(6)望まぬ邂逅
その日、エルヴァンのとあるガーデンレストランでは、新たな夫婦の門出を祝うセレモニーが催されていた。
雲ひとつない澄み渡った青空に、甲高い鐘の音がこだまする。
いくつものバルーンが空に浮かび上がり、吹き抜ける風の中に色とりどりの花びらが舞う。
グラスを掲げる人々の声は明るさと活気に満ち、草花の囁きさえもが祝福として聞こえてくるようだった。
そこには、あらゆる不幸を退ける力さえあるように感じられた。
(……人を想う幸せを一番に感じられる場所……私にはもう縁のないところ……ですね)
その結婚式を祝う人々を見守りながら、アーシェリーは身を隠すように一人、庭の木陰にたたずんでいた。
その顔は無表情を装っていたものの、瞳の中には限りない寂しさが潜んでいる。
任務のためとはいえ彼女にとってこの場にいることは、心をむき身の刃に晒しているも同じであった。
(……姉さん……)
アーシェリーはかけていた眼鏡を外し、胸元で握り締める。
わずかに視線を上げて遠い空を眺める姿は、なにかに思いを馳せているように見えた。
(私はもう二度と、あのような思いをする人を出したくはない。でも、それは所詮……私の傲慢に過ぎないのでしょうか?)
心の中の問い掛けに、答えをくれる者は誰もいない。
ただ、彼女がどのような思いを抱えようと、今は果たすべき務めを果たさねばならない。
眩い空の下、喧騒を背にしたアーシェリーの前を舞い散った葉がよぎった。
そのアーシェリーと同じように、居心地の悪さを感じている人間がもう一人その場にいた。
「……皮肉なものね……こんな形で、ここにまた来るなんて……」
レストランのサービススタッフを装いながら、アレクシアはつぶやく。
まだ裏社会に身を落とす前、彼女はロイスとここで式を挙げる予定だった。
事前打ち合わせの際、いろんなイベントを盛り込み過ぎて、担当スタッフに苦笑されてしまったのを覚えている。
今はもう叶わなくなってしまったかつての夢。そして自分の元から消えてしまった幸せを、今まさに噛み締めている新しい夫婦に、彼女は羨望と嫉妬とが湧き上がるのを抑え切れずにいる。
(……何者かわからないけど、ずいぶんと人の神経を逆撫でしてくれる。偽者め……姿を見せたら、ただじゃおかないわ)
表面上は完璧と言えるまでの愛想笑いを浮かべつつ、内心では理不尽な感情を自分の名を騙る者への怒りに変え、アレクシアはその手を強く握り締めていた。
因縁の二人が時を同じくして、なぜ同じ場所にいるのか――それは謎の殺人者のターゲットが、式を挙げている夫婦にあると推測したからに他ならない。
これまでの事件の被害者に唯一共通していたことは、結婚を一ヵ月以内に控えたカップルのどちらかであったということだ。そして今ここで式を挙げた二人は、同じ条件の中で唯一両方生き残っていたのである。
相手が結婚前の人間のみをターゲットとしている可能性もあったが、現状では有益な手掛かりが他にない。
無駄足に終わろうとも、張り込む価値はあった。
誓いの式は滞りなく終了し、セレモニーは客を招いての会食パーティーに移っていた。
新郎新婦は思い思いのテーブルへ赴き、親しいゲストらと語り合いの時を過ごしている。
ここまでは特になんの動きもなく、あと一時間もすればプログラムはすべて終了となる予定だ。
(……外したでしょうか。いくら【スカーレット・ウインド】を騙るつもりでも、こう人が多くては容易に襲撃など……)
アーシェリーがそんなことを考え始めた刹那、風が大きくざわめいた。
それは気候管理システムの不具合かと思われるほどの、一時的な突風だった。
「キャアアアアアァァアアァァァァ!!」
しかし、次の瞬間起こった絶叫に、その考えは間違いであったと思い知らされる。
思わずアーシェリーが目をやった先には、真っ二つに割られたラウンドテーブルと周囲を囲んでいたゲストらの血まみれの遺体が転がっていた。
そして新郎の男もまた、全身をズタズタに切り裂かれてその場に倒れている。
(これは……真空切断!? これが例の殺人の手口だったのですか? しかし、このような現象を起こすなど人間には不可能のはず!)
アーシェリーは、その時点でこの襲撃がカオスレイダーによるものだと確信していた。
真空による物体の切断――いわゆるかまいたち現象というものは通常の自然現象で起こるものではなく、人為的に作りだすことも容易ではない。ましてここまでの被害を瞬時にもたらすなど、人を超えた力をもってしなければ不可能だった。
その場にいる誰もが恐慌に陥る中、次々と巻き起こされた風によって、更なる血飛沫が舞う。
新郎新婦狙いと思われていた襲撃は、会場内すべてを巻き込んでの虐殺劇に変わろうとしていた。
(迂闊でした。まさかこんなことになるなんて……っ!? あれは!?)
風の飛来した方向に視線を向けたアーシェリーは、そこに緋色のライダースーツを着た人物の姿を発見する。
それは目撃証言にもあった【スカーレット・ウインド】の姿と同じであった。
しかし、ややあって彼女は奇妙なことに気付く。
(視覚情報以外の反応がない? 熱源反応なし、反響なし、臭いすら感知できない。ということは……!)
それは極めて精巧に作られたホログラフであった。
そこに立っていると思われた【スカーレット・ウインド】の姿は幻影であり、そもそも存在すらしていないのである。
(……これで謎が解けました。殺害の現場を誰も目撃しておらず、犯人の痕跡がなかった理由……偽の【スカーレット・ウインド】は、やはりいなかったのですね。しかし、だとしたらいったいどこから……!?)
アーシェリーは事件の真相に納得しつつも、周囲に視線を巡らす。
偽者の【スカーレット・ウインド】はいなくとも、今こうして行われている真空切断攻撃は紛れもない現実であり、阻止しなければならないものだった。
ただ、人々を切り裂く空気の流れは複雑であり、周囲の混乱も相まって思うようにサーチができない。
わずかな焦燥が彼女の心を支配し始めた瞬間、メモリーに残る声がその耳に届いた。
「出たわね。私の名を騙る偽者……どういうつもりか知らないけど、ここで始末してあげるわ!!」
「アレクシア!?」
いつの間にかハンドブラスターを構えたアレクシアが、ホログラフの【スカーレット・ウインド】と対峙していた。
レストランスタッフの姿でありながら、そのたたずまいには修羅場をくぐり抜けてきた人間の持つ独特の雰囲気がある。
思わず動きを止めたアーシェリーは、見入るようにその行動を見つめた。
「死になさい! いまいましい偽者め!!」
殺意の声と共にブラスターの銃口から白い閃光が迸り、偽の【スカーレット・ウインド】を貫いた。
するとそれを待っていたかのように、ホログラフが本当に銃で撃たれたかのような動きを見せる。
緋色のライダースーツの人物が仰向けに倒れ、宙には鮮血の飛び散った様子まで投影されていた。
同時にそれまで荒れ狂っていた殺戮の風が、嘘のようにその流れを止める。
(……これはいったい? 確かに存在しないはずの相手なのに……なぜ、攻撃まで!?)
一連の不可解な流れに、アーシェリーはただ呆然とする。
一見、偽者を倒したことで風が止んだと受け取れそうだが、実際はそうではないのだ。
(彼女の行動に合わせて、攻撃を止めたというのですか? いったいなぜそんなことを……なんの意味があって!?)
考え得る可能性はそれしかなかったが、その真意が掴めない。
アレクシアの自作自演かとも思ったが、そもそもこんな回りくどいことをする理由がない。
ただ、アーシェリーがそれについて深く思考を巡らせている余裕はなかった。
恐慌をきたすこともなくたたずんでいる彼女の姿を、アレクシアが発見してしまったからである。
「っ!? あなた……!」
驚きと同時に疑念を覗かせて、アレクシアがゆっくりと歩いてくる。
その姿を認めたアーシェリーはハッと我に返るものの、身を隠すにも逃げるにも時は遅かった。
「動かないで! そこのあなた……あなたに聞きたいことがあるわ。正直に答えなさい……!」
先ほどのような殺意を感じさせる低い声が、アレクシアの口から放たれる。
向けられたブラスターの銃口を凍り付いたように見つめながら、アーシェリーは身動きひとつすることもできなかった。




