(2)資産家の依頼
騒動が終息したあと、校内へと入ったウェルザーたちは理事長室に向かっていた。
私設校ということもあり、施設自体はかなり整備されている。
エレベーターを降りた特別棟の最上階は通常の廊下とは違って、一面に絨毯が敷かれていた。
足音を立てることもなく、二人はやがて両開きの扉の前までやってくる。
ノーマンがノックをすると、中から促す声が聞こえたので、そのまま扉を開けて中へと入った。
「おお、よく来てくださった。ウェルザー殿……感謝しますぞ」
全体的に落ち着いた色調の室内は、思った以上に広かった。
窓に面した執務机の前で二人を出迎えたのは、白髪をオールバックにした老年の男である。
やや疲れたような様子は見えたが、その眼光は鋭く、体格の良さも相まって実年齢より若い印象を受ける。
「ご無沙汰しています。ディック=ルークラフト卿……あの会議以来ですか。お元気そうでなによりです」
会釈をして入ったウェルザーは、表情を緩めて挨拶をする。そこには旧知の友人に語り掛けるような雰囲気があった。
ディックと呼ばれた老年の男もまた、その言葉に相好を崩す。
和やかな雰囲気の中でいくつか世間話を交わしたあと、少し表情を硬くして彼は続けた。
「あれから例の組織も軌道に乗り始めたようで、なによりです」
「……本来なら、あってはならない組織ですよ。正直、複雑な心境ですね」
その言葉に、ウェルザーは嘆息する。
例の組織というのは、もちろんオリンポスのことを指していた。
なぜ、一学園の理事長に過ぎない人物がオリンポスの存在を知っているのか――それはディック=ルークラフトという男が、オリンポス創設の立役者の一人であるからに他ならない。
「人類に牙を剥く寄生生命体……初めに聞いた時はなんの冗談かと思ったものですが……」
窓の外に目を向け、ディックもまた息をつく。
出自不詳のノーマンと異なり、ルークラフト家は旧地球国家時代から続く名門貴族の家柄で、現在も多くの資産を抱える大富豪である。
オリンポス創設に当たっても莫大な資金供与をしており、ゆえにウェルザーも今回の掃討依頼を最優先で行うべくやってきたというわけだ。
「こうして実際に被害を受けてみると、厄介なものですな。なまじ犯人がいまだ人間であるという点で特に……」
「現行法では、この犯罪を裁くことができませんからな。ゆえに超法規的権限を持つ組織の存在が必要ということなのです」
ディックのぼやきを受けて、ノーマンが答える。
カオスレイダー寄生者によって引き起こされる犯罪自体は普通に対処できるものだが、覚醒間近の寄生者ともなると話は異なる。
人を超えた能力を発揮し始めるがゆえに逮捕は困難で、できたとしても逃げられる可能性が非常に高い。
かといってむやみに射殺などしようものなら、逆に社会問題となってしまう。
寄生者であれ覚醒者であれ、カオスレイダーは人にして人でなくなった者であり、その対処のためには法を超越した存在が必要とされるのである。
「確か、カオス……レイダーと言いましたか?」
老年の男は、改めてウェルザーに目を移す。
そのウェルザーはわずかに頷いたあと、鋭い視線を相手に返した。
「はい。人間を侵食し、人間を襲う無差別な侵略者……ですので、混沌の侵略者と名付けました」
のちにオリンポス内部で周知されるようになる敵の呼称は、この時点で決まっていた。
ディックが再度つぶやくようにカオスレイダーの名を口にした時、ふと入口のドアがノックされる。
「誰かね?」
「失礼致しますわ。おじい様……あら? お客様ですの?」
そのままドアを開けて入ってきたのは、一人の少女である。
しかし彼女は、室内にウェルザーたちがいることに気付いて、目を見開く。
「フィアネス。ここでは理事長と呼べと言っておろう。それに許可も待たずに入ってくるとは、淑女の嗜みに欠けるぞ?」
「はい……申し訳ありません。おじ……理事長」
祖父と呼んだ男の叱責に少女はびくっとして頭を下げると、再び元来たドアのほうへ後退する。
口調が厳しくなってしまったことを反省したのか、少しトーンを抑え気味にしてディックは続けた。
「それで、なんの要件か?」
「いえ、ご来客中ということでしたら結構ですわ。また、のちほど参ります……」
どこか曇った表情のまま、少女はドアを閉める。
ややあって、静けさの戻った空間でウェルザーはディックに問い掛けた。
「ルークラフト卿、彼女は?」
「ああ……お恥ずかしいところをお見せしました。あの子は孫娘のフィアネスです」
わずかに嘆息しながら、ディックは返答する。
特徴的な言葉遣いと銀の長髪――ウェルザーはフィアネスと呼ばれた少女が、先ほど外で口論していた女生徒であることに気付いていた。
「なるほど。事故で亡くなられたご子息夫婦の忘れ形見ですか……と、これは失礼を……」
ふとノーマンが言葉を漏らすが、すぐに気付いたように頭を下げる。
仕事柄、人物関係を探ることに慣れているせいか、余計な情報まで口走ってしまったようだ。
しかし、それに対してディックは特に責める様子を見せない。
「いえ、構いません。確かにその通りです。私にとっては唯一残された家族ですよ」
彼は遠くを見るような目で告げる。その表情はどこか寂しげであった。
孤独ではないと言っても愛情を注げる家族を失ったという現実は、多額の金でも解決できるものではない。
「唯一の家族ということは、彼女がルークラフト家の後継者になるわけですか?」
「普通に考えれば、そうなりますが……私としてはルークラフトを継いで欲しいとは思っておりません」
「なんと……それはまたどうして?」
ただ、歴史ある大富豪が次いで答えた言葉は、意外なものだった。
ウェルザーもノーマンも驚きの表情を浮かべるが、ディック自体は家の存続という点を重要視していない様子だ。
「実情がどうあれ、資産家というのは世間から良い印象を持たれないことが多い。それに資産を狙って、様々な人間が策謀を巡らします。取り入ろうとする者、付け狙う者……人間関係も疑念まみれになる」
そこには彼が、長年に渡って苛まれてきた苦悩があった。
持たぬ者は生活に困窮するが、持つ者は信頼に困窮するというのが、彼の持論であった。
「フィアネスには、こんな世界に足を踏み入れて欲しくないのですよ。人並みの幸せを手に入れられれば、それで良い。ルークラフトの資産は寄付などに回し、早々に処分するつもりです。フィアネスも、それは了承している」
ただ一人残された家族であるがゆえに、彼はその苦悩を受け継がせないことを望んでいたのだ。
それは、彼なりの愛情でもあったのだろう。
そう考えるとオリンポスへの資金供与も、ある意味で資産処分の意味合いが強かったのかもしれない。
やや複雑な思いを抱きつつ、ウェルザーはしばし沈黙したあと、ふと疑問に感じたことを口にする。
「ルークラフト卿……すると、この学園も閉鎖するということですか?」
「いえ……近い内に、政府の管轄となるよう手を回しています。政府としてもノーザンライトを総合学園都市にしたいという意向があるようですからな」
さすがにその問いにはディックも首を振って答えると、再び窓の外に目を移す。
彼としても長年運営してきたノーザンライト・ハイスクールを容易く潰すつもりはなかった。
形こそ違えど、若者たちの学び舎は残さねばならないという意思はあるようだ。
「ただ、その前に解決しなければならない問題がいくつかある。今回のカオスレイダーと思しき者による殺人事件も、そのひとつなのです」
最後に彼はそのように言い、元の依頼へと会話を帰結させた。
改めてその思いを知ったウェルザーたちは、力強く頷いてみせる。
ディックはそこで執務机の引き出しからIDパスを取り出すと、二人に手渡した。
「これは、学園内の全施設に対応しているフリーIDパスです。ぜひ、捜査にお役立てください」
「お心遣い、感謝します。ルークラフト卿……早急に解決致しましょう」
「どうか、よろしくお願い致します」
頭を下げたディックに対し同様に一礼を返すと、二人は理事長室をあとにしたのだった。




