(12)咎人を貫く牙
地球光の下、ふたつの影は交錯する。
気迫のこもった二人の声が、埠頭にこだまする。
巻き起こる風が大気を震わせ、閃く光が闇を穿つ。
切り裂かれる大地と、激しい飛沫を上げる海――穏やかだった静寂の空間は、今や破壊の嵐が荒れ狂う修羅場と化していた。
「……やるわね。アーシェリー……」
「甘く見ないでください。あなたとは、戦いの年季が違います」
何回かの技の応酬のあと、アレクシアはいまいましげにつぶやいた。
それに対し、アーシェリーは決闘当初の落ち着きを取り戻している様子である。
「年季ですって? 戯言をっ!」
地を蹴ったアレクシアは恐るべきスピードで相手の喉元に迫ろうとする。
しかし、目の前にいたはずのアーシェリーはその瞬間、視界から消えている。
素早く探し当てて真空斬撃を放つも、やはり次の瞬間には攻撃軌道からその姿は消えていた。
(どういうこと? スピードではこっちが圧倒しているはずなのに……)
異なる攻撃動作を行いながら、アレクシアは驚きを隠せずにいた。
覚醒当初、確かに自分はアーシェリーのスピードを凌駕していたはずだ。
しかし今は、その自分よりも速く相手が動いているように感じる。
「確かにあなたのスピードは速い。ですが、それだけです……」
その動揺を読み取ったように、アーシェリーが告げる。
彼女の周りを包む空気は、わずかながらに震えているようだった。
「今の私には、あなたの動きがわかります。目で見る必要もありません……」
あえて瞳を閉じて、彼女は続ける。
歯噛みしたアレクシアはすぐにその喉元に迫ろうとするが、結果は同じだった。
「おのれっ! ちょろちょろとっ!!」
先ほどまでの穏やかさをすっかり忘れたように、アレクシアは吼えた。
しかし、理由がわからないまま攻撃を続けても、状況は変わらない。
裏社会の始末屋としてそれを理解していたはずの彼女も、今はただ感情に任せて動くのみだ。
憎悪に狂い覚醒した今のアレクシアは、理性を持つように見えるだけのただの獣に過ぎなかった。
「分析完了……振動波固定。今度はこちらから行きます」
憎悪の獣を静かに見据えて、アーシェリーは槍を構えた。その槍もまた、周囲の空気同様に振動している。
特務執行官として彼女が扱う能力は、波動であった。
アーシェリーの全身から放射された特殊な波動は音波同様にソナーの役割をし、周囲で動く物体の動きを事細かに感知する。
筋肉の微細な動きや挙動によって発生する大気の流れ――そういった様々な事象から得られた情報を基に、彼女は回避行動を取っているのである。
そして、もちろんその能力は、攻撃にも転用可能なものだ。
「フン! やれるものなら……ぐあっ!?」
再び大地を蹴って攻撃しようとしたアレクシアは、突如バランスを失ってその場に倒れる。
彼女の左足に幾筋ものひび割れが走り、粉々に砕け散ったのだ。
飛び散った緑色の飛沫が、ペイントのように大地を染める。
「あなたの足を止めさせていただきました。いくらSPSがあろうとも、すぐには回復できないでしょう?」
「おのれっっ!!」
まるで焼け付いたかのような痛みに、アレクシアは苦悶の表情を浮かべる。
アーシェリーの槍から放たれた固有振動波が、足の生体組織を破壊したのだ。
SPSによる再生が始まる前に距離を詰めたアーシェリーは、銀の穂先を相手の眼前に突きつける。
「アレクシア……あなたが憎しみを糧に力を得たことは、不幸だったと言わざるを得ません」
「なにっっ!?」
「確かにロイスを失ったあなたは、その憎しみにすがるしかなかったのでしょう……」
その瞳に悲しげな光を宿し、アーシェリーはアレクシアを見つめる。
「愛する者を失う悲しみは、私にもわかります。ですが、多くの人たちを亡き者にしていい理由にはなりません」
かつて姉を襲った悲劇、ロイスとアレクシアを襲った悲劇、そして無為に殺されていった人々の悲劇――それらの映像が複雑に絡み合い、アーシェリーの脳裏をよぎる。
カオスレイダーに関わるすべての悲劇を、防げるとは思わない。
しかし、特務執行官となった以上、これ以上目に映る悲劇を増やさないためには、迷いながらであろうとも戦うしかないのだ。
「どれほど蔑まれようと、私はあなたを止めます。ロイスも、あなたがこれ以上狂っていくことを望んではいないはずです」
「うるさい! 戯言を言うなああぁぁっっ!! この人殺しがあああぁぁぁぁっっ!!」
怒声と共に、アレクシアは腕を振るう。
しかし、その前に動いた槍の穂先から振動波が放たれ、その腕を粉砕した。
そのまま回転した槍は狙いを変えて、アレクシアの胸へと突き込まれる。
「がはっ!!」
「これで終わりにしましょう! 最期です! アレクシア!!」
血反吐を吐いた女を見つめ、アーシェリーは波動の力を開放する。
しかし、振動波が相手の身体を分解し始めようとしたその矢先、彼女は背後から迫る殺意を感じた。
「!? な……ぐっ……あ……!」
次の瞬間、アーシェリーの胸を背中から貫いたのは、レーザーのように収束された闇だった。
無限稼働炉が身体の中でスパークするのを、彼女は感じ取る。
それと同時に全身が力を失い、視界が大きく揺らいだ。
膝から崩れ落ちるようにアーシェリーは、大地へ倒れ込む。
「そこまでね。特務執行官【アテナ】……それに、アレクシア=ステイシス……」
響き渡ったのは、女の声だった。
感情をまったく感じさせない機械のような声だ。当然、アレクシアのものではない。
そのアレクシアは、突如として目の前に現れた者たちに驚愕の視線を向けていた。
「ダイゴ=オザキ……それに……?」
そこに現れたのは、彼女にSPSを与えた男――ダイゴ=オザキと、姿をほとんど認識できない謎の影であった。
ただ、アレクシアはその影に、畏怖に似た感情を覚える。
「見事だったぞ。アレクシア……お前がここまでの力を持つとは思わなかった。それに、その姿もな」
「ええ。あなたは実に面白い……私はあなたが気に入った。だから助けてあげたのよ」
ダイゴに続いて答えた謎の影は、地を滑るようにアレクシアの脇に立つ。
その姿を霞む視界の中で見上げながら、アーシェリーは弱々しい声を上げた。
「なに、もの……?」
銀の瞳を輝かせた黒い影は、そんな彼女を超然と見下ろす。
「何者ね……あなたたちに合わせるなら、そうね……【テイアー】とでも名乗っておくわ」
「【テイアー】……!」
「かろうじて直撃は避けたみたいだけど、致命傷のようね。特務執行官【アテナ】……とどめを刺してあげるわ」
そう言うと、【テイアー】と名乗った影は、右腕を突き出す。
漆黒の指の先端に、スパークを伴った闇の球体が浮かぶ。
しかし、その腕を遮るようにアレクシアの腕が伸びた。
「待って……アーシェリーは私の獲物よ」
「……そういえば、あなたにとっては仇だったわね。いいわ……好きにすればいい」
【テイアー】は、特に感慨もなく告げる。
再生を終えて立ち上がったアレクシアは、右手の爪を鋭く伸ばし、天高く振りかぶった。
「……立場が変わったわね。アーシェリー……これで終わりよ……!」
わずかに不満そうな表情を見せたものの、アレクシアは殺意を瞳にみなぎらせる。
その様子を呆然と眺めながら、アーシェリーは心中でつぶやくことしかできなかった。
(……動け、ない……わた、し……私は……姉さん……ソル、ド……)
いよいよその爪が振り下ろされようとした瞬間、天空から微かな輝きが降ってくる。
それまで静かに様子を見守っていたダイゴは視線を上げると、初めて警告の声を上げた。
「いかん! そこからどけ! アレクシア!!」
「? なに……ぐああああっっ!!」
天から降ってきたのは、灼熱の火球だった。
それがアレクシアの身体を直撃し、爆発する。
大きく吹き飛ばされた彼女は、バウンドするように地面に叩き付けられた。
「お前は……?」
火球に続いて地に降り立った赤い輝きに、【テイアー】は銀の瞳を向ける。
それを見返したのは、黄金に輝く瞳であった。
「我は太陽……炎の守護者! 絶望導く悪の輩を、正義の炎が焼き尽くす! 我が名は、特務執行官【アポロン】!」
そこに実体化したのは、言わずと知れたソルドである。
アーシェリーの傍らに立ち、彼は怒りの視線を混沌の使者たちに向けていた。
「特務執行官【アポロン】……そう、とんだ邪魔が入ったわね」
「貴様、何者だ!?」
「私は【テイアー】……お前たちの言う、カオスレイダーを統べる存在……」
「なんだと!? うあっ!!」
声を荒げるソルドに対し、【テイアー】は無造作にその手を突き出す。
手のひらから迸った衝撃波が、青年を大きく吹き飛ばしていた。
「今回はここまでね。ダイゴ……アレクシアを」
「はっ……」
倒れたアレクシアを抱え上げ、ダイゴは【テイアー】の脇に立つ。
やがて彼らの姿は闇に溶け込むように消え始めた。
「待て! 貴様!!」
「また近い内に、会うことになるでしょう。特務執行官……その時は、もっと楽しませてくれることを期待するわ」
体勢を整えて詰め寄ってくるソルドを見つめた【テイアー】は、最後に冷たく言い残す。
その口元には、わずかに笑みが浮かんでいるようであった。
「……逃げられたか。【テイアー】……奴はいったい……?」
ソルドが使者たちのいたところに戻った時には、すでに彼らの姿は消えていた。
あとには、地に横たわるアーシェリーの姿があるだけだ。
「ソル……ド……」
「アーシェリー! しっかりしろ!」
すかさず抱き起こすと、アーシェリーは光を失いかけた瞳で彼を見つめた。
その口元が、わずかにほころぶ。
「よかった……オーバー……ホールは、無事に終わったん……ですね……」
「ああ……」
彼女の胸元に目を落としたソルドは、そこに空いた指先ほどの穴から、血と共にスパークが迸っていることに気付く。
スキャニングモードを起動した彼は、次の瞬間、冷や汗が伝うのを感じた。
(これは! ナノマシン統制システムと原子変換システムが半壊している。このままでは肉体を維持できない。早くパンドラに連れていかなければ……!)
アーシェリーの無限稼働炉――その中でも、身体構成を司る部分が損傷していた。
エネルギー中枢やメモリーデータバンクに被害がなかったのは不幸中の幸いだが、かといって悠長に構えている場合でもない。
現に彼女の身体は緩やかに崩壊を始めており、末端部分が灰のように崩れてきている。
ソルドは抱き上げた状態のままで周囲に球状のエネルギーフィールドを形成すると、そのまま重力制御を転換――最大斥力で地を蹴り、天空に向けて飛び出した。
「あなたには……助け、られて……ばかり……ですね……」
「アーシェリー……」
凄まじい勢いで大気圏を突破した彼の耳に、アーシェリーの声が届く。
どこか穏やかな表情を浮かべた彼女を、ソルドは心配そうに見つめ返す。
「ごめん、なさい……ソルド……手間のかかる……女で……」
「バカなことを言うな。私とて不甲斐ないのは同じだ。君の危機にまた……間に合わなかった……」
絞り出すように放たれた青年の言葉には、後悔にも似た感情がよぎっていた。
ふと昔のことを思い返し、アーシェリーは微かに笑う。
「相変わらず……優しいです、ね……そんな……あなただから……わた、しは……」
そこまで言うと、彼女は静かに目を閉じた。
もしや損傷が悪化したのかと不安そうな表情を浮かべたソルドに、続けて小さな声が届く。
「ソルド……ひとつ、お願いが……あるんです、けど……」
「なんだ?」
「私のこと……シェリーって……呼んで、もらえますか……?」
意外な願いに、ソルドは一瞬戸惑う。
しかしすぐに頷くと、努めて優しげな声でアーシェリーの耳元に囁いた。
「……シェリー……これで、いいのか?」
「はい……嬉しいです。親しかった人は……みんな……そう、呼んで……くれました、か、ら……」
「アーシェリー? おい、シェリー!!」
その声に満足そうな笑みを浮かべたアーシェリーは、力尽きたように動きを止めた。
身体の崩壊も同時に止まるが、熱も失ったその身体は人形のようになる。
(……すべての機能をシャットダウンしたのか。だが、時間がない。早くしなければ手遅れになる……!)
稼働継続による不慮の事故や損傷の拡大を避けるため、アーシェリーは無限稼働炉自体を停止させたのである。
ただ、メモリーデータバンクに存在する彼女の記憶なども、エネルギー供給の失われた今の状態では長く維持できない。
ソルドは、更に焦燥を募らせた。
(それにしても、あの影……前の奴とは違った。カオスレイダーを統べる存在とは、いったいどういうことなんだ?)
それはアーシェリーへの心配もさることながら、【テイアー】と名乗った謎の影に対する戦慄から来るものでもあった――。
FILE EX1 ― MISSION FAILED ―




