(7)青年の真実
カオスレイダーの少年を葬ったウェルザーは学園へ戻る道すがら、ノーマンと合流していた。
「フィアネス嬢が危ないですと?」
外灯の灯る道を並んで駆けながら、ノーマンは問い掛ける。
ウェルザーの表情には、いつになく焦燥の色が窺える。
「ああ。ルークラフト卿には伝えたが、あのクラウス=レーガーという男は【宵の明星】の構成員だ」
「なんですと!?【宵の明星】の!?」
その言葉に、紳士たる男の表情も変わる。
反政府組織【宵の明星】――それはCKO保安局に所属していた彼にとっても馴染みのある名前であり、ある意味カオスレイダーよりも現実的な脅威を感じる敵であった。
更に問題だったのは、データ改ざんされたクラウスという男の過去だ。
「そして、クラウス自身もルークラフト卿に恨みを持っているはずだ。かつて奴の父が経営していた会社はルークラフト卿から資金援助を受けていたが、【宵の明星】との繋がりが発覚したために援助が打ち切られた……」
【アトロポス】が言った内容を思い返し、ウェルザーは続ける。
正直、ここまで調査してくれた彼女には感謝の言葉もない。
「その後、会社は経営破綻し倒産……クラウスも大学を辞めざるを得なくなった。両親も離婚し、父親は自殺している」
「なるほど。つまり、ルークラフト卿は家庭崩壊の元凶を作った男……逆恨みとはいえ、クラウスがそう考えている可能性は高いですな」
ノーマンが得心したというように頷く。
ディック=ルークラフトは慈善家であり、CKOとの関係も深い。言わば政府寄りの資産家だ。
反政府組織と繋がりを持った企業への援助打ち切りは当然の選択であり、そこに非難の余地はない。
ただ、なにも知らず平穏な生活を送ってきたクラウスにしてみれば、いきなりの一家離散に割り切れない思いを抱いたのは間違いないだろう。
「それから奴は【宵の明星】に入ったのち、なんらかの理由で復学卒業し、ノーザンライトの新人教師として赴任した……」
例の空白期間は、クラウスが【宵の明星】にいた期間とウェルザーは推測していた。
そして、その間に組織は彼の個人データを改ざんし、父親との関係性を抹消したまっさらな人物像を捏造したのだろう。
「つまり【宵の明星】がクラウスの復讐心を利用し、ルークラフト卿への刺客として送り込んだと?」
ノーマンの言葉にウェルザーはわずか頷くものの、疑問は残る。
一年もの間、復讐を果たすことなく、善良な教師を演じ続けた理由である。
「その辺りは、まだはっきりしないがな。ただ、奴がフィアネス嬢に近付いたのも組織からの指示によるものと見て間違いない。少なくとも彼女を愛していることはないだろう……」
昨晩に垣間見たクラウスの憎悪に満ちた表情が思い出される。
あれが青年の真実の感情であるなら、そこに愛の入り込む余地はないように感じられた。
「純粋な娘の気持ちを弄ぶ……許せませんな。紳士として……」
ノーマンもその目元に怒りをあらわにしていた。
走り続ける二人の男はやがて、学園の正門をくぐり抜けた――。
その頃、フィアネスは床に張り付けられたような姿勢で固まっていた。
クラウスによって放たれたナイフは、極めて正確な狙いで少女の耳元をかすめ、制服を切り裂き、スカートの股下を床に縫い付けたのだ。
恐怖に目を見開く少女の股間からは、黄色い液体が染み出していた。
「ハハハ……良い格好だな。フィアネス! お前の死骸をあのジジイが見れば、どう思うか楽しみだぜ!」
「……クラウス、様……やめて……やめて、ください……」
涙ながらに懇願するフィアネスだが、クラウスの表情は変わらない。
「わかってねぇな。フィアネス……もう、お前に利用価値はないんだよ。ルークラフトの資産を受け継がないと決まった時点でな」
青年は心底、嬉しそうに言った。
それは今まで抑え込んでいた感情を解放できた喜びに打ち震えているようだった。
「本部の奴らも、まったく勝手なもんだぜ。遺産目当てに、お前をたぶらかせなどと言いやがって。この一年間の恋愛ごっこは反吐が出るほど苦痛だった……!」
「そ、そん、な……恋愛、ごっこ……?」
「ひとつ教えてやるよ。フィアネス……今時、セックスどころかキスもしねぇようなお付き合いなど、本気であると思ってたのか?」
呆然とするフィアネスに歩み寄り、クラウスはナイフを一閃する。
少女のブラウスからスカートまでが縦に切り裂かれ、白い柔肌と下着とが覗いた。
絶叫を上げるフィアネスだが、青年はそこで鼻を鳴らして吐き捨てる。
「お前は、世間知らずのお子ちゃまなんだよ。ここで可愛がってやっても良かったが、あいにくお前みたいな色気のねぇ小娘なんざ、俺の趣味じゃないんでな……」
再び距離を離すように後退したクラウスは、カバンから更にナイフを取り出す。
その瞳には、狂気に紛れて殺意が浮かび上がっていた。
「だから、いたぶって殺すんだよ……ここで芋虫のようにのたうち回って、お前は死ぬのさ!」
怒声に近い声と共に放たれたナイフが、フィアネスの四肢に突き刺さる。
クラウスはわざと致命傷を避けるように、少女の身体を狙って投擲を続けた。
「いやああああぁあぁぁぁっっ!! あああぁぁあぁっっ!!」
「ハハハ……さて、死ぬまでに何本のナイフが突き立つかな? 芋虫じゃなくハリネズミになるかもしれねぇなぁ!」
嵐に惑う鳥のように、フィアネスは叫ぶことしかできなかった。
その心は音を立てて砕け、深い闇の中に呑まれていく。
狂気に満ちた青年によって、少女の生命が風前の灯となったその時である。
「やめたまえ! クラウス=レーガー……いや、クラウス=アインハルト!」
怒声にも似た声と共に、音楽室のドアが開かれた。
そこに立っていたのは、息を荒げた老年の男であった。
「ジジイ!? なぜ、ここに!?」
「……お……おじい……様……!」
その老人――ディック=ルークラフトは血まみれになった孫を見たあと、クラウスに怒りの視線を向ける。
「フィアネスの居場所は、常に把握しておる。不逞の輩に狙われることを想定してな。しかしクラウス……まさか君が【宵の明星】の一員だったとは……!」
その手にした携帯端末を見て、クラウスは鼻を鳴らす。
ディックの登場は意外だったものの、彼自身驚いたのは一瞬のことだった。
「フン……なるほど。発信機か? 迂闊だったぜ……さすがは過保護のお嬢様ってわけだ」
ナイフを慣れた手つきで宙に回転させながら、彼は悪びれた様子もなく言う。
「それに、俺の元の名字を知ったってことは、俺の過去も知ったってことだな?」
「ああ。君があのアインハルト工業社長の息子だったとはな……だが、それは逆恨みも良いところだ。君の父親が【宵の明星】への資金横流しなどしなければ、私は援助を打ち切ることはしなかった」
拳を握り締めて歩み寄ろうとするディックだが、その動きをクラウスは見逃さない。
いきなり足元に突き立った銀の刃に、老人は足を止めざるを得なかった。
「黙れ! 理由はどうあれ、お前が俺の家族をズタズタにしたことに変わりはねぇ!!」
次いでクラウスの顔に浮かんだのは、凄まじい憎悪の表情だった。
それまでの狂気を上回る怒声が、老人の耳に叩き付けられる。
「昨日、やっとお前を殺す許可が本部から下りたところなんだ。フィアネスを殺したら、次はお前をぶっ殺してやる! そこで指をくわえて見てるんだな! 孫娘がハリネズミになるところを!」
そして再び彼はナイフをカバンから取り出そうとする。
しかし、その瞬間響いた銃声が、青年の動きを遮った。
「な!? ぐ……くおぉ……」
肩口を撃ち抜かれたクラウスは、般若のような形相を見せる。
続いて部屋の入口から姿を見せたのは、銃を構えた男だ。
それは殺人事件の捜査で学園を訪れていた保安局の捜査員であり、ディックの要請に応じてこの場にやってきたのだった。
「無駄な抵抗はやめるんだな。クラウス=アインハルト……殺人容疑並びに殺害未遂だ。話はあとでゆっくりと聞かせてもらおうか!」
「う……うおおぉぉ……!」
痛みに苦しんでいるかに見えたクラウスだが、その表情は違っていた。
全身を震わせながら、彼は内に秘められた憎悪を解き放つ。
その瞳に宿る光は、歪な赤い輝きを放ち始めていた。
「……殺してやるぞ! ジジイ! みんなみンナ……コロシテヤル!」
咆哮と共にクラウスの左腕がどす黒く変わり、肥大化して変形する。
指先からはナイフのような爪が伸び、それが音を立てて撃ち出され、捜査官の胸板に突き立った。
「ぐあぁ! こ、これ……は!?」
鮮血を噴き上げて倒れる捜査官を無視し、クラウスは狂気に満ちた目でフィアネスを見つめた。
その指に新たな爪を生やした男は、動けぬ少女に向けてそれを撃ち放とうとする。
「死ネェ! ふぃあねす!」
しかしその瞬間、クラウスに向かってディックが体当たりしていた。
もつれ合うように転がりながら、老人は青年の身体を抑え込んで叫ぶ。
「フィアネス! 逃げろ!!」
「じじい! キサマアァァアァァ!!」
怒りに燃えた声を上げ、クラウスはディックの背に爪を突き立てる。
噴き上がった鮮血が、音楽室の床に飛び散った。
「ぐわああぁぁあぁぁっ!!」
「おじい様あぁぁぁっっ!!」
身悶えするように動きながら、フィアネスが泣き叫ぶ。
ディックはそんな彼女に強い眼差しを向けた。
「ゆ……行け。フィアネス……ウェルザー殿に……助けを、求める、のだ……間もなく、彼が……来てくれる……!」
すべての力を振り絞るようにして、彼はクラウスを抑え込む。
続けざまに突き立つ爪に全身を血に染めながら、老人は咆哮するように声を放つ。
「行けぇぇ!! フィアネスゥゥゥゥ……!!」
それが、ディック=ルークラフトという男の最期の言葉になった――。




