(3)秘匿記録開放
小惑星パンドラの最深部に位置するセントラルエリアは、施設の中でも最大の規模を誇っている。
広さ百平方メートル、天井までの高さ百五十メートルという極めて広大なその空間には、静謐とも呼べる空気が満ちている。
壁には無数の直線的なラインが刻まれており、それらが青い光を放っている。
中央には巨大な円柱がそそり立ち、それが真っ直ぐに天井を貫いている。
その円柱を囲みながら浮遊し周回しているのは、三つの巨大な球状クリスタル体だ。
幾何学模様の刻まれたその表面を、壁のライン同様に青い光が駆け抜けていた。
この球状クリスタル体こそ、オリンポスが誇る超世代コンピューター【モイライ】であり、【クロト】たち電脳人格の本体であった。
オリンポスメンバーが普段まず立ち入ることのないその空間に、今は三人の男たちがたたずんでいる。
総司令のライザス、そして特務執行官のボルトスとウェルザーである。
やがてわずかな駆動音しか聞こえなかった静謐の空間に、数名の人間の足音が響いた。
「来たか」
壁の扉の向こうから歩いてきたのは、五人の特務執行官たちである。
いつになく緊張した面持ちの彼らは、三人の前で足を止めると一礼する。
「ふむ。こうして見ると、なかなか壮観だな」
そう言うとボルトスは、全員の顔を見渡す。
初めからここにいた三人に加え、ソルド、ルナル、サーナ、シュメイス、フィアネス、更には無限稼働炉修復中のアーシェリーも含めると、実に半数以上の特務執行官がパンドラに集結したことになる。
これは二十年以上の歴史を持つオリンポスでも、異例のことであった。
「しかし、さすがに全員集合というわけにはいかなかったか」
「それは仕方がない。覚醒間近のカオスレイダーを放って呼びつけるわけにもいかんからな。残りの者には別の機会を設けるつもりだ」
ライザスは小さく息をつくと、一歩前に進み出る。
「さて、諸君に集まってもらったのは他でもない。すでに知っていることとは思うが、特務執行官【アテナ】が戦闘不能に陥った」
その言葉に、集った者たちの緊張が高まる。
司令官に改めて事実を突きつけられると、それがいかに衝撃的なことだったかが実感できる。
ライザスは中空にスクリーンを浮かび上がらせると、そこに銀の瞳の影の映像を投影した。
「今回、現れたこの影のような存在は【テイアー】を名乗り、彼女を屠ったのだ。いったいこの影が何者なのか、諸君らも疑問に思っていることだろう。そこでだ……」
彼は再び視線を特務執行官たちに戻す。
そして一度瞑目し、よりはっきりとした声で告げる。
「我々は君たちに重要な事実を伝えることにした。特務執行官がなぜ生まれたのか……そしてオリンポスの真の目的がなんなのかをな」
「真の目的? それはいったい、どういうことなんですか?」
思わず訊き返したルナルの疑問は、集った者たち大半の疑問であったと言えよう。
カオスレイダーを掃討し、人類を守ること――これまでそれが、特務執行官やオリンポスの存在理由だと考えられてきたからだ。
ライザスは頷くと、視線を横に立つウェルザーに向ける。
「詳しくは口で語るよりも、見てもらったほうが早いだろう。ゆえに今回、君たちをここに呼び寄せた。ウェルザー……頼む」
その言葉を受けて、ウェルザーは自身の手元にコントロールパネルを浮かび上がらせる。
それを手早く操作すると、広大な空間内に無機質な声が響き渡った。
『管理者による特殊コードの入力を確認。これより【モイライ】は通常モードより、最大稼働モードに移行します』
続いて中空に浮かんでいた球状クリスタル体が、目に見えて強い光を放ち始める。
柱を軸とした公転が、わずかに加速し始めた。
思わず目を見張ったソルドたちの前に、続いて立体映像が浮かび上がる。
長い黒髪の女性と短髪の少女は、特務執行官たちをわずかに見下ろして驚いたような表情を浮かべた。
『これは……お久しぶりです。皆さん』
『う~ん……いきなり起こされちゃったけど、なにがあったの?……って、なんかすっごい勢揃いしてる!?』
「【クロト】に【ラケシス】? いったいどうして……?」
今は眠りについているはずの二人の電脳人格が同時に出てきたことに、ソルドたちは驚きを隠せない。
そしてその疑問に答えるように、ポニーテールの少女が姿を現した。
『それは、最大稼働モードのためですよ』
その少女――【アトロポス】は、姉たちと並び立つように宙を移動する。
光輝く球状クリスタル体を背に、セントラルの電脳人格三名が勢揃いしていた。
『このモードに入ると【モイライ】の全システムが動き始めるため、わたしたちも全員、覚醒するんです』
『いや、理屈上はそうなんだけど、はっきり言って緊急事態だよ!? 今までこんなこと一度だってなかったんだから!』
『そうですね。司令、なぜ急に最大稼働モードを発動したのですか?』
ただ、予想もしていなかった事態に彼女らも困惑しているようだ。
ライザスは三名を見つめると、静かな声で告げる。
「君たち三人の力が必要だからだ。【レア・ファイル】へのアクセス承認を行ってもらいたい」
その命令に電脳人格たちは、更なる驚きを見せる。
『え?【レア・ファイル】って……もしかして、あのファイルのこと? でも、あの中身って秘匿だったんじゃ……』
『私も、そう聞いています。ですが私たち三名の同時承認があれば、アクセスが可能になるとも……』
「同時承認……なるほど。だから最大稼働モードが必要になったってことか」
【ラケシス】に次いで放たれた【クロト】の言葉に、いち早く反応したのはシュメイスだ。
この辺りはさすがに情報管理官というところだろう。
「アクセスのために、【クロト】たち三人の同時承認が必要ってことは、いつもの状態じゃ見られないファイルってことだからな」
『はい。だから、わたしも姉さんたちも、【レア・ファイル】の内容をまったく知りません』
『逆に言うと、今回それを見れるんだよね? 前々からあの中身、気になってたんだよね~』
『【ラケシス】、遊びじゃないんですよ? ですが、それだけ重大な事態ということですね……』
閲覧にセントラルの最大稼働を必要とする秘匿ファイル――それが存在し今まで伏せられていたという事実に、ソルドたちの緊張感は更に高まる。
ライザスは空間の中央にそびえ立つ柱を指し示し、特務執行官たちを促す。
「最大稼働の時間は限られている。【レア・ファイル】は、あの柱からのみアクセスが可能だ。全員、同時に行いたまえ」
その言葉にソルドたちは顔を見合わせると、揃って柱へと向かう。
円柱の柱はクリスタル体と同様の青い光を放っており、近づいた特務執行官たちの姿を冷たく照らし出した。
そのまま彼らは柱に触れると、その手を同化させるように溶け込ませる。
「準備は整ったな。では、頼んだぞ。三人とも」
意識を集中するかのように瞑目した五人の姿を確認すると、ライザスは【クロト】らに視線を移す。
頷いた三人は三角形を描くように向かい合うと、三つの手を中央で重ね合わせた。
『セントラルは総司令権限による……』
『【レア・ファイル】へのアクセスを……』
『承認します』
繋ぎ合わせるようなそれらの声と同時に、電脳人格三名が輝きを放つ。
中空に浮かぶクリスタル体が同調するように輝きを増し、そこから中央の柱に向けて三筋の閃光が迸った。
『【クロト】・【ラケシス】・【アトロポス】により、シークレットファイル【レア】へのアクセスが承認されました。これより同ファイルのデータを開放します』
最後に放たれた無機質な声と同時に、特務執行官たちの姿が光に包まれる。
そして、彼らの意識は電脳世界の中へと飛んだ――。