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APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE EX2 闇と悲劇の学園
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(8)残された傷跡


 硬い廊下を這いずりながら、フィアネスは進む。

 傷口から流れ出す血が、床を真紅に染めていく。

 肩や腕、足には複数のナイフが突き刺さり、もはや立ち上がることもできない。

 狂気の青年の言葉通り、芋虫のようにのたうちながら進むことしか、今の彼女にはできなかった。


「助けて……助けて……!! 誰か、助けてぇ……!!」


 涙と血にまみれた顔を上げながら、フィアネスは必死に叫ぶ。

 ディックの言葉に従い逃げ出したは良いものの、音楽室の扉までは数メートルも離れていない。

 クラウスが追撃してくれば、あっけなく捕まるのは目に見えていた。


「フィアネス嬢っ!!」


 それでも天は彼女を見捨てなかった。

 通路を曲がって走ってきた二人の男たちが、フィアネスの姿を見つけたのだ。

 その内の一人――黒髪の男の姿を認めた少女は、更なる涙を溢れさせる。


「あ、あなたは……うあああぁあぁぁぁ……!!」


 号泣するフィアネスを抱き留めたウェルザーは、その身体中に刺さったナイフを見て顔を歪める。

 美しかった少女が血まみれのハリネズミとなった姿は悲痛かつ残酷で、とても正視に耐えられるものではない。


「なんてひどいことを……早く手当てをしなければ……」


 迂闊にナイフを抜けば失血死の可能性はあったが、ナノマシンヒーリングを使えば問題ないと判断した彼は早速治療に移ろうとする。

 しかし、そこでノーマンがなにかに気付いたように声を上げた。


「む? ウェルザー殿……どうやらそれどころではなさそうですぞ」


 その声にウェルザーが顔を上げると、扉の向こうから一人の青年が姿を現した。


「クラウス=レーガーか!? しかし、この雰囲気……まさか!?」


 それが例の青年教師であると認めるも、同時にどこか不穏な空気を纏っていることに気付く。

 酩酊したかのようにふらふらと歩いてきた男は、瞳にわずかな紅い光を覗かせていた。


「どこへ行くんだぁ? フィアネスゥ……お前も殺してやるよぉ。ジジイの待つあの世へ送ってやるぅあぁぁ……!!」


 全身を返り血に染めた彼は右手にナイフを持ち、左腕をだらんと垂らしている。

 その左手はどこか黒ずんだ色に染まり、指先には血を滴らせる長い爪が伸びていた。


「……まさか、クラウス=レーガーもカオスレイダーだったと!?」

「そのようだな。運悪くたまたま殺戮衝動が出るタイミングだったようだ……」


 二人の男たちは、その姿に覚えがあった。

 カオスレイダー寄生者の中でも、覚醒を間近にした人間がよく見せる姿である。

 人と化け物の狭間に位置し、凶悪な殺人や破壊を引き起こす者――普通の人間には、少し手に余る相手だった。


「ウェルザー殿、ここは私が時間を稼ぎましょう。その間に応急手当を……今のままでは、あまりに痛々し過ぎますのでな」


 それでも、ノーマンは気にすることもなく歩み出る。

 紳士を自称する彼としては、少女の苦しみを一刻も早くなんとかしてやりたかったのだろう。

 ウェルザーもまた頷くと、フィアネスに目を移す。

 意識を集中し、ナノマシンを操作――傷口に瞬間麻酔をかけ、その隙にナイフを抜き取る。同時に止血も行うという作業の繰り返しだ。


「そこをドケよぉ……どカネぇと、オメぇも殺すぞぉ……」

「あなたを、少しでも評価した私が愚かでした。このような愚行、許すわけにはいきませんな。紳士として……!」


 ふらふらと近付こうとするクラウスに、ノーマンはシルクハットを投げつける。

 わずかに弧を描き飛翔したそれは、青年の顔面を塞ぐように覆い被さり、視界を奪う。

 次いで彼の顎に、ノーマンの掌底が叩き込まれた。


「ごはっっ!?」


 鈍い音と共にのけぞった青年の腹に、更なる追撃の掌底が叩き込まれる。

 そのままクラウスの身体は、元来た音楽室の中へと吹き飛ばされ、壁へと激突した。

 普通なら簡単に立ち上がれないダメージを受けたはずだが、しかし青年は痛みをこらえた様子もなく立ち上がる。


「野郎……! 邪魔スルなら、殺してヤルヨォ!!」


 クラウスが瞳をぎらつかせながら、左の爪を肥大化させて射出する。

 とっさに腕を交差させて受け止めるノーマンだが、突き立った爪の辺りから血が滲み出した。


「むぅ……!? まさか、この服を貫くとは……!?」


 彼の表情が、わずかに歪む。

 特殊繊維で編まれたノーマンの燕尾服は、防弾ジャケット並みの防御性能を持っているはずだった。

 それを貫通して手傷を負わせたのだから、相当な殺傷能力だ。まともに受けていたら、腕を貫かれていてもおかしくなかった。

 異形の爪を抜き取って捨てた彼に向けて、クラウスが先ほどまでと異なる勢いで突っ込んでくる。

 今度は右手のナイフを振り下ろそうとしてくるが、それに対するノーマンの反応は素早かった。


「むん!」


 やや腰を落とした彼は相手の懐に飛び込むと、その腕をかち上げて背面で体当たりする。

 重い音と共に、クラウスの身体は再び跳ね飛ばされて、床を転がった。

 しかしやはり、ダメージを負った様子はない。

 半覚醒状態とはいえカオスレイダーの片鱗を覗かせる相手に、さしものノーマンも顔をしかめた。


「ノーマン……あとは私が変わろう。フィアネス嬢を連れて下がってくれ」

「おお……申し訳ありませんな。ウェルザー殿」


 そこへ処置を終えたウェルザーが現れ、声を掛ける。

 頷いたノーマンは静かに後退すると、横たわっているフィアネスを抱え上げた。

 少女の身体にはいまだ血が滲んでいたもののナイフはすべて抜き取られており、動かすことは問題なさそうだ。

 そのまま彼は背を向けて、廊下を駆け出す。


「待てよぉ……フィアネスゥゥゥ!!」


 目を血走らせたクラウスは、怒声と共にナイフを投げ放つ。

 しかしそれは、ウェルザーの手であっけなく掴み取られた。

 血を流すこともなくナイフを握り締めた彼は、刃を粉々に粉砕する。

 砕け散った破片が、床に無数のきらめきを残した。


「おめぇも邪魔するのかぁ……? ダッタら、オメぇもコロシテヤルヨォ!」

「……あいにくだが貴様ごときに殺せるほど、私の生命は安くない」


 ウェルザーは、ゆっくりとその手を前方に掲げた。

 長い黒髪がふわりと揺れ、男の瞳に冷たい炎が宿る。


「我は冥王……黄泉の守護者。暗き騒乱巻き起こす輩を、永久の眠りに導かん。特務執行官【ハデス】の名において、貴様をここで掃討する」


 校舎全体が震えるかのような波動が、その全身から放たれる。

 それは今までの静かな彼と打って変わった、悪魔のような恐ろしさを秘めた立ち姿だった。


「死ねヤアあぁあぁぁぁぁぁ……グハッッ!?」


 そんな彼に飛びかかろうとしたクラウスだが、その動きが宙で止まる。

 ウェルザーの手から放たれた見えぬ力が、青年の動きを封じていたのだ。


「……本当はこんなことを言ってはいかんのだろうが、私は貴様がカオスレイダーで良かったと思っている……」


 手を握るような動作をしながら、ウェルザーは言葉を発する。

 その動きと連動するように、クラウスの身体が外側から圧迫され始めた。

 ベキベキという嫌な音が響き、腕が折れ、足が折れ、身体が歪んでいく。

 青年の口から、カエルのような絶叫が迸った。


「貴様のような外道、なんの気兼ねもなく地獄へ送れるのでな……!」


 そして無情な声と同時に、ウェルザーの手が握り締められた。

 同時にクラウスの身体は砕け、潰れ、人の姿すらほとんど留めぬ肉塊へと変わっていた――。






 騒動の翌日は、学園内も上を下への大騒ぎになっていた。

 理事長であるディックに加え、クラウスや男子生徒の死亡とこれまで以上の惨事が起こってしまったからだ。

 ただ、例の五件の殺人事件の内二件はクラウスの犯行という事実が明らかとなり、今回の惨事に関しても彼の暴走を止めようとしたディックとの揉み合いの末の両者死亡という形で処理された。

 カオスレイダーだった少年に関しては自殺と報じられ、彼の仕業による三件の殺人に関してはクラウスへと転嫁された。

 もちろん大半はオリンポスによる情報操作であり、結果としてすべての罪はクラウスが引き受け、地獄に持っていったということになる。

 ちなみにクラウスが犯した殺人事件に関しては、【宵の明星】の指示という線が濃厚だった。

 ディックが運営権を政府へ譲渡する形で進めていた学園都市計画は彼らにとって望ましくないものであり、ノーザンライトの市街地でも反対活動が行われている。

 運営権譲渡を妨害するため、【宵の明星】はクラウスを学園に送り込んだのだろう。

 筋書きとしては、少年カオスレイダーによる殺人事件に合わせて殺害を重ね、学園の評判を落として経営破綻に追い込む。

 そしてフィアネスを陥落し、あわよくばルークラフトの遺産相続権を奪った上でディックを殺害するといった流れだったと思われる。

 しかし、フィアネスが相続放棄したことで、後者の計画は破綻。

 疑似恋愛をする必要のなくなったクラウスは、嬉々として復讐を果たそうとしたわけだ。


「結局、事件は片付いたものの……苦い結末になってしまいましたな」

「ああ……我々がもう少し早く駆け付けていれば、ルークラフト卿は……」


 ウェルザーたちの心も、まったく晴れなかった。

 事件そのものは一日余りで解決したものの、ディックを含め死亡者の数は増えてしまったからだ。

 カオスレイダーが二体存在したという事実があったとはいえ、彼らの落ち度に変わりはない。

 フィアネスを救出できたのが、せめてもの救いと言えただろう。


「ところで、フィアネス嬢はあれからどうしている?」


 二人の姿は、そのフィアネスが入院している病院の庭にあった。

 シルクハットを抑えつつ、少女のいる病棟を見上げたノーマンは、わずかにため息をつく。


「怪我自体は致命傷でもなかったので、生命に別状はありませんが……心のほうが問題ですな。医師や看護士が話しかけても上の空で、常に呆然と宙を見上げているそうです」

「そうか……」


 その言葉に、ウェルザーも嘆息せざるを得ない。

 信じていた者に裏切られ、心身共散々に傷つけられた挙句、唯一の家族であるディックまで殺されてしまった。

 十代の少女にとってはあまりに衝撃的な出来事であり、トラウマになってしまったのも無理はない。


「心の傷が癒えるには時間が必要でしょうが……正直、今の状態は非常に危険ですな」

「ああ……私もそう思う。事件の後処理もあるが、しばらく目を離さないようにしておこう」


 フィアネスの感情豊かな表情を思い返しながら、ウェルザーは静かにベンチを立った。


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