(10)深夜の決闘
午前零時――エルヴァンの埠頭には、わずかばかりの風が吹いていた。
時間も時間だけに人の姿はない。波の音は比較的静かで、変わらぬリズムで絶え間なく耳を打つ。
天には無数の星が満ち、青い輝きを持つ地球の姿が大きく円を描いていた。
因縁の生まれた日と異なる空の下で今、二人の女が対峙する。
アーシェリーとアレクシア――互いに譲れぬ思いを込めた戦いが幕を開ける。
「時間通りね。さぁ、始めましょうか……あなたの処刑を」
「あいにくですが、それはこちらの台詞です。今度こそ、あなたを討たせていただきます」
【スカーレット・ウインド】姿のアレクシアは、ガンスピンをさせながら銃を構えると無造作に撃ち放つ。
対するアーシェリーは銀の槍を現出させ、その柄で飛んできた閃光を打ち払う。
闇の中に白い輝きが火花となって散り、一瞬、女たちの姿を浮き彫りにした。
「そんなものは通用しないと言いました」
冷たい声で言い放ち、アーシェリーは大地を蹴る。
疾風のように相手に迫った彼女は、槍を大きく横に振るった。
銀の穂先は軌跡を描き、緋色のスーツの首元を狙う。
その攻撃を飛び退ってかわしたアレクシアだが、次の瞬間ヘルメットのバイザーが割れ、地に落ちて乾いた音を立てた。
「フフフ……さすがね……」
「!? アレクシア、その姿は……!」
邪魔とばかりにヘルメット自体を投げ捨て、アレクシアは不敵に微笑む。
緋色の髪と深紅の瞳――それ以外を構成する彼女の頭部は、鮮やかな緑色に染まっていた。
(あれは……ソルドたちの報告にあったSPS細胞。なぜ、彼女が……!?)
驚きに目を見開くアーシェリーを見据え、アレクシアは銃を投げ捨てる。
そしてその右手をおもむろに振りかざした。
スーツのグローブが弾け、その下から鋭い爪をもった緑の手が現れる。
「これは、あなたを殺すために得た力よ……!」
先ほどと逆に、今度はアレクシアが地を蹴った。
アーシェリーの動きをなぞるかのようにその懐に迫り、手刀を横薙ぎに払う。
宙にわずか、布の切れ端が舞った。
(速い! ですが……)
並の人間なら、それで生命を奪われていただろう。
しかし、特務執行官であるアーシェリーにとっては、恐れるスピードではない。
初撃こそ油断したものの、続けざまに繰り出される斬撃はすべて目に捉え、反応することができた。
「あいにくですが、この程度で私に勝つことなど不可能です」
何度目かの手刀を槍の柄で受けたアーシェリーは、そのまま相手に向けて前蹴りを放つ。
つま先がみぞおちに食い込むかのように打ち込まれた一撃は、アレクシアの身体を大きく後ろに弾き飛ばしていた。
それまで余裕を見せていた女の表情が、苦痛に歪む。
「ぐっ……!」
「そのSPSをどこで得たかはさておき……特務執行官に対抗できる力ではありません」
淡々と言葉を発しながら、アーシェリーは歩を進める。
眼鏡の奥の瞳は鋭い輝きをもって、アレクシアの姿を捉えていた。
「それに、あなたはそれを有効活用できていない。深夜の埠頭……まともな照明もないここではね」
ゆっくり近づいてくる仇敵を前に、アレクシアはよろよろと立ち上がることしかできなかった。
アーシェリーは今まで得られたデータを基に、SPSの特性をすべて解析済みである。
高い肉体能力の向上と再生力、覚醒したカオスレイダーの力を増幅させる親和性――驚異的なスペックが並ぶSPSではあるが、弱点がないわけではない。
元々、光合成によって力を得る細胞であるため、天然であれ人工的であれ一定の光量下にないと能力を発揮できないのである。
「本来なら出所を聞くところですが……それを語るあなたでもないでしょう。時間もありませんので、早々に決着をつけさせていただきます」
槍を構え直し、アーシェリーは再度勢いをつけて踏み出した。
低光量の下とはいえ、SPSを有した人間に覚醒されると面倒なことになるのは変わらない。
まだ人間である内に、アレクシアを倒す必要があった。
その決闘の様子を、遠くから見つめている者たちがいる。
建設中のビルの鉄骨の上――埠頭を望むことのできる高層部分に、ふたつの影が存在していた。
「予想通り、苦戦しているわね」
闇を濃縮したような影は、銀の瞳を煌めかせてつぶやく。
その隣に立つのは、黒ずくめのスーツに身を包んだダイゴ=オザキである。
「ええ……元からSPSだけで、特務執行官を倒せるわけがありませんので」
混沌の下僕たる男は、感情も動かさずに即答する。
今の段階ではアレクシアの負けは、目に見えていた。カオスレイダー化してようやく勝負に持ち込める程度である。
「あとは、ここからね……果たして彼女の憎悪が、種の意思とどう溶け合うか……」
「はっ……今回のお膳立てが徒労に終わらないことを祈りたいものです」
しかし、彼らの意図は単純な覚醒にあるわけではないようだ。
普通の人の眼には映らない戦いの推移を、混沌の使者たちは静かに見守っていた。
空を切り裂く音をたて、槍が女の脇をかすめていく。
アーシェリーから続けざまに放たれる怒涛の突きは、アレクシアを着実に追い詰めていた。
すでに彼女のスーツはあちこちが裂け、鮮血が滲んでいる。全身に行き渡っているSPSも、今は満足な再生力を発揮できていない。
傷が回復する速度以上に、刻まれる傷のほうが多いのである。
(くっ……こんなことって……!)
仇敵の恐るべき連撃に、アレクシアは歯噛みするしかない。
ダイゴから与えられたSPSは、彼女に勝利の確信を抱かせるほどに充分な能力向上をもたらしてくれた。
しかし、それは残念ながら甘い認識であったらしい。
回避に専念してさえ傷が増えていくという現状は、特務執行官と名乗る女のスピードが自身を凌駕していることの証であった。
やがて体捌きを誤ったのか、アレクシアの足がもつれ、路上に転倒する。
次いで彼女の頬を銀の槍の穂先がかすめ、乾いた音を立てて地に突き刺さった。
「ここまでですね……アレクシア」
息を切らすアレクシアを見下ろし、アーシェリーは揺るぎのない冷めた口調で告げる。
そこには、もはや迷いはないという強い意思が感じられた。
紅い瞳に憎悪を宿し、アレクシアは仇敵の顔を睨みつける。
「おのれ……緑の髪の女……!」
放たれた言葉を耳にし、アーシェリーはわずかに瞑目した。
眼鏡の奥の瞳が再び開かれた時、その口からは意外な言葉が漏れる。
「……アーシェリーです」
「なんですって?」
「アーシェリー=ウィズフォース……それが私の名前です。最後に心に刻んでおきなさい」
訊き返したアレクシアに、彼女は自らの名を告げる。
同情か後ろめたさか――そこにどんな感情があったのかは、定かでない。
ただ、それが彼女の次の行動に影響を与えることはなく、引き抜かれた槍はすぐさまアレクシアの胸元に突き下ろされた。
「かはっ……!」
血を吐き、緋色の髪の女は目を見開く。
普通の人間なら間違いなく致命となる一撃を受けつつも、彼女はその瞳に更なる憎悪を滾らせた。
(アーシェリー……ロイスを殺し、私を殺そうとしている女……!)
婚約者を殺した憎き仇――かつて抱いた圧倒的な絶望と憤りが、どす黒い渦となって彼女の意識を満たす。
そして今また、自分を殺そうとしている事実に新たな怒りが湧き上がっていた。
(許さない……殺してやる……アーシェリー……ころし、て……)
『コロセ』
その怒りに呼応するかのように、自分のものではない声が脳裏に響く。
しかし、今のアレクシアにそれを拒絶する意思はなくなっていた。
(殺して、やる……!)
『ソウダ、コロセ……』
同調するかのように意思を合わせた時、目の前の色が変わり始める。
赤と黒――それらが渦のように混じり合い、視界に映るものを染め上げてゆく。
同時に身体の奥から、得体の知れない力が湧き起こってくるのを感じていた。
(これは? この力はいったい……どんどん高まっている!?)
静かにアレクシアを見下ろしていたアーシェリーだったが、相手の身体に起きた変化に驚きの表情を浮かべる。
ゆっくりと槍を掴んだ緑の手が、常人にあるまじき力で押し返してきたのだ。
その穂先を押し留めようとアーシェリーが力を込め直すと、やがてアレクシアの口から恐ろしい絶叫が迸る。
「ウオオオォォォォ!! 殺してやるわアーシェリー……!! 殺して、殺して、殺して、殺して殺し殺し殺し殺し殺殺殺殺ォォォォオォォォ……!!」
『コロスノダ……コントンニキスタメニ……!』
その声に続き、凄まじいエネルギーが放たれる。
衝撃波を伴う強烈なそれに思わず後退りしたアーシェリーは、目の前に浮かび上がったアレクシアの肉体が大きく弾け飛ぶのを目撃した。
「ウオオオオオオオオオアアアァアァアアアアアアアァァァァッッッ!!!」
それは新たなる混沌の誕生の産声であった――。




