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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE EX2 闇と悲劇の学園
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(10)過去を受け止めて


 かくして、一夜は無事に明けた。

 事件は解決したものの、事後処理の面で学園内はまだ落ち着かない状況である。

 ただ、ディックが万が一の場合に備えて残した遺言に今後のことが事細かに記されていたことから、遺産の処分や学園の運営権移譲については滞りなく進んでいた。

 唯一、問題として残されていたのはフィアネスについてである。

 最低限の遺産は残されたといえ、親族のいない彼女には成人するまでの後見人が必要であった。


(フィアネス嬢の身の振り方か……)


 病院の廊下を歩きながら、ウェルザーはぼんやりと考える。

 彼女をオリンポスに連れていくなど論外であったが、このまま放っていくのも中途半端な気がしていた。

 もちろん事件が解決した今、彼の出番はないはずであり、そのように考えたのは彼自身の私的な感情によるものだ。

 ただ、その感情をウェルザーはうまく説明できないでいた。

 やがて彼は昨日も訪れたフィアネスの病室に辿り着く。


「こんにちは。身体の具合はいかがですか? フィアネス嬢……」


 ドア自体は開け放たれていたので、ウェルザーは入ると同時に努めて明るい声で言う。

 ベッドに起き上がり窓の外を眺めていたフィアネスは、その声にゆっくりと振り向いた。


「おかげさまで、だいぶ良くなりましたわ……これもあなたのおかげですわね」


 以前通りとはいかぬものの、その瞳には生の輝きが戻っていた。

 口元にも微かに笑みが浮かんでおり、一晩明けてずいぶんと穏やかになった様子だ。

 安堵の息を漏らしたウェルザーはベッド脇の椅子に腰掛けると、静かに語り掛ける。

 その多くは、他愛もない世間話であった。


「……どうしてあなたは、私に関わろうとしますの……? それになぜ、昨夜は私を助けてくださいましたの……?」


 ひとしきり話をしたあと、フィアネスは改めて彼に訊き返してきた。

 それに対し、ウェルザーは少し逡巡を見せつつ答えた。


「あなたの祖父、ルークラフト卿には恩義があった。それに……」

「それに……?」

「君が……セルピナと同じだったからだ」


 聞いたことのない名前が出て、フィアネスは首を傾げる。

 そんな彼女にウェルザーは一言、今は亡き自分の恋人だと告げた。

 どこか影のある物言いに、少女の表情も曇る。


「……セルピナはある日、暴漢たちに襲われた。生命に別状はなかったが、通報を受けて保安局員が駆け付けた頃には、身も心もボロボロの状態になっていた……」


 本来なら、今のフィアネスに言うべき話ではないとウェルザーも考えただろう。

 しかし同時に、フィアネスを助けた理由を語る上では避けられない話でもあった。


「茫然自失の彼女を、私は必死に励ました。だが心に傷を負い、生きることを放棄した彼女が取った行動は……飛び降り自殺だった」


 当時のことを思い返したのか、彼の手はやや震えていた。

 その表情にも、後悔の色がありありと浮かんでいる。


「私は彼女を守れなかったどころか、救うこともできなかったのだ。だから、同じ心の傷を負った君を放っておけなかった」

「そう……でしたの……」


 伝染したように暗い表情を浮かべたフィアネスだが、同時にウェルザーが屋上にいた理由も察した。

 かつての恋人と同じように、自分も人知れず生命を絶つのではないか――そう考えたのだろう。


「もちろんそれは悲しい出来事だったが、こうして君を助けられたのも彼女のおかげかもしれん」


 それは図らずも、功を奏した。

 結果としてフィアネスの生命を救うことができたという事実が、ウェルザーの心に光を投げかけていたのだ。

 そしてフィアネスもまた、昨夜のある言葉を思い返していた。


「過去を受け止めた上で、今を生きる……ですのね?」


 セルピナという犠牲があったからこそ、ウェルザーはフィアネスを止めることができた。

 それは過去を受け止めた上で取った行動の結果だったのだ。


「ああ……つまりは、そういうことだ」


 ウェルザーは少し表情を和らげて答える。

 過去は戻らなくとも、今起きる悲劇を変えることはできる――彼は改めてフィアネスにその事実を伝えたかった。

 静かに頷いたフィアネスは、男の顔を見つめながら、更なる問いを発す。


「もうひとつ聞かせて下さい。あなたは……何者ですの……?」


 その問いに、ウェルザーの顔は再び強張った。

 続いて放たれた言葉が、彼の動揺に拍車をかける。


「普通の人にできないことを、あなたはやってのける。あなたはいったい……?」


 それは無理もないことだったろう。

 ナノマシンヒーリングで傷を治し、重力制御で落下を食い止める――現実的に考えれば、普通の人間の所業とは思えない。

 フィアネス自身、怖れを抱いているわけではなかったが、ウェルザーという男が只者でないことは実感として理解していたのだ。


「……残念ながら、それについてはお答えできない。今日はこれにて失礼します……」


 ただ、少し時間を置いたのちに返ってきたのは、苦しげな返答だった。

 ウェルザーはそのまますっと席を立つと、速やかに病室を出ていく。

 思わず呼び止めようとしたフィアネスだが、掲げられた手は空しく宙を泳ぐだけだった。






 その後、フィアネスの元には様々な人間が面会に訪れた。

 彼女の立場を考えれば仕方のないことであったが、普通に休んでいるより精神的には消耗する。

 すべてが終わった頃には夕方になっており、ようやく落ち着いた時間を取り戻した彼女は、心地良いまどろみの中にいた。


(フィアネス……)


 その中で、フィアネスは自分を呼ぶ声を聞いた。

 穏やかで、どこか聞き覚えのある声であった。


(誰ですの……?)

(私だよ。フィアネス……)


 そんな彼女の目に映ったのは、先日自分を庇って亡くなったディックの姿だった。

 思わず周囲を見回した少女は、自分たちが白一色の空間にたたずんでいることに気付く。


(おじい様!? これは……夢……?)

(夢と言えば夢かもしれん。だが、私は大いなる意思の導きによって、ここにいる……)


 そう言うと、ディックはその顔に微笑みを湛えた。

 思わず涙を浮かべたフィアネスは、祖父の元に駆け寄る。


(おじい様……! ごめんなさい。私……わたくしっ……!)

(良いのだ。フィアネス……お前が無事なら、それで良い……)


 胸に飛び込んできた孫娘を抱き締め、ディックは穏やかな声でつぶやく。

 懐かしい温もりに包まれながら、少女はその身体を震わせた。


(おじい様……私は……私は、これからどうしたら良いのですか?)

(このような形で、お前を一人にしてしまったことはすまないと思っておる。だが、自分の生きる道は自分で決めるのだ。ルークラフトの名に縛られることなく、お前自身の意思で……)


 ディックのその言葉には申し訳なさと同時に、強い思いが込められてもいた。

 捉えようによっては冷たくも聞こえたその言葉に、フィアネスの震えが止まる。


(……でしたら……ひとつお教えいただきたいのです)


 ひとしきり泣いた彼女は、ゆっくり祖父の顔を見上げて言葉を続けた。


(あの方……ウェルザー様は何者なのですか? おじい様はあの方と、どういうご関係だったのです?)

(……それを知って、どうしようというのかね?)


 その質問に、ディックの表情が目に見えて変わった。

 祖父の身体から静かに身を離し、フィアネスは決然と言い放つ。


(私は……もうなにも知らない子供のままでいたくないのです。教えて下さい。おじい様!)


 それは今までのような、感情のままにまくしたてる少女の姿ではなかった。

 強い意志を宿した一人の人間としての姿だった。

 クラウスの言葉は彼女の心に傷を残したものの、同時に成長させてもくれたのだ。

 その姿を見据えたディックは静かに頷くと、自分の知る限りの内容を語り始める。

 カオスレイダーという名の災厄、それに対抗する組織であるオリンポス、更には人を超えた特務執行官の存在を――。

 フィアネスは、それを黙って聞いていた。

 驚くべき内容ではあったが、同時に納得もできる話だった。

 すべての話が終わった時、彼女は表情を崩さぬままにディックに向けて告げる。

 自分がこれからどうしたいかということを――。


(そうか……フィアネス。お前の選ぶ道は険しいものとなろう……)


 フィアネスの決意を聞き終えたディックはわずかに悲しそうな顔をしたものの、同時にどこか満足そうでもあった。

 彼は改めて少女を抱き締めると、その耳元で囁く。


(だが、私はいつでもお前を見守っている。それを忘れないでおくれ……)

(はい……おじい様……!)


 温かな励ましの言葉に、フィアネスは再び大粒の涙を流す。

 彼女の視界はぼやけるように霞み、やがてその意識は再び現実の世界へと舞い戻っていった――。


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