表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE5 太陽の翳る時
89/305

(6)抱く思いは


 なにが起こったのか、すぐには理解できなかった。

 いきなり強烈な衝撃が胸板を叩き、それによって身体が大きく跳ね飛ばされたのだ。

 危うく飛びそうになる意識を繋ぎ止め、ノーマンは受け身を取りつつ地に落ちる。

 よろめきつつ立ち上がるも、吐き出された血がダメージの大きさを物語っていた。

 アバラの数本は確実に砕かれていた。これほどのダメージを受けたことは、彼の人生でもこれまでにない。


(いったい……なにがどうなったと……いうのですかな)


 咳き込みつつ、彼は霞み始めた目で正面を見据える。

 いつの間にか、カオスレイダーの男を庇うように黒い影が立ちはだかっていた。


「なかなか見事な手際ね。人間……覚醒前とはいえ種子の力を宿した者を屠るなんてね……」


 その影はおぼろげでありながらも、圧倒的な存在感をもってノーマンを威圧してくる。

 負傷も相まって、彼は全身が凍り付いたように動かなくなるのを感じていた。


「でも、ここまでよ……この者はもらっていくわ」


 影はマントを広げるかのように、その闇で男を包み込む。

 男の姿が溶け込むようにその中に消えていき、わずか数秒後にはかき消えるようにその姿を消した。

 残った影は、金属を思わせる銀の瞳で、呆然と立つノーマンを見据える。


「あなたは……いったい……何者……?」


 絞り出すように口を開いたノーマンに、影は淡々と答える。


「私は【テイアー】……混沌を統べる者の一人」


【テイアー】はそのまま地面を滑るように、老紳士の目の前にやってくる。

 近くでその存在を見てもはっきりしない姿だったが、ノーマンは銀の瞳の下に薄く笑う口元を見た気がした。


「人間よ……特務執行官たちに伝えなさい。今後はこれまでのようにいかなくなるとね……」

「な、なんですと……?」


 特務執行官という単語を聞き、わずかに目を見開くノーマン。

 少なくとも目の前の相手は、オリンポスの存在を知っているということだ。

 それ以上に、これまでのようにいかなくなるという言葉の意味が気になった。

 だが、【テイアー】はその後言葉を発することもなく、夜の闇に溶け込むように消えていく。


「ま、待ち……」


 手を伸ばそうとするノーマンだったが、その身体が崩れるように地に倒れ込む。

 口元から溢れた血が、床を川のように流れていく。


(……まさか、このようなことになるとは……我ながら情けないものですな……)


 消えそうになる意識を繋ぎ止めながら、彼は近場に転がっているステッキに手を伸ばした。

 持ち手の部分にあるスイッチを押すと、眼前に小さなコンソールパネルが浮かび上がる。

 それを操作し、緊急コード発信の確認をしたところでノーマンは気を失った。






 ダイゴたちとのやり取りのあと、速やかにその場を離れたソルドはフューレを家まで送り届けていた。

 気丈だった少女は歩く道程でも終始無言であり、表情にはいまだにショックが残っている様子だ。

 寄生したカオスレイダーの仕業とはいえ、友人であるリーンが殺意を持って襲ってきたのだ。二人の関係を詳しく知らないソルドでも、衝撃的な出来事には違いないと思った。

 しかし、家に辿り着いての別れ際に、フューレは震える声で彼に問い掛けてきた。


「ねぇ……あんたは、なにを知っているの?」


 いまだ混乱の最中にある少女の瞳には、どこかすがるような輝きがあった。


「リーンが……あんなことになって……さらわれて……」


 まとまらない言葉が続く中、ソルドはそれに対する答えを用意できずにいる。

 カオスレイダーや特務執行官のことは当然秘密であり、本来は操作してでも消さねばならない記憶だ。

 ただ、ICコードを使ったとしても消せない記憶はある。少女の心に根強く残された衝撃は、容易に消えるものではないだろう。


「すまんが……それについては、答えることができん」

「どうしてよ?」


 元々、口下手なソルドとしてはそう答えるしかなかったわけだが、フューレは引き下がらない。

 無理もないことだと思いつつ、彼は少女の瞳を見つめた。


「とにかく彼女のことについては、私に任せて欲しい……悪いようにはしない」


 苦し紛れに放ったその言葉は、青年が珍しくついた嘘であった。

 寄生者を救う手段がない以上、リーンはもう掃討対象でしかない。しかし、それをフューレに説明したとしても納得はしないだろう。

 ならばここは彼女を遠ざけ、二度と関わらないようにするしかない。

 特務執行官は一般人と深く関わってはならない――それはミュスカの件で、彼が強く抱いた反省点であった。


「……リーンのことを人任せになんかできない!」


 しかし、それに対する少女の返答は変わらずに頑ななものだった。

 どこか必死にも見えるフューレの剣幕に、ソルドはやや気圧される。


「だから、あたしにできることはない? なんでもするから!」

「事はそう簡単じゃない。友人を思う君の気持ちはわかるが、これはCKOが解決すべき事件だ。それに君にも家族がいるだろう? ご両親を心配させてはいけない」


 詰め寄ってくる少女を押し留め、彼は首を振った。

 どのような理由があろうと、これ以上フューレを関わらせるわけにはいかない。

 ただ、最後に告げた言葉に対する少女の反応は、意外なものだった。


「親なんて……いないも同然よ」


 わずかに視線を落としたフューレは、怒りをあらわにして叫ぶ。


「仕事、仕事、仕事で娘のことなんてほったらかし! 金さえあれば、人は勝手に育つと思ってる!」


 それは憎悪でこそなかったものの、少女の抱える苦悩や寂しさを表した言葉だった。

 わずかに涙声になりながら、フューレは拳を握り締める。


「そんなあたしを慰めてくれたのが、リーンだった。リーンがいたから、あたしは辛くなんてなかったの。だから、あたしにとってリーンは……友達以上に家族も同じなの!」

「君は……」


 ソルドはそこで初めてフューレが引き下がろうとしない理由を知ると共に、やはり彼女を関わらせるわけにいかないという思いを強くした。

 心の寂しさを埋めてくれたかけがえのない者だからこそ、フューレは友を助けたいという思いを強く抱いた。

 ならばリーンという少女もまた、フューレに特別な感情を抱いていたはずだ。だからこそフューレを見たあの時に動揺したし、だからこそフューレを襲ってきた。

 リーンに憑いたカオスレイダーが覚醒するための贄――その条件を満たす人物がこの少女ならば、このままで済むはずがない。


「……それでも、私は同じことしか言えん。君はこの件に関わってはならない。そのほうが君のためだ」


 彼女に危害が及ぶ前に、ケリをつける必要がある。

 ソルドは突き放すように言い捨てると、踵を返して駆け出した。


「ま、待ってよ! どういうことよっっ!!」


 背後から聞こえてくる少女の叫びを聞きながら、彼は新たな焦燥に駆られることとなった。






「……ノーマン、ノーマン!」


 闇の中、ノーマンの耳に聞こえてきたのは美声であった。

 死神の声としては、あまりに甘美なものだと思う。

 ただ、それは彼自身も聞き覚えのある声であり、ゆえにそれが死者の迎えでないことは容易に理解できた。


「む……これはサーナ様……」


 まどろみの中から覚めるように、ノーマンは目を開く。

 果たしてそこには彼の想像した通り、薄桃色の髪をなびかせた豊満なスタイルの女性が立っていた。


「む……じゃないわよ。まったく、驚かせないでよね。緊急コード受けて来てみたら、凄い血を吐いて倒れてるんだもの。私じゃなかったら本気で生命がなかったところよ?」


 安堵したように、その女性――サーナ=アーデントフォースは息をつく。

 言われて意識を完全に覚醒させたノーマンは、先ほど受けたはずのダメージがなくなっていることに気付く。

 床に広がる血や服に残された染みだけが、先刻の戦闘が夢でないことを物語っていた。


「いや、申し訳ない……助かりました。さすがにサーナ様の再生治癒は凄いものですな」


 感嘆したように、ノーマンは礼の言葉を述べる。

 特務執行官【アフロディーテ】ことサーナの扱う能力は、細胞活性である。

 その効用は様々あれど、細胞の再生治癒力を高める力はナノマシンヒーリングと併用することで、瀕死の生物すら短時間で全快させることが可能となる。

 こと負傷者の治療において、サーナの右に出る者はオリンポスにいない。


「まぁね。でも、死んじゃったら役に立たないから、ヤバかったのは事実よ?」


 ふふんと胸を反らすサーナだが、同時に少し懸念もあったようだ。

 さすがに能力行使前に死なれてしまうと、彼女の力でもどうしようもない。


「で、なにがあったの? ノーマンがこんな目に遭うなんて、初めて見たんだけど?」


 ただ、その懸念はノーマンの負傷の原因にもあったらしい。

 万事をそつなくこなす老紳士が瀕死の重傷を負うこと自体、相当に珍しいことであった。

 その場に座り込んだ状態で息をつくと、ノーマンは先ほどあった出来事を語り始めた。


「……【テイアー】ですって?」


 話を聞く中で出てきた名前に、サーナは眉を吊り上げる。


「ええ。そう名乗りましたな。なんとも不気味な相手でした。まるで実体のない影のような……」

「そう……」


 続けられた言葉に、彼女はいつになく神妙な表情をした。

【統括者】の情報は、まだサーナを含む一部の特務執行官たちしか知らない。

 秘匿記録に記された内容であるため、オリンポス全体での情報共有には少し時間がかかるはずであった。


「なんにせよ、あのような相手がいるとは思いませんでした。消えた寄生者の行方は、恐らくあの者が知っているはず」

「そうね……これはソルド君も交えて話す必要がありそうだわ」


 しかし、悠長に構えている余裕はないらしい。

 ノーマンの推察に静かな口調で答えつつも、サーナは内心で湧き上がってくる感情を抑え切れずにいた。


(【テイアー】……アーちゃんを傷物にし、ノーマンを瀕死にした【統括者】……)


 その手は、固く強く握り締められている。

 仲間を次々と襲撃した謎の【統括者】に対する怒りが、彼女の心に渦を巻いていた。


(なにを企んでいるかは知らないけど、正直ムカついたわ。もし出会ったら、私がこの手で叩き伏せてやる……!)


 鋭い視線を虚空に投げた特務執行官の姿を、ノーマンは無言で見上げていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ