(9)血に染まる風
『アーシェリーさんからの経過報告は、以上になります』
「そうか……」
アーシェリーとアレクシアの遭遇から数時間後、【アトロポス】の報告を聞いたライザスは、難しい表情を浮かべてため息をついた。
(アーシェリー自身の問題はさておき、瞬間移動とも思える手口で逃走……か)
彼の意識は、アレクシアの逃走に関しての部分に向いていた。
先日のベータでの一件で、フィアネスが取り逃がしたダイゴ=オザキという男――その際の手口と、まったく同じだったからである。
事後の調査で判明したことだが、そのダイゴという男は今も行方不明となっている。
世間一般には自殺と報道されているが、その情報がフェイクであることもオリンポスでは確認済みだ。
(もし、これがダイゴという男の場合と同じなら……背後には、奴らが潜んでいると見るべきか)
少し考えを巡らしたあと、ライザスは中空の【アトロポス】に目を移す。
「アトロ……ソルドのオーバーホールは、どうなっている?」
『はい。あと半日ほどで完了します』
「そうか……終わり次第ソルドに、アーシェリーのサポートに向かうよう伝えてくれ」
『アーシェリーさんの? は、はい……わかりました』
どこか威圧的にも感じられるその視線に、【アトロポス】は思わず委縮して答えた。
普段は見ることのない司令官の態度に、彼女もただならぬ様子を感じ取ったようである。
腕組みの状態で目線を下げたライザスは、悪寒にも似た感覚が背筋を走るのを感じていた。
(……嫌な予感がする。これが、杞憂に終わってくれればいいのだが……)
時を同じくして、アルファの街エルヴァンではアーシェリーが焦燥を募らせていた。
(アレクシアの行方……手掛かりがないと、どうにもなりませんが……)
アレクシアを討つと決意したものの、彼女がどこに行ったのかは依然として不明のままだった。
本来の潜伏場所に戻った可能性もあるが、その場所も現段階では掴めていない。
もちろん調査を重ねれば突き止めることは不可能ではなかったが、それを悠長にやっているほどの余裕はなかった。
(彼女の症状はかなり進行していた。このままではいつ覚醒してもおかしくない……)
ガーデンレストランで見たアレクシアの様子は、今までの事例に照らし合わせても危険極まりない状況である。
良くて今日一日持てばいいほうだと、アーシェリーは踏んでいた。
(効率は悪いですが、この街で潜伏可能な場所をしらみつぶしにでも当たるしか方法はありませんね……)
そんなことを考えた矢先のことだった。
アーシェリーの耳に、無数の人間の悲鳴が聞こえてきたのである。
「人の悲鳴!? まさか!?」
嫌な予感が、彼女の脳裏をよぎる。
距離としては遠くなく、およそ十キロというところだろう。位置を特定し、すぐに緑の光となって飛び立つ。
時間にしてわずか数十秒後、アーシェリーは悲鳴のあった現場上空に到着した。
(これは……!)
姿を周囲の風景に溶け込ませながら、人知れず着地する。
人通りはそこまでない住宅街の一角――そこに何人かの人間たちが、身動きひとつすることもなく倒れている。
その内の一人の男の元に歩み寄ると、彼女はその姿を注視した。
(ブラスターの銃痕……正確に急所を撃ち抜いている……!)
亡骸となった男の額には大きな風穴が空き、鮮血を迸らせていた。
他の人々も確認すると、場所こそ違えど致命傷となる箇所に銃撃の痕が見て取れる。素人の仕業でないことは明らかだった。
その中に一人だけ、わずかに身体を震わせている男がいた。
すぐに駆け寄ったアーシェリーは、彼を助け起こして声を掛ける。
「しっかり! なにがあったのですか?」
男はやはり銃撃にやられていたが、肩口を撃ち抜かれているのみだった。
なぜこの男だけが致命傷でないのか疑問に思い始めたところ、その口から意外な言葉が漏れる。
「……ひ、緋色の……ライダースーツだ……奴が無差別に……人を……!」
「なんですって?」
アーシェリーは、思わず色を失う。
世間一般に認知されている連続殺人犯――【スカーレット・ウインド】の名を騙る人間の仕業と、彼は言ったのだ。
しかし、その手口は明らかに今までと違っている。この場に転がる死体には、真空切断による斬撃の傷は一切見当たらないからだ。
(まさか、これは本当にアレクシアが……!? だとしたら、なぜ……!?)
アレクシアの銃撃の正確さは、彼女自身も身をもって知っていた。
この男だけを生かしておいたのは、この惨劇が【スカーレット・ウインド】の仕業であることを知らしめるためだろう。
しかし、そうする理由がまったく掴めなかった。
(寄生者特有の殺害衝動では説明がつかない。まさか……まさか、ですが……!)
アーシェリーが想像したくもない考えに至った時、その耳に新たな悲鳴が飛び込んできた。
やはり距離としては離れておらず、こちらは五キロ圏内だ。
男の傷にナノマシンヒーリングを施し、彼女はすぐその場所に向けて駆け出す。
辿り着いたそこもまた、やはり惨劇の現場だった。
倒れ伏した人々が鮮血を撒き散らしながら、路上を赤く染めている。
通りすがる人間に向けて無差別にブラスターを撃っているのは、緋色のライダースーツに身を包んだ人物だ。
その動きは自然で無駄がなく、同時に躍動感にも満ちていた。
「やめなさい!」
走り出ながら、アーシェリーは叫ぶ。
ライダースーツの人物は彼女の姿を認めると、ブラスターをガンスピンさせて右腿のホルスターに収めた。
ヘルメットのバイザーを上げたその奥に、わずかな赤みを帯びた鋭い瞳が覗く。
「あら……やっと到着? 遅かったわね」
「アレクシア……なのですか? なぜ、こんなことを!?」
悲痛な思いを込めた声が、辺りに響く。
しかし、当のアレクシアはまったく感情のない声で答えを返した。
「なぜ……? 決まってる。あなたにもう一度会うためよ」
再びブラスターを引き抜き、アレクシアは無造作にトリガーを引く。
放たれた閃光が、遠くへ走り去ろうとしている名も知らない男の背中を正確に撃ち抜いた。
息を呑んだアーシェリーとは対照的に、倒れ伏す男を見つめながら感慨もなく彼女は続ける。
「あなたは私の偽者を追っていた。だからこの姿で人を襲えば、すぐに駆け付けると思ったわ。違うかしら? 正義の特務執行官さん……」
「!? なぜ、それを……いえ、あなたはそんなことのために罪もない人々を……!!」
特務執行官という単語にわずか動揺したアーシェリーだが、すぐにそれも怒りの感情の奥底に消える。
先ほど抱いた想像したくもない考え――それが事実だったことも、彼女の憤りに拍車をかけていた。
アレクシアはアーシェリーをおびき出すためだけに、無差別な犯行に及んだのである。
そしてそれを裏付けるような言葉が、アレクシアの口から放たれた。
「別にどうでもいいでしょ。そんなこと……【スカーレット・ウインド】の名前も評判も、もう関係がなくなったの。他の人間が何人死のうと、まったく知ったことじゃない。そう……私が求めるものはたったひとつ!」
瞳を深紅に輝かせ、彼女はブラスターの銃口をアーシェリーに向ける。
それまで淡々としていた【スカーレット・ウインド】は、そこで初めて底知れない憎悪の塊を、緑髪の特務執行官に叩き付けた。
「それはあなたの命よ!! 緑の髪の女!!」
「アレクシア……!」
拳を震わせ、アーシェリーはアレクシアを見据える。
その瞳には怒りと同時に、深い哀しみがよぎっていた。
ここまで狂気に走らせるほどの憎悪を与えてしまったのは自分なのだという意識が、彼女の心の中で渦を巻いていたのだ。
刹那とも、長い時とも感じられた一瞬――次いで先に動いたのは、アレクシアのほうだった。
「フフフ……でも、少し騒ぎになり過ぎたわね。邪魔が入っても面倒だわ」
近付いてくるサイレンの音に、彼女はわずか肩を揺らす。
そして常人とは思えない跳躍力で後方高く飛び上がると、民家の屋根へと飛び乗った。
「今夜、零時……例の場所で待ってるわ。あなたと私の因縁が始まった場所でね……」
「アレクシアッッ!!」
見上げるアーシェリーを一瞥し、アレクシアは飛び跳ねるように彼女の視界から姿を消した。
その異常な運動能力に訝しさを覚えつつ、アーシェリーは人々の亡骸に目を移す。
(……私が不甲斐ないばかりに、多くの人が犠牲に……)
因縁の再会時にアレクシアを仕留めていれば、今回の犠牲は出なかったはずである。
自分の迷いが人々の生命を奪う結果になってしまったことは、悔やんでも悔やみ切れない事実だった。
あらぬ疑いをかけられぬよう速やかに駆け出しながら、アーシェリーは新たに決意を固め直す。
(アレクシア……私は今度こそ、あなたを討ちます!)




