表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
APOLLON -灼熱の特務執行官-  作者: 双首蒼竜
FILE0 プロローグ
6/300

太陽の名を持つ男


 そこは炎獄と呼ぶにふさわしい光景だった。

 目に映るすべてが灼熱に包まれ、朱の闇に染まっている。

 折れ曲がった鉄骨と崩落した瓦礫が、無造作に散らばる。

 火花を上げているのは、ちぎれた配線と用途不明な電子機器。床に点在するオイル溜まりは、業火の温床となっている。

 横たわる重機群の間に紛れて見えるのは、数多の死骸である。

 紛れもなく、かつて人であったものだ。

 絶叫をあげて固まる者、脅えたように身を丸める者、原型を留めぬまでに破壊された者――様々あれど、今はすべて等しく肉の塊であった。


「なんなんだ!! なんなんだよおおぉぉおぉ!!」


 その中で、ただ一人奇跡的に生き延びている男がいる。

 だが、彼の瞳は恐怖で見開かれ、狂乱じみた金切り声をあげている。

 それもそのはずで、男の目の前には信じられない生物が存在していた。

 深みを帯びたオニキスの体色が特徴的なそれは、遥か古代の肉食恐竜に近い姿をしている。

 身長はおよそ二メートルほどか。口から荒々しい息を吐き、辺りを睥睨している。

 その眼光にはわずかながら、獣らしくない知性の輝きがあった。


「チ……ハカイ……スベテハ、コントンニカエルノミ……スベテハ、スベテハ……」


 獣は、熱に浮かされたように同じ言葉を紡いでいる。


「くるなよ! くるなあぁぁぁああぁぁ!!!」


 男は逃げることもかなわず、わめき続けている。

 腰が抜けたのか、立ち上がることもできない。

 その股間には、たった今できたばかりの染みが浮いていた。


「……オオォ……スベテハ……コントンニ……オオアァオォ……チヲォオォォォォ!!!!」


 獣は、男の声に耳を貸さない。

 それ以前に、お互い相手の言葉を理解しているか怪しいものだ。

 地響きと共に一歩を踏み出した獣が、その巨大なアゴを開いて、男に食らいつく。


「うぎあやああああああああああああああぁあぁあぁぁぁぁぁ……!!!」


 ぞぶりという音をたて、牙が男の肩口に食い込む。

 溢れる鮮血に加え、骨の砕けるような音が響く。

 宙に持ち上げられた男は断末魔の絶叫の中で、絶望に浸る。


「ごぎょあああぁあぁあぁぁぁぁあぁ……!!!」


 だが、獣は男を食らい尽くすつもりではないようだ。

 代わりに何度も噛み直し、男の全身を穴だらけにしていく。

 なぶって楽しんでいるかのように、異形の瞳が嬉しげな光を放っている。


「た、たす……あがああ……け、ぐ………あぁ…………」


 やがて絶命した男は、動かなくなった。

 それを見届けると、獣は彼を無造作に投げ捨てる。


「チ……コントン……ハカイ……ハカイヲ……」


 巨躯を引きずるようにして、獣は歩き出す。

 獣は、次の獲物を求めていた。

 獣はこの場で目に映るものすべてを破壊し、逃げ惑う人々を次々と手にかけた。

 抵抗する者も一部にいたが、まるで相手にはならなかった。

 今の男のように、容赦なくなぶり殺した。

 恐怖、悲しみ、絶望といった負の感情の渦は、獣にとって最高のごちそうだったのだ。

 呼吸をするたびに、今もその残滓を感じ取れる。


 たまらない。

 だが、まだ足りない。

 もっと破壊し、殺さなければ。

 満たされない。


 獣の頭にある衝動は、ただそれだけだった。

 しかし、すでに辺りに生ある者はいない。

 どうやら先ほどの男で、最後だったらしい。


 ならば、遠くに行くことにしよう。

 どうせ、時間はたっぷりある。

 外に出れば、獲物はよりどりみどりだ。


 爛々と輝く目の奥で、獣が漠然とした思いにとらわれた時であった。

 ふと、その視線が上に向けられる。

 朱と漆黒がグラデーションを描く天の彼方に、星々に紛れて光るなにかがあった。

 赤い光――周囲を満たす炎よりも鮮やかな輝きが、徐々に大きさを増してくる。

 それが落下してくるのだということに、獣が気付いた刹那の瞬間だった。


 轟音が響く。

 光は凄まじい勢いで、獣の前方に落着していた。

 熱風と共に弾き飛ばされた無数の鉄片が、辺りに飛び散る。

 獣の身体にもいくつか当たったが、特に気に留めた様子もなく、彼は視線を前方に戻した。

 一時の静寂の後、立ち昇る陽炎の中にシルエットが浮かび上がる。


 そこにいたのは、一人の人間である。

 どこにでもいるような、若き青年の姿だ。

 しかし、常識では考えられない現れ方をした青年は、果たして人間なのか。

 その髪は、炎に負けぬほどの朱を宿している。

 その瞳は、闇夜の猫に似た黄金の輝きを見せる。

 恐怖の色は欠片もなく、あるのはむしろ怒りの感情だった。


「指定ポイントに到着……目標を発見した。ただちに掃討する」


 青年はつぶやくと、一歩を踏み出す。

 周囲を包む炎をものともせず、焼け焦げることもなく、彼は目の前の獣に近づいていく。

 不思議なことに獣は、動くことができないでいた。

 先ほどの男のように、容易くいたぶれそうな相手にも関わらずである。


「ずいぶんと派手にやってくれた。だが……貴様の生命は、ここで尽きる」


 青年は辺りの惨状を見渡しながら、静かな口調でつぶやく。

 金の瞳がより激しい輝きに満ち、炎の中に映える。

 口から漏れたのは殺意の言葉だが、そんな生易しさで言い表せない空気が彼の周りに漂う。


「オオオオォォォォオオォォォオオォォォォォ!!!」


 咆哮が轟く。

 それは今まで威圧されていた獣の口から漏れたものだ。

 風を巻いて、青年に豪腕が振り下ろされる。

 地面を叩き潰すかのような一撃だった。

 再びの轟音。

 それは肉のひしゃげる音にしては、あまりに大きなものだった。


「ウガアアァァアアアァァァァアアァァァァァァ……!!!」


 しかし、その後に響き渡ったのは、青年の絶叫ではない。

 巨大な獣が、天を仰いで叫んでいた。

 肩口からもぎ取られたようにその腕がちぎれ、どす黒い血が飛び散っている。

 宙を舞った異形の腕が消し炭のように燃え尽き、地面に落下した。

 青年はただ拳を振り上げて、その場にたたずんでいるだけである。


「バカ、ナ……キサマハ、ナンダ? ナンナノダアァァァ!?」


 獣が、明確に意思のある言葉を口にする。

 それは驚愕と恐怖――理解不能な目の前の青年に対する恐れが、獣の脳を支配していた。

 燃え盛る炎を薙ぎ、青年の名乗りの声がこだまする。


「我は太陽……炎の守護者! 絶望導く悪の輩を、正義の炎が焼き尽くす! 我が名は、特務執行官【アポロン】!」


 同時に、青年の手がゆっくりと開かれた。

 太陽を圧縮したような力強い炎が、そこに生まれている。

 その炎が閃光と共に放たれ、獣の身体を瞬時に包み込んだ。


「ウ……ウオオオヲヲォォォォオオオォォォォオオォォ……!!」


 世界が一瞬、白く染まった。

 巨大な異形が弾け、燃え上がり、塵となっていく。

 断末魔の絶叫と共に、獣はあっけなく消滅する。

 まるで初めから、その存在すらなかったかのように。


「掃討……完了」


 あとには、無情な青年の声が残るのみだった。





「オリンポス・セントラル……アクセス」


 青年はしばし周囲の状況を観察してため息をつくと、手の平を胸元で天に向けた。

 そこに光の渦が現れ、やがて収束し、目の前に立体の映像を結ぶ。

 長い黒髪の女性の姿だった。どこか愁いを帯びた表情が印象的な美人である。


『こちら、オリンポス・セントラル……【クロト】です』

「【アポロン】より、コードナンバーS114の件で報告。対象の排除は完了。だが、生存者はない。完全に手遅れだ」

『了解。お疲れ様でした』


 青年の報告に、【クロト】と名乗った女性はわずか目を細める。

 あくまで事務的でありながら、その様子は望ましくない言葉を聞いた人間のそれだった。


「事後処理は大変だろうが、よろしく頼む。もっとも生存者がいない分、情報操作は難しくないかもしれんが」

『それは……皮肉ですか?【アポロン】?』

「そういうわけではないがな。ただ、もう少し早ければ、生き延びる者もいただろう。それが悔やまれるだけの話だ」

『仕方ありません。私たちは万能の存在ではありませんから。ですが、救える人もいることは確かです。直接、現場に赴くあなたたちには、無責任な言葉になってしまうのでしょうけど……』


 彼女は、やや穏やかなトーンで語りかけた。

 気を遣わせてしまったことにふと気付き、青年はわずかに笑みを返す。


「すまんな。少し愚痴っぽくなった。これより帰還する」

『了解』


 通信を終えると映像は再び光に戻り、飛び散るように消えた。

 青年の瞳には、先ほどまであった雄々しい輝きはなくなっている。

 代わってあったのは、悲しみとも哀れみとも取れる光だ。

 燃え尽きた生命と己が倒した獣に祈りの言葉を捧げながら、彼はいまだ煙る空へと向けて飛び立っていった――。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ