(7)捨てられぬ迷い
ブラスターを油断なく構えながら、低い声でアレクシアは詰め寄ってくる。
その声は心なしか、震えているようだった。
「あなた……三年前に人を殺したことはあって? ロイス=ヴァレンタインという名の男を……!」
その言葉に、アーシェリーは顔を俯ける。
ごまかすことも、知らないと言い張ることもできただろう。しかし、彼女の心は偽りの言葉を言うことを拒否していた。
あの雨の日の出来事が、頭をよぎる。
動揺のまま、なにも告げずにアレクシアの前から逃げ出した過去を、今ここで清算せねばならないと心の声は告げていた。
「ええ……そう、ですね……確かに、殺しました。忘れるはずもない……」
絞り出すような声で、アーシェリーは言葉を紡ぐ。
カオスレイダーに憑かれていたロイス――彼を殺害したのは紛れもない事実であり、特務執行官の負うべき罪である。
そして、図らずも最愛の人間の目の前でそれを行ってしまったことは、明らかに自分の落ち度であった。
喧騒の中、二人の立つその場だけ、時が止まったかのように凍り付く。
「そう……そうなのね。あなたが……フフ、フフフフフ……アハハハハハハハ……!!」
その言葉に静かに目を伏せたアレクシアは、やがて口元を歪めながら狂ったような笑い声をあげた。
あまりの豹変ぶりに、思わずアーシェリーも視線を戻す。
「アレクシア……?」
「やっと!! やっと会えたわ!! 緑の髪の女ぁ!!」
次の瞬間、閃光がアーシェリーの頬をかすめていた。
わずかな鮮血が舞い散る中、般若のような表情をしたアレクシアが再度、銃を構える。
「この時をどれほど待ったか……あなたを殺すために、私は裏の世界に飛び込んだのよ!!」
そのまま彼女は、立て続けにトリガーを引く。
無差別に放たれたブラスターの光が、アーシェリーの身体に傷を穿つ。
「待って! やめてください。アレクシア……あれには理由が……!」
「気安く人の名前を呼ぶなああぁぁぁぁっっ!!」
怒りに燃えていつつも、彼女の射撃は正確であった。
アーシェリーの腕や足を閃光が貫き、鮮血が立て続けに噴き出す。
「緑の髪の女……ここで死んでもらうわ! ロイスの味わった苦しみを何倍にもして返し……地獄の底に叩き込んでやる!!」
「アレク……シア……」
力尽きたように膝をつきながら、アーシェリーは愁いの瞳を向ける。
特務執行官の能力をもってすれば、そもそもブラスターの射撃を無効化するのは容易いはずだったし、戦闘モードを起動していればダメージにもならないはずだ。
しかし、今のアーシェリーは通常形態のままであり、普通の人間とまったく変わらない状態だった。
(……こんなことで、彼女の苦しみをわかったつもりになっている……私は、なんて愚かなのだろう……)
心の中で、彼女は自嘲する。
このままアレクシアに討たれることは特務執行官としての使命を放棄することであり、許される話ではない。
かといって、彼女の怒りと憎しみに背を向けることはできない。こうして甘んじて攻撃を受けることが、アーシェリーなりの贖罪のつもりなのだ。
しかし、それが正しいことなのか――自らが流す血に目を移しながら、彼女はいまだに迷いを抱え続けていた。
「さぁ! これで終わりにして……ぐっ!? うううぅああああぁぁぁぁ!!!」
そんなアーシェリーの頭に狙いを定めようとした矢先、アレクシアは急に頭を抱えてうずくまった。
草の上に全身を押し付け、芋虫のようにのたうちながら彼女は絶叫する。
「やめろぉ! 私の頭をかき乱すな!! ぐうううあああぁぁぁぁぁ……!!」
その声に我に返ったアーシェリーは、アレクシアに視線を戻して、更に驚愕する。
緋色の髪の女の瞳に、強く紅い輝きが宿っていた。
(これは……カオスレイダーの反応!? しかも覚醒が間近に迫っている!? なぜ!? なぜなの!?)
あまりにも意外な事実に、アーシェリーは息を呑む。
今、アレクシアが見せている症状は、カオスレイダー寄生者が潜伏末期に見せるものだったのである。
(今回の事件……アレクシアの仕業でないことは確かだった! でも、それなら彼女はどうやって殺害衝動を満たして……?)
そこまで考えて、アーシェリーは彼女が裏社会の始末屋であることを思い出す。
仕事自体が人を殺害するものである以上、一般人にある突発的な殺害衝動は起きにくいということなのかもしれなかった。もう少し遅ければ、サプライズ・ケースとなっていても不思議ではなかったはずだ。
ただ、その推測が正しいものか確かめる術はない。
ひとつだけ言えるのは、彼女がアーシェリーにとって明確な敵になったという事実だった。
(いずれにせよ……私は……あなたを殺すしかないのですね。アレクシア……!)
一度目を伏せたアーシェリーは全身に力を込めると、ゆっくりと立ち上がった。
流れ出ていた血はすべて止まり、その身体に緑の輝きが宿る。
眼鏡の奥の瞳は翡翠の輝きを放ちながら、苦しむアレクシアを超然と見下ろした。
「ぐぅっ!? お前っ……!」
原子変換システムを起動。
空気分子の構成を変え、手に銀色の槍を現出させたアーシェリーは、それを鋭く突き下ろす。
とっさに転がって攻撃を回避したアレクシアは、いまだに痛む頭を押さえながら、息を荒げて立ち上がった。
「お前……いったい……どういうこと、だ……!?」
「……アレクシア=ステイシス。あなたの恨みや憎しみ、わかるなどとは言いません。ですが、あなたをここで見逃すわけにはいかなくなりました……」
感情を抑え込んだ低い声で、アーシェリーは静かに告げる。
先ほどとはまるで別人のような態度を見せる彼女に、アレクシアは更なる殺意を瞳に宿した。
「フ、フ……そう……そうやって自分に都合の悪い者は消すというわけね……ロイスと同じように……!」
「それは違います。そうではありません……」
「黙れ!! この恥知らずな女があぁっ!!」
アレクシアはブラスターを拾うと、絶叫と共にトリガーを引く。
放たれた閃光が殺意を乗せてアーシェリーを襲うが、その光は空を裂くように振り切られた銀の槍によってあえなく霧消した。
「残念ですが、その程度の攻撃など私には通用しません。ここで、あなたの呪われた生に幕を引きましょう……」
特務執行官としての使命から出た言葉と共に、アーシェリーはアレクシアの喉元に迫る。
そのまま無造作に相手の制服の襟首を掴むと、勢いをつけて投げ落とした。
脳天から叩き落とすような一撃を、アレクシアはとっさに手をついて防ごうとする。
しかし、ゴキリという鈍い音と共にその腕があらぬ方向に曲がっていた。
「う……くっ……この……女がああぁぁぁぁっっ!!」
折れた腕を押さえながら、アレクシアは寝そべった状態で無造作な蹴りを放つ。
その足は相手の腹の辺りを直撃するが、その攻撃でアーシェリーが動じることはなかった。
「さすがというべきですが、これで終わりです」
その足首を片手で掴んだアーシェリーは、もう一方の手で槍を振りかぶる。
銀色の冷たい輝きが、アレクシアの紅い瞳に映った。
「ぐぅっ……ロイ、ス……!」
「……っ!」
ありとあらゆる負の感情を詰め込んだ視線を向けながら、アレクシアは恋人の名を呼ぶ。
それを耳にしたアーシェリーは、わずかに息を呑んだ。
眼鏡の奥の光が一瞬だけ揺らぎ、その腕が動きを止める。
(アレクシア……これも、運命です……!)
わずかなためらいのあと、突き出された槍の穂先がアレクシアの胸元に迫る。
しかし、先端が彼女を貫こうとした瞬間、紅い膜のような光がその一撃を弾いた。
「な……!?」
驚くアーシェリーに、続けて荒ぶる風が襲い掛かる。
全身を切り刻もうとするように乱れ飛んだ攻撃を身を翻してかわしながら、後ろに飛んで距離を取る。
しかし風の止んだ次の瞬間、彼女の瞳はそこにいたアレクシアの姿を見失っていた。
(アレクシア!? そんな……消えた!?)
アーシェリーは、驚きを隠せない。
アレクシアの姿は、忽然とその場から消えてしまっていたのだ。
スキャニングモードを起動しても、彼女の足取りを示す情報は一切見つからない。
(瞬間移動でしょうか? ですが彼女に、そのような力があるはずはない。では、何者かが連れ去った? いったい、なんのために……?)
槍を光と化して霧散させ、アーシェリーは天を仰ぐ。
カオスレイダーを宿すとはいえ、いまだ人間でしかないアレクシアに人智を超えた力などあるはずもない。
可能性としては、風の攻撃を仕掛けていた謎の敵――その者が連れ去ったとしか考えられない。
ただ、アーシェリーの心の中には逃がしてしまったという事実以上に、アレクシアを仕留めることをためらった自身への疑念が渦巻いていた。
(あの時、私はどうしてためらってしまったのだろう。私は……なぜ……?)
使命の名の下に押し殺していた迷いが、今また彼女の心に押し寄せてきていた。




