(1)魔の学園都市
火星北部の都市ノーザンライト・アカデミア。
かつてノーザンライトと呼ばれたこの街は二十年前に政府の大計画の下、総合学園都市として生まれ変わった。
およそ百平方キロの面積を誇るこの街は東西南北四つのエリアで構成され、公私問わず様々な教育機関や研究機関が軒を連ねる。
それらの施設を中心として市街地が形成され、各エリアは超電導ライナーで円滑な行き来が可能となっていた。
人類の叡智を集めたその都市には優秀な科学者や技術者が集い、また新時代を担う多くの若者たちが理想を描いて集う場所でもあった。
しかし、人の集うところに、災厄もまた存在する。若々しく強い感情に満ち溢れたノーザンライト・アカデミアは、カオスレイダーにとっても理想的な狩り場であったのだろう。
オリンポスの統計では、この地にて起こる事件は総じて凶悪であり、また被害も大きくなる傾向にあった。そして複数のカオスレイダーが同時に発生しやすいという不名誉な特徴も併せ持っていた。
パンドラにて任務を受けたソルドとサーナは、その学園都市南部に位置するあるビルの屋上へと今、降り立っていた。
「待ち合わせの場所はここで良かったはずだな?」
「そうね。なんか下は厳戒態勢だけど、これも事件の影響かしらね?」
サーナは地上を見下ろしつつ、ソルドの問いに答える。
地上では保安局のパトロールカーが何台も行き交う様子が見て取れ、街を歩く人の数もまばらであった。
都市人口を考えれば、違和感を覚えるほどである。
「確かに物々しいな。想像以上に被害がひどいということか……」
ソルドもまた下を見ながら息をつく。
カオスレイダー事件が一般化した現在、ここまでの厳戒態勢が敷かれることは珍しい。
それだけで現在の状況が良くないことは容易に想像できた。
「お待ちしておりましたぞ」
そこへ頃合いを見計らったかのように、屋上入口のドアから一人の男が姿を現した。
燕尾服にシルクハットを被った初老の男である。手にはステッキを携えているが、あくまでファッション的なものであるようだ。
その証拠に背筋は張り、歩いてくる動作を見ても同世代の人間と比較にならぬほど若々しい。
「ああ……久しぶりだな。ノーマン」
そんな男のほうに向き直り、ソルドは声を掛ける。
支援捜査官【プロテウス】ことノーマン=アシュフィールドは、シルクハットを脱ぎながら優雅な仕草で一礼する。
「ソルド殿もサーナ様も、お元気そうでなによりです。もっとも、特務執行官の方々にとってこれは意味のない挨拶でしたかな?」
そう言いながら、ノーマンは笑みを浮かべた。
実際、加齢や病気もしない特務執行官にとっては、一般的な気遣いの言葉も形骸化したものでしかない。
「ノーマンも相変わらずねぇ。そういうあなたこそ、引退考えても良いと思うんだけど?」
「なんのなんの。まだまだ若い者には負けておられません」
サーナがいつも通りに思ったことを口にするが、ノーマンは気にした様子もない。
オリンポス創設の頃から所属している彼は文字通り最古参の支援捜査官であり、その知識や経験も随一である。
なにより生体強化などされていないにも関わらず、負傷や殉職率の高い支援捜査官を二十年以上続けてきたという事実は驚愕という他はない。
「ま、実際、年齢の割には引き締まった身体してるのよねぇ……たるみもないし」
そう言うとサーナは速やかに彼の後ろに回ってしっかりと抱き締めると、いつもながらのスキンシップを始める。
しかし、その行動に対してもノーマンはまったく動じなかった。
「おやおや、いけませんな。サーナ様……そのように男性の身体を触るなど、淑女のすることではありませんぞ」
次の瞬間、縄抜けのように抱擁から抜け出した彼は、流れるような動きでサーナの後ろに回り込む。
そのまま彼女の身体を抱き締めつつ、お返しとばかりに耳元で吐息を吹き付けつつ囁いた。
「それとも欲求不満ですかな? であれば、私が解消して差し上げましょう。そう……紳士として」
「あぅ!? ちょ、ダメ! ダメダメ! ノーマン……そんなとこ! あ~~~~~っっ……!!」
その後、蒼天の空に似つかわしくない甘い絶叫が、少しの間響き渡った。
「さて、それでは本題に入りましょうかな。ソルド殿」
服を正し、シルクハットを整えながらノーマンは何事もなかったかのようにソルドに向き直った。
「ああ……しかし相変わらず、見事な手際だな……」
顔を赤らめつつ瞑目していた青年はやや呆れたようにつぶやくと、ちらりと彼の背後に目をやる。
そこにはまるで頭から湯気を上げる様子で突っ伏しているサーナの姿があった。
「女性を悦ばせるのも紳士の嗜みですので……なんでしたら、ソルド殿にもお教えしましょうか?」
「……いや、遠慮しておく」
「そうですか。ソルド殿は女性の受けがよろしいですから、そこに技術が加われば鬼に金棒だと思ったのですがな」
どこか残念そうな表情で、ノーマンは息をつく。
なにが鬼に金棒なのかはさておき、ソルドとしてはあまり長引かせたい話ではなかった。
そもそもプライベートで会っているわけではない。
「それよりも、任務の話じゃなかったのか?」
「おお、そうでした。実は今回お呼びだてしたのは他でもなく……」
話を本題に戻そうとした矢先、ノーマンの肩口からサーナが恨めしそうな表情で顔を覗かせた。
「……ちょっと……なに人を差し置いて、話進めようとしてんのよぉ……!」
「おや、サーナ様。お早い復活で……確か以前は、五分ほど身動き取れなかったと記憶してますが、私の腕も衰えましたかな?」
やはり動じた様子を見せないノーマンだったが、別の意味で意外そうな表情をしていた。
どうやら先刻のやり取りは、二人にとって毎度恒例のことだったらしい。
顔を引きつらせるソルドにすり寄りながら、サーナは嘘泣きするような仕草でつぶやく。
「うぅ……また辱められちゃった。お姉さん、もうお嫁にいけない……」
自業自得だろうと言わんばかりに大きなため息をつきながら、ソルドは一向に進まない話にわずかな苛立ちを覗かせる。
それを見て取ったノーマンは、改めて咳払いをした。
「ふむ。さすがにお遊びが過ぎましたかな。では今度こそ、本題に入りましょう」
お遊びという言葉に若干不満気な表情を浮かべたサーナを無視し、彼は手にしたステッキで何回か床を叩く。
同時にその先端からスクリーンが現れ、床に沿うようにして大きく広がった。
「これは?」
「今回の調査で判明したカオスレイダー事件の発生件数と日時や場所をまとめたものです」
まるで地図を広げたかのようにそこには街の平面図が映し出され、その何ヵ所かに赤い点と数字とが記されていた。
点の位置は広大なノーザンライトの各エリアに散在し、記された日時も同日であったりする箇所がいくつもある。
それらを詳細に見つめたソルドは、唸るような息を漏らした。
「なるほど。距離的にも離れた場所で、これだけの事件が立て続けに発生しているのか。確かにこれは寄生者が一人では説明がつかないな」
「左様です。今のところサウスエリアの容疑者は目星がついておりますが、それ以外に関してはほぼ手つかずの状況でしてな」
「これは私たちでも一人じゃ手に余るわねぇ。実質、どれだけの寄生者がいるのかもわからない感じね」
サーナも状況の厳しさを認識して、表情を硬くする。
いくら特務執行官が超常的な能力を持っていても、対処できる相手には限りがある。
複数の事件がほぼ同時に起ころうものなら、それによる被害を食い止めることは不可能だ。
「それに奇妙なこともありましてな」
「奇妙?」
ノーマンが息をつきながら、ステッキでスクリーンの表示を変える。
次に現れたのは、人間の遺体の映像を複数並べて表示したものだった。
「はい。これはノースエリアで発生した事件の被害者ですが、三日前の事件と昨日の事件とで、犯行の手口が異なるのです」
遺体の状況は、ズタズタに切り裂かれていたり四肢をもぎ取られていたりと凄惨なものだ。
ただ、カオスレイダーの殺害方法は同一個体なら共通するのが当然であり、人間のように殺害方法を変えることはしない。
そこから導き出される結論はひとつだ。
「つまりノースエリアには、二体の寄生者がいるということか?」
「そうであるなら、二種類の殺人事件が立て続けに起こるはずです。しかし、三日前の事件以降、こちらの殺害方法を取る寄生者はノースエリアどころか他にも現れなくなりました」
「どこか別の都市に行ったとかじゃないの? 旅行とか……」
ノーマンのつぶやいた疑問にサーナがひとつの可能性を示唆するも、彼は速やかに首を振った。
「これが通常時なら可能性はありますが、今、ノーザンライトは事件の影響でロックダウンがかかっています。目的問わず街を出ることはできませんし、逆もまた然りです」
その言葉にソルドたちは、納得したような表情を見せる。
直接、空からこの場所に降り立った彼らだが、監視衛星やドローンの目はいつも以上に厳しかった印象がある。
地上の厳戒態勢についても、それで説明がついた。
「それに、これは一例に過ぎません。実際は何人かの寄生者が同じように姿を消しているのです」
「そうなのか。だとすると、寄生者を葬っている者がいるのか……?」
ソルドはそうつぶやきつつも、納得していない様子だ。
寄生者は覚醒者と違い、人間でも倒せないわけではないので、可能性はゼロではない。
ただ、常識的に考えるとそれは非常に困難だ。オリンポスで訓練を積み、カオスレイダーの特性を知った支援捜査官でも容易く始末できる相手ではないのだから。
それを実感しているノーマンも、明確な返答を用意できない様子だ。
「それはわかりません。いずれにせよ、これでお二人を呼んだ理由は納得いただけたかと存じますが……」
シルクハットを整えつつ、彼は二人の特務執行官を見つめる。
ソルドたちもまた、今回の事件が特殊要請に値する難事件であることを実感していた。
「確かに、これだけのカオスレイダーが同時期に現れることも異常だが、消えた寄生者の謎も気になるところだな」
「とりあえず手分けして当たる感じかしら。面倒な任務になりそうね……」
顔を見合わせながら、彼らは具体的な行動をどうすべきかということに、話の内容をシフトさせていった。




