気が付くとは、見事なものね。特務執行官……」
「まぁね。お姉さん、人の視線には結構敏感なの」
茶化したように答えたサーナだったが、すぐにその視線が鋭くなった。
「その銀の瞳……あなたが【テイアー】ね?」
相手の姿を観察し、彼女は続ける。
銀の瞳が特徴的な黒い影――情報に違わぬ敵の姿に彼女も高揚を抑え切れなかったが、同時に今まで感じたことのない戦慄が身体を震わせてもいた。
(なるほど……身体が委縮しちゃうってこういうことか。これは厄介じゃない……)
かつてソルドに聞いた言葉が、サーナの頭をよぎる。
対峙して実感したが、蛇に睨まれたカエルのように動けず、本来の力を発揮できなかったというのは嘘でも誇張でもなかったようだ。
「私のことを知っているようね……」
「そりゃ、あれだけ仲間を好きなようにされちゃ、否が応でも覚えるってものよ」
動揺を悟られぬよう、サーナは口元にわざと笑みを浮かべる。
それを知ってか知らずか、【テイアー】は挑発するような口調で言った。
「私はあなたのことを詳しく知らないけど……名前を聞かせてもらえるかしら?」
「あ、そう……じゃ、聞きなさい。これからあなたをぶっ飛ばす女の名をね!」
右拳を握り締め、サーナは左手の人差し指を相手に突きつけながら、名乗りの言葉を放つ。
「我は心意……愛の守護者。人の心失いし者に、熱き思いを見せつけん! 我が名は、特務執行官【アフロディーテ】!」
その頃、フューレ=オルフィーレは変わらずに自宅にいた。
学校は体調不良ということで、休みをもらっている。リーンが心配でとても登校する気になれなかったし、そもそもそのリーンがさらわれた事実自体、公になってないようなのだ。
ネットを眺めていても出てくる内容は殺人事件に関するものばかりで、少女の失踪や拉致といったニュースはない。
「昨夜のことだといっても、なにも出てこないのはおかしいんじゃない……?」
どこか苛立たしげにコンソールを叩きながら、フューレはぼやく。
あのCKOの捜査官と名乗った赤髪の男も、関わるなと言っただけで詳しい説明はしなかった。
なにか内密にしなければならない理由があるのかもしれないが、それで納得できるほどフューレは達観していない。ますますもって、リーンを自分の手で探し出さなければならないという思いに駆られていた。
とはいえ一介の女子学生にできることなど、たかが知れている。
成績こそ悪くないとはいえ、フューレには卓越したコンピュータースキルもなければ、名探偵の才能もない。
当てもなく探して見つけられるほど、失踪者の捜索は簡単ではないのだ。
「手掛かりは、あの夢の場所……あ~もう、なんで出てこないかなぁ!」
自分の頭を叩きながら、フューレは叫ぶ。
夢で見た場所が怪しいと考えるのはあまりに短絡的だが、他に目ぼしい手掛かりはない。
それになぜかあの場所が無関係であると思えないなにかが、少女の心には直感としてあった。
『新時代の先駆者となろう! 私たちは君の挑戦を待っている!』
その時、フューレの耳に飛び込んできたのはネット広告のナレーションだった。
無料コンテンツを閲覧しているとやたらと差し込まれてくるもので、正直フューレも辟易していたが、なぜか今はその内容に引き込まれた。
『ベルザス・ユニバーシティには、君の意欲を駆り立てるものがきっとある! やりたいことが見つかる環境で、輝ける未来に羽ばたこう!』
それはノーザンライトでも名の知れた大学の広告だった。
今後の進路を考える中で、何度かリーンとこの大学について話し合ったことがある。
ベルザス・ユニバーシティにはリーンの父親も勤めていたため、フューレとしても割と親近感を抱いていた。
「ベルザスか……そういえばリーンのお父さんは昨日帰って来なかったみたいだけど……っ?」
そこまでつぶやいて、フューレは目を見開いた。
広告の中に一瞬だけ出てきた湖の光景が、彼女の心を捉えていた。
同時に今までずっと思い出せずにいた記憶が、そこではっきりと浮かび上がった。
「そうだよ! あれはプリズム・レイクだ! リーンやリーンのお父さんと一度だけ行った場所……!」
椅子から立ち上がりながら、彼女は叫ぶ。
それはもう小学生の頃の記憶だった。当時から一人でいることの多かったフューレを気遣い、リーンがピクニックに誘ってくれたのである。
ベルザス・ユニバーシティの傍にあるその湖は隠れた人気スポットで、リーンも大好きだった場所だ。
「行かなきゃ……リーンが、リーンがきっと待ってる……!」
ネット端末を消し、フューレはすぐに身支度を始める。
なんの根拠もない思い出の記憶を頼りにしつつも、少女は水を得た魚のように行動を開始した。
サーナと【テイアー】――対峙する二人の間に、緊張が駆け抜ける。
眼下では喧騒が激しくなる中、この場に満ちるのは言葉すら発するのも憚られる重い空気だ。
「さぁ、行くわよ!」
己を鼓舞するように叫びながら、サーナは【テイアー】に向かう。
右拳を振りかぶり、その腕に必殺の意思と力を込めて突きを放つ。
しかし、【テイアー】はその一撃をするりと回避し、無造作に掌底を突き出した。
「ぐっ!?」
くぐもった声と鈍い衝撃音と共に、サーナの身体が吹き飛ばされる。
まるでピンポン玉のように屋上の床を跳ねながら、彼女は通用口のドアにぶつかって停止する。
「く……! やってくれるじゃない……」
わずかに口元から血を垂らし、サーナは敵を見据える。
なにをされたのかは理解できた。ソルドやノーマンが食らったように、衝撃波で吹き飛ばされたのだ。
その威力は常人なら致命傷になるほどのものだったが、サーナにとっては大したものではない。
立ち上がるその動きには、今の攻撃によるダメージはすでに感じられない。
「……そう。あなたは細胞の活性化によって身体能力を高めたり、ダメージを回復したりできるのね」
その原理を見抜いたように【テイアー】はつぶやく。
銀の瞳が不気味な輝きをもって、美しき特務執行官を見据えた。
サーナは再び怒声を上げると、先と同様に相手に襲い掛かる。
「愛の守護者とか言っている割には、ずいぶんと力任せね……野蛮なこと」
「野蛮? わかってないわね……!」
繰り出す突きがことごとくかわされる中で、サーナは吼える。
再び放たれようとした衝撃波の射線から逃れるように身を低く落としつつ、地に着いた手を起点に回転し、鋭い回し蹴りを繰り出した。
巻き起こった旋風が眼前をよぎり、【テイアー】は舞うように後方へと飛び退る。
「愛は触れ合ってなんぼでしょ。暑苦し過ぎるのは嫌だけど、離れ過ぎても寂しいだけだわ」
「なるほど……でも、あなたでは私に触れることは叶わなくてよ」
「なにをっ!!」
挑発するような【テイアー】の言葉にサーナは更なる怒りを剥き出しにすると、三度目の突撃を開始する。
向かってくる相手を前に、しかし【テイアー】はまったく動こうとしない。
呆然と立ち竦んでいるように見える敵に、サーナは容赦のない鉄拳を繰り出した。
「……嘘っ!?」
次の瞬間、サーナの表情が驚愕に変わる。
彼女の身体が【テイアー】の身体を素通りして、向こう側に突き抜けてしまったからである。
勢い余ってつんのめった特務執行官の背中に、焼け付くような痛みが走る。
とっさにそのまま転がって体勢を立て直すと、サーナは黒い指を向けている【統括者】に向き直った。
「ほらね……言ったでしょう?」
嘲笑うような態度の【テイアー】を見て、彼女は歯噛みする。
後ろ手に背中に触れると、そこには刃物で一直線に抉られたような傷があった。
(そんな……身体がすり抜けた? どうなってんのよ、こいつ!? それに今の攻撃は……!)
見ることはできなかったが、敵の指からなんらかの攻撃が飛んできたことは察しがついた。
銀の瞳を歪に煌めかせ、【テイアー】は残念そうにつぶやく。
「【アテナ】みたいに一撃で仕留めるつもりだったけど……運が良かったわね」
「なんですって?」
その言葉を聞いたサーナの顔色が変わる。
アーシェリーが致命傷を負った時のことは、電脳空間での再会時に本人から聞いていた。
背後から飛んできたレーザーのような攻撃に、胸を貫かれたという話だった。
「そう……今のがアーちゃんをやった攻撃ってわけね!」
拳を震わせて、サーナは咆哮する。
仲間を傷つけた攻撃――それも背後から隙を狙うようなやり口まで一緒だったことに、彼女の怒りのボルテージは最高潮に達する。
同時にその全身からピンクの光が放たれ、眩い煌めきを放ち始めた。
(このエネルギーの高まり……この女、私の威圧をはねのけようとしている……?)
その様子に【テイアー】は驚いたようだった。
鬼のような形相を見せるサーナは、その瞳に凄まじいまでの闘志を宿す。
「ますますムカついたわ! ぜってぇ泣かす! その横っ面、必ずぶっ飛ばしてやる!!」
性格まで豹変したような荒っぽい言葉と共に、彼女は力強く床を蹴った――。




