(7)懸念
洞窟のような空間で歪に光る赤い卵を見つめるのは、黄金の瞳だった。
地に鎮座する卵は、その脈動を以前にも増して強めている。
やがて、その中に紫色の染みが浮かび上がる。
それは種のような物体を形作ると、水面を跳ねる魚のように卵の表面から飛び出した。
瞳を輝かせた影――【ハイペリオン】は、闇の腕を伸ばすと、飛び出てきたそれを宙で捉える。
紫の種は【統括者】の手の上で鈍い音を響かせながら、その存在を誇示しているかのようだった。
「今回は手間をかけさせたね」
ふと、【ハイペリオン】が言葉を発する。
それは独り言ではなく、いつの間にか彼の背後に現れた者に対してかけられた言葉だった。
銀の瞳を持つ黒い影――【テイアー】は、特に感慨もない様子で同胞に告げる。
「別に……私たちの目的のために、やるべきことをやっただけだわ。それで首尾はどうなのかしら?」
「想定の八割といったところかな。ま、テストしてみないと、なんとも言えないけど」
種を弄ぶようにしながら、【ハイペリオン】は笑みを浮かべる。
【テイアー】はその様子を見つめながら、わずかに嘆息したようだった。
「そう……ひとつ聞いていいかしら?」
「なんだい?」
「なぜ、今になってそれを作り出そうと考えたの?」
彼女の言い出した言葉に、【ハイペリオン】はその目を細める。
【テイアー】は肩を並べるように移動しながら、言葉を続けた。
「混沌の種子に改良の余地があったというなら、もっと早くに手を打てたはず……でも、あなたはそれを放置してきた。今になってそれを作り出そうとした理由はなにかしら?」
計画の手伝いをする上で、彼女は【ハイペリオン】から概要を聞いていた。
現状のカオスレイダー種子は寄生から覚醒までの期間が長過ぎるため、オリンポスに付け入る隙を与えている。それを改善した新たな種子を作り出すというのが、今回の計画の主目的だった。
ただ、【テイアー】はそれだけが理由ではないと考えていた。
「……君も薄々気が付いているんじゃないのかい?」
わずかに瞑目したのち、答えた【ハイペリオン】の声音には先ほどと異なる不機嫌そうな感情が覗いていた。
同胞に向き直ったその瞳には、歪な輝きが見える。
「かつての星の人類と違い、地球発祥の人類は混沌の種子に対する親和性と耐性を持ち始めている」
いつになく真面目な様子で、彼は語り始める。
それは【統括者】の中で最も早くに復活した彼が見てきた、今の人類とカオスレイダーとの関係性だった。
「本来、混沌の種子は寄生した生物の感情エネルギーを食らい、僕らの眷属として覚醒する。その際に元の記憶は残るものの、生物本来の意識はなくなるはずだった……」
寄生生命体であるカオスレイダーは、宿主を心身共に怪物に変える。
それは今も変わらぬ現実であったが、そこに至るまでの過程では徐々に変化が生じていた。
「しかし今までの実験で、強い自我を持つ人間は種子の力を高める反面、その支配に抗ったり、時にはその力を利用したりもできることがわかった」
彼はそこで、アイダスやエンリケスといった人間たちの名前を出した。
半ばカオスレイダーの意思に侵食されていながらも、彼らは覚醒まで自我を保ち続けた。
特にエンリケスは自らの憎悪を爆発させて覚醒するという、今までにない覚醒方法を取っている。
元からある程度画策していたとはいえ、その結果として生まれたのが融合カオスレイダーという化け物だった。
「それでも最終的に覚醒した個体は種子の支配下に置かれたけど……ついに例外が生まれてしまった」
そこまで一定だった【ハイペリオン】の口調だが、例外という単語には強い嫌悪感が込められていた。
それがなにを指すのかは、言わずもがなである。【テイアー】は言葉を差し挟んだ。
「……アレクシアのこと?」
「そう……前に言ったように、覚醒して元の意識を保つ個体というのは僕たちにとって危険なイレギュラーだ」
その言葉を受け、【ハイペリオン】は改めて自らの懸念を告げる。
「あの女は種子の意思や力と完全に同調し、そのすべてを取り込んでしまった。奴が今後どうなるのかは僕ですら予想がつかない」
「……でも、今回の件では力になったと思うけど?」
「もちろん今は僕たちに従っている。けど、奴の意思は自由だ……ダイゴと違っていつでも僕たちを裏切ることができる」
金色の瞳が、鋭く閃く。
服従の種子を植えられたダイゴと異なり、アレクシアはカオスレイダーであってカオスレイダーではない別の生命体となっている。
【統括者】たちも、もはや彼女の意識に干渉することはできない。【ハイペリオン】はそこにいまいましさを感じているのだろう。
「今後、奴と同じような人間が出てきた場合、特務執行官と異なる意味で僕たちの脅威となりかねない。だから、種子の支配力を高める必要があった……これで答えになっているかな?」
紫の種を掲げ、彼はそう締め括る。
【テイアー】はその姿を銀の瞳で見つめながら、静かに頷いたようだった。
「【テイアー】……君があの女を気に入っているのは知っている。だが、決して油断はしないことだね」
「そうね……肝に銘じておきましょう」
【ハイペリオン】はそれを聞くと、手にした種を弾くように放り投げた。
弧を描いて飛んだ種を受け止めた同胞を見やりつつ、彼は普段の飄々とした調子を取り戻しながら付け加えた。
「ついでと言っちゃなんだけど、その種のテストをお願いするよ。まだ少し僕は手が離せないもんでね……」
その言葉にはわずか不満げな輝きを目に宿した【テイアー】だったが、やがて闇に溶け込むようにその場から姿を消したのだった。
フューレと別れたソルドは、サーナたちと一時的に合流していた。
夜も深まった超電導ライナーステーションの広場には、今も他者の姿は見えない。
それでも物陰に身を潜めるようにしながら、三名は顔を突き合わせていた。
「【テイアー】が現れただと?」
サーナからの話を聞いたソルドは、表情を硬くする。
ある程度予想していたとはいえ、【統括者】が直接姿を現した事実には、やはり驚かざるを得ない。
「そう。ノーマンを襲って、覚醒前の寄生者を拉致したそうよ」
「まったくもって突然のことでしたからな……不覚を取りました」
概要を伝えたサーナに、ノーマンがその時の状況を補足して説明する。
それを聞き終えたソルドはわずかに視線を落とした。
「寄生者を拉致……そうか」
「あら、どうしたのよ? ソルド君……なんか知ってるような雰囲気ね」
「いや、知っているというわけではない。実は……」
訝しげな表情をするサーナに、彼は自分の置かれていた状況について説明する。
ちょうど緊急コードが発信された頃、彼もまたダイゴらと対峙している最中だったこと。その結果としてリーンが拉致されてしまったことなどだ。
「……ふ~ん。ソルド君も寄生者を逃がしてしまったわけね」
「ああ。【統括者】やその下僕が動いているとなると、今回の事件、なんらかの企みがあることは間違いない」
奇しくも時をほぼ同じくして、寄生者を拉致されるという出来事が起こった。
数日前から起こっていたという寄生者失踪との関連性は、これで強まったことになる。
「【統括者】と、その下僕ですか……私も先ほどサーナ様から説明を受けましたが、厄介な者たちですな」
「でも、寄生者を集めてどうしようっていうのかしらね? まぁ、普通に集められても面倒なのは確かなんだけど……」
「わからん。とにかくこの件は一度司令たちにも報告する必要があるだろう」
任務を受ける前のことを、ソルドは思い出す。
【統括者】の関与が疑われた場合、ライザスらに報告するというのが新体制での決まりだ。
まさかこれほど早くその機会が来るとは思っていなかったがと彼が思っていると、サーナが嘆息を交えて言った。
「……それはそうと、これからどうするの?」
報告の件は置いても、任務自体をどうするか考えなければいけなかった。
街に潜む掃討対象がいなくなったわけではないが、かといってさらわれた者たちを放置しておくわけにもいかない。
ただ、行方の手掛かりがまるでない以上、失踪者の捜索は困難を極めるだろう。
「ひとまず現状の捜査を続行するしかないだろうな。それに寄生者の関係者も狙われる可能性が消えたわけじゃない」
言いながらソルドは、フューレの顔を思い出す。
状況は複雑だが、リーンを覚醒させるキーパーソンとなる少女もまた守る必要があると彼は感じていた。
「仕方ないか……なんか後手後手に回ってるのは、気に入らないけどね」
「同感だ」
不満げな様子で髪を掻き上げたサーナに同意しながら、ソルドは光の交錯する宵の空を見上げた。




